暑中お見舞い。

 連日の猛暑、日本各地で「観測史上」という語彙が目につく。ほとんど体温にすれば微熱程度の気温ってどうよ。昨日は熱中症で200名近い人が病院に行かれたそうである。だから、この数十倍の人が暑さで体調を崩しているということになりそう。水分と塩分をしっかり摂取して身体をクールダウンしましょう的なアドバイスがニュースになるぐらい。いやいやガチで暑い夏です。しかし、節電モードはまだまだ有効でクーラーの設定温度や家電を使用しない暑さ対策がいろいろ注目されているようです。

 意外に身近なモノをちょっと工夫するだけで・・・とか、昔ながらのアイテムが適正に暑さを回避して体調を管理してくれるベターなアイテムになることなど、何も最先端の家電や電気製品を使用せずともこの酷暑さえしのぐことはできるのである。関西電力の3ヶ月の赤字が何百億あるのか知らないが、なんでもかんでも電気ありきではないということ。電力会社は文化や経済と密接な関連性や相関性があるのだから、もう、それなしに現代の暮らしは成立しない。今更、退化して質素な暮らしを・・・などとリバースはできないが現実。ネットやクラウドもしかりでもうあるチップスを便利で有益だと知覚してしまった人間はそれを簡単に手放す勇気がないということ。固執なのか依存なのか?

 また、ボランティアという思考にも実は中毒性が潜む。この魔法の言葉に弱い人達は自分自身がボランティア活動をしている。つまり、無償で何か自分の能力を社会に対して提供していることに泥酔している。これはとても気持ちのいいことのようだから中毒になるのだろう。ふと我に還って「なんで私、こんな一円一銭にもならないことを苦労して時間を捻出して取り組んでいるんだ!」となってももう遅い。そこから気持ちを切り替えてこの取り組みへの自分自身のモチベーションをシフトチェンジすることもリセットすることもできない。これがいわゆる「ボランティアのマジック」。ただただ、社会に対して自分自身に対しての「中途半端な大義名分」のために自分の時間を浪費する。つまり、ボランティアには大切な判断を誤らせ、自分自信の実は大切なモノやコトを削っていることでリアリティーを感じるドラッグなのである。共同活動、共有意識について「清く、正しく、美しく。」大好き日本人はこれのとりこ。気がつけば、無償奉仕の意義と履き違えホントの生産活動・創造活動ができなくなるのである。無償で拘束力のない団体は依存を義務を簡単に履き違える。見事に履き違えている事が逆に正論だと権利のように捉えてジレンマに陥り不協和音を創造性と勘違いしどこでも誰でもできることをいかにも独自の活動のように捉えているが、それは、視野や情報量が微弱なだけ。視野を広めれば、ちょっと冷静に捉えれば、そんな無駄なことは続かないと知るべき。いややい、無能な人ほど、自分自身の中にモチベーションを持たない人ほどこのマジックに依存してしまうんですね。怖い怖い。

 いやいや、暑い日が続きますので、心も身体も適正に健康にいたいもの。失っても補えるモノはいいが、失っても補えないモノもあるので、ここらへんを適正にジャッジしていきたいですね。「これはちょっとどこかおかしい?」と感じたら、一旦、クールダウンするべきですね、何事も。暑い暑い。