好きこそ・・・。

 「好きこそものの上手なり」と言うが、この「好き」を分析してみるといったいどういう感覚なのだろう。簡単に「仕事が好き」だとか「釣りが好き」、「山登りが好き」、「映画が好き」と言ってしまっているが、反面「・・・が嫌い」という判断をしている。これが仕事になった場合「嫌いだから下手でいいのか?」というジレンマがあり、仕事である以上、好きとか嫌いとか関係なく、上手を目指さなければならない場合が世の中的にも人生的にも圧倒的に多いはず。なかなか「好きなことを仕事にする。」とテイは難しいというのが常。しかし、この「好き」を細かく分析して自分にとっての「好き」の理由を言語や論理ではなく感覚で分析すると意外と単純なことでこの判断をしているような気がする。初めてのチャレンジ、人に勧めれてがキッカケでも、やってみたら楽しかった。思いのほか上手にこなすことができた。あたりから、「好き」が加速するし、何か明確な根拠はないがなんとなく始めた仕事や趣味が結果現状、自分と相性がよく好きになったというパターンもあるだろう。この場合、初めは何も感覚として自分自身の中に存在していないどこかのスイッチが何かのタイミングでONになる。ここが言わば「好き」の始まり。しかし、人間は飽きる生物である(特に私は極端に飽きるのが早い・・・)、成功して達成感に包まれれば調子にのってのめり込むが、失敗が続くと自分との相性だとかいろいろな理由をつけて便宜上、「やぁ~めた!」となる。しかし、楽しい感覚で始めても何かのタイミングで、慢性化して楽しさが失速することもある。つまり、これを人生であれ、仕事であれ、趣味であれ繰り返している中で本当の「好き」は何だろうとふと考えてしまう。

 前段の「好きこそものの上手・・・」の下りも「好き」と「上手」の相関性についてはあまり論理的に言語的に考えない方が追求し探究し達成する可能性が高い。ならば、あまり、この「好き」って実は明確な分岐点があるのではなく、結構ふわふわしている判断なのかもしれない。なんでも貪欲に「上手」でありたいと思う反面、それが「好き」か「嫌い」か判断しながらでは持続力に欠ける。う~ん、このあたりが非常に難しいが、続けてこれたことを自分との相性がいいと捉えて、結果、「好き」とすることの方が簡単だが、仕事として「上手」を目指すなら、今よりもステップアップ・バージョンアップをしたいなら、この自分の中の「好き」を右脳でも左脳でもしっかり意識下に置いておく必要があるように思います。

 って、そんなに簡単にいかないのがこれまた現実であり、ひとつひとつのタイミングを自分自身にしっかりリフレクトして回していきたいと思います。想像と創造が人間の本能だからとは緩い仮説ではあるが、それを信じなければ、何も始まらないし今現在のリアリティーも失速する。これを仮想空間や空論に依存せず手で掴めるもの、目で見える実態、感覚で捉えられるリアルを大切にしていきたい。