2012年06月 アーカイブ

7月1日は24時間1秒。

 地球の自転はだんだん遅くなっていると。うるう年の計算上、明日(7月1日)は1秒だけ増やして一年の時間を調整するらしい。地球の自転が遅くなれば必然的に地球上の時間にずれが生じるという仕組み。しかし、太陽からの引力や他の星から出ている重力波で時間はひずむ。だから、時間のリズムをキープするのは至難の技らしい。今後(っても途方もない今後ですが)次第に地球の自転のスピードが遅くなり地上の時間が延びてくれば、必然的にその上で生活をしている生物の生活サイクルや進化のサイクルに変化が出る。なかなか100m走にでも出ない限り日々の暮らしの中で「1秒」を意識することは少ないが、明日は24時間と1秒らしい。

 もうすぐロンドンオリンピック。ボルトは9秒58を更新できるのか?福島選手は決勝に!?室伏選手は?いろいろ楽しみが多い。やはり、私自身は100mがあらゆるスポーツの中で一番好きなので、あの10秒の戦いのひとコマひとコマを目に焼き付けたいですね。まぁ、ロンドンには行けないのでそのリアルは感じることができないが、恐らく、この目でボルトや福島さんを見たら興奮が止まらないだろう。ボルトはさて置き、やはり、応援したのは福島千里選手。う~ん、こうして福島選手のことをブログに書いているだけで手に汗が・・・。

 たかが1秒、されど1秒。

キラキラしています。

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 このキラキラした感じはなんでしょう。昨日、高級時計や貴金属に興味がないと書いたが、これは真逆の存在。なぜ、こうも、目的が明確なツールは輝いているのでしょうか?美しいフォルムとこの物質の中に込められた作り手の熱意と愛情。麻痺している感覚にトドメのモルヒネを打つようなモノヅクリとは対極にある使い手と作り手の美しいまでの呼応。どの状況でどのルアーを投げるのか?いや、この状況だからこの場所だからではなく、やはり、このルアーで釣るんだという強い気持ちをこれらのツールやギアは根底から支えている。このドラマチックな感じ、大陸の人達に伝わるかなぁ~。

社会派ちきりんの世界を歩いて考えよう!

 「社会派ちきりんの世界を歩いて考えよう!」という書籍がある。世界がつながってしまった!というフレーズが特に気になった。自分のアタマで考えるってどういうことか、この本を読めばわかります!とのこと。まぁ、この本はそうなんだろうけど、自分のアタマで仮に考えていない人には恐らくこの「自分のアタマで考えるってどういうことか・・・」は分からないはず。つまり、分からないことが分からない人はたぶんこのメッセージが響かない。かくいう私も「この時計が男のマストアイテム!」と言われても見えていないのでなんのことやら?ですし、お洒落なおやじはこう着る!と言われても、お洒落ではないと自負しているので、なんのことやら。まぁ、それと同じですね。自分のアタマで考えるってことが仮にもこうだという定義のある人は響く言葉でしょうが、でないと、このキャッチでは難しい。

 で、世界を歩くということは、そうそう一般的に経験できるものじゃない。世界を歩くことの感覚をこの書籍から読みとろうとしても世界をさほど歩いていない人間がたかだか1,365円を出したくらいでそれらが見えるとはオコガマシイ。しかし、そこは書籍なんだから、何かのサインだとしたら、この本が人生に意味を及ぼすとか及ぼさないとか・・・。早速、書店でチェック!

栄光の架け橋論。

 確かにある側面では「栄光の架け橋」は素晴らしい完成度がある。それは、創造物としてではなく、コンテンツビジネスとしての戦略性の非常に高い作品と言う意味での完成度である。まず、「栄光」と「架け橋」をタイトルとして組み合わせた段階でこの作品の完成度というかひらめきレベルは60%完成している。恐らく恐らく、ただの二人の歌い手がどんな心境からかは未定として、この歌詞を自分自身の心や魂の中から純粋に創出してきたとは考えにくいし、この歌の壮大なスケール感はどちらかがイマジネーションをMAXにしたとしても見える世界観ではないように感じる。しかも、あらゆるこの時代のこの市場のニーズに対しベストマッチさせてしまった不思議な磁力は大きな戦略が背景にあったと考えてほぼ間違いないだろう。全ての世の中に出ている楽曲や作品がこの戦略のひと槍だとは考えたくないが、明らかに狙いが明確過ぎて「日本帝国万歳!」モードのようで、疑心暗鬼の賜物として捉えてしまう。

 さて、今、この時代、そもそも「栄光」とは何だ?「架け橋」という語感から何を連想する?パブリックの人達ならば、教科書通りの答をいっぱい持っているだろうが、この時代冷静に考えて、これほど「栄光」という言葉のニュアンスから遠い文化もないだろうし、「架け橋」については、理想郷・桃源郷・パラダイスの域である。それを組み合わせ、これまた得意の2人組のデュオスタイルでアナログテイストで熱唱するみたいなテイ。これは、ある意味オウムもビックリ。韓国のCGタレントのステレオタイプな演出も、胡散臭さを通り越して、芸術の域である。う~ん、モノホンはどこへ行った。恐らく、どこかの片田舎か地方都市で次のタイミングを虎視眈々を待っているような気がします。この不思議な不思議な「津波」が「竜巻」が「氷河時代」が、元の地球に変わるまで・・・。

ソフトのバージョンアップの件。

 この頃、いろいろなソフトのバージョンアップのサイクルがどんどん短くなっているような気がする。確かに次から次へと新しい機能が装備されるのはユーザーにとっては嬉しいことなのですが、その度に、コストが発生する。つまり、いわゆる、ソフトの開発者の手玉にとられている!?という錯誤感さえ感じる。そんなに短いサイクルで新しいバージョンが発表できるなら、もっと、バージョンアップ費用を低めに設定してもう少し長期的なサイクルでいいので、安定してよりいいものを市場に出して欲しいと願うが、これは、デベロッパー側にいない人間の、バージョンアップを生業としている人間の反対側の意見。やはり、古いモノよりも新しいモノを使いたいという本能があるから、これぐらいのコストならそろそろアップグレードしておこうか・・・みたいな非常にいいタイミングを向こう側の人達は見極めているのだろう。しかし、昔のように開発費用や販売促進費用的にドカンと使って開発してドカンと告知するみたいなことができない世の中になってしまったので、短いジャブで持久戦みたいな構図かな。

 で、私自身の基準はソフトのバージョンがアップグレードの最後の対象になるまでアップグレードするとすれば待つ。で、そのソフトがよほど手に馴染んでいるなら、思い切ってアップグレードはしない。仮に、上位バージョンが欲しければ、新しいシリアル正規版を購入する。というサイクルでソフトウエアを揃えています。その方が気持ちをしっかり切り替えることができるし、せっかく一定期間を使って手に馴染んでいる道具を、わずかばかりの目先の追加機能でリセットすることを考えれば、短いサイクルでのソフトの機能アップは魅力的ではない。つまり、ソフトウエアは道具なので、切れなくなったらダイヤモンドシャープナーで研ぐが、目的の対象物が切れるならメンテに終始し、新しい道具はスルーするが正解のような気がします。そんなソフトウエアのバージョンアップごとにコストをかけていたら、何をしてることか?状態ですからね。そのあたりの適正なタイミングってとても重要だと思います。

 逆に、デベロッパーもパワーユーザー向けなのか、ビギナーユーザー向けなのかでバージョンアップの仕様をそのタイミング以上に検討してるだろう。裾野を広げる、ディープなプロに求められる、いろいろな思惑がこのバージョンアップには込められているはずだから、あえなく失速していくソフトウエアや知らぬ間にサポート終了・・・みたいなソフトはこの戦いに負けたのだろう。

 さぁ、A.E.CS6はどう進化している?SHADEの13.1は?INDESIGN-CS6は???

FORCE@SUPERFLY

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 新しいアルバム発売が9月19日と。待ち遠しい。昔懐かしロックの名盤を語りながらひとときを過ごすのも楽しいかもしれないが、私は基本的に新しいモノがいい。古き良きはリスペクトするが、それはそれ、刺激的かと言われれば刺激は少ない。昔の感動を想い出す前に次の新しいサインを貪欲に物色している方が好き。あの頃は・・・って、ちょっとメンドクサイ。

 新しい作品を期待して待つ心は自分自身に今以上の何かを求める欲とシンクロして心地いい。だからスタイリッシュな音楽は鼓動が上がらない。頭で考えるならひとときのお酒のつまみには最適だが、音楽はいつの時代もそんな風に熟されてはダメ。新鮮であって欲しいし、音楽を楽しむ心を無理に落ち着けたいとは思わない。だから、「FORCE」なのかもしれないですね。

鍵のかかった部屋。

 いやいや、昨日録画しておいたテレビドラマ「鍵のかかった部屋」の最終回を観たが、いやいやいやいや、なかなか素晴らしい作品でしたね。テレビドラマもちゃんと作ったらできるやん!仁先生以来、特筆するよなテレビドラマが皆無だったが、なかなかよか。大野君とてもはまっていました。キラキラしていましたね。これは「鍵のかかった部屋2」が楽しみである。これなら映画化もどんどんやるべきでしょうね。やったらできるやん!

中国市場攻略!?

 「米国に本社をおくインフォアは、長年にわたり生産管理やサプライチェーン、財務会計等のビジネスソリューションを提供してきました。刻一刻と変わる市場環境に対応するための「スピード」を重視し、業界に特化したソフトウェアで、業務とプロセス改善のお手伝いをしております。この度、主に製造業のお客様で、海外展開を視野に入れている、もしくは生産管理や受発注・在庫管理のシステム刷新を検討している企業を対象に、セミナーを開催いたします。今回は特別に、日本能率協会コンサルティング中国法人董事長の横田様より、現地でのコンサルティング実績をベースにした、中国市場攻略のためのポイントをご講演いただきます。 皆様のご来場をお待ちしております。」という記事はいかなものか。現地でのコンサルティング実績をベースに中国市場攻略のためのポイントって文字にすればスマートですが、現場はもっと複雑怪奇なはず。スマートな文字をいくら羅列しても、いや、羅列が好きな人、コンサルティングという言葉に弱い人、講演というテイありきな人には最適な機会でしょうね。誰しも中国市場を攻略したいと考えているのだから、何かひとつでもキーワードが発見できれば的な藁だろう。

 しかし、一番上の方で俯瞰視すると、攻略しようとして攻略できる人はいない。攻略ありきのスタート地点でゴール設定はどこ?資本主義の極意があるとしてもそれが今どうなっているのかセオリーとしてではなく、自分の中核競争能力とアイデンティティを比較検討できているのかからベクトルを整理しなければ、誰で彼でも同じ攻略をしてたら中国市場がなびくとでも考えているのだろうか。大手企業さんの戦略部門で高学歴の人達が手を変え品を変え戦略に時間を費やしている今現在でも中国の市場は秒単位で変化している。沈滞している日本の経済でさえ適正な戦略が練れずに万歳三唱している人間が成功事例だけを鵜呑みにして追随できるとは考えにくい。まぁ、私のパイで大それたことは決して言えないし言及したところで、一陣の風に過ぎない。ただ、攻略するのではなく、共鳴しようとする心の在り方の方が美しいように理にかなっているように感じました。

映像業界最前線2012

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 「日本の映像業界の最前線が一冊で分かる書籍「映像作家100人 2012 JAPANESE MOTION GRAPHIC CREATORS 2012」のリリースを記念して、オーディオビジュアルイベント「REPUBLIC vol.9」が開催される。5月19日(土)、Dayイベントを渋谷のWOMBにて、Nightイベントを同じく渋谷のWWWで同日開催する。豪華出演者は、Nujabes「Spritual State」Special Band Set- Spritual State Ensemble(Uyama Hiroto×haruka nakamura)With 大月壮、evala×クワクボリョウタ(VJ)、コトリンゴ×常橋岳志、agraph×Saqoosha(VJ)、Numb、d.v.d、Typingmonkeys、sim×qubibi(VJ)、環ROY×TUCKER、やけのはら×最後の手段(VJ)、tomad With渋家×exonemo(VJ)、Kz a.k.a RE:NDZ(liveTune)×GraphersRock(VJ)、Hiroaki OBA、1980円、TAKCOM(VJ)、櫻井響(SAKURAI KYO)、cokiyu×大橋史(VJ)、DUB-Russell×谷口暁彦(VJ)、tickles(MOTION± / madagascar)、TELESCOPEら。続々追加されているので、公式サイトでご確認を!」やっぱ、これからは映像の時代なんだろうなぁ・・・。

好日山荘さんよりDM!

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 好日山荘さんから夏山アイテムのDMが到着していた。やはり、私個人的にはメルマガでのお得な情報よりも、こうして紙媒体で到着するDM情報の方がリアル。「ご来光を見に行こう!」などというキャッチコピーを見てしまうと、そのモードになってしまいますね。これまでの富士山登山は朝からのアタックなので、ご来光は外してきた。ただ、昨年、夜が明ける前に五合目に到着して出発しているので、六号目付近でご来光は見ている。しかし、山頂で見るご来光はまた違った感動があるだろう。が、私自身、あまり、あまり、ご来光に興味が実はない。それに夜間の登山はあまり楽しくないので、今年もご来光はスルーかな・・・と思っております。7月になれば富士山が一般開山する。昨年も来訪者の数は比較的多かったそうで、今年はどうなるのでしょう。富士山のエリアに活断層があり、地震も怖いことは怖いが、仮に、登山中、地震に見舞われ樹海に転げ落ちそのまま白骨化というのも別段悪くない。

ブールスナイト完結!

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 いつもの集合写真。いやいや、ここまでいろいろありましたが、結果ALL RIGHT。このテイで来年もカッコイイブルースライブをやりたいですね。それにフード&ドリンクの皆さんのガチモードは圧巻。さすが皆様あの道この道のエキパの方達です。なんでも実現してしまうNJW!スタッフ凄いですね。お疲れ様でした!早く、本体WEBも更新しなければ・・・。

長寿の価値と意義。

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 「ブレードランナー」を観て思うことはいろいろあるが、その一つに「長寿」という価値や意義についてふと考えてしまった。「ブレードランナー」を始めて映画館で観たのは池袋。何かの2本立てでやっていた。なぜそこで初体験だったのかは覚えていないし、他の2本目が何だったかも覚えていない。そこからこの映画を事ある毎に見続けてきた人間にしてみれば、なんでしょう、この「ブレードランナー」で学んだこととまで考えてしまう映画って他にあるかな???と考えるが片手で足りることになる。

 さて、いろいろなことが盛り込まれ過ぎているこの映画の中で「生命」というテーマというか側面で捉えると、長寿大国日本の意義とか価値って何になるのだろう。長生きすることは何の象徴なのだろう?長生きすることは本当にいいことなのか?ロイのようにレプリでも短く激しい生命も生命。ただただ延命上のアリアで維持することにも勿論意義はあるが、それは本当に「生きている」ということになるのか?と問い正されてしまうこの重さはこの映画を観てしまった人間だけに芽生える性かなと。

 アンチエイジングしかり、若返りと永遠の命みたいなテーマで生命を捉える風潮がなくなり、その場その場のケースバイケースからクラウド経由の仮想空間に仮説を重ねてそこにリアリティーを求めている世代には、さてさて、この映画はどう映るのか?さてさて、「長寿」にどのような価値や意義があるのかな・・・と。ふと、思ってしまった。

好きこそ・・・。

 「好きこそものの上手なり」と言うが、この「好き」を分析してみるといったいどういう感覚なのだろう。簡単に「仕事が好き」だとか「釣りが好き」、「山登りが好き」、「映画が好き」と言ってしまっているが、反面「・・・が嫌い」という判断をしている。これが仕事になった場合「嫌いだから下手でいいのか?」というジレンマがあり、仕事である以上、好きとか嫌いとか関係なく、上手を目指さなければならない場合が世の中的にも人生的にも圧倒的に多いはず。なかなか「好きなことを仕事にする。」とテイは難しいというのが常。しかし、この「好き」を細かく分析して自分にとっての「好き」の理由を言語や論理ではなく感覚で分析すると意外と単純なことでこの判断をしているような気がする。初めてのチャレンジ、人に勧めれてがキッカケでも、やってみたら楽しかった。思いのほか上手にこなすことができた。あたりから、「好き」が加速するし、何か明確な根拠はないがなんとなく始めた仕事や趣味が結果現状、自分と相性がよく好きになったというパターンもあるだろう。この場合、初めは何も感覚として自分自身の中に存在していないどこかのスイッチが何かのタイミングでONになる。ここが言わば「好き」の始まり。しかし、人間は飽きる生物である(特に私は極端に飽きるのが早い・・・)、成功して達成感に包まれれば調子にのってのめり込むが、失敗が続くと自分との相性だとかいろいろな理由をつけて便宜上、「やぁ~めた!」となる。しかし、楽しい感覚で始めても何かのタイミングで、慢性化して楽しさが失速することもある。つまり、これを人生であれ、仕事であれ、趣味であれ繰り返している中で本当の「好き」は何だろうとふと考えてしまう。

 前段の「好きこそものの上手・・・」の下りも「好き」と「上手」の相関性についてはあまり論理的に言語的に考えない方が追求し探究し達成する可能性が高い。ならば、あまり、この「好き」って実は明確な分岐点があるのではなく、結構ふわふわしている判断なのかもしれない。なんでも貪欲に「上手」でありたいと思う反面、それが「好き」か「嫌い」か判断しながらでは持続力に欠ける。う~ん、このあたりが非常に難しいが、続けてこれたことを自分との相性がいいと捉えて、結果、「好き」とすることの方が簡単だが、仕事として「上手」を目指すなら、今よりもステップアップ・バージョンアップをしたいなら、この自分の中の「好き」を右脳でも左脳でもしっかり意識下に置いておく必要があるように思います。

 って、そんなに簡単にいかないのがこれまた現実であり、ひとつひとつのタイミングを自分自身にしっかりリフレクトして回していきたいと思います。想像と創造が人間の本能だからとは緩い仮説ではあるが、それを信じなければ、何も始まらないし今現在のリアリティーも失速する。これを仮想空間や空論に依存せず手で掴めるもの、目で見える実態、感覚で捉えられるリアルを大切にしていきたい。

富士山に登って・・・。

 自分自身が富士山に登ろうと思いつき、それなりの自己流でトレーニングらしきことをして、富士山の山頂に立った。2年連続の山頂は苦しさMAXと達成感2倍だった。明らかに非日常的なあの場所で何を感じたのか。登っている時の苦しさがある瞬間次への挑戦の意欲に変化する。これはなんだろう?今年も絶対に登るつもりをしているが、たぶん、さほどトレーニングの質は変化していないので苦しいだろう。苦しいが楽しいから行くのでもないのですが、まだ、登っていない、富士山登山に興味のない人にしてみれば、それはなんのことやら。しかし、1回でも山頂に立った人との心の繋がり感はハンパではない。だから、登るか?ということでもない。

 自分自身、富士山に登ってあの登りと下りを体験して思うことのひとつは「水の大切さ」である。普通の暮らしをしていれば水道から普通に水が出るが、富士山では水は高価なモノに変わる。で、水道をマックスひねらなくなったり、ちょっとでも無駄な水道の水の量が気になってしまうことも、富士山に登りだして自分自身が変化したこと。変化したことはこれだけではないが、「水は大切」と言われても言葉でどう理解しようが、水道の水を思い切り出していた。しかし、本当の「水の大切さ」を感じられる時間を過ごすと、明らかに自分の中に新しい価値観が生まれる。それをたかが富士山に登れるだけで共有できるなんて、人間は単純明快であり順応し変化できる生物なんだなぁ~と思います。

 3年連続の今年のチャレンジに向けて、体調を整えたい。もうすぐ開山である。

ANNAさんがやってくるぞ!

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 7月22日、長浜市の川崎やさんにANNAさんがやってくる。「ゆかたde Jazz Night」という企画ライブに登場。若干18歳、エイベクッスのコンテンストに13歳で1万人の中からのグランプリ!という実力派のボーカリストです。楽しみですね。また、詳しくは長浜ジャズウォークのWEBサイトや公式ブログで紹介していきます。映像コンテンツも用意しておりますので、ぜひ、7月22日は川崎やさんにご来場ください。入場料は¥2,000(スーイツ付)です。楽しみです。

激震ソーシャルゲーム!

 グリーの社長が国内のゲームの規制に悲鳴を上げているとかいないとか。グリーの社長は言っている。「国としてのビジョン、方向性、何を善とするかを打ち出すこと。我々は日本以外の国に製品を売って収益を上げる宿命にある。」と。さすが、仮想空間の覇者だけに実態・実像のジレンマを避けてコメントしている。「国」という実態がありそうでない対象に対して、そもそも「ビジョン」や「方向性」など無理な話。仮想ゲームに子どもが毎月10万円を使える豊かな国なんだから、これただ、「平和平和」としか言いようがないですね。それが新聞になると「激震!」だから、どこか論法が崩れている。たぶん、あの時から、崩れたままなんだろう。でも、この崩れで豊かさを手にした人にしてみれば、彼はヒーローだし、いつまでもヒーローだけでは国単位での制御コントロールが難しくなってきたわけだから、そういう意味で、ゲームビジネスに浮かれるニーズがあるということが一番激震。

生涯学習とは?

 「生涯学習(しょうがいがくしゅう、英語:lifelong learning)とは、人が生涯にわたり学び・学習の活動を続けていくこと。日本においては、人々が自己の充実・啓発や生活の向上のために、自発的意思に基づいて行うことを基本とし、必要に応じて自己に適した手段・方法を自ら選んで、生涯を通じて行う学習だという定義(昭和56年の中央教育審議会答申「生涯教育について」より)が広く用いられている。」とwikiにはなっているが、「生涯学習」かなんとも便宜上の便利極まりない言葉。

 そもそも「学び」をどう捉えているかでこの言葉の質量が変化するのですが、人生って学びであるから、別段、そこにスポットをあてなくてもいいってことを前提に、この言葉の実態はニュアンスやフィーリングやシステムに依存している。というよりも、このバリアの中、よほど心地がいいのかどうもある時期から「生涯学習センター」なるものが乱立している感じ。さてさて、海外ではこの文化というか慣習は、いや、ビジネスモデルはいかなものか?恐らくNPOという価値観が市民権を得たあたり、つまり、世相としての無意識から意識下に突出してきた頃とちょうどシンクロするのかな?世の中の価値観が多様化しましたあたりのニュアンスから人生十人十色それぞれの人生を謳歌するために、アイデンティティをどうのこうのあたりから、一般には「生涯学習モード」になったような印象がある。

 さて、では、その空間では何をしているか?研究か?実験か?総合的な考察か?もしくは、異文化・異慣習・学会との情報交換をしているのか?いやいや、普通のことを志だけ高くしてやっているだけ。肯定も否定もしないが、わざわざ「生涯学習」というテイでやることでもないような。ただ、冠が欲しいだけのための冠。言わば、兜みたいなもので何から頭部や心を保護するため!?

 人生、生きることは戦いだ!みたいなテイが好きな人は多い。だから、いろいろな防具が必要なのは理解できるが、そもそも、「生涯」って「学習」でしょう。日本人はある時期(約60~70年前)から生活の中に「死」を意識しなくなった。ライフスタイルやビジネスの現場でも、「死」を美化し、「死」という価値観を隔離する教育・経済・文化を構築してきたという洞察する人の書籍を読んだが、まさに!と思いますね。「生きていることは美しく、死は暗闇。」と。こんなバランスの崩れた思想をどこかの国からコピーペーストしてくるから、エンジンがフリーズするんですね。常に言語は「0」と「1」。基本何事も2進法でいいのですが、時に10であったり、時に16であったりと・・・。ならば、素数のようなライフスタイルってのも、実はいいかもしれないですね。

アフィリエイトに挫折!?

◎アフィリエイトブログの量産にはもう疲れきった・・・
◎SEOだPPCだのイタチごっこはもうウンザリ・・・
◎毎日記事ばかり書いてるくらいならバイトのほうがマシ・・・
◎ライティングだ成約率だ記事のネタだと、もう嫌だ・・・
◎アクセスが勝手に来るようにならないものか・・・
◎家族や友達に胸を張って話せるネットビジネスって無いのかな・・・
という問題提起から、

「私はこうして成功しました。」というメンドクサイメルマガが到着した。

 なるほどなるほど、世相を反映している現在の実情のある側面が閉じ込められたメルマガの文脈である。言っておくが、最初から「疲れる」ようなことを仕事として選択したのはあなた自身じゃん!それに、自分自身の中核競争能力を棚に上げ、SEOにフォーカスしたのもあなた自身(まぁ、仮想のライティングだから、正確にはあなたでもないのですが・・・。)、毎日記事ばかり書いているぐらいならバイトの方がましとなると、これは本末転倒の愚痴そのもの。最後に家族や友人に胸を張って話せるビジネスじゃなかったんだ!?とこの羅列、弱音モードもはなはだしい。その上、今度は次のフワフワしたネットビジネスで成功したって続く。また、しばらくして時代が変われば上記のループ。確かに時代の流れは早い早いと言われているが、実は時間の流れはずっとずっと同じ。捻じ曲げたければ時空を超えてアインシュタインに聞けばいい。「何事も早いテイで・・・」というゴシップに軸足を変えただけのことでしょう。人間の思考や動作のスピードはどんなプラットフォームを手に入れようが、高速高級多機能アプリを手元に五万と持っていようが同じ。逆に意識下にある思考(シナプスの結合)の時間を抜本的に変化させたいと願うなら、恐らく恐らく、唯一の方法はそれ相当の薬品が必要でしょうね。

 便利になった時代だと勘違いして、結局原発を再稼働させている人間の最後の最後の蜘蛛の糸は、今も昔も同じ細さ。

 悪意のないメルマガだからこれぐらいにしておきますが、簡単に「挫折」とか「成功」とか言葉する人間は信用できないですね。それってすべて先入観ですからね。たぶん、「挫折ありき」でも、「成功ありき」でもないですよね。

 で、「全てのお悩みを解決する方法があります!」とURLが貼ってあるが、誰がクリックするか!お前のこのメルマガが一番の悩みじゃ!なんでやねん!と。

何でリアリティーを。

 オンラインゲームが楽しそうだとは思ったことがないので、非常に残念な人間なのかもしれないが、その仮想空間にリアリティーが感じられない。逆にあらゆるリアリティーな万象よりも心地がいいから仮想空間へとなるのか。さてさてもうこうなってしまっては分からない。ここまでネット社会になり、何がリアルで何がバーチャルかなどという議論やすみ分けが意味を成さないほど混在してしまっては。って、実際は混在はしていないし、明確に定義することも分解することも考察することもできるのだがしないみたいな。モノゴトは忘れるんじゃなくて覚えていないだけ・・・と同じ。

 痛みとか後悔とか失望の方が現実的なのか、それとも、達成感とか希望とか高揚感などの方がリアリティーがあるのだろうか?このあたり、人それぞれだろうから、何でリアリティーを感じるかは個性的でいいんだろう。私の場合、それがゲームのアルゴリズムではないんだろう・・・。

台風4号って!

 今梅雨ですよね、台風4号って!どうよ。山間部に大雨が降る、ダム湖に土砂が流れ込む、増水する、水面にゴミや倒木が浮く、水も濁る、バスはどこかへ・・・。それはちょっと困るなぁ・・・。

PARA MAX2袋到着。

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 これがないと始まらぬ。なんとか2袋をキープしました。

大飯原発再稼働ね・・・。

 賛否両論、思考錯誤の七転八倒。紆余曲折で四面楚歌、色即是空に南無阿弥陀仏。覆水盆に還らずとも徹頭徹尾の本末転倒。温故知新と需要供給に動的平衡の雨霰。歴史から学ばない人達の多数決と企業のパワーバランスが止まらない。so many country, so many custom... 郷に行っては郷に従う心地よさ、そこのけそこのけ一茶が通る。大飯原発再稼働ね・・・。これが民主主義の真骨頂、資本主義のパラノイア。

プロっぽいデザイン!?

 「プロっぽいデザイン素材があります!」という内容のメルマガが到着した。「プロなら知っておきたいWEBデザイン~」とか「プロが認めたグラフィックデザインの~」とかっていう書籍もよく書店でチラミしてしまうが、その90%がどうみてもプロのデザインには到達していない。プロと同じデザインエレメントを使って、プロと同じアドビのソフトを使って、プロと同じマシン環境で何かを作ったとしても、プロの仕事に近づけるということではない。何が違うのか?どこまでがアマでどこまでがプロなのか?よくこの質問があるのですが、実際、明確な境界線はないし、言葉や言語や理論でアマとプロの仕事を差別することはできない。逆に私だって魚をまな板の上にのせて包丁を握ってハチマキをしても絶対に活け造りはできないし、目の前の椅子に誰かに座って頂き、片手にはさみを握っても、どこからカットをすれば・・・でハサミを髪の毛に触れることさえできないだろう。つまり、これがアマとプロの違い。絶対というより相対なのである。

 私だって、包丁でマグロを自由自在に切り刻むこともできるし、ハサミでザンギリ頭を創ることもできるが、決してその成果が「プロの仕事」になるはずがない。というテイでデザインも同じかな?よくデザインの基礎知識を学校で学んできた人が作品を見てくださいとなるが、それを見て何を判断しているか?実は何も判断できないのである。まして、そんな基礎知識もない表面的にデザインスタイルだけをソフトでオペレイトしてプリントアウトしたモノがデザインだと思えてしまう「誤解力」が怖い。しかし、それでもそれらをデザインと呼ばないかというとそうでもない。それも実はデザインなのであるが、切り刻まれたマグロを「お造り」と呼ぶのか?斬新奇抜なザンギリ頭を「ヘアスタイル」と呼ぶのか?というボーダー。

 で、プロっぽいデザインをする環境はいくらでもあるので、1億人総クリエーターってことで、パソコンやソフトやクラウドでクリエティブすればいいが、お金を出して食べたいマグロの造りに仕上げるために、お金を貰ってヘアカットをするためには、そっち側にいてはダメ。こっちとそっちは意外と距離があるんですね。何が決め手か?それは簡単、こっち側の人はそっち側の人のことがよく見えるのですが、そっち側の人はこっち側の人のことが見えていないのですね。誠に感覚的なお話ですが結構このテイは芯を喰っていますね・・・。

3点分割法とな!?

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 某テレビ番組でやっていたプロのカメラマンの構図創りのテク。それは画面を3分割してそのポイントに被写体の中のポイントを重ねることでいい構図の写真になるという法則らしい。これは映像やイラストにも適用できるのではないだろうか・・・?と早速ブログにメモりました。いろいろな絵づくりに参考になるのではないでしょうか。このネタなかなかいいな・・・。

信頼される男、されない男。

 「信頼は言葉に出した瞬間に偽物になる。そして、言い訳の数だけ失われていく。信頼される男は「信頼関係をもとに・・・」とは言わない。信頼される男は「過去」の自慢話しない。信頼される男は、自分の「肩書き」をわざわざ言わない。信頼される男は深い孤独感を背負っている。信頼される男は「アウェイ感」を出さない。信頼される男は、パートナーを大事にする。信頼される男は「色気」がある。信頼される男は、歩き方が美しい。信頼される男は「自信」と「過信」の違いを知っている。信頼される男は、自分自身を「信頼」している。」という書籍をある一流秘書が書いている。どれもなんとなく女性の目線での「信頼される男性論」の臭いはしなくはないが、これは女性の視点。誰からも信頼してほしいから、これらのことに留意して人とコミュニケーションするつもりはない。まして、信頼されたいから・・・的なテイに陥った段階で本末転倒。周回遅れもはなはだしい。一流秘書目線で全てが見えると思っているなら大間違い。逆に「信頼されない男」ぐらいのダーティーな感じでちょうどいいのかもしれないぞ。言葉に出した段階で偽物って、書籍にしている段階でこの心理は少しづつ失速していっていることも事実。これられを相殺してもこの著者はアンカーを打ちたかったのだろう。か、編集者の甘い言葉に負け手の内を紐解いてしまったのか・・・。

 ただ、唯一、この広告の文脈で信頼できるフレーズは「自分自信を信頼している。」という部分だろう。これは、文章化しても一定のリアリティーを維持している強い言葉ですね。シンパシーを感じましたね。

カラビナ。

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 この強靭なカラビナ、なんとも魅力的です。クライミングの最中はこれに命を預けるわけですからね。なんとも素敵なツールです。機能的なツールのフォルムや質感ってなんでこれほど魅力的なんでしょうね。仕事でデジタルツールにはそれなりに精通しているし、それを使ってコンテンツの制作に臨むのは嫌いではないが、やはり、こんなツールを作れる人って素晴らしく魅力的だと思います。無駄な嗜好品に過分な付加価値を感じて身に付けてどうよみたいな輩君輩ちゃんは、たぶん、この輝きが見えないのかもしれないな。ちょっとラーメン屋さんで待ち時間に「モノマガ」をチェックしてみたが、99%興味がなかった。唯一興味があったのが米軍が戦線で仕様している「メモ帳」水に濡れにくい性質でやぶれにくいが、ペンのインクはしっかりとのるというメモ帳。これが一冊¥1,050と。早速、アマゾンで探そう。皆さんも興味があれば「オーストリッチ アウトドアノート」で検索してみてください。

これがエイトノット。

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 これはクライミングの際のロープの結び方の基本の基本「エイトノット」。ロープやラインの結び方については世界中に3000種類以上あると言われ、それぞれの素材や目的に合わせて結び方が開発されているのですね。基本を覚えればあとは興味がなくなることが多いのですが、目的がルアーやフックを結ぶためやクラミングのロープの結び方となると、釣果や自分自身の命に関係する重要なスキル。これは目をつぶっても結べるようにしなければいけないのです。で、ロープというアイテムについていろいろな目的がありますが、クライミングショップに行くといろいろな太さのいろいろな素材のロープが1m単位で売られていました。これはちょっと刺激的。本格的なザイルはまた揃えるとして、20mぐらいのロープをいろいろコレクションしたくなってしまったぞ・・・。やっぱ、アナログツールはいいわ。

やりきる技術。

 最高のパフォーマンスを生み出す仕事の基本。それが「やりきる技術」だということだが、えっ!やりきっていなかったのか!?ということと、実のところ「やりきる」というニュアンスは「技術」ではない。逆に「やりきる技術」っていうタイトルが緩い以上に、何故やりきっていないのか?を反証しなければ、やりきるというニュアンスは正確に実感できないし理解もできないだろう。

 そして、「最高のパフォーマンス」と簡単に文字にしてしまっているが、ポテンシャルはさて置いて、いきなり「最高のパフォーマンス」は本末転倒である。蟻が自分の身体のサイズの何倍もある昆虫を運ぶことは最高のパフォーマンスではないし、鮭が生まれた川に戻ってくるような途方もない本能も最高のパフォーマンスではない。当然のパフォーマンスであり生きるために備わった術である。では、最高というモノサシは何のためにあるのか?自己満足か?社会規範への提唱か?自己分析へのアプローチか?それを思考することで今この時のリアリティーにアンカーを打ちたいのならば、最高でも最低でもどちらでもいいこと。この書籍を読んで仕事の能率が各段に上がったとか、仕事の優先順位が間違っていたと気がついたとか、本書は業務の見直しにも役に立つとかって、えらい微弱な走り方をしているものである。雛が巣から初めて飛び立つ瞬間、それは、生きるための最初の最高のパフォーマンスである。それを人に置き換えるならば、頭でやりきる技術を分析するよりも、今やっていることを今もっている技術で完成させることが大切。すると完成した成果物を俯瞰で捉えることもできるし、次の案件が見えてくる。すると別にやりきらなくともいいんじゃない!?という視点も正解だと思えてくるのでは。やりきるとかやりきらないとか非常にメンドクサイ。

フリーで働く!と決めたら読む本。

 中山マコト著のこの書籍はどこかこの時代にマッチしているようで、実は、本来・・・の部分。1ヶ月で年収分を稼ぐプロフェッショナルフリーランスを目指せ!自由を求め独立起業した人がよく陥る「自由を失う」という失敗をしない方法を達人が伝授。そして、成功するフリーランスノ8つの掟として、「差別化はするな!先鋭化せよ!」「仕事はもらわない」「仕事を選ぶ」「コンパクトに生きる」「お客様を徹底して選ぶ」「柱になるクライアントをつくらない」「長期契約はするな!」「ガイドラインを徹底する」などなど。

 さて、この「フリー」という定義はただ単に「雇われたくない人生」へのダイブに過ぎない。ある年齢の頃はこの響きに魅力を感じることもいいだろうが、「雇われている」という意識のどこかに拘束されているとか制限され制約の中で仕事をしているとう意識をもっている人は絶対にフリーになるべきではない。まして、起業することは諦めた方がいいだろう。「雇われている」という意識を持っている段階ですでに会社への依存度が100%なのである。で、フリーランスで成功という方法論だが、何をもって成功とするかが明確に設定して事に着手しようとするパターンが一般的で、その感覚に対してこの書籍がどうマッチするかでこの書籍のニーズが設定できるのだろうが、その時点でそのスピード感ならば、フリーランスは諦めるべきですね。フリーランスで自分なりの成功の指針を持っているいる人は恐らくこの書籍に反応していないが正解。だから、本当に必要な書籍は「フリーで働く!と決めたら読む本」ではなく、「雇われて働く!と決めたら読む本」が実は必要なのである。意識の裏側が見えている人でなければ、自立は難しいだろうし、最初の失敗に出くわした時の回避方法はこの書籍には書いていないはず。

白熱日本史教室@北川智子

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 「少壮の日本人女性研究者が、ハーバード大学で日本史を大人気講座に変貌させた。歴史の授業に映画作りや「タイムトラベル」などの斬新な手法を導入。著者の熱に感化され、学生たちはいつしか「レディ・サムライ」の世界にのめり込んでいく。「日本史は書き換えられなければならない」という強い使命感のもと東部の有名大学に乗り込み、「思い出に残る教授」賞にも選ばれた著者が記す「若き歴史学者のアメリカ」。」と。29歳でハーバード大学の「日本史」の教壇に立ち、映画作りまで駆使した斬新な講義「レディ・サムライ」「KYOTO」を構築し、目指すのは「大きな物語」としての日本史と。熱い講義を展開しているこの才女は何者???それが「ハーバード白熱日本史教室」という書籍らしい。

 日本史には興味がないが、どのような手法と戦略にフォーカスしているのかという部分がとても気になる。テーマがテーマだけにハーバードの興味の対象に成りえたのか、手法自体が芯を喰っていたのか?ちょっと気になる一冊ですね。

キュートなヒロイン。

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 なんともキュートなヒロインである。ちょっと今世紀これ以上のヒロインは創造も想像もできないレベルでありクラスである。たぶん、これ以上のヒロインは無理ですね。この映画のテーマというかキーワードがあるとしすれば、恐らくそれは「本能」だろう。「羊~」のクラリスはちょっと知的路線だったが、リスベットは一周回ってキュート過ぎる・・・。

自由の制限について。

 日本の教育が日本国憲法をベースに、引いてはある国の主義や思考パターンを取り入れた時、その編成チームがどうやら「義務」と「権利」のバランスを間違えたらしい。何に対するバランスの崩れ方かと言うと「平和」や「自由」に対する価値観のとてもベーシックな部分。最初のボタンがこのかけ方だったことで現代のこれらの価値感が捻じれているというメッセージが書かれている書籍がある。どこに軸足を置くかは十人十色でいいが、このメッセージ、10年15年前ならば、ひとつの意見で済まされたとしても、そのことはその時の「平和」や「自由」の価値感に包括されてもいいぐらい平和で自由だった。つまり、最初のボタンが間違っていたとしても、経済的にという指針が実しやかに成立している体裁であれば、この問題点はリアリティーがないと黙殺もできただろう。しかし、時代は変わっている。経済も変わっている。つまり、人間が変わっているのであることは、戦後のボタンの掛け間違いが起因であると考えるとすべてのつじつまがあうという仮説。

 まぁ、こうして文字にしている段階で全てが仮説だから、取り立てて「平和」や「自由」のいろいろな側面にスポットを当てたところで何がどう変わるという訳ではないが、全体が器がシステムが変わらないのなら、もう、立っている場所を変えるしかない。場所が変われば見える風景も変わるし、流れている空気の成分も変わってくるはず。変えられないのか変えないのかはさて置き、感じているのに見えないケイジがあるのだろう。それを温室ビーニルハウス栽培と捉えるか、集中治療室と捉えるか、カウンセリングルームだと捉えるかは自由。

 で、この「自由」について。自由とは決して無法地帯のことでも放置されたスラムのことでもない。自由とは自由を維持するためのルールが徹底している空間・エリアのこと。しかし、ルールの定義でさえ、ボタンの掛け違いが起因しているからたちが悪い。本当の自由は法律でも条例でもない正しい規範とモラルの上に成立するもっとも人間的な場所であるべき。つまり、自由を維持するための規範を会得している必要がある。本当のFREEDOMはどこにある。本当のFREEDOMはひとりひとりの人間の心の中、頭の中にあるべき。それが統治や法治で実は捻じれている。だから、教育が捻じれ、人間が捻じれ、不思議な社会が成立する。「教育こそが自由を手に入れる唯一の方法」だとは思わないが、そのベクトルに向かっている海外の国では、何よりも教育に注視していることは間違いない。さて、「教育」と「平和」と「自由」の関係性について、自分自身のライフワークや仕事を通じて何か貢献できることはあるのだろうか?なんとなく、最近はそういうことをよく考えている。

Reflection of Dragon Tattoo.

 原作は1300ページのボリュームがあった。それを158分にどのように再編成されているのかという視点があった。小説を完全に映画化されているとは言え、映画の物語的には40%ほどスルーされている部分があった。しかし、この40%を補填し100%にするのが映画。タイトル映像からラストシーンまで突き抜けた感じでした。恐らくどこかの段階でフィンチャーはこの小説の事を知り、何十回と読破しているはず。その中で頭に湧き上がったイマジネーションの結晶がこの158分なのである。と考えると、それだけで興奮がおさまらない。物語は頭に入っているので、あのページがこの映像なのか、この物語の部分がこういう表現なのか・・・と設計図と完成成果物を細かくチェックする右目と、もうひとつ。この音楽にこの映像、このプロットにこの構図。この設定をこのロケで・・・と絵的な部分や音楽的な部分、そして、映像の組み合わせ方などの手法を非言語で捉えようとする左目。この両目に映ったリフレクションが今でも頭の中で反響している。物語を知らずして映画158分だけの情報を得た人ならば、この映画はどのように映ったのかは知る由がないが、それは、まぁ、どうでもいい。

 そうかそうかそれで、そのフレーズが「火と戯れる女」へ繋がるのか。早速、本屋に走ろう。

THE GIRL WITH THE DRAGON TATTOO

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 いやいや、到着。一般発売日にDVDが手元にあるって、さすが!アマゾン。

どの音源にするか?

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 さてさて、どの音源にするか?音楽って絵とかデザインよりも無駄な要素がない。ストレートに耳に入ってくる素材だから、もう、言語的な考察や解釈が通用しない世界。だから、あまり音楽のいい悪いを左の脳で考えてちゃダメ。だからと言って右だけでジャッジしても感覚的になりすぎる。これが楽器から出る音ならば感覚的に感じて感覚でアウトプットすればいいが、一旦、これが、デジタルになると意識の中で言語的に解釈しようとしてしまうスイッチがオートマチックに起動するから、そのボリュームは極限に抑えて感覚で判断する。これがなかなか音楽だけに趣味趣向でチョイスしてしまい感情で判断してしまう。結果、映像や画像にマッチするしないで迷うことになるのである。すると、結果、最初のインスピレーションが一番正解だったりする不思議。これって結局、音楽のチカラなのかな・・・と。

パラマックス4インチ。

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 例えば(あまり良くない例えかもしれないですが)、心臓が悪い人はニトロを常備しているし、ぜんそくの方は常に吸引機と薬を携帯しておられる。それは転ばぬ先の杖ということ。さらに、もし・・・を考えると、絶対に手放せない命に関わるような存在でありアイテム。なかなか熟睡できない人が睡眠を促進するために飲むことも、風邪などで栄養不足な時に飲むドリンクたるや、薬局にいくとこれまた百花繚乱である。

 のように、私がバスフィッシングをする時に絶対的なルアーがこちら。エコギアのパラマックス4インチ グリーンパンプキン。たったこれだけで大野ダムでのローカルトーナメントに5年間参戦して25戦中、3位以上入賞者が頂けるタテが8個。年間のポイントで競うトロフィーが金と銀が一個づつ。これは、このルアーなしにはありえない。今でも常に釣りのバックには3インチ、4インチ、5インチ、6インチが同色で入っている。で、滋賀県内のショップを物色したが発見できず、オンラインにて、4インチを2袋、補充したというわけ。購入したオンラインショップでも在庫が2袋って!?

 これが、オンラインでもなかなか入手できないんですね。どこかでこのルアーを発見したら買っておいてください。チーム・サムライの皆様よろしくお願いいたします。

 こればかりは絶対に切らすことができぬお守り(常備薬)でありメインアイテムなのです。まぁ、ウデもそこそこ・なかなかなものなんですが・・・、バックに入っているとなんとも落ち着くのですね。

スマホかタブレットか?

 よく人から聞かれる質問。「スマホかタブレットか?」 答はどちらもさほど必要だとは思っていないとなる。デザインの仕事をしているから、WEBサイトの仕事を、映像の仕事をしているから、iPadは必要でしょうという発想がほとんど欠落している。マシンやソフトのスペックがクリエティブの仕事にシンクロしないことをあまり一般の人は理解していない。それは当然。私もケーキ屋さんの砂糖や卵の使い方など分からないし、寿司屋さんがほたてを料理するときのポイントや包丁の種類など未知との遭遇である。

 だから、砂糖は砂糖、卵は卵、ほたてはほたて、包丁は包丁、スマホはスマホ、iPadはiPad。

 また、最新最速のパソコンにこれまた最新多機能なソフトを入れてクリエイティブもどきの成果物を作成して「これどうよ!」みたいなどや顔の人。これもメンドクサイ。その人のタイプ的には常に言葉のはしばしに「プロの仕事とは!」「デザインとは!」をはさんでくる。これがとてもメンドクサイ。法律の相談に行って、弁護士に「法律とは!」って話を聞いてもなんの意味がある?歯医者さんに行って、「歯科とは!」ってことを語られてもかなりドン引き。だから、そんな人達って自分でよく自分のことを知っているわけで、「自分がプロの仕事のテイで頑張ってやっています!」ということを伝えたいから「プロの仕事」というマジックワードを連発する。デザインのこともクリエイティブのことも充分に理解していないし、経験値も少ないので、「デザイン」とか「クリエイティブ」というフレーズを多用したいだけなんですね。逆にそれ言っちゃったらあとがないことを、これまた、自分の経験の中で学ぶ必要がある。それに比べると、高いパソコンで最新のソフトを使ってPTAの資料を作っている人はカッコイイ。

 道具は大切ですが、道具は道具。また、デザインやクリエイティブの世界には学校のテストような100点満点はないし、正解も誤答ない。0点でもいいデザインはあるし、100点でもクソのようなデザインがある。だから面白いのである。アップルが一般素人に対するFAKEでアプリデバイス路線を展開した頃からアップルを私自身は敬遠しているが、さらにどんどん失速していっているイメージ。要はアップルはデザインと心中できなかった、ただただデバイスを売りたいためだけにデザインをFAKEに活用したチキン野郎なのである。まぁ、それもアメリカンドリームで型がつくが・・・。

待ちに待った2ヶ月間。

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 原作を読み、映画館に足を運ばず、DVDを予約して本日入金した。恐らく明日DVDが発送されるだろう。こんなタイプの期待をした映画作品は過去にない。まだ何も映像を観ていないのに期待値だけが青天井状態。あまり期待し過ぎて失速した映画は数多いが恐らくこの期待値をこの映画作品なら軽く超えてくれるだろう。それほどの期待をしていますね。じゃあ、映画館に行けよ!ということも言われて来たが、ドラゴンの場合そうでもない。私自身、映画館で映画を観るということは映画に対する愛の表現だし、映画関係者の人ならば、映画館に足を運んでもらうために映画づくりに関わっているのだろう。しかし、映画を映画館で観るということに対して実は昔からあまりリアリティーはない。いやいや、映画なんだから映画館で観るべき・・・の「べき」が嫌い。映像作品を世界の巨匠が創造し、ハリウッドの世界のトップクラスの俳優が脚本家が撮影部隊が集結した作品だからこそ、一番、自分の気持ちが映像に向き合える場所で映像作品を観たいが私の正解。この映画は誰と観たいとかこのタイミングならこのタイプの映画を観なさい的なことはもうナンセンスの極み。さらに、原作や監督や役者の蘊蓄や、時代背景などを語り出す人間も実はNO THANKSである。細かい映画のパーツを自分で組み立て直したい人もいるがそれは映画でなければならないのか?映画とはみたいな議論も実はメンドクサイし、映画について議論なども実のところどうでもいい。ということで、近日中にアマゾンから到着するDVDが待ち遠しい。

 おおよそ2ヶ月以上、予約してから、待ちに待ったが、この期間さえとても意味があり心地良かったと思って振り返っています。

 これで、第2部、「ミレニアム 火と戯れる女」を読めるというもの。

美しい所作。

 「所作を磨くと、心も体も人生も輝く。まず、姿勢、言葉、朝の時間を整えて。禅が教えてくれる美しい人をつくる所作の基本」という書籍がある。無駄を無くして丁寧に生きる知恵70というテイ。例えば、「美しい所作がよい縁をもたらす理由」「多くのものは簡単になればなるほど美しい」「そもそもの人の美しさとはなんだろう?」「便利や効率ばかり追うと、美しさが隠れることに」「なぜ美しさと禅が関係あるのか?」「日常のすべての動作をおろそかにすれば、心は乱れる」「姿勢を整えると、仕事も健康もいいことだらけ」「正しい立ち方・座り方 目線も大切なポイント」「腹式呼吸が楽にできる姿勢がいい姿勢」「呼吸は正直なあなたの心を示している」「正しい呼吸はまず、吐ききる」「二人が同じ実力であれば、呼吸が整っているほうが勝つ」「手の所在は心のあらわれ」「行動の折り目は、心の折り目」「所作を整えるよりも、心を整えるほうが難しい」などなど、所作をこのように細かく分解している技術は流石に美しい。

 社会規範にこれを置きかえると、所作の真価が反映されるだろうから、人間性の部分と社会性の部分の谷の部分をスムーズに交流させるためにも、美しさを意識することは大切。しかし、角のない、つるつるの人間もどうか?創造的な人ほど「美しい嘘」をつくという言葉があるが、この場合、社会規範に反証すると「嘘」が「誠」に代用されるという化学反応もある。美しく美しくと教えて斯うばかりに、美しくない所作だから・・・というモノサシも相対的なバランス感覚を崩しているようにも感じます。

 世の中、意外と美しくないダーティーなハリーが活躍しているという側面もあるだろううし。

人が成長しない会社の断末魔!?

 「人が成長しない会社の断末魔セミナー あなたの会社にいるのはどんなジンザイ?」という書籍があるそうです。つまり、会社にとって財産となる人を「人財」と呼び、指示されたことしかしない材料のような人を「人材」と呼び、やりがいを見つけられず能力を発揮していない人を「人在」と呼び、勤続年数は長いが、このところめっきり活躍していない人を「人済」と呼び、ミス・ロス・クレームを多発させ周囲に悪影響を与える人を「人罪」と呼ぶらしい。このセミナーの参加料金は¥2,000だそうです。さてさて、いろいろなジンザイが集まって会社組織を作っているということなんですね。

 ただ、会社ありきのこの人材セミナー、世の中まで視野を広げると本当のジンザイの真価とは何だろう。この時代はいったいどんなジンザイを求めているのだろうか?会社の経営者目線で言えば、勿論、「人財」が欲しいところだろうが、えてしてこのタイプの人は自分のビジョンを持っているパターンだし、会社に対いてどこまでその能力を注ぐタイプかと考えると、会社に対しての財産か否かという問題もあるから、経営者目線では頭が痛いところだろう。に比較して上記の「人材」の方が結局、優等生という部分に入ってくるような気がするし、発揮できない人、めっきり活躍していない人、悪影響を与える人達も、結局組織の中ではそれなりの存在意義もあるといえばあるし、全てが指示されたことだけを的確にこなす人ばかりの集団でも会社の魅力はどうか???

 で、第1人称でこのことを考察すると、断末魔まではいかないまでも、小さいサイクルで断末魔は必要かなと。断末魔も出てこないほどエネルギーが枯渇したらもう経済がどうの生産活動がどうのとは言っていられない。会社としてのエネルギーが何を指すのかはそれぞれの企業のベクトルで差異はあるものの、どこかの部分で摩擦や誤差やひずみや小さな傷をしながらも、再生させ、指針や志を失わないルーティーンを会得していれば、創造的な活動は維持できるような気がします。

 ただ、このテイのセミナー、¥2,000を持ち寄ってお互いの傷を確認するだけなら、自分のベクトルに必要な書籍に変えた方がいいかも・・・。しかし、藁をもすがりたい人の絶対数を¥2,000で乗算すると、ひとつのビジネスモデルとして成立するのだろう。この場合の成立するだろうという日本の空気が一番の根本の部分で緩いとも言える。つまり、デフォルトの値が低いのである。

OEOE_STICK見参!

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 これが素敵なアイディアツールの「オエオエ棒」。どう使うか?どんな時に使うか?まぁ、もちろんあの時に使うのですが、昨日、私には必要なかった。残念。というか逆に残念な場面で使う道具なので、良かった良かった。できれば、できれば、バス君のためにもこのオエオエ棒は出番がない方が正解。

 私は、全部見事な「上アゴフックアップ」の連続ですから、このところ調子がいいので、これは当分!?必要ないですな・・・、ハハハハのハ!

GOOD JOB!

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 いい仕事はいい仲間といい気持ちでいい場所で。それがどこでもいつも同じ気持ちでできること。これが一番大切。無駄に浮かれず無駄に落ち込まず。いつもフラットな状態を心掛けていますが、なかなか気分は落ちたり浮いたりする。やはり、一番はいつも緊張感を与えてくださるお客様と、なんでもぶっちゃけられる仕事仲間がいることに尽きます。走馬灯のように現れる余計な心配や危惧や先入観も、いい仲間がれば吹き飛ばせるって感じ。いやいや、そんなことを考えてのこのおっさんのSMILE.

 何事も、TAKE IT SLOWLY...

本当の知覚。

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 マッコウクジラは、水深3000メートルの深海に潜るとき、頭蓋骨のなかの特殊な器官をつかって、自らにかかる気圧を正確に測る。この地球で、5000万年以上も生き抜いてきたといわれる彼らは、想像を絶するほどの膨大な海洋データを蓄積し、分析し、解析し、それを認識することで、この地球に生き続けてきた。さて、人間はいま進化しているのか、退化しているのか。本能は研ぎ澄まされているのか、失われているのか。もっと遠く、深く、高みへ。私はもう一歩、新たな地平線へ、踏み出す。世界は知覚できる。とある広告のライターは書いている。

 この部分の文章だけを切りぬいてしまったので、元々この広告が何の商品の広告だったか分からなくなってしまったが、それにしても、このライティングはいい。比較対象がマッコウクジラだという部分が、なんでもかんでも比較対象にくじらを出すというテイが多いので、しっくりは来ないものの、人間の進化か退化を問う切り口としては正々堂々のストレートボール。

 恐らく情報系の企業の広告だろうから、「知覚」というフレーズで自社の営業アイテムを評価してくださいという軸足だろう。自社の営業アイテムを紹介・訴求するのに、「マッコウクジラ」や「人間の進化・退化」をフレーズとして使用して成立するような大企業は正直羨ましいが、そう妬んだところで何も始まらない。ただ、人間の未来という普遍のベクトルを「進化」と「退化」という切り口で語るならば、それ相当のコマを用意していなければ竜頭蛇尾となるだろう。言葉ではなんとでも言える。大きい会社も小さい会社も組織も個人も五感で知覚する。思考は筋肉から、行動こそが思考であり、こうしてキーボードを動かし、マウスをコネコネしていることは絶対に「行動」でも「知覚」でもない。大海を優雅に泳ぐマッコウクジラに例えるなら、人間の特殊な器官を鼓舞させたいものですね。

ヒツジで終わる習慣、ライオンに変わる決断

 「人生には2通りのコースしかない。どちらを選ぶかはあなた次第! ヒツジはいつも根拠は?と口にるす。しかし、ライオンはいつも「とりあえず」やってみる。ヒツジは辛いとすぐ群れる。しかし、ライオンは辛いと読書する。ヒツジはもらうために必死に生きる。しかし、ライオンは与えるために必死に生きる。」という論法。誰しもヒツジで終わりたくない・・・、ライオンに変わりたい・・・ありきの大前提がさてどうか?人生を2通りのコースだと枠を設定するのは、人間の性(サガ!?)それとも業なのか?思考を常に2通りに分割してYESとNOで価値判断をしたり、正義と悪で評価したり、メリットかデメリットかでジャッジしたいるするのは恐らく人間の脳幹の仕業だろう。何も一事が万事、2通りのコースありきではないし、とにかくやってみるヒツジもいるだろうし、群れるライオンもいるだろう。ヒツジのこと、ライオンのことをもっと知るべきだし、まして、人間を動物に例えながら、実は、その後ろに八百万の神を設定している天体の論理を精神世界に代用しているだけ。それは実に実しやかではあるが、さて、質感はあるのか?引用や比喩でシンボルにされているヒツジとライオンはいい迷惑。

 別に、「とりあえず根拠は?」でいいじゃん。

微熱でもあるのだろうか?

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 何年かぶりにこんなモノに手が伸びてしまったぞ。トーナメントに参戦している時もこれは買っていないし、それより前も・・・。仕事のし過ぎで微熱でもあるのだろうか・・・。

やられたの巻。

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 まさかまさかの8lb(ナイロン)でのラインブレイク1秒前のカットです。これもドラグ調整のイージーミステイクでした。このあとの脱力感・・・、これが言わばバスフィッシングの醍醐味であり、あくなき闘いモードにさせる要素なんですね。長年やっているつもりでもこんなことばかりやっています。これでは4匹目の50アップは遠いなぁ~。でも、楽しいがバス君ですね。

 で、改めて映像を見ると、こんなにロッドって曲がっているんだ・・・。いやいや、なんてバス君は元気なんだろう。逃がした魚は・・・じゃないが、大きかったですよ。

 そうかそうか、やっぱ5lbのフロロなのか・・・、今日、買いに行こう。

父の日プレゼントランキング2012

 いろいろなところからメルマガが届く。特にこの時期はなんと言っても「父の日ギフト」が激しい。いろいろなサイトを見てみるが総括すると、いろいろなショップが売りたいプレゼントランキングとしては、第1位が「お酒関連」で、日本酒や焼酎などが中心で、どこどこの銘酒だったり、有名なブランドのお酒。で、第2位が普段着のシャツや仕事用のシャツとネクタイのセット。第3位はタブレット端末や電子機器関係となる。そうかそうか世の中のお父さんはそのテイが平均してニーズとしてあるんだ。父の日のプレゼントだからカミさんや家族からのプレゼントとなるのだろうが、改めて毎年の恒例行事にワンパターンのプレゼントで父の日販売戦略の恩恵に授かろう肖ろうという仕組み。

 で、私が欲しいプレゼントと家族が上げたいプレゼントとは必然的に異なるのだろうけれど、実際、母の日に何をプレゼントとしてチョイスするかとなると???な私は花かスイーツかレベル。そんな親父(おやじ)が実は欲しいものは何だろうと考えると、別段、父の日だからください的なプレゼントではないのですが、世の中一般とあくまでも比較して、お酒をくれるなら美味しいスーツでいいし、シャツやネクタイをくれるなら、登山用のウエアが欲しい。で、タブレット端末をくれるぐらいならアウトドアギアが欲しいですね。そんなの自分で買えば・・・と言われないギリギリのすれすれにネゴシエイトしながら、このあたりを今年は捻じ込んでみよう・・・。

重力とは?

 「重力とは何か アインシュタインから超弦理論へ、宇宙の謎に迫る」という大栗博司著の書籍がある。カリフォルニア工科大学 カブリ冠教授 東京大学カブリIPMU主任研究員という肩書きが何を意味するところかは不明ですが、ことさら「重力」についてはとても興味があるため、この広告に喰いついてみた。「宇宙」を支配する力の正体とは?とか、この世界の根本原理とは?という部分にはあまり興味はないが、重力についてはとても興味がある。

 宇宙の理解に最も大切な力・重力。「弱い」「消せる」など不思議な性質があり、その働きはまだ完全にわかっていない。重力理論に革命を起こしたアインシュタインの相対論から、ホーキングの功績、宇宙は10次元だと考える超弦理論まで、壮大な世界を数式なしで一気に解説。「やさしくても本格的」な画期的な入門書と、広告文はこの書籍を紹介している。

 地球の歴史と人類の歴史。そこには永遠に答の見つからない「何故?」が存在している。人間が絶滅するまでにこの無数に存在する「何故?」に対する答がいくつ知覚できることだろう。カリフォルニア工科大学がなんぼのものかは知らないし、このタイミングで「重力」について語ろうとした著者の意図、それを影で支えている編集者と出版社の戦略は何?知への探究心だけなら、ただ単に機が熟しただけなのか。このテーマでこれまでに書かれた来た著書や研究書もあるだろうに、何故、新聞を介してこの書籍を存在を知ることになったかという捉え方。これは何のサインなのか?それが頭をもたげた以上、その答は書籍を手元に置くことでしか解決の第一歩はない。しかし、このサインをこのままスルーさせることもできるし、忘れることもできるはず。しかし、何故か「重力」が気になっていたと言う部分と呼応するようなこの書籍の存在という情報。

 「最近、物忘れが激しくって!」という人は忘れているのではなく、ただ「覚えていないだけ。」という著者の書籍を読んだが、覚えていないことを忘れたと認識するのは何故?無意識と意識の谷で一体何が起こっているのか?う~ん、考えれば考えるほど、気になる一冊。

 このアプローチはネット内や電子データで読みたいくない分野のコンテンツですね。

音、音、音。

 という書籍がある。坂本龍一、渡辺香津美、村治佳織、アラン・パーソンズほか世界の名称たちが「音」の魅力に迫る!聴覚の仕組み、音響設計、サウンドデザイン、録音と再生の歴史まで 人を感動させる「音」のすべてを徹底解剖!という¥1,575の書籍である。

 確かに、音、音楽、サウンドとは何か?それを創造するということはどういう価値があるのか?一見、それは、ごくごく自然の中にいると無意識に受けている信号。意識か無意識かで音の捉え方や覚醒のベクトルが異なる不思議。昔、大学の頃、「サウンドオブサイレンス」とく楽曲について一晩中語っておられた先輩がいたが、その時はなんのこっちゃ!?だったが、音とは意識すればするほど不思議な存在である。なぜ、5つの感覚の中に聴覚があるのか?聴覚があるから言語が発達したのだろうが、まだまだ、その発達の度合いや進化の過程としては途上だという人も多い。研究が進み、人間の聴覚と音の関係が紐解かれれば人間はどこに辿りつけるのだろう?

 「音」のすべてを徹底解剖!ってどのさじ加減、とても興味がありますね。

夢か現実か?

 よく、歌の歌詞で「夢か現実か?」と自問自答ことがある。これは一瞬、心にひっかかるフレーズですが、実は「夢」と「現実」の境界線はない。どちらも「夢」だとも言えるし、どちらも「現実」だとも言えるからである。では、なぜ、一瞬だけ心に引っかかるのか?このひっかかる感じは何を意味するのか?それはIQの機能だとも言えるし、身体の中を走るパルスのスピードだとも言える。つまり、感覚とはスピード感をどのように体感するかであり、学習でさえ、椅子に座ってテキストに向かってペンを走らせているのだから、知力という運動なのである。必然的に画面を見ているだけで学習にはならない。だから、パソコンの使い過ぎ、ゲームのやりすぎで記憶力や知力が落ちると言うがそれは違う。そういう人は後天的な問題であり、もともと知力が低いのである。生まれてCUBEのような部屋に隔離されて、パソコンしか与えられなかったとしたら、この場合の知力を語ることはできないはず。まぁ、何分、割合と比率と確率と軸が存在するから一概に推量することはできないが、「夢」と「現実」を区別している意識に自分を置けるということはある意味バランスのいい状態かもしれない。

 で、理想としては、いつでも、夢と現実の間を言ったり来たりできる状態でいたいものです。血液が潤滑に適正に流れるように、筋肉への信号が停滞しないように、五感からの信号が詰まらないように。

いやいや、ワンダホー!

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 このロケーション、これはプライベイトの釣りよりも楽しく、トーナメントの入賞より価値がある。ここに浮いている本来の目的を今このブログで明かすことはできないが、いずれ、その詳細は日本人より中国の皆様が最初に知ることになるだろう。で、釣果はどうだった?それもいずれ。何でもかんでもネット時代だから最新でリアルタイムに情報が得られるとは限らない。情報なんてただの色即是空。押したり引いたりしなきゃ楽しくないでしょう。

美しい朝焼け。

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 京都の山奥の美しい朝焼け。この時にまさかあのような恐ろしいことが湖面で起るとは誰が想像できただろうか・・・。

「good bye!」って。

 娘に「good bye」の語源は知っているか?と聞かれた。う~ん、なかなか、やりよる。その角度で来るか、最近なかなかするどいするどい。しばし、反芻を繰り返す。おそらく「bye」は不戦勝の意味だが、勝利や敗北に関するニュアンスを不慮の事故や人生のトラブルに引用しながら、「いい、不戦勝を!」とういニュアンスか、「bye」に続く何か語彙に人生だとか生活の安定を促すような意味があり、「あなたのこれからの人生がよい状態に!」ということだろうと推察して、そのことを娘に伝えると。

 そこまでの深さはないよ。とのこと。うんうん、今回もなんとか親父の威厳を保てたぞ。その語源とは「god by」の普遍化であり、昔は戦争や争いが絶えない世界だったために、別れ際に、こからも、あなたの人生の傍らに常に神がいますように・・・という願いを込めての「god by」だったそうです。なるほどなるほど、英語はストレートでディープである。だから、see you, later/around. take care,good bye.なのである。まぁ、「god」を偏在する人間社会の真価と捉えるか否かは信じる者次第と・・・。

社会規範の変化。

 あるセレブな都市圏(海外)の幼稚園のお話。子どもたちの入園時間をご父兄の皆様に厳守していただくために最初はその保育園はルールを作成しました。「幼稚園が始まる10分前には入園させてください。」というルール。しかし、10%以下の比率で遅刻者が推移した。そこで、園長先生は、遅刻をなくすために10分遅れると10分間に対してペナルティー(お金)を払って頂きますというルールを新しく設定した。それまでは「遅刻することはよくないこと。」という規範があったためにご父兄は「遅刻しないように」と考えたのだが、10分間分のペナルティーを支払えば遅刻してもいいと解釈するようになってしまったそうです。結果、このペナルティーを支払うというルールを設定してから遅刻者数の割合は30%となるというお話。これは本末転倒であり、園長はこの推移を分析して、10分間の遅刻のペナルティールールを止めたが遅刻者の割合が30%から減ることはなかったと・・・。

 これが社会規範とルールの関係性の顕著な事例だろう。このようなことが特にインターネットの世界では竜巻のように起こっている。一旦、流れやすいルートを見つけると重力の法則に従って水はそこへ流れ込みルートを確保する。この流れはなかなか元にはもどらないのである。人間の心の仕組みの結構根幹の部分をこの事例は表出させている。
 
 「ルールは破るためにある」などいう暴論をこの事例に相関させるつもりはないが、モラルやポリシーに訴えていることがいかに人間の心に大切であり、システムやルールを創ることで人間の心の弱い部分が吐出するというリアルは社会との関係を適正に構築する場合、意識しておかなければいけないというオチ。

 人間はその中に経験値からいくつもルールをもっている。社会にも偏在するルールがあり、家庭にも会社にもルールがある。何のためにそのルールを守るかが具体的なればなるほど、その対極にある価値感が起動しルールの天秤を揺らすのである。インターネットは言わばいろいろな意味でそれまでのルールを揺らした。そして、今も世界を揺らしシェイクし続けている。さてさて、自分の中にルールはあるのだろうか???

「読む」から「使う」!?

 どうやら、雑誌は「読む」から「使う」への時代らしい。通勤・移動時間はスマホでニュースをチェック。会社ではパソコンで特集やケーススタディーを。会議や商談ではタブレットで記事を参考資料に。海外出張でもリアルタイムで情報を把握。そして週末は自宅で雑誌をじっくり読む時代。いつでもどこでもビジネスに必要な情報をスマホ・PC・タブレットで!ってよくできたシナリオである。まず、「読む」と「使う」という関係性について一見それは実しやかではあるが、実はこの行動パターンは大きく異なる。なぜ、「いつでも、どこでも、最新の情報を。」が「便利」なのかを考えている暇を与えずに何がなんでも「便利」を訴求されると、本当の真価としての「便利」を見失う。まぁ、真価とはそもそも見失うモノなのかもしれないが、でも、その見失い加減が尋常ではない。読むという行為が使うという行為に代用されるはずがないし、「情報を使う」とはいったいどういうことか?情報の差別化をせずにその実態を分析せずに、猫も杓子も金太郎あめのような情報の断面を最新機器で閲覧しているだけではただの「see」だろう。読むとは「look」だし、readの側面とリサーチの側面があるのだから、使うが見てるだけにならないようにするためにはどこが注意する部分か?ということをキモに銘じたい。この部分、意外と、なかなか難しいと思いますね。リアルタイムの情報が世界を駆け巡っていることは現実として、「なぜ、情報のリアルタイム性を重要視しなければならないか?」は無意識で処理している。情報は早ければいいのか?信憑性や信頼性を棚に上げ、最新=信頼のバランス感覚を煽るこの最新機器の末路は進化とは呼べないような。混沌としたこの情報化社会に規範があるとすれば、使う人間のポテンシャルのみ。

 で、この部分、どこをデフォルトにするか?それが今後全てのユーザーの意識下に置かれた後、さてさて、この最新機器は便利なのか否かという判断が必要。
 
 「使う」は「読む」を包括できるが、「読む」は「使う」を包括できない。

20人中19人。

 20人中19人が自殺未遂に終わる。しかし、2回目が成功する確率はその約40倍。この数値が事実か否かについてよりもそれほど人の心は弱く強いということ。0から1への変換機能について人間の判断力のリミッターはとても強い。しかし、1から2への移行する時その効力が激減する。つまり、0と1の間にある谷の深さを人間は本能で守っている。自らの命を絶つ判断をする唯一の生物、人間。一体何故?と疑問視するが次の瞬間自分自身もそのベクトルに転換するかもしれないという潜在的な負の能力は内在しているはず。心は強いのか弱いのか?ただ言えることは、心も生物だということである。変容する価値観こそがその実態。

 で、寿命が来れば必然的に脳も心臓も停止するのに、自らの命を絶つという判断に辿りつくのか?それは論理的な判断ではなく、衝動的な感覚的な判断だと思いたいがその実態は不明。おそらく、死人に口がない論理でそれを確かめることもできない。会話が必要だと言うが本末転倒、間違いなく、この悲しい結末はなるべくしてなっている。心が弱いから・・・と捉えることは簡単だが、私は心が強いから・・・かもしれないと想う。だって、心が弱い人は正直「死」は怖い。心が弱いから誰かに助けてほしいと願い行動する。ネットのデジタルコミュニケーションにばかり交流の場所を求め過ぎると、この弱い部分のリアルさが欠落し、強い人間になったと誤解するパターンってあるかもしれない。

 「人の心は弱い。」というテイでもっともっと、助け合うぶっちゃけ感が現代には必要なのかも・・・。

論点のズレ。

 英語のプレゼンテーションは構成がストレートでストロングである。何故だろう?言語として完成度が高いのか無駄な要素と骨子の部分が明確になる言語なのだろか?英語のプレゼンテーションを聞いていいると体温が自然と上がる。に比べ、日本語の構成はどこかもどかしい。無駄な言葉が多いのか根本的に伝えるための言語ではないような。感じてください的なニュアンスが言葉に組み込まれ過ぎ、本来の伝えたいことがボケる。つまり、論点のズレが発生しやすい言語なのだろうか。ノンバーバルコミュニケーションが叫ばれてさらに日本語の論理的な構成力が現代のような事態を招き寄せているとも考察できる。が、これは根本の部分だから、そうなるべくして・・・みたいなことも否めない。

 で、論点がズレた時、修復微調整するのか放置するかで迷う時があるが、日本語ではそれも適正に切り込むことが難しいコミュニケーションを呈している。会話の途中でそれに気が付いているのに、最後の最後まで修復できない言語とでもいうのか。論点が定まっていない人はよく文法がよじれる。明確に伝えることをどこかわざと控えているのか?とさえ思えるぐらい。なぜこうもよじれるのかと考えながら話を最後まで聴くがあきらかに二転三転している。その上、会話の流れがよどむ。しかし、論点がぶれずにこちらの言葉の理解力もウイットの部分も的確にレスを返してこられる人との会話はなんとも心地いい。尊敬してしまうし、頭がクリアになっていく実感がある。私もなかなか、会話の中に「神」の存在を引用することは稀であるが、クレバーな方との話の流れでは、「神」の存在さえもしっかり規定できているから、論点が見事にぶれない。マッチし合致するこのコミュニケーションはホントに心地いい。

 が、そうでないことが多いので、いちいちそれらを悪いストレスに保存するほど私の頭の容量は大きくないので、すぐに忘れるようにしている。忘れるという能力(能力なのか?)が板についてくると、会話している途中でこのルートはないなとゴミ箱に入れてしまう。しかし、意外な展開になったとき、どれが今捨てたものか不明になる。強いては事をし損ずるなぁ~という瞬間。

 でもでも、論点のズレが自分自身の中でも起きないように注意するのもまた大変。でも、これは最低限のマナーですしね。

route66


 うんうん、カッコイイ。