社会規範の変化。

 あるセレブな都市圏(海外)の幼稚園のお話。子どもたちの入園時間をご父兄の皆様に厳守していただくために最初はその保育園はルールを作成しました。「幼稚園が始まる10分前には入園させてください。」というルール。しかし、10%以下の比率で遅刻者が推移した。そこで、園長先生は、遅刻をなくすために10分遅れると10分間に対してペナルティー(お金)を払って頂きますというルールを新しく設定した。それまでは「遅刻することはよくないこと。」という規範があったためにご父兄は「遅刻しないように」と考えたのだが、10分間分のペナルティーを支払えば遅刻してもいいと解釈するようになってしまったそうです。結果、このペナルティーを支払うというルールを設定してから遅刻者数の割合は30%となるというお話。これは本末転倒であり、園長はこの推移を分析して、10分間の遅刻のペナルティールールを止めたが遅刻者の割合が30%から減ることはなかったと・・・。

 これが社会規範とルールの関係性の顕著な事例だろう。このようなことが特にインターネットの世界では竜巻のように起こっている。一旦、流れやすいルートを見つけると重力の法則に従って水はそこへ流れ込みルートを確保する。この流れはなかなか元にはもどらないのである。人間の心の仕組みの結構根幹の部分をこの事例は表出させている。
 
 「ルールは破るためにある」などいう暴論をこの事例に相関させるつもりはないが、モラルやポリシーに訴えていることがいかに人間の心に大切であり、システムやルールを創ることで人間の心の弱い部分が吐出するというリアルは社会との関係を適正に構築する場合、意識しておかなければいけないというオチ。

 人間はその中に経験値からいくつもルールをもっている。社会にも偏在するルールがあり、家庭にも会社にもルールがある。何のためにそのルールを守るかが具体的なればなるほど、その対極にある価値感が起動しルールの天秤を揺らすのである。インターネットは言わばいろいろな意味でそれまでのルールを揺らした。そして、今も世界を揺らしシェイクし続けている。さてさて、自分の中にルールはあるのだろうか???