富士山に登って・・・。

 自分自身が富士山に登ろうと思いつき、それなりの自己流でトレーニングらしきことをして、富士山の山頂に立った。2年連続の山頂は苦しさMAXと達成感2倍だった。明らかに非日常的なあの場所で何を感じたのか。登っている時の苦しさがある瞬間次への挑戦の意欲に変化する。これはなんだろう?今年も絶対に登るつもりをしているが、たぶん、さほどトレーニングの質は変化していないので苦しいだろう。苦しいが楽しいから行くのでもないのですが、まだ、登っていない、富士山登山に興味のない人にしてみれば、それはなんのことやら。しかし、1回でも山頂に立った人との心の繋がり感はハンパではない。だから、登るか?ということでもない。

 自分自身、富士山に登ってあの登りと下りを体験して思うことのひとつは「水の大切さ」である。普通の暮らしをしていれば水道から普通に水が出るが、富士山では水は高価なモノに変わる。で、水道をマックスひねらなくなったり、ちょっとでも無駄な水道の水の量が気になってしまうことも、富士山に登りだして自分自身が変化したこと。変化したことはこれだけではないが、「水は大切」と言われても言葉でどう理解しようが、水道の水を思い切り出していた。しかし、本当の「水の大切さ」を感じられる時間を過ごすと、明らかに自分の中に新しい価値観が生まれる。それをたかが富士山に登れるだけで共有できるなんて、人間は単純明快であり順応し変化できる生物なんだなぁ~と思います。

 3年連続の今年のチャレンジに向けて、体調を整えたい。もうすぐ開山である。

comments

そうですね、「登ったか」「登らないか」「釣ったか」「釣らない」0か1かで感覚や思考は全く違う。
禅の言葉で「こうなりたいと思う事と」「実際にやることは」天国と地獄ほどの差がある。
全てはdon't think feel なんですね。

  • kuni
  • 2012年06月24日 07:36

ですね。

つまり仮想空間で何かを見たという経験、
ネットの中で知ったという実感、
ブログの中で出したという感覚は全て仮なんですね。

あの場所で見た雲海、
あの場所で知った水の大切さ、
あの山頂で出しきったエネルギー。
これがリアル。

ネット上で適当な言葉を重ねているだけで、
本当のコミュニケーションが成立するというのも
誤解なんですね。

オンラインゲームでポイントを稼いで
何が楽しい?
SNSで承認ボタンをクリックして「友達」が
成立したら苦労はしません。
すべてツールだという再認識が必要ですよね。

  • khuz
  • 2012年06月24日 08:40

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