2012年05月 アーカイブ

量か質か?

 記念すべき3000本目の「スギノのノギス」ブログ記事は何にしようかなと考えていて、あまり、捻じ込む感じよりも・・・とか、仕事仕事するよりも・・・とか、プライベイト過ぎるのもどうか・・・とか、いろいろ考えたのですが、まぁ、3000ということなので、ずっと5年間続けてきたテイで楽な感じで気負わずに書いてみたいと思っております。

 で、よく「量より質」という言葉がありますが、この大前提は中途半端な商品や人や組織がただ数の多さを推し進めるよりも、少数精鋭で絶対数が少なくとも質の高い商品や人や組織の方が重宝だという論理が根底にあるだろう。それは日本という国のパイを考えた時の価値感で大量消費時代の到来から多種多様時代に変容し価値感が解されたこの時代にこの価値感を改めて考えると、全てに置いてこの「量よりも質だ。」という大前提で押しきれない場合が増えているように感じます。

 ただ、この場合の「量」って非常にざっくりした量であり、漠然とした「大量」という価値に対して、これまた、「質」という漠然としたクオリティーを比較しているが、そういう価値感も成立するケースはあっただろうし、今後もそのテイで考察できるケースもあるだろが、どうも本来の部分では「量」でも「質」でもどちらでもいいんじゃない?という考察もできなくない。

 つまり、「量」が必要な場合は、相対的な「量」で攻めればいいし、このケースは「質」で攻める必要があると判断した場合は、それがどの程度の「質」で目的を達成できるのかをクリアしていれば、「質」で押し切ればいい。だから、この時代、「量」でも、「質」でも、どちらがどうだとは言えない時代のような気がします。5年で3000個のブログ記事が多いか少ないか、質的に高いか低いかではなく、一人のクリエイターが仕事の合間に楽しく書き綴ったウエブログなんだから、何か別のブログと比較する必要もないし、比較されても・・・みたいな気持ち。誰かれよりも中身を練り上げようとか、誰の意見よりも深い考察をしようかとか、誰のブログの写真よりもキレイな感動的な写真を掲載しようとは全く考えていない。

 しかるに、ツイッターやFACEBOOKってどうなんだろうか?ということで言うと、世の中でもてはやされているほどこれらの機能や特長に対してあまり魅力は感じていないし、そもそも、これらのシステムというか機能というかサービスは無料なんだから、無料ツールをどう活用するかであまり無理苦理に伸び代を期待しない方がいい。無料アプリ合戦もまだまだ続くだろうし、課金システムも今後ますます規制されれば、ネットの中に存在する価値感もまだまだ多角的にそのベクトルをそれぞれの方向性で極めることだろう。で、当のそれらを活用している人間が表面的な飽和した氾濫している情報に依存して右往左往するよりも、しっかりと軸足を決めて本来のスタンスと体重の配分を確認しながら、このインターネットというモンスター(もはやモンスターでもないが、言わば、窒素みたいなもの!?)を自分に使いやすいツールにチューニングしたいものですね。肺呼吸のように。

 今朝の新聞で、某総理が「大飯原発の再稼働」に対して「私の責任で判断する。」と言っていたそうだが、誰かの責任で判断できるという問題では既にないことは日本人も世界の誰もが理解している。なのに、「私の」のこの「私」とは誰のことか?これがいつもの便宜上の比喩の引用なら新聞の活字の力はもう地に落ちているし、このフレーズの旗の元、さらに日本人が経済の活性化や将来的に安全な国を創るための必要なリスクだというメッセージだと仮にしても、それで何が現状のこの沈滞感が払拭され覚醒のベクトルが目覚めるのか?と疑問視の向こうを予感させるにしても、しても、この言葉は無力以下。

 大飯原発は私の故郷。高浜原発の恩恵も受けてきた。無碍に再稼働を否定も肯定もできないだけに、この某総理のあまりにもチープでナンセンスな言葉のチョイスに茫然である。

 エネルギー問題について本当に日本の変革を唱えるならば、本社の社員の削減数だけの「量」で偏在する価値感に訴えるより、コンビニや高速道路を走るトラックの「量と質」を日本サイズに調整してエネルギー問題と連動させることが可能な立場の人に適正にチューニングしてほしいと思います。某総理のハリボテ感はまぁ仕方ないとしても、「量」でも「質」でもどちらでもいいので、「日本」を再確認できる人にリーダーシップを発揮してほしいし、そんな自肩の強い人はすでに考え動き創造しているはず。だから、ネットワーク時代にこれらの「見えている人」に対してしっかりコミュニケーションできる「視力」を鍛えておきたいものです。その場合、「量」でも、「質」でも、どちらでもいいのかな・・・と。

心地のいい場所ベスト3(その2)

 心地のいい場所ベスト3についてですが、いろいろな捉え方があり、富士山の頂上だとか、琵琶湖の上だとか、六本木の美術館だとか、N.Y.の地下鉄だとか、上海の路地裏だとかということはいくらでも言えるのですが、それは心地がいいというか、想い出の場所であり、心地が良かった場所でもあるのですが、ベスト3となるとちょっと違う。ならば、あの人と出会った場所だとか、あの人とお酒を飲んだ場所だとか、あの人と盛り上がった場所だとかとなるとこれは心象の場所であるから、これも心地がいいとはちょっと違う。「心地がいい場所」とは、心がリラックスできていい刺激をバランス良く適正に感じるモードに頭が切り替わる場所。それはリラックスと緊張感がちょうどいいバランスで調和される場所となる。

 では、第3位は「ホームセンター」。どのお店でなければならないというこだわりは一切なし。とにかく、あの雑多な道具や植物やネジややすりが売ってあるあのホームセンターにいると、心がいい感じに高揚している。それは、前述のリラックスと緊張感がとてもいいバランスで調和しているとてもニュートラルになれる場所なのである。いいですね、ホームセンター。なんの先入観もプランもないニュートラルな状態でベニヤ板を見ている自分。何かを作りたいわけでもなく、ただただ、ベニヤ板を見ていると気分が落ち着く。ネジのコーナーなど、もう、いろいろなサイズがあるとウキウキワクワクするし、ちょっと、変わった道具のコーナーなど動けない。それに、木の香りとも鉄の香りともペットのエサの香りとも植物の香りともなんとも言えない、自然のナチュラルな香りが漂う店内をぶらぶらしているだけで、とても心が落ち着く場所。だから、第3位。

 では、第2位は「画材屋さん」これは必然ですが、筆や絵具やキャンバスやイラストボードや彫塑や立体模型のパーツにちょっとした書庫には専門の書籍ばかり。う~ん、筆を見ているだけでなんともテンションがあがる。とは言え、買うテイではとことん吟味する。画材に足を運ぶ度に筆を買っている。その時の気分で別に何も買う気がなくともとにかく筆を買う。それ以外の画材を買う時でも、どうしても、筆が気になる。新しい絵の具の色は出ていないか?イラストボートで新しい商品は出ていないか?安いキャンバスはないか?もう、動物園の猿以上。で、吟味して吟味して筆1本で納得してお店を出る。そして、数日後また同じ店に行って別の筆を買う・・・みたいな。画材屋さんは時間があれば何時間でもいることができる素敵な場所。

 で、第1位は、勿論、「本屋さん」しかし、小さい本屋は飽きる。出来るだけ大きな書店がいい。常々慌ただしい時間を過ごしているので、10分とか20分程度しか入れないし、必要な書籍を買ったら、次の仕事となるから、じっくり書籍をチェックできないのが辛い。でも、その辛い感じがまた次の機会に繋がるから、書店は一番心地のいい場所。電子ブックが氾濫・飽和しても、私は絶対に書店に行くでしょう。オンラインでダウンロードして書籍を読んでますみたいなのはキライ。そんなに毎日毎日本屋さんに行って何を探しているの?とよくカミさんに言われるが、「何を探す?」そう、「何を探すか?」を探しているから本屋に行くのですね。だから、私の心地のいい場所ベスト1は「本屋さん」でした。

心地のいい場所ベスト3

 かれこれこのブログを始めたのが2007年の5月。振り返るとここまで続くか、ここまで書くのか・・・と自分自身で驚いている。2007年の段階ですでにブログでビジネスとかブログで情報交換とかブログで販売促進をなどのテイが充分認知されていた。すでに企業はアルファーブロガーという人達に従来の広告戦略を担ってもらい、自社の商品を紹介するという戦略の成功事例が出始めた頃。私自身、その頃、「ブログ」という言葉は知っていたが、正直、全く興味がなかった。沖縄の友人から「スギノさん、ブログしなきゃ!」と言われテンション低めに始めた記憶がある。しかし、なになに、これがこれがで、早5年が経過した。日記を付ける習慣もなかったし、文章を書くのは嫌いではないにしても、仕事でパソコンの前に座っていることや、写真を仕事で撮影したり、映像を撮影したりすること。そして、ソフトや画材でイラストを描くことなどがこのブログという手法にマッチした感覚。私は何かカタチのある商品を販売しているわけではなく、「企画やデザイン」を印刷物やWEBサイトや映像などのコンテンツにしてビジネスをしている人間だから、その考えて、創って、販売するというプロセスとブログを書くということが意外にマッチしたような感覚ですね。

 さて、そんな「スギノのノギス」ももう少しで6年目突入。で、このブログが2,998本目の記事なのです。だから、あとこれを入れて3本の記事で3,000本の記事となる。3,000mと言えば、山で言えばかなりの標高であり歩き始めてそろそろ酸素を意識する発汗状態や鼓動を意識する高さであり、¥3,000と言えば、そこそこのお店でそこそこいいものを食べられる金額。そして、3,000マイルと言えば、ニューヨークからロスまで車で走ればそれぐらいでしょうし、と、この3,000という数字はなかなかな数字なのである。富士山に例えるなら3,775ですし、今、このブログは7合目ぐらいかな?しかし、世界には8,448という山もありますし、あまり行きたくないが、10.911mと言えば現在確認されている一番深い海底地点。そう考えると3,000という数字はまだまだいわゆる「旅の途中」と捉えることができる。さらに、3,000gということなら、バストーナメントで上位に入れる入れる。もしもしもし、3本でこのウエイトを出していたら、どこのトーナメントでも優勝できないまでもそこそこの順位であるはず。だから、この「3,000」という数字はいろいろな意味でそこそこだと捉えています。一年365日を5でかけても1,825ですから、毎月平均50本の記事を書いたことになる。ひとこと「お前は暇か!」とツッコまれたとしても、この3,000は「楽しめた」からこその数字です。「毎日、よくそんなブログを書く時間がありますね?」と呆れられることも多いが、人間、「楽しいこと」は時間を巧みに配分している。これが何かビジネスにプラスになっているか否かなどはまったくリアリティーはありませんが、あくまでも「商品の販売促進」や「自社の紹介やプロモート」目的ならば、ここまでの「楽しさ」はなかっただろう。最初に設定した「スギノのノギス」の制約が緩かったことも続けられた原因・要因のひとつですね。振り返ると確かに仕事のことは20%も書いていない・・・という。

 で、前置きが長くなりましたが、「心地のいい場所ベスト3」を書き出そうと思ったのですが、このネタはちょっと練り直そうと考えておりますので、2,999本目か3,000本目にまとめようかなと思っております。この場合の「心地のいい場所」といのは結構人間性が現れると思うのです。私はこういうテイの人間ですって直球なことをべらべら述べるよりも、「好きな心地のいい場所」を言うだけでその人の人間性が見えてくるような。だから、私の心地のいい場所NO.1は「戦場です。」という人とは友達になりたくなし、「キャバクラ」ですという人間もちょっと勘弁してほしい。逆に「西表の海の中」という人ともやはり最後の最後で友達にはなれないはず。また「どこどこのシェフのいるあの料理を食べられるレストランかな・・・」というメンドクサイ人は「へぇ~」で瞬殺。だから、心地のいい場所を思い描くと自然と笑顔なるような場所はその人の特性が出ると思います。最近で言えば、「バスボートの上」ってのは私の心地いい場所ベスト100の上位50位ぐらいには入ってくるでしょうが、ベスト3となると別格ですね。古い記憶を辿れば、「心地いい場所」はほんとに覚えているだけでそれこそ3,000ぐらいはあるでしょう。覚えていればという条件になるので、忘れていることもあるが、1週間ほど仕事もせずにパソコンの前に座る時間があれば、軽く3,000は出てくるでしょうね。N.Y.のあの美術館のトイレ、良かったなぁ~、セントラルパークも良かった、ホワイトプレーンの駅も良かった、っていう風に。

 のでので、心地のいい場所ベスト3は次のブログにて。

 で、逆に「心地の悪い場所ベスト3(ワースト3)」はどこだろう?と考えると、第3位は「ブランド店」。あのどうでもいいディスプレイと棚にならんだ無意味な装飾とエゴの塊。それに陶酔している人間の価値感が充満しているあのブランド店の雰囲気。あれは心地悪い。時計や服やバック関係のブランド店には入りたくない。そんなお金がないからというひがみ根性が根底にあるのだが、それにしても、あのテイに微塵も価値は感じない。

 そして、第2位は「人の多い場所」。渋谷の交差点というわけでもないが、花火大会とか何かのイベントで人がごちゃごちゃいる場所は嫌い。ほんとに嫌い。空気も悪いし、集中力が落ちる空間です。それに人ごみということではないが、会議の場も嫌い。長時間、結論の出ない議論につきあわされるような無意味な会議が嫌い。能ある鷹が爪を隠すようなピリピリした駆け引きの会議は心地いいが、緩く押したり引いたりの議論は嫌いである。「うどんかぁ!」みたいな。

 第1位はこれは生物の人間として当然の場所。それは「水の中」。これは心地がいい悪いの問題ではない。泳げないということが最大の理由にしても、あんなところが心地いいと感じる人と気持ちを同じに、ベクトルを共有することは難しい。人間の誕生は海です。だから、母のような大きな海に抱かれて・・・みたいなことをよく言うが、えっ!今から君は母のお腹の中に戻りたいと考えているの!?となってしまう。生まれ出て今二本の足で立っているのだから、炭素に還るまで一生懸命筋肉を動かしましょうよ!って感じ。何らかの理由で心臓と脳が停止した時、海でも土でも宇宙でも抱かれればいいこと。

 まぁ、そんなテイで「心地のいい場所」を書き出したいと考えております。

THE BASS兄弟。

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 世の中、「宇宙兄弟」が最新でしょうが、この絵もなかなかのモノじゃないでしょうか。20年以上前、手前の弟に誘われて本格的に始めたバスフィッシング。まさかまさか、20年の時を経て、バスボートで横にならんでバスを一緒に狙っている絵なんてちょっといい感じですよね。今の世の中「絆」「絆」と騒がしいが、そもそも「絆」などとりたてて注視するもんじゃない。そこにフォーカスすること自体、世の中の仕組みのネジがゆるんでる。家族の絆、男女の絆、友人との絆、そんなこと無理苦理意識せずとも、こうして、無我無心に一緒にバスを狙うってことでそれは成立するんですよね。「絆不足の現代」に何か足りないモノがあるとしたら、それは「行動力」なんじゃないでしょうか?PCやスマホやタブレットの絆もいいが、余計な言葉など抜きにして、いっしょに動けば人間の心は自然にシンクロ・共鳴・交錯する機能があるのですからね。楽しいひとときでございました。

これが一番気になりますね。

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 なんと美しいフォルムと色でしょう。最新のロッドやリールが会場には展示しておられましたが、やっぱり、一番気になるのはこれ。これが一番ブラックバスをイメージできるんですから、私の釣りはそういうタイプなのでしょう。確か20年以上前に最初の1匹もクロー系でしたし・・・。

初バスボートで記念すべき一匹目!

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 初バスボートで記念すべき一匹目と格闘中。これがこれがいいサイズだったのですよ、へへへへへ。

DAIWA T3-AIR

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 ひさびさにベイトが欲しくなった記念すべき1日だった。理由はいろいろあるがありすぎてまたいつか結果次第でこのブログに記載しますが、とにかく、これ欲しい。

パワーホグ!!!

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 ずっとずっと気になっていたワームを入手しました。パラマックスと合わせてこれで準備完了。あとは、大野でひねり出すだけ・・・と。

ドラゴン~のご両名。

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 ちょっと、鉛筆にてドランゴ~のご両名を描いてみました。ってほど楽しみにしています。

ルーニー・マーラさん。

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 この女性がリスベット・サランデルの人とは・・・。監督恐るべし、原作恐るべし。いやいや、6月13日のDVDが待ち遠しいぞ・・・。

芸大卒の就職率について。

 「芸術大学は就職に不利」というイメージがあるらしい。これは、芸術大学からのパンフレットの中にある「ご父兄の皆様へ」という冊子の戦略。確かに一般的にステレオタイプに考えるとこの論理は実しやかに思えるし、自分自身が芸大への入学を考えていたこともこの部分はかれこれ悩みの部分だった。しかし、その信憑性はいかに?確かにこの冊子が手元に届き読んだ「芸術大学を卒業していないご父兄」の皆様はこの論理を鵜呑みにするだろうし、このパンフレットに展開されている論理・文脈を自分自身のモノサシで推量することは不可能に近いだろう。価値感のない経験値のない分野に対して「不利」とか「有利」の判断はできるはずがない。仮説と想像と規範から判断するしかないだろうから、正確には判断できないが正解である。

 このパンフの論理は芸大生は「集団行動における意識の形成が優れている」と記載されている。まず、集団行動が嫌いであり独自の世界観を主張し過ぎるというイメージや先入観がある芸大生に対いて「集団行動における意識」とは?となる。また、芸大卒業生の就職率についても記載されているが、この内定率とはどのような基準で算出された確率か?恐らく大前提から便宜上のフレームの中で算出された物理定数だろうから、基点はあるようでないが正解。そこで、芸大生の4年間の過ごし方を紹介しているのですが、そのキャンパスライフにおける「コミュニケーション能力に長けている」「困難にあってもやりとげる知力と能力がある」「新しいことに常に挑戦し続けるチャレンジ精神」「集団を率いるリーダーシップがある」「チームワークを重視し協調性がある」「ストレスに対する耐性がある」「ビジネス感覚が強い」などという特性を列挙している。これが意外に自分自身の感覚の中にスムースに浸透する感覚があるから、不思議なのであるが、確かに!という感覚はある。

 で、これを経て芸大生は現代社会の荒波に向かって独自の世界観とコミュニケーション能力を持って社会を牽引する人材となる・・・あたりが落とし所だろう。

 さて、この論理、芸術大学を卒業していないご父兄の皆様にはどう映るだろう?きっと、手前味噌な勝手な一方的な論理にしか聞こえてこないような気がする。だって、そりゃそうでしょう、芸術大学を卒業していないのだから、コミュニケーション能力もチャレンジ精神もリーダーシップもストレスに対する耐性もビジネス感覚もないご父兄なんだから、理解もできなきゃ、感じることも無理。すると、つまり、何かというと、世の中の構造の人材の配分の比率だけの問題なのである。様々な能力を意識化にできる特性は芸術大学にはあるだろうが、それが社会に適正に機能するか否かはポテンシャル次第。芸術大学の関係者の人達もそれをちゃんとぶっちゃけないと・・・。ないと、誤解されますよね。

 芸術大学の卒業生は社会規範やビジネスモデルをどのように捉えているのか・・・などと決して総括することはできないが、まぁ、「地頭」が強いということだけは言及しても良さそうですね。恐らく、ストレスに対してもマクロにもミクロにも対応できる俯瞰力が持っていると思います。ただ、基本、私も含めて天の邪鬼であることから扱いにくい人間が本質にあるこも否めませんが、協調性もあることもリアル。つまり、何基準であれ独創性や思考における行動力は優れている人材が多いように思います。ただ、社会の規範との相性がどちらへ転ぶか・・・みたいなことでしょうか、結局。

こんな商品があったとは!

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 私はスピニングの釣りがほとんどで、細いラインでしっかりバイトをとりたいと考えている。これは長年バスフィッシングを楽しむ上で、魚の顔を見るということが目的だからである。ルアーフィッシングはいろいろな楽しみ方があり、ルアーもハードからソフトと無限にある。それは、アングラーのあくなき探究心と研究心がもたらした結果だろう。それほどつまりバスフィッシングはオモロイということ。しかし、一時、私もそのルートでいろいろなルアーを収集・コレクションすることが楽しい時期もあったが、どうも、「バス君の顔を見る」ことと自分の中で同期していないような気になった。釣り場でバスの顔を一匹でも多く見たいなら、戦略・アプローチは自分自身にマッチした独自の方法が正解ではないかと。結果、スピニングのスプリットショットというリグでバスを狙うことに落ち着いた。この釣り方については長年こだわってきたことがたくさんあるので、また、どこかのブログで詳細は記載するとして、この釣りは早くも遅くも自由自在であり、いわゆるタテの釣りからヨコの釣り、シャローからディープまでさほどリグの構造を変容させずともフックとシンカーの入れ替えで簡単にアプローチできる。何より、ルアーのアクションイメージが自分にマッチしているからこのスプリットショットがテッパンなのである。

 で、慎重にフッキングするものだから、ルアー(ワーム)を飲み込まれることが多い。長いプライヤーをもっているので、喉の奥までプライヤーを突っ込んでフックを外すがなかなか難しい。いつもいつも何かいいギアがないかと気になっていた。そこで、いろいろバスフィッシングへのリサーチをしている中で、こんな商品を発見。これは!これだ!みたいな。

 早速、スミスさんへあるルートから連絡を入れて頂き、確認中。あまり飲み込まれるのはよくない傾向だが、しっかり、喉のフックを外して、リリースしたいのでこの商品は非常にgoodですね。

 リリース禁止のふざけたルール。外来魚駆除釣り大会などと、「江戸時代かぁ!」みたいなことになっている湖もあるようですが、よくもまぁそんな大前提を行動の指針にできるなぁと呆れるばかり。そもそも「外来魚」という定義になぜそれほど敏感に反応するのか?自然は自然でしっかりとルールを作っている。人だけがそのルールを破って我が我がと仕切りたいのだろう。それが後ろめたいのか、心のよりどころを見つけたいのか、法律で自分達を束縛して摩訶不思議なプレイに興じている。と、この件は長くなるのでこれぐらいにするとして、私はブラックバスを釣ったら、絶対に、健康に水の中に返したいので、このブラックバスを愛する人が企業が考えたツールを使ってみたいと考えている。

 漁港や湖岸に置かれた駆除ボックスに異臭を放ち朽ちていくブラックバスの臭いを鼻にするたびに、予備知識のない子どもたちに外来魚を駆除するという崇高な行為を教授しているという「外来魚駆除釣り大会」企画・運営者の皆様に心の底から乾杯である。cheers!

さよならテレビ。

 これは日経ビジネスという専門誌の中のキャッチコピー。「さよならテレビ、こんにちはインターネット。」というところだろうか。そもそも改めて振り返るとテレビという家電は何だったのだろうか?メディアとしてのテレビや娯楽としてのテレビ。それぞれの真価と共にあった価値感がこうも崩壊する失速する理由は?インターネットや携帯端末がそれに代行したからと考える前に、そもそもテレビという存在を再度考察する必要があるように思える。しかし、そこには基本触れず、次から次へと押し寄せて来るスマホやタブレット端末の潮流に隠れて密かに失速していくのだろうか。ニーズが失墜し構造が緩み消えたアイテムやギアはいろいろあるが、いつの日か、この大きな箱は何をするためのものだったでしょうか?というコンテンツをインターネットで閲覧することになるんだろうか?

 ジョブスはアップルの展開を「一目見て、それが何をしてくれるかを理解できるようにしろ」と言ったらしいが、まぁ、このようなフレーズがジョブの書籍には列挙されているのだろうが、それを見て何をしてくれるか?っていう言い草はいろいろな基本設定が必要である。しかし、その前に、自分が何をしたいか?自分自身が何をできるか?は微弱で荒唐無稽な上にそんな付和雷同な指針に鼓舞されるつもりはないし、広告の中の文章表現だと言え、もっと、伝えたいことを素直にピュアに言葉にすればいいのに。日頃のしゃべり言葉はどこまでも控え目なくせに、活字では大胆になるのですね。実は、これは本来、逆だと思います。

 だから、「さよならテレビ」ではなく、「お疲れ様、テレビ」にならないものだろか・・・。

長浜駅はどこへ行く!?

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 数年前に古風な外観でリニューアルした長浜駅。そして、この増築というかテナント構想。どんな外観になってどんな設備になるかは不明ですが、リニューアルされて意外にいい感じだっただけに、また異なるコンセプトの建造物が出来ることで変な感じにならねばいいが・・・。東京も京都も大阪も、日本の駅って風情がない・・・というか奇をてらい過ぎ。その時その時の有名・著名な建築家を採用するのはいいことだが、統一感がない。歴史や文化を連呼していながら、やっていることは支離滅裂に近い。それがいいか悪いかは誰にもわからないが。エゴを出し過ぎ。迷いながら建てているから建造物に時間が刻まれない。だから、同様に街に時間が刻まれない。ただただ老朽化を待つだけのハリボテになる。日本の建築技術は凄いと聞いているが、それが、現代に生かし切れていないのだろう。恐らく、本来の建造物としての真価とは別のベクトルで建てられてる可能性が高い。それが、街の日本の景観・風景を混沌とさせているとかいないとか。長浜駅はどこへ向かっているのか?そして、長浜市はどこへ向かっているのか?きっと、たぶん、手の鳴る方へだろう。

スチームパンクというジャンル。

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 うんうん、なかなか、良さげですね。

金環食とスカイツリー。

 しばし「金環食」と「東京スカイツリーオープン」ネタで活気づいている感じがする。これらは何かの象徴として人の心を捕まえるのだろう。天体を意識することや、日本で一番高い建造物という存在感が日常の価値感からいい意味でその箍を外してくれるから注目度に比例するのだろう。確かにこれらの出来ごとは印象的ではあるが、公転・自転をしている惑星なんだからそういう確率もあるだろうし、高いタワーが経済や技術のシンボル化することも別段、さほどテンションを上げることではない。つまり、古代の頃から人の「感じる構造」って変化していないのだろう。「稀な出来事」「高い建造物」をどこか古代から崇拝するという感じ方を共鳴させることで波風が立たないだろうという本能のような機能。

美人の多い石川県!?

 「実は石川県には“美人”が多い!石川県は、昔から“加賀美人”という言葉が代名詞として使われているように、美人が多い県だと言われています。特に“素肌美人”が多いことで知られています。その理由は、雨や雪の日が多く、湿気でお肌を守ってくれているから。雨や雪のおかげで、色白のキメ細かなしっとり肌を作ってくれるのですね。そして、これは周囲に聞いた話ですが、美容業界では、“石川県 の女性は基礎化粧品に支出する金額が少ない”とも言われているそうです。それだけ、 何もしなくても素肌が綺麗な人が多い、というわけですね。」というメルマガが到着したが、なるほどなるほど、根拠はありそうですが、湿気と美人と基礎化粧品の使用頻度の関係は想像以上に遠い距離感にあるだろう。しかし、漠然と「メディアにコントロールされてもいいよ」的なモードになれば、そこそこ信憑性もあるような気がする文脈。実はこの「そこそこ」が情報をテキストにする時のコツのような気がします。「美人が多いからどうなのか?」「石川県の雨量と美人の関係はそういうことか!」レベルで情報の真価へのアプローチにリミッターをかけられることに慣れている世の中の人はそのエリアに対して、否定もしないし突っ込みもしない。「へぇ~そうなの!」レベルでほどよく止めている感覚に慣れ過ぎ、否定することも突っ込む感じも実は麻痺している状態とも言える。逆寸止め状態。

 だから、メディアやインターネットの文章は相対的に「浅い」のである。ただ、紙媒体のように紙面に限界がありません!が売りだから、その絶対量は限りなく無限に多い。それを人間のあるワンカットの記憶力とか認知能力の限界をはるかに超えているから、人は「おお!氾濫する莫大な情報から自分だけの価値ある情報を得ることができた。」と誤解する。この誤解が久しく蔓延すると、「石川県は雨量が日本一だから美人が多い。」という情報程度で人は何にか素晴らしい知識というか蘊蓄を得られたと認知してしまうのである。だから、科学的な根拠も論証も、権威からのメッセージも必要ないのである。そもそも「美人」ってどこで定義するのか?「多い」って何%なのかは関係なく、ふわふわと「石川県」「雨量が多い」「美人が多い」「加賀美人」「加賀に行こう」となるのである。まるで蟻である。しかしこれが勤労意欲が頗る逞しい蟻なのです。

 これと同じ類で「戦国浪漫」や「歴史文化」という便利なフレーズがある。これも、誰も本当のことは知らないはずの史実をフィクション化して動機付けに変換する能力に長けている多くの人達が日本の観光産業はなんとか成立させている・・・みたいな構図があるような気がします。このタイプのユーザー達が全て歴史の真価を紐解き始めたら、このふわふわした価値感は確実に崩壊していくだろうし、つまり、イマジネーション豊かな人(真価を問わない解釈能力が広く浅い人)が世の中的に多くてメディアの人達がそのツボをしっかり押さえて情報をコントロールできてきたから水が清く魚が元気だというわけ。その水が強すぎたり淀んだり支流が増えると魚も散るということ。

 で、どんなルアーを投げれて、どんな魚に出会いたいのか?投げるポイントとタイミングとモチベーション。言わば自然相手に戦略を練っても自然はそんなに簡単ではないから、想定以上に苦労することを大前提にしておきたい。しかし、時にいきなり視界の外からサプライズが飛び込むこともまれにある。つまり、人間もリアクションバイトがあるということかな。たかが、「美人の多い石川県」。されど、「美人の多い石川県」なのである。

ひさびさの48cm!

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 で、結果、昨日はこの2本。目的は映像撮影なので、私がフックアップしてパートナーがランディングという協力体制でゲットした2本です。いやいやいや、この48cmは痺れます。やっと、今シーズン、大野ダムに来て結果が出せましたって感じですね。この調子で5月末からピークの6月に向けて、ランカー・・・そして、ミラクル「ロクマルバス」の映像をゲットする予定です。それを予感させる2本でしたね。大野ダム、オソルベシ!!

 あと、2cmか・・・、いやいや、お預けお預け・・・。

こんなに減水。

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 春からすでにこれだけ減水しているのですね。だから、ダムの表面積はどんどん絞り込まれる。あと20段分ぐらいで水位が安定するらしいから、そうなると、ガンガンポイントを攻めれるという仕組み。だから、6月がピークになるでしょうね。そのタイミングで私自身もできればできればできれば、生涯4本目のランカー(50cmアップ)を獲りたいなどと考えております。楽しい楽しい。

病気は人を選ばない・・・。

 ある病院・医学の分野の機関かサービスのコマーシャルでこんな論法があった。「病気は人を選らばないが、人は薬(治療方法)を選ぶことができる。」的なフレーズの3段論法でオチへ落そうとしていた。が、この2つのフレーズは論法的には脈略がない。というか関係がない二つの論法でひとつのオチへ・・・が無理がある。私自身の解釈レベルが低いからかもしれないが、どんだけ掘ってもこの論法に適正な関係性はないように感じた。しかし、テイはテレビCM、そんな部分にツッコンでいる人は限りなく少ないだろう。その証拠にこのフレーズをグーグルで検索しても同じことを唱えている人はいなかった。って、ここを掘っても何も出ないからだろうが、いやいや、この穴は意外と深いと思う。

 確かに、論法的はおかしさ満載だが、そもそも「病気」とどう定義しているかに何通りもの解釈がある。この語彙が示しているのは、恐らく「癌」だとか「梗塞」系のことだろう。しかし、病気とはそもそも「気」が
「病む」と書くぐらいだから、身体が健康でない状態だから、気持ちが病んでしまう状態を、果たして「病気が人を選ぶ」とか「選ばない」という言い方で適正なのか?と。つまり、「病気」という価値感と「選ぶ」という語彙にさえ実は相関性が少ないというかないような。これも恐らくこのCMのコピーデレクターの着眼点だけの見切り発車のようなライティングだろうから、悪意がないにしても、ちょっと、文脈に底力がない。その上、「人間は薬を選ぶことができる。」と繋げてしまう支離滅裂さ。だって、実は、正確には人間が薬や治療薬を選んでいるわけじゃない。つまり、選ぶほどの選択肢がないのに、「選んでいる」と意識化したいだけなのである。

 一見、聞き流しそうなこのフレーズでも喰いつけば噛みしめればいろいろ日本語の背景設定の緩さ加減が露呈するから面白い。これで、コミュニケーションしてきた日本人ってやっぱ凄いのかなと・・・。

 で、「言葉は人を選らばないが、人は言語を選べる(使える)」って論法さえ成立するとかしないとか。なんとも、これまた、ノンバーバルなオチでした。

アイディアが出てくる頭の構造とは?

 「発想は豊かに」と小学生の頃、美術の先生が言っていた。今思うと非常に抽象的な言葉だが、やはり、学校で美術という概念を認知させるためには、この程度の緩い言い方がベターなんだろう。で、芸大ではどうか?「斬新に!個性的に!」というニュアンスなる。恐らく、現在も、デザインやアート系大学ではこの教えを受けた人達が教壇に立っているはずだから、同じことを言っているだろう。しかし、「豊かに」「斬新に」「個性的に」という言葉は実に無責任な言い方である。私自身、学ぶ立場にいる間は絵を一生の仕事にするための「技術」を学ぼうと大学に行った。だから、あまり、発想やアイディアの豊かさや斬新な個性的なことについては、あとから付いてくるだろう…程度に捉えていたような記憶がある。だって、仮に授業を受けている学生30名程度を相手にこのパイで個性や斬新さを競っても意味がないと思っていた。逆に「発想の豊かさ」に飛び抜けるためには、現在、飛び抜けようとしている全体像を俯瞰で観察する必要がる。アートの世界で適正に「飛び抜ける」ためには、絶対に「飛び抜け過ぎ」てはいけないのである。これも実は学生の頃に学ばなければならない価値感というか洞察力である。ここをベースに個性だとか斬新であるだとかに対する自分の世界観を構築しなければ、ただの、無法者になる。

 で、アイディアとは何か?それを湧き出させるためにはどんな訓練が必要か?恐らく、そんなことは訓練で会得はできない。つまり「すでに偏在する内在する力を確認する。」だけが人間技の限界。時に天才と呼ばれる歴史に名を刻んだアーティストがこの能力に長けていたとは考えにくい。いずれも言葉にすれば「偶然」の「たまたま」でしかない。その「たままた」に左脳の能力に長けた人が文章化して情報化するから、その「たまたま」が化けるのである。

 だから、頭の構造など万人そんなに変わるはずがないのが正解のような気がしますね。ただ、この「たまたま」という出来ごとは人の人生・運命を左右するから恐ろしい。アイディアの最初は非言語であり、五感による認知の末、消化され排出されたSHITだから、かくも匂うのである。

水は大切。

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 本日完成し月曜日納品する販促用のパネルです。水は大切ですよね・・・。

マジガチ、夢のバスボート。

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 ひょんなことから来週、バスボートでバス釣りをすることになった。夢のバスボート。こんなのに乗ってバスフィッシングをするなんて夢の夢でしたから、なんともラックなことです。48歳のおっさんの夢は意外な角度から降臨するのでした。マジガチで嬉しいぞ!!!

これが1円!?

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 これがヤフオクで1円だったそうです。絵画の価値って何でしょうね?なんとか会のネームバリューで絵画の価値が決まっているが、これって本来の絵画の価値ではない。摩訶不思議な貨幣価値の前にアートはいつも後手後手。絵画と貨幣の相関性ってなんとも不思議ですね。これが1円か・・・。

いろいろな食い違い。

 「仕事の英語 できる人の 話し方 明日から使える表現70」という書籍をチェックしている。モチ、教科書には書いていない!?とのこと。だって、「How are you?」と聞かれて、「Fine.」では残念な人らしいから、英語は難しい。って、英語が難しいのではなく、日本人の固定観念がイタイだけ。日本人だっって「いとおかし」とは言わないし「オモロイオモロイ」が正解なわけだし。何も仕事の英語として「できる人」に心の底からなりたいわけではないが、教科書に書いていないという部分がとても興味あり。

 で、言葉でのこの食い違いが文化や慣習の食い違いになるのだから、人間の歴史はFineである。

 余談ですが、「南無阿弥陀仏」ってどういう意味か?となると、「私の存在は阿弥陀様にお任せします」ということらしい。が、なんだそれ?信仰って偏在する概念に依存することが始まりだとしても、そんなにことあるごとに「お任せします。お任せします。」って唱えている民族ってちょっと引きますね。っても、自由自由ってこぶしを上げて殺し合う国民性も勘弁してほしいが。つまり、これも食い違いなのであるから、How are you? と聞かれたら、何と答えるかは恐らく「Fine」じゃないだろうな・・・。

書店ガール

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 「釣りガール」「山ガール」からの「書店ガール」と。他にもいろいろ「ガール」のテイはあろうが、またまた、これもこの路線でちょっとヒットしているパターンのようですね。確かに「ガール」というニュアンスは「熱意」とか「人間らしさ」とか「信頼感・好感度」みたいなことをニュアンスとして伝えるに便利なフレーズなのかもしれない。電子書籍vsみたいなことが世の中的に氾濫・蔓延しているところへダイブ!みたいな路線でしょうね。あっ!そうそう「歴女」的なフレーズもあったし「戦国ガール」みたいなフレーズもあったがいわばこれらはひとつのパータン的な戦法。なぜ、この場合「ボーイ」や「男子」が採用されないのか?男子のイメージには「高感度」や「繊細さ」や「動機付け」などを連想されない何か慣習的な背景があるのだろうか?市場に受けたから連携・共鳴させるはこの業界のテッパンだろうから、この「書店ガール」も論法的には正解なのだろう。

 で、「男社会に風穴を開ける、爽快お仕事小説。」というキャッチフレーズも男子サイドからも納得してしまうほど何かが蔓延している「ありき社会」の大前提があるのだろう。紙の本が並んでいるリアリティーと、本は本屋で売っているのが一番素敵だものと、ガールに言わせている。つまり、ガール目線での価値感を持っていないと男社会は無味乾燥ですよとまでもいかないが、それに近い切り口なのだろう。

 私も確かに書店で本を買うという行為は何かのリアリティーを同時に購入している感覚があるし、宅急便でケースに梱包された書籍が会社に到着して・・・というテイよりも、書店の袋に入って持って帰ってくるというリアリティーが書籍の価値・真価のような気もする。まして、紙の書籍と電子の書籍の違いとは???などと深く考察しても仕方なしと感じているので、電子の書籍を読む気にはなれない。タブレットのスマホの中にある文字を認識して「本」だとは思えない。というか正確にはあれは本ではない。どれだけ映像や音声が連動しても「書籍」ではない。読者はあくまでも「書籍」を読みたいのであって、文字を情報として目で追いただいだけではないということをデバイスを創っている人は理解しなければ・・・って、これも、無味乾燥なアメリカ文化だから致し方なし。シェアやリサイクルも概念的にはいいが、質量と触感のある書籍が私は読みたいのである。ページをめくるスピードで文字を追うスタイルを止めて、タッチパネルのスクロールでは文章と文章の間のイメージが風景が著者の狙いとビジョンが抜け落ちるから。

決意のドア。

 新宿のデザインプロダクションさんでの初日の朝、そのオフィスのドアを開ける時、確か、深呼吸をした記憶がある。やっとここに来れたというドキドキと、ここで頑張るぞ!というワクワクで興奮し緊張していた。それがこのデザインの世界に入らせていただいた最初のドアだったからである。奇しくもその会社様の名称が「DOORS」。しかし、世の中には「自分に合った仕事を見つけられない・・・」と一生つぶやき続ける人がいる。「天職が何か分からない」とか言う前に、ガチでそれを探究したのか?ターゲットを絞り込んで考えて努力したのか?という話。何を仕事にするのかは、労働時間や休日の待遇や福利厚生や仕事の内容や給与の額面ではないはず。やりたい仕事がなかったから家業を継いだは最悪。お前は親父のために生きているのか?という論理。ほんとに家業が好きな仕事にならなかった理由があったはず。それを見切り安定を望んだのだから、その場所でベストを尽くすがお前の正解。まぁ、そんな連中は論外としても、最初に決意して入ったその場所こそが自分の場所なのである。

 で、会社の契約条件に文句を言う人は必然的に自分の仕事場に辿りついていない人。自分の仕事部屋に入っていないのだから、そりゃ、出口は見つからなくて当然当然。どこかにあったはずの「決意のドア」の前になんらかの理由で立たなかったのか立てなかったのか?なのである。自分の仕事に出会うには熱意だけは難しいし、幸運も味方につけなければいけないだろうが、それでも、運も実力の内。結局、時給額や休みの時間で仕事を選択し余った時間で国の経済振興を支えているという立ち位置になるというわけ。でも、それはそれで生産性を担っているのだから素晴らしい存在。

 しかし、自分自身もデザインの仕事が恐らく合っているだろうと考えているし、この仕事をやりたかったという強い意識はあったように記憶しているが、アートやデザインの仕事は底抜けに楽しいが芸術系の仕事をしたいという記憶の派生の前にいろいろな願望があった。科学に興味があったし、スポーツにも興味があった。それに、文学や製造業にも興味があったような記憶がおぼろげにある。しかし、上記の理由で、諦めたような感じだったし、その試行錯誤の結果、アートやデザインに辿り着いた。結果、この広告という仕事は、科学もスポーツも文学も製造もその他のいろいろな分野のお客様の仕事をすることになる。これも、不思議な巡り合わせなのかもしれない。

 という意味で、やはり、あの新宿のドアが私の「決意のドア」なのですね。

マミレル!?

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 いやいや、ますます、ご健在、カエラママ・・・と。「マミレル!?」なんとも意味深げなカエラママワールド全開ということで、タノシミタノシミ。「ハジケル」でも「カラマル」でも「ムラガル」でも「ホドケル」でも「カミシメル」でもなく、「マミレル」なんですね。感覚的になんでもイケる人って、イケていない、無理苦理にイケてるテイでプロダクションのチカラMAXみたいなことじゃない、ナチュラルな感性っていいですよね。って、これもFAKEだったり。まぁ、だったとしてもカエラママだったらALL RIGHTである・・・ぐらいの「マミレル」であるからパワバラがマッチする。ここの支点がなんともマカフシギ・・・。

筋金が入っているか!?

 最近、「筋金が入っている人」に新しく出会う機会が少ないような気がする。この「筋金感」ってあるいみの相対的なリアリティーだろうし、その方のポテンシャルだとも言えなくないが、骨が太いというか、心臓に毛が生えているというか、器量が大きいというか、なんとなくそんなニュアンスの人が少ない。それに比べパソコンみたいな人が増えてません?スイッチのオンとオフがはっきりしていて、細かく、考えや行動パターンが2次元の人。ミクロとマクロに自分自身のスイッチを巧みに切り替えています!みたいなテイでどや!みたいな人。それは素晴らしいことかもしれないが、到底「筋金」が入っているという印象には程遠い。細かい小さい神経質が悪いことではないのですが、デリケートっていうバリケードが強すぎる。抗菌フィルムに守られているから、雑菌に弱い・・・みたいな。

 恐らく、時代や経済の観念が変容して人間の資質が軟化・フラット化・相対化した結果、硬度の高い思考や競争率の高いフィールドからテイクオフし、絶対的な関係をストレス視しているのだろう。だから、自分自身の筋金を鍛えることよりも、平均化して右にならっておこうみたいな思考が平和をもたらしラブ&ピースみたいなノリなのかもしれないですね。だから、メディアはそれに敏感になり、放射能の問題や日本の経済や政治の真理を隠ぺい・捏造する。もしかするとその現場の人は、それを創造だと勘違いしている・・・みたいなことだろう。

 筋金入りの人間になりたいものである。ウルバリンのような感じはそういう意味であこがれである。あえて「リアル・スティール」じゃなく「ウルバリン」みたいな、「イーサン・ハント」より「ジェイソン・ボーン」みたいな。

ガラケーvsスマホの時代。

 「ガラケー」とは、「ガラケーとは、ガラパゴス・ケータイの略。ガラパゴス・ケータイとは、世界標準とは異なる進化をした日本の携帯電話のこと。孤立し、独自の進化を遂げることをガラパゴス化といい、独自の生態系を持つガラパゴス諸島に由来する。日本の携帯電話は、着メロ・着うたなどのコンテンツサービスや、カメラ、電子マネーなどの機能が次々追加された。日本では多機能な携帯電話の人気が高い。一方、過去にノキアなどの海外製の携帯電話も発売されていたが、多機能ではなく日本では人気がなかった。しかし、iPhoneやAndroid端末などタッチパネルを搭載したスマートフォンが発売されてから、海外製の端末が注目されている。なかには、従来の日本の携帯電話を「時代遅れ」と感じる人がいる。そのような一部の人が、日本の携帯電話を揶揄し「ガラケー」と呼ぶことがある。」とのことらしいが、なんかこのニュアンスはとてもワクワクする。スマホ全盛時代にガラケーっていう存在がなかなかのモノである。

 私は直感ですが、スマホがツールとして嫌いである。道具には道具の使い代があり、道具たる機能以上に余計なおまけを排除するから道具なのである。いやいや、道具か道具でないかみたいな古い考え方の人はガラケーで充分でしょう!と言われるならその通り。パソコンのアプリと同じ。スマホの多機能などただのおまけのおまけ。「おまけ=便利」とメディアコントロールされている人が必要もないのに、タッチタッチしている絵がなんとも不自然。恐らく「便利」の意味を間違えている。しかし、価値感とは真価を追求することでも真理を追究するモノもでないし、8:2でスマホが優勢ならそれでいい。それで経済が活性化の瞬間風速が上がるならそれでいいじゃん。もしかしたら、竜巻かもしれないが・・・。

 で、スマホはガラパゴス諸島のサボテンか?海中のコケか?みたいなことになるかな。日本がガラパゴス化しているとかしていないなどと諸説あるが、なになに、実はこの地球がガラパゴスなんですよね、実は。その意識を分散したいから、イグアナが海で泳いでる映像を流して、これぞ進化!みたいな啓蒙をしたいだけ。人間にもサボテンを登るための「カギ爪」や水中を泳ぐための「ひれ」や「水かき」がそろそろ必要なんでしょうね・・・。

 そのうち、アプリでモノホンのGUNが付かないことだけを祈りたい。

 ガラケー、非常にビックウエルカムじゃないでしょうか!

小さい失敗の先にあるモノ。

 唯一、前進する方法は、検討と検証を充分に重ね決断することではない。感覚で判断して小さい失敗を繰り返しながら進むしかない。小さい失敗を恐れていては判断が遅れる。小さい失敗にドンキホーテのように破天荒に突っ込んでいくから答が見える。前進するとはそういう感覚。ネットの中に答はないのと同じぐらい検討と検証に答もない。自分の答と相手の答の間でつばぜり合いをしてこそ、感覚を共有できるってこと。それは決して言語ではない。声とか色とか臭いとか体温とか皮膚感覚でしか伝導されない化学的な物理的なエレメント。

竹中式イノベーション仕事術!?

 イマドキ、「楽に生きられない日本で戦う12の力」という慶応義塾大学の教授、竹中平蔵という方の著書がある。まず、この時代、平蔵である。平蔵氏が語る竹中式イノベーション仕事術である。これだけでなんとなく喰いついてしまった。

 1.自分で自分をプロデュースする力、2.熱い心で思い込め、熱い心がなければ人生は無意味、3.BtoBを繰り返せ、飽きない力に目覚めよ、4.常に目的関数を見抜け、5.情報力とは馬鹿を相手にしないこと、6.心に宇宙を描く洞察力、7.組み合わせが力を生む、8.妥協しない力、敵ができても恐れるな、敵ができれば味方もできる、9.1日は24時間で人生は短い、10.人生でスイッチングを怠るな、11.志のSFCを貫け、12.人生、塞翁が馬としれという達観力。これがどうやら12の闘う力だという。後半は書籍へ導くためにちょっと???を散りばめているが、なかなか整理された12要素である。大学の教授が楽に生きられない日本にアドバイスをするのだから、相当日本も楽に生きられないという感じがヒシヒシと伝わってくる。

 おまけに、「ワンテーマに9年間没頭する」「ワンフレーズを何度も繰り返せ」「朝5時から6時にアイディアを練る」「議論は大きな数字で説得する」「お酒よりも志を同じくする」「雑務をまとめて大掃除をする日をつくる」「あこがれの上司・先輩を探す」「退路を断って、金を使う」「10年後の履歴書を書く」「中学校の教科書に戻る」「メモ魔になる」・・・他とのこと。このあたりは、ちょっと息切れしているようにも感じられるが、まぁ、それなりの書籍として体裁は整っているだろう。

 で、最後のヒトオシが「小さな決断で大きな成果」というボールを投げてる。書籍を紹介して買ってもらうためにはあと何かが足りないような広告になっているし、平蔵というワンフレーズもここまで読んでくるとそのパワーが失速する。イノベーション仕事術とか言うから、どこまで実践的な書籍かと思えば、結構ステレオタイプ。これを仮に書店で発見しても買わないし、この広告文の中で唯一ひっかかりがあるとすれば、このフレーズだろう。

 「熱い心で思い込め」。さて、この場合の熱い心が平蔵さんにあるという大前提でこの書籍が成立していることを願うばかり。

なんだあの映画!

 なんだあの映画!あの綻び加減、あの稚拙さ、何を言いたいのか?よりも、何がしたいのか?原作が微弱なのか?監督がやる気がないのか?スポンサーが映画を作る気がないのか?とにかく、金があったから、原作を映画らしいモノに創ってしまった・・・だけなのか。それにしても、どう考えてもヒドイ。

 ひさびさにヒドイ映画を観てしまったものである。90%ほどこうだろうなぁ~と思ってテレビの前に座ったが、最後の最後まで「なんでやねん!」の連続。どこかで映画のエンジンがスタートするかなと思って観ていたが、キーは手に握ったまま終わってしまった。この原作は映画にするべきではなかったのだろうな。恐らく。奇をてらうならもっとちゃんとてらってください。この原作者の書籍はそういう臭いがしたので、完全にスルーしてきたが、今後、何がどうあろうともこの作者の作品を手に取ることは永久にないだろう。残念と無念が7往復してしまった感じ。

 まず、タイトルが「プリンセス・トヨトミ」なんだから、王女か?それに、戦国時代と王女と大阪をもっとちゃんと歴史的にも創作物的にもちゃんと組み立ててください!これじゃ、大河ドラマと同じじゃん!

相手の質問を予測して答える。

 時に質問のパターンが見える時がある。しかし、想定外のこともあるが、よほどの想定外でない限り、相手が日本語を使うのなら、質問の予測はできることが多い。でも、正しいリアクションがいつもいつも出来ているかとなるとそれは失敗の方が多い。これは、反発したいと心が感じているからか、根っからの天の邪鬼だから、心で否定して言葉は肯定するみたいなことで、ストレスが蓄積している結果なのか?まぁ、そんなことも意識下に置いていると無意識からダイブしてみたくなる場合もあるし、無意識が時になんとも心地良い場合もあって、相手の気持ちをスルーして自分の世界で完結させてしまって、あとは、上の空みたいなこともしばしば。これって何がどう影響しているのだろうか?相手のことをどう思っているかが正確に見えるゴーグルがあれば、適正な正解を並べるのだが、そんなゴーグルはどこにもない。目に入ってくるホコリを遮断するぐらいがゴーグルの限界です。

 いい目を持っている人はとにかく言葉が少ない。これは間違いない。次から次へ言葉を出す人は恐らくいっぱいいっぱいなのだろう。笑顔って実は動物の本能的には相手を威嚇する行動だそうですから、「へへへ・・・」と笑っている人は実は心で相手を威嚇しているんだと生物学者が言っていた。なるほどなるほど、なんとなく分かるような気がしますね。

 で、相手の質問が予測できない時が実は大きな化学反応が起こせるチャンス。だから、時に馬鹿になることも大切なんだろう。って、馬鹿を自分自身に容認するほどクレバーでもないから始末が悪い。

話が伝わらなくて困った時ってあるある。

 なかなか旬な本である。「話が伝わらなくて困ったときに読む本」という書籍がある。これが、意外と高くて¥1,365(税込)となっている。著者の河合薫さんという人はあまり知らないが、ちょっと気になる一冊ですね。

 「キミの話はよくわからないね・・・」「あのさぁ~もっと論理的に話してよ」「つうか今の話、何?論点ずれてない?」などなど、よくあるある。自分の話すことばかりに躍起になってもうまく伝わらないし理解されるなど程遠い空気。うんうん、いたるところに漂っているKYですよね。

 受け手の気持ち、伝える目的を考えて話す。心と心の距離感が一気に縮まる一冊!ということですが、これって、話の伝え方としては、対面式なのかメール交換なのか電話なのか手紙なのか?いずれにしても日本語は直球勝負ではない。くみ取ってください、ニュアンスを感じてください、大前提をまず理解してくださいから始まっている言語だから、こんな書籍が出てくるっていう仕組みでしょうね。

 で、話の伝わらない人に対してどう対応するべきかというよりも、伝わらない原因を相手よりも早く洞察・分析して何故伝わらないかではなく、どうすれば適正な伝わり方ができるかをクリエティブする方が大切ってもの。誰でもかれでも伝えたいことを100%伝えてればいいって問題もない。それはパソコンがやればいいだけ。人間同士はパソコンではないのだから、「伝わらない」原因のディテールにこそ個性やのびしろが隠れているっていうもの。時には伝え方が見えてても「伝えない」というのがコミュニケーションだと思いますけどね。

レアでディープなコミュニケーション。

 どんな世界にも専門家というクラスの人達がいる。それらの分野の人達はその分野に精通してこられたエキスパートでありプロフェッショナルだから、経験値も知識も豊富である。そして、常日頃からその分野での情報交換をしている人であり、仕事としてコミュニケーションしておられるから、専門家なのである。では、そんな皆様とシームレスな潤滑なコミュンケーションをしたいとアプローチする時の注意点がある。それは、最低限知っておかなければいけない基礎知識をしっかり自分のモノにしておくという「予習」作業である。もっと言えば、そういうエキスパートの人達はやはり独特の世界観を持っている方達だから、恐らく想像ですが、子どもの頃からその気質を持っておられたはず。だから、一般的に専門家の人達は「気難しい」とか「個性的」とか「とっつきにくい」などの印象になっているわけ。いわゆる「オタク」という語感でひと括りにするには広いレンジのお話なのですが、専門家でありエキスパートの方というのはやはり独特の言語を持っていることが多い。だから、能天気にコミュニケーションをすることは結果的に難しとなる。これは大胆な部分でありダイレクトな部分でありとてもデリケートな部分でもある。だから、自分の立ち位置と自分自身のポテンシャルは常日頃から確認しておかなければ、大切な一期一会うを逃すことになる。

 で、専門用語に精通することもさることながら、そのようなエキスパートの皆様の知識やこだわりはさすがに深く広い。そこをリスペクトせずに、ただ、一般的な会話のテイで踏み込むと一瞬で心の門が閉ざさせる。その瞬間は凄まじく一瞬である。そして、一旦閉じてしまったその心の鍵を探すたるや、とてつもないエネルギーが必要なことしばしば。しかし、常日頃の予習を怠らねばその部分は意外と簡単(その努力は簡単でもないのですが・・・)にクリアする場合もある。一旦、その門を潜ってしまえば、後は、湯水のようにコミュニケーションが活性化するという流れ。勿論、瞬殺で、門を閉じられた経験もあるし、一気に城壁の中に招待された場合もあるが、それは、つまり、理論や言語や数値ではなく、感覚の世界なのである。共通言語というがこれは確実に共通非言語の世界なのである。

 だから、自分自信が常にそのベクトルの状態でいてはじめて呼応・シンクロできる。そのチャンスはいつ何時訪れるかまったくのカオス。準備をして充分な予習をしてから、さぁ、先鞭一隅のチャンスよ来てくださいでそんなチャンスはのこのことやってくるほど現実世界は甘くない。ある日、突然、そのチャンスがあらぬ角度から目の前を横切るのである。もしくは、目の前を横切らない場合もある。だから、常に、心のベクトルを「キョロキョロモード」にしておく必要がある。いつ来るのか分からないチャンスを見逃さないために常にいつでもダイブできる前体重にしておく。これがもっともエネルギーが必要なことですね。一定のクラスをクリアしている世界ならその下位の出来ごとはどうにでも対応できるからエキスパートなのだし、そこで戸惑っているレベルでは次への覚醒はない。

 で、レアでディープなコミュニケーションをするためには、何をどうするのか???悲しいかなこの部分に適正な辞典もテキストもマミュアルもチュートリアルも存在しない。つまり、義務教育で得られたテンプレート化された問題集の中には正解がないのである。だから、日本が今、失速しているのだという見方が信憑性を得ているのだろう。さてさて、では、どうする?

 それを教育の問題にすれば脈の乱れは整うだろうが、根本的な解決策ではない。つまり、これらの問題は教育が全て担える問題ではないし、そもそも、これらを問題視することさえナンセンスなのかもしれない。何事も一を聞き十を知ると行きたいが、それはかなり限定された世界のレベルのお話だろう。

 逆に、私自信も踏み込んで来られる人に対して、何を持って共鳴しているのか?となると、これまた、言語化下に置いて明確に規定はできない。感覚のお話になるのですが、いわゆるその道の意識と無意識を共有できる「相性」という存在だろう。残念ながら、その相性のある人、どれぐらいいるのだろう???と考えてみるが、両手の指で足りてしまうリアル。まだまだ、動けていないということだろうなと反省してしまう。予習が足りない足りない。もっともっと、ポテンシャルを上げなければ・・・となるのである。レアでディープな独り言でした。

クレバーな!?

 これはただの独り言ですが、突然、「クレバー」という名称の会社さんから、飛び込みの営業電話があった。「社長様は?」と聞かれたので、「なんでしょう?」と答えると、「資産運用に興味がありますか?」とのこと。あまりディープに断っても無碍なので、普通に「興味ございません。」と即答しておいたら、向こうも慣れておられる感じで「失礼いたしました。」と短い営業電話だった。もう少し喰い下がる感じかなと思ったが、意外とドライな営業電話だった。

 しかし、会社名称がそれなんだから、もっと、クレバーなビジネスのお話、聞かせてください。

怖くて動けなくなる理由。

 「「やっぱり 怖くて動けない」がなくなる本」という書籍ある。石原加受子さんという著者が書かれている。その紹介文には「恐れ、不安、焦りに振り回されない 自分中心心理学」という説明文がある。怖くて動けなくなるということが、絶対恐怖ではなく、心理的な恐怖のことかと知った瞬間に、この書籍に対する興味が湧いてきた。世の中にはどうしても一歩が踏み出せない人がいる・・・と、誰でもそうじゃないでしょうかね。自信がなく、我慢する、諦める、決心できないって、普通のことだと思いますし、これって、実は悪いことではなく、人間の心理として正常な反応のような。「もう、怖くない!思い通りの人生に変わる!」って広告には書いてあるし、「今度こそ、我慢したくない。諦めたくない。」「本当は誰だって怖いと感じている」「きつい人間関係も、こちらの出方しだい」などと処方箋の入口のような意味合いのことが書いてあるが、逆、それぞれ個人がそれぞれに自分の思い通りの人生を突き進む世界ってかなり危険信号。言わば、ネットの世界はそれを仮想で実現できるから人間がとりこにされている。虜ならいいが、ネット世界の奴隷に成り下がっていくとしたら危険危険。

 だから、「思い通りにならない」ことを「怖い」などと考えぬこと。そんな風に捉えてしまうと、またまた、デジタル仮想空間の温床へ逃げ込むための正解に化けてしまいますね。クラウドなど実は崇拝するに値するわけではなく、ただ使えばいいだけ。スマホやタブレットのアプリもよくよく分析・洞察していると便利に見えて、普通のことをアルゴリズム化しているだけ。決して、崇拝するような代物でもないし、便利ということでもない。

 で、本当の怖くて動けなくなる時って、頭で考えたり情報として処理する前に、本当に足が身体が止まりますからね。まだまだ気持ち的にも時間的にも体力的にも余裕があるんですよね、「理由」を考えられるってことは。

「宇宙兄弟」、集めよう。

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 「宇宙兄弟」がこれほど骨の太い話だとは想定外。いやいや、なかなか、本格的な小説のようだし、個性的な兄弟が二つのアプローチで宇宙に向かっている。そのベクトルと彼らの周りにいる人間の設定が素晴らしい。う~ん、これはヒットするはず。間違いない作品ですね。素晴らしいです。得たいのしれない、摩訶不思議系のオカルトチックな悪に対して、繊細なヒロイン・ヒーローが立ち向かう・・・みたいなテイに憧れや羨望を子どもの頃から、抱かない私はいわゆる「アニメ系」のマンガから距離を置いている。あれはあれで成立しているが心は動かない。

 で、「宇宙兄弟」のガチな本格的な物語は逸品である。最新巻が17巻、現在、第5巻。この状態が一番楽しい状態である。

工場の夜景。

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 映画のワンシーンのような風景ですね。本日到着していた著作権フリーの写真ラボさんからのメルマガの中に紹介されていた画像です。このイメージ、3DCGソフトで創ってみよっと・・・。

火と戯れる女。

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 そうかそうか、続編制作が決定か・・・。ドラゴンタトゥーのDVDが待ち遠しい・・・。

宇宙兄弟、いいっすねぇ~!

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 ひさびさに骨太なマンガというか、チャラってない物語だなぁ~と思っていたら、ちゃんと映画になる。こうしてピックアップされるんですね。もう、ゾンビとか魔術とか奥義とかふわふわした設定はイナフ!どうせふわふわするな無重力の中でガチでフワフワしようよ!みたいな。このご両名もドストラクのようですね。いやいや、旬さん、なかなかいいですわい・・・。

合体技の弊害。

 「どんなものでも(複数の製品や機能を)統合するよう迫られることはある。だが、製品に妥協が生まれてしまうのであればそれは問題だ。妥協をし始めると、最終的には誰も満足させられないような製品になる。トースターと冷蔵庫を合体させることは可能かもしれないが、そんな製品は恐らくユーザーに満足を与えるものにはなり得ないだろう」とクック氏は言っている。そもそも技術の進化が人間の生活や文化にどのような影響を及ぼしたかを細かく分析すると、「便利」だと捉えてることは、本質的にどう便利なのか?という疑問に辿りつくような気がする。

 これも最近デジタルコンピューターを創造した技術者やアルゴリズムの開発者の書籍を読んでいることからスポイルされた考えなのですが、便利は実は便宜上の感覚であり、効率化されていると意識しているように思えて、実は、その「効率化」を意識させることがデジタルコンピューターの目的であり、さほど、「生産的な効率化」は実現していないのではないだろうか?という仮説である。あらゆるデジタルデバイスに言えることですが、インターネットが提供してくれる情報を懐疑的に捉えると、その情報の価値は実はいろいろな意味でFAKEの連続なのかもしれない。本質的な情報の価値とは誰でも入手できる情報ではなく、「誰でも入手できない情報」にこそ価値があるという視点である。それを明確にするために、インターネットやクラウドが進化し続けていると捉えると、どこかSF映画のプロットのようですが、非常に現実的なパラノイアに陥る。

 昔のテレビアニメで、ある特長とある特長を合体してより強いロボットに!という発想と現実の世界での合体ネタの二つの山の間には想像以上の深い谷が存在するような。

 で、それらを「弊害」と読んでしまうには語弊があるだろうが、逆に「無害」「無価値」と言ってしまえるような実態だったら、ちょっと寂しい。まぁ、そんなことはないだろうが・・・。

ジッと見ること。

 確かテレビで誰かが言っていた。美しくなりたいなら、「美しいモノをジッと見ること」が大切だそうである。この場合、美しいモノとは美女でも花でも自然の風景でもなんでもいいらしい。とにかく、自分が心から美しいと感じることができる対象物をジッと見ることで、目からの情報として脳が刺激を受けて、自分自身に大切な重要な情報としてより深い認識をインプットするそうです。何気なく見ているテイや、使命感や責任感で見るのではなく、気持ちを集中させて適度な緊張感で「ジッと見る」大切さを語っておられた。

 確かに、仕事で画面の絵や文字情報もジッとは見ているが必然性で見ているだけで、心が震えているわけではない。仕事として区別をしている訳ではないにしても、ジッとではなくそこそこのテンションだろう。では、自分自身の場合、どんなモノをジッと見てるのだろうと考える。そのタレントさんは、モデル出身で健康や化粧品に関する書籍なども書いているクレバーな女性。その女性が何をジッと見るかというと、若い美しい女性の仕草や表情をジッと見るらしい。それで、自分自身の心の美しさや若さを活性化させているのだそうである。実際、好奇心の対象が「美しい存在」であるから、自分自身の心の美しい部分がより活性化されて、その活性化された意識というか脳の信号が身体の機能を若く再生するとかしないとか。

 で、私は何をジッと見る傾向にあるのだろう?それが、実は自分自身の好奇心の対象であり、心が求めているモノ・存在だとしたら、その対象は結構重要になる。恐らく、ブランド物の服や高価な時計や車や宝石関係ではない。そして、美しい風景に心は普通に奪われるがそんな風景でもないだろう。たぶん、美しい女性はジッと見ているだろうが、これは、この場合のジッととは少しニュアンスが違う。とすると、なんだろう?思い当たるのはどう考えを巡らせてもこれしかない。

 それは、「石」だろう。っても、宝石ではない。ちょっと気になるカタチや質感の「石」は時間があれば、ジッと見ている見ている。美しいか美しくないかの判断も分からないほど、ジッと見ていることが多い。どこかで買ってきたり拾ったりした「鉄鉱石」や「サハラの砂」「化石」などもこの対象に含まれ見ていることが多い。なんなら、砂時計の砂でさえ、ぼぉ~と見ていることは嫌いではない。つまり、「石」「砂」あたりに心が奪われてるのだろう。今更、適当な理由はどうにでもなるが、芯を喰う理由はこれと言って思いつかない。

 さてさて、このおっさんは「石」に何を感じていることやら・・・。

スマホの多機能化、脳の無能化。

 スマホを集中攻撃するわけではないが、私自身、その必要性が未だに・・・。結局、カーナビもタブレットも「買い」への決断ができない。これではダメなんでしょうが、これは慎重過ぎてというよりも、頭で必要性は理解していても、最後の最後で心が拒絶している。これが不思議な感覚です。別に道具なんだから勝手使えば自然とのびしろも実感できるぐらいに考えればいいのだが、どうも天の邪鬼な心がビンビンに反応して、「私には必要ない信号」を出し続ける。結局、ノートブックパソコンにしても、外出した時でもこんなに便利でワイファイでどこでもネットが観れますよ的なテイを拒絶している。

 反面、心のどこかで「スマホの多機能化」と「人間の脳の無能化」みたいな捻じれた考えが蔓延し始める始末。こんな人間、実は一番メンドクサイのだと頭で理解していても、心が素直になれない。結局便利便利とジョブスのスタイリッシュスタイルを鵜呑みにして、カッコイイって使っているが、実は脳を休ませたいだけ。適度なテンションをキープさせるためにも、便利と思っていることが実は便利ではなく、「みんなと同じことをしているだけ」を便利と勘違いしないようにと心が危険信号を発信しているのかもしれないぞ、とまた、天の邪鬼が語り始める。

 で、そのアプリってホントに必要か?ってうそぶいているわけ。車のETCサービスだってエトセトラレベルです。これって、原始人レベルのかな・・・。

大切な勇気。

 意外と足し算の思考では無駄なエネルギーが蓄積されて悪いストレスになり完成形がもっとスリムでいいはずが重くなり過ぎる場合がよくある。あれもこれもとどうしても詰め込み型なアプローチをしてしまう。気合いが空回りするというか無駄なエネルギーばかり注視して肝心の・・・みたいなこと。これが、この歳になってもまだスッキリしない。逆に気合いが空回りする上に、的を外れてポイントが忘却の彼方みたいなこと。これは辛い。開き直りギリギリのところで辛い。

 すると、時には「やり直す効率」ということも考えて想定しなければ前に進めない。どんどんザックに想定されるトラブルや問題に対応するための荷物を積むがザックが左右に振られて股関節に負担が・・・みたいなこと。これは仕事でもよくある。脚力を鍛えれば鍛えるほど過信が過信を生み出し、「まだ行けるまだ行ける感」満載で最後の最後で鍛えているはずの部分が故障。

 つまり、何事も判断力であるから常に「白紙にする効率」を意識しろってこと。

 で、「諦める」ことはこの場合、決してネガティブなことではないのである。つまり、いっぱいいっぱいになれば、正直に「いっぱいいっぱいですごめんなさい!」と誠心誠意誤ることも大切なのだ。なかなかこの「諦めるという効率」が見えないことがある。「やり直し」とか「白紙に戻す」とか「諦める」なんて日本ではあまりいいとされない価値感というか思考パターンですが、時にこの判断が生産的で創造的な結果に繋がることもあるんだ。ウジウジネチネチと尾を引くよりも、スカァーン!とリセットする能力・勇気も必要必要。

お疲れ様でした!

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 この4連休、振り返れば、昨日だけがピーカン。これもチームサムライの底力だとも言えます。仕事でバスフィッシングという幸運にも恵まれているとは言え、やはり、事が仕事だけに神経を使います。防滴機能のカメラだとは言え、やはり、ずっと降っている状態でカメラを回すのはリスクが大きい。しかも、ビックフィッシュの映像と美しいこの時期のロケは映像データにしたい・・・となる。と、やはり、天気の神様と釣り場の神様を味方にする必要がある。これもラックが必要不可欠。で、昨日は待ちに待ったピーカンin大野ダム。いやいや、爆発!爆釣!とはいかなったですが、いい映像を納めることができました。チームサムライの皆様、ほんとにお疲れ様でした!

 このテイで、さらにサプライズ映像を蓄積させてください!

 で、トップシーズンに向けて、50、もしくは、60の映像も期待しつつ・・・。

本日は雨。

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 本日は晴れの予定でしたが、天気予報は雨。どうやら、一昨日の雨が今日にずれ込んだらしい。なんとも気まぐれな天気に翻弄されますね。自然相手の予定というのはこうも無残に崩れるのですね。トホホ・・・です。しかし、季節は新緑。いい絵が撮れるかもしれないという期待を込めて奥琵琶湖からマキノ方面へ。しかしながら、天気予報が80%に対して100%雨じゃん!頼むから明日は晴れをください。

子どもの頃の一心不乱な・・・。

 「子どもの頃、一心不乱になったあの気持ちを想い出しましょう!」というキャッチコピーでペンタブの販売促進メルマガが到着した。このライターは本当に子どもの頃、一心不乱に絵を描いた経験があるのだろうか?時代が変わったので、子どもたちに紙ではなく、タブレットに向かえと言っているのか?なんでタブレットを売るためのキャッチコピーに子どもの頃の大切な想い出を活用・乱用しなければならないのか。その頃の一心不乱の度合いを自分自身の尺度で決めているのはこれ侵害極まりない。あの頃、白い紙(専用のスケッチブックやクロッキー帳などはなかったのでもっぱらオリコミチラシの裏だったが)に向かう時の気持ちって、大人では絶対に理解できなデリケートでフェイバリットな部分である。一心不乱に描いていた・・・だろうぐらいのニュアンスでこのコピーライトを書いていたとしたら、君にこの言葉は重過ぎる。

 例えば、君が何かこれまでに「一心不乱」に何かをしていたというテンションは何だろう?仮に、同じ絵を描くこと(落書きでもいいが)だったとしても、どれぐらい一心不乱に描いていたのか?子どもの頃と学生から大人になって絵を描くということはちょっと背景やニュアンスが異なるので、一心不乱というのは、時間もコストもクライアントの注文などそれらの条件を抜きにして、一心不乱に自分の描きたいモノを描くということである。その密度や時間でその度合いは決して計測することはできないが、もし、「仮面ライダー」に登場する全ての怪人をあなたが描いていないとしたら、「アストロ球団」や「野球狂の詩」や「ドカベン」などの名シーンを一日中描いたりしていないとしたら、「釣キチ三平」や「アキラ」の1ページまるまる模写したりしたことがないとしたら、あまり、「一心不乱」という言葉を使わないでほしいものである。

 まして、タブレットを売るために「子どものころのあの一心不乱な気持ちを・・・」って、安易にイージーに軽率に使わないほうがいい。そんなタブレットでウルトラマンの怪獣のあの迫力なんて描けないと思いますね。だって、道理は簡単。あの頃、チラシや何か印刷物の裏だから一心不乱になれたのです。子どもに真っ白な画用紙が綴られてるまっさらなスケッチブックなどがあった日には、テンション上がり過ぎて、何も描けない描かない。逆に緊張がマックスになり、ガチガチの絵になっていたはず。間違いなく自分ならそうなっている。それが、タブレットって!?他人はどうだか知らないが、私の場合、絵を描くのに、スイッチを入れました。絵を描くペンを持ちました。で、一心不乱に描きましたなどそんなテイは絶対にあり得ない。

 こんなデジタルツールで「上手い絵」は仕事として描くことができるだろうが、自分自身が一心不乱になれるような「自分の絵」は絶対に描けない。だって、何より、本人(心)が集中できませんからね。って、一心不乱って「仕事用の集中」とはニュアンスが違う。45歳を超えて、その言葉の意味がようやく理解できてきた。仕事と自分自身のための「一心不乱」は違うのだと。

 だから、この程度のメルマガの安易なライティングを掘ってみたくなったのだろう。いやいや、ライターの方、失礼いたしました。頑張って、真価を極めた自分自身のリアルなディテールをフィードバックさせたライティングを目指してくださいませ。

これが狼煙。

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 これがひさびさ(ほぼ5年ぶり)の大野ダムの1匹目。タフはタフでしたが、なんとかフォールでひねり出した一匹です。いやいや、バスフィッシングはオモロイ!サイズが上がればオモロイ度は2乗にも3乗にも比例して上がる上がる上がる。しかし、基本、水の上に浮いているだけで楽しいは100あるのですから、アングラーとは不思議な存在です。で、この一匹で完全にスイッチが入った状態。

 チーム・サムライのメンバー達は想定できるタックルとリグと攻略法で大野ダムを完全攻略してくれるだそろう。私はそれをカメラで記録するのみ。ただ、私のアプローチも有効な状況があるので、私はいつものサムライ・スタイル(スピニング1本+5lb)を傍らに置き、カメラを来るべきチャンスに向けてセットアップしていればいい。

 ガバッっと50アップが水の中から浮き上がる瞬間、水面を切り裂く瞬間、迫力満点のビックマウスを撮影したいと思っております。

 で、これがその狼煙なのですね。

最高のコンディションでした。

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 昨日は朝から大野ダムへ。最高のコンディションだったのですが、やはり、まだ、ビックワンはディープにいるようでした。あとちょっとですね。