ものづくりからその先へ。

 「戦争から帰ってきた男たちが鉄鋼や自動車などの工場で働き、家、車、家電を持ち中流生活を送る。そんな古き良き日々が過ぎ、新興勢力の追い上げでは難しくなってきた現代。まじめに働けば報われる、いわゆる「清く、正しく、美しく」だけでは成立しなくなった社会構造。教師は教育の現場に一定のマニュアルとチュートリアルを用意しそれを予習・復習していればよかった時代が変化している。それでも僕らはこの町でステレオタイプに生きるのか・・・」とよく古い歌のテーマになっていた。

 雇用の担い手として期待されているのは、ものづくり職人よりも、発想とセンスに頼る知識労働や、会話と気遣いがキモの接客・サービスといった分野。身だしなみに気を遣い、若者がお笑い番組を手本に場を和ませる技術を磨くのも変化の一片だろう。寡黙でまじめだが気配りや人づきあいが苦手な人には何とも馴染みにくい時代なのかもしれない。そうした雇用の側面が今後の日本経済や文化・教育の現場をどう変えていくのだろう。そして、ビジネスの形態は現実社会から仮想社会を交錯しながら、多様な価値が一進一退で加速し失速する。そのストレスを受け止めながら、逆にそれらを振り回すような室伏レベルの筋力と瞬発力が必要になってくるのだろう。知力という筋肉を持っているのか?と問われているような気がする。

 「ブレインワーク」という言葉もその構造を変えざるを得ないだろう。知識労働という言葉が闊歩し「考える」や「感じる」や「思う」ことがビジネスの鉱脈になる時代。ハード・ソフト論の究極の摩擦の末、最後に残るフォルムはどんなカタチだろう。そして、研磨された破片はどこに集まるのだろう。結局、人間は地球上のあらゆる鉱石を掘りだし、利用した後、それらが全て炭素に変えっているだけなのだ。炭素に戻らない化合物はどうするのか?という議論に帰着するような気がする。歴史から学ばない人間が枯れ木に花を咲かせることを夢見てただけ。さてさて、次、ポチはどこを掘れとワンと鳴く・・・みたいな。

 ものづくりからその先へ人間は進化しているのか退化しているのか?このテーマなら「宇宙兄弟」以上の「ナルト」以上の「ワンピース」以上の「銀魂」以上!?の物語が創れるかもしれないぞ。