コンテンツの鮮度。

 小説や漫画が原作の映画やテレビ番組は何故かどこかテンションが上がらない。いやいや、ほんとんどが何かの原作ですよ・・・みたいなメンドクサイ背景は別として、やはり、すでに存在して一世を風靡した物語と、この映画はこのテレビアニメは、書き下ろしの新鮮な物語。物語はあのあたりに行くらしいが、その真相はまだ誰も知らない。これがメディアに期待する鮮度。テレビがとことんつまらない決定的な理由は「鮮度が低い」から。何を持って鮮度なのかなどって議論もメンドクサイぐらい鮮度が低い。鮮度が何かなど考えるレベルでもう鮮度が低い。いい訳はどうにでもなるが、そのいい訳さえ鮮度が低いから、そりゃそうでしょう!みたいな喜劇と悲劇。感動を捏造しても底が浅いから部ブラックバスも卵を産まないみたいな。

 では、コンテンツの鮮度を上げるにはどうすればいいか?毎日一年365日、7/24、携帯からスマホからPCに貼りついて情報をリアルタイムに更新すればいいのか?違う、それでは人間が単にスマホのインターネットの奴隷になっているだけ。奴隷という言葉に語弊があれば、歯車になっているだけ。コンテンツの鮮度を上げるということは、ちゃんと食べて、ちゃんと噛んで、ちゃんと消化して、きれいなウンコにすることである。そこに実はスピード感などいらないのです。地球が生まれてからずっと流れている時間のサイクルで生物が生物のスピードで排出するSOMETHINGを誰かが知る時、そのSOMETHINGが誰かにとって鮮度があればいい。糞実物に「鮮度」という語感はマッチしないが、これはただの比喩。

 で、人間社会から排出され結果不協和音になるような解答や結論や正義なら、糞実物の方が地球のためになる。なぜなら、鮮度が高いですからね。