遊ぶ、食べる、寝る。

 勤勉な日本人のリスクは遊ぶことに不器用で、食べる欲求に対しても摂生ありきで、寝る間も惜しまず勤労勤勉・・・みたいな価値感というか社会規範に支配されてはいないだろうか。よく遊んで、よく食べて、よく寝ることで「やらなければならないモード」にスイッチングがスムースなことをまるで悪行三昧のように捉えてしまうような意識がないだろうか。その規範というかモラルというか倫理がいい意味でいい側面が活性化している時はそれでも経済や精神世界は安定するのだろうが、ひとつ箍が外れるとその弊害が津波のように押し寄せている。それが現代の日本の悲鳴に繋がってはいないだろうか。呑気で気楽な印象のある国民性に対して、日本人の勤勉な特長は優位だぞ・・・みたいな自負が実は痛い側面が同居していたんだろう。政治、メディア、教育、経済、かなり現代の日本は「痛い」状態だが、この「痛み」の末には完全治癒が成し得られるのだろうか。治癒しているつもりがお互いに傷口に塩をすり込んではいないだろうか。まぁまぁ、そんなに神経質にならず、もっともっと、たくさん遊んで、たくさん食べて、いつでも寝れる人間が規範を牽引すれば新しいニーズや新しい才能が開花するしろを創っていくのじゃないだろうか。神経質に教育も政治も経済もIT・クラウド・ロジカルシンキングで何かを創造しているようで、実は隣人と同じことをして満足しているだけ。いや、SNSなど隣人と同じことをしなければ「いいね!」に繋がらないからせっせせっせと餌を巣に持ちかえっているループ。働きアリにはSNSはなんとも心地良いプログラム。その規範から倫理からモラルから飛び出すこともせず、日陰でギターを弾いているキリギリスを黙認してはいないだろうか。実は飛び出したいのに・・・。

 で、遊ぶとは?食べるとは?寝るとは?どういうことなのか。これも設計図を間違えると蟻になるし、独自の世界観や感覚があればキリギリスになれる。「遊び方、食べ方、寝むり方」の書籍でも書こうかな。限りなくネタはありそうだし、エリートには書けないだろうし、意外とのびしろあるかもね・・・。