「肩が凝る」について。

 アメリカ人には「肩が凝る」という感覚はないらしい。これは日本人だけの感覚だという。そうかそうか「肩が凝る」ということを意識するから、肩が凝るのか・・・。頭の毛が薄いのも、口臭が臭いのも、二重瞼が美しく見えるのも、巨乳系がフォーカスされるのも、意識させてそこのビジネスモデルを捻じ込みたいからか。っつーよりも、メディアコントロールで捻じ込みやすい国民性なんだろう。

 卵から生まれて間もないアヒルは最初に見た動く存在を母親だと認識するというインプリンティングの極みだろう。右向け右が心地いいのは、言わば、ちょっと危険信号なのかも。しかし、信じる者は救われる的なテイで言えば、信じている以上に何があるんだ!と開き直り系の思考パターンには意外と捻じ込む余地はないように感じる。ということはそれほどまでに強固なインプリンティングの仕組みを文化や歴史や慣習としているこのベーシック(基盤)な価値観が実は恐ろしいかも。しかし、一旦、そっち側に入ればそれほど心地いい空間はないのだから、へそまがり根性な天の邪鬼にならず、隣の芝生でバーベキューに参加すればいいだけ。青いぞ青いぞといつまでも指をくわえて見ているのも限界がありますしね。誰でも彼でも阿弥陀浄土に行きたいわけですし。

 しかし、灯台の元は意外と暗く、光陰矢のごとし、光のスピードで知覚できないぐらい点滅が繰り返されれば、人間の目はそれを光と判断するわけだから、シリアルにもパラレルにも捉えるのは自由でいいかなと・・・。

 で、こんな考え「肩が凝るよ!」という人はそっち側、「それはそれで肩が凝るよね!」という人は、たぶん、こっち側なんだろう。