美人の多い石川県!?

 「実は石川県には“美人”が多い!石川県は、昔から“加賀美人”という言葉が代名詞として使われているように、美人が多い県だと言われています。特に“素肌美人”が多いことで知られています。その理由は、雨や雪の日が多く、湿気でお肌を守ってくれているから。雨や雪のおかげで、色白のキメ細かなしっとり肌を作ってくれるのですね。そして、これは周囲に聞いた話ですが、美容業界では、“石川県 の女性は基礎化粧品に支出する金額が少ない”とも言われているそうです。それだけ、 何もしなくても素肌が綺麗な人が多い、というわけですね。」というメルマガが到着したが、なるほどなるほど、根拠はありそうですが、湿気と美人と基礎化粧品の使用頻度の関係は想像以上に遠い距離感にあるだろう。しかし、漠然と「メディアにコントロールされてもいいよ」的なモードになれば、そこそこ信憑性もあるような気がする文脈。実はこの「そこそこ」が情報をテキストにする時のコツのような気がします。「美人が多いからどうなのか?」「石川県の雨量と美人の関係はそういうことか!」レベルで情報の真価へのアプローチにリミッターをかけられることに慣れている世の中の人はそのエリアに対して、否定もしないし突っ込みもしない。「へぇ~そうなの!」レベルでほどよく止めている感覚に慣れ過ぎ、否定することも突っ込む感じも実は麻痺している状態とも言える。逆寸止め状態。

 だから、メディアやインターネットの文章は相対的に「浅い」のである。ただ、紙媒体のように紙面に限界がありません!が売りだから、その絶対量は限りなく無限に多い。それを人間のあるワンカットの記憶力とか認知能力の限界をはるかに超えているから、人は「おお!氾濫する莫大な情報から自分だけの価値ある情報を得ることができた。」と誤解する。この誤解が久しく蔓延すると、「石川県は雨量が日本一だから美人が多い。」という情報程度で人は何にか素晴らしい知識というか蘊蓄を得られたと認知してしまうのである。だから、科学的な根拠も論証も、権威からのメッセージも必要ないのである。そもそも「美人」ってどこで定義するのか?「多い」って何%なのかは関係なく、ふわふわと「石川県」「雨量が多い」「美人が多い」「加賀美人」「加賀に行こう」となるのである。まるで蟻である。しかしこれが勤労意欲が頗る逞しい蟻なのです。

 これと同じ類で「戦国浪漫」や「歴史文化」という便利なフレーズがある。これも、誰も本当のことは知らないはずの史実をフィクション化して動機付けに変換する能力に長けている多くの人達が日本の観光産業はなんとか成立させている・・・みたいな構図があるような気がします。このタイプのユーザー達が全て歴史の真価を紐解き始めたら、このふわふわした価値感は確実に崩壊していくだろうし、つまり、イマジネーション豊かな人(真価を問わない解釈能力が広く浅い人)が世の中的に多くてメディアの人達がそのツボをしっかり押さえて情報をコントロールできてきたから水が清く魚が元気だというわけ。その水が強すぎたり淀んだり支流が増えると魚も散るということ。

 で、どんなルアーを投げれて、どんな魚に出会いたいのか?投げるポイントとタイミングとモチベーション。言わば自然相手に戦略を練っても自然はそんなに簡単ではないから、想定以上に苦労することを大前提にしておきたい。しかし、時にいきなり視界の外からサプライズが飛び込むこともまれにある。つまり、人間もリアクションバイトがあるということかな。たかが、「美人の多い石川県」。されど、「美人の多い石川県」なのである。