病気は人を選ばない・・・。

 ある病院・医学の分野の機関かサービスのコマーシャルでこんな論法があった。「病気は人を選らばないが、人は薬(治療方法)を選ぶことができる。」的なフレーズの3段論法でオチへ落そうとしていた。が、この2つのフレーズは論法的には脈略がない。というか関係がない二つの論法でひとつのオチへ・・・が無理がある。私自身の解釈レベルが低いからかもしれないが、どんだけ掘ってもこの論法に適正な関係性はないように感じた。しかし、テイはテレビCM、そんな部分にツッコンでいる人は限りなく少ないだろう。その証拠にこのフレーズをグーグルで検索しても同じことを唱えている人はいなかった。って、ここを掘っても何も出ないからだろうが、いやいや、この穴は意外と深いと思う。

 確かに、論法的はおかしさ満載だが、そもそも「病気」とどう定義しているかに何通りもの解釈がある。この語彙が示しているのは、恐らく「癌」だとか「梗塞」系のことだろう。しかし、病気とはそもそも「気」が
「病む」と書くぐらいだから、身体が健康でない状態だから、気持ちが病んでしまう状態を、果たして「病気が人を選ぶ」とか「選ばない」という言い方で適正なのか?と。つまり、「病気」という価値感と「選ぶ」という語彙にさえ実は相関性が少ないというかないような。これも恐らくこのCMのコピーデレクターの着眼点だけの見切り発車のようなライティングだろうから、悪意がないにしても、ちょっと、文脈に底力がない。その上、「人間は薬を選ぶことができる。」と繋げてしまう支離滅裂さ。だって、実は、正確には人間が薬や治療薬を選んでいるわけじゃない。つまり、選ぶほどの選択肢がないのに、「選んでいる」と意識化したいだけなのである。

 一見、聞き流しそうなこのフレーズでも喰いつけば噛みしめればいろいろ日本語の背景設定の緩さ加減が露呈するから面白い。これで、コミュニケーションしてきた日本人ってやっぱ凄いのかなと・・・。

 で、「言葉は人を選らばないが、人は言語を選べる(使える)」って論法さえ成立するとかしないとか。なんとも、これまた、ノンバーバルなオチでした。