2012年08月 アーカイブ

お二人とも・・・。

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 あまり詳しくをチェックしていなかったので、著者の説明文ではじめて「ハーモニー」の著者 伊藤計劃さんは他界されていたことを知る。2009年没と。ラーソンももうこの世にはおられないと・・・。どうして、こうチェックしている書籍に限り著者がすでに他界しているのか。最近気になる書籍で購入した書籍が4連続このパターン。それも最近。何か引き寄せられるように渾身の遺作を手にしているということか。どことなく法則があるようで怖い、というか、いいチョイスができているような気がしている。

 結果かもしれないが、それほど作品に人生をかけた・・・ということになるのだろう。才気あふれる人が人生の渾身の仕事をこの世に残すって、あこがれますね。残ったからありきではなく、絶対に、渾身加減はこれらの作品の中にガッツリ練り込まれているんだ。そんな書籍が手の中にあるというこの至福な感じはネットのテキストデータには含有できないリアリティー。これは紙だから成立する世界。iPadやスマホでスティーグの作品は絶対に読みたくないから。

 さて、「ハーモニー」からのリスベットの復活と。この秋はちょっと楽しくなりそうである。

火と戯れる女からの・・・。

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 さてさて次はこれです。ミレニアム3「眠れる女と円卓の騎士」。ステーグ・ラーソンがこの第3部で何を完結させたのかいやいや楽しみです。しばし「火と戯れる女」の余韻を楽しみつつここは一気に読み切りたいと考えています。ということは次は「ミレニアム1・2・3」のDVDをどうするか?ですが、やはり、リメイクは待てないかもしれない。

 と、その前にちょっと気になっている小説がある。それは、「ハーモニー」。ほんまか?というキャッチフレーズに負けて読んだ本にかなり裏切られてきたから、気になっているがどうしようかな?と。でも、まぁ、気になっている状態がかれこれ長期間あるわけで、一回だけこの著者にダイブしてもいいかなと思っています。そして、このダイブの結果が出たら、この1冊をはさんでの「眠れる女と円卓の騎士」かなと、そろそろ涼しくなる秋の夜長にいくつか書籍を仕込みたいと思っています。

 例えばビジネス啓蒙書で言えば「特定の人としかうまく付き合えないのは、結局、あなたの心が冷めているからだ」という書籍は相当気になっているし、以前にブログでチョイスした「読書」の本も気になている。そして、ある作品のリサーチ関連で、ここ20年の中国国内の歴史についての資料をまず図書館で探そうと思っている。そして、同じく資料としてゲーム産業の大まかな流れについても。そして、中国武術の歴史。このあたりが今優先して気になっている。

 ネットでこれらの情報収集のアウトランは完結するだろうが、ネットの情報は膨大だが偏っている。膨大過ぎてそれを精査するアプリが必要だがそんな便利なアプリはない。世の中、ビックデータをどう解析・分析するかに一喜一憂しているし、教育現場では勉強はやめて「五感教育」という言葉に価値を見出そうとしている雰囲気が見受けられる。万象をストレス視して抑えることだけを目的に処方箋が飛び交っているが、なぜ、ストレス=悪いとするのだろう。まぁ、これも慣習だから仕方ないが、ニートが60万人、今現在も人員削減の数値は上がっているだろう。新聞やメディアに登場する数字は恐らくかいつまんだ数値だから、15歳から34歳がニート対象とするとそれ以上のニート状態の人を入れれば、そして、実数は300万人という情報がある。毎年数十万人が自殺をして、正規の仕事を得られない人が増えている。さてさて、この国はどうなる?危機感はストレスではない。別段、仕事はなくとも生命は維持できるが、まだ、日本ではそれは通用しない。勤労感謝の国だから、国家予算を浪費しても仕事を作るだろう。と、ラーソンの小説を読み終えると社会に対して言葉の感覚のエッジが立ってしまう。

 と同時に、マルボロが吸いたくなる感じと、iBOOKが欲しくなる。誠に不思議な作品です。

同じ同じ。

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 改めて中国のダムを映像で拝見するが、特に、日本と変わりないようです。日本でも釣り場の規模や水の性質が異なることでいろいろ釣りに変化が出るわけだから、それは、中国でも同じ。また、比較的中国の方はソフトベイト思考だということ。巻物系ではないらしい。が、これも、日本と同じで、ソフトルアーが好きなタイプとハードが好きな人に分かれるんだろう。魚を出すならソフトルアーで、巻物ありきで魚を出すんだ!という人とは根本的にベクトルが違うような気がするが、それも、一重にバスフィッシングの醍醐味だろう。人に個性があるようにこの釣りにはその個性を尊重し紐解く不思議な仕組みがあるようにさえ感じる。それは、スタイルに現れ釣り方に現れ、そして、バスとの出会い(釣果)のディテールに現れるような。つまり、釣り人の個性が道具や釣り方や戦略に見事に連携・連動するから楽しく。そんな個性的な連中が集まりゲームフィッシングになれば、「釣果=釣り人の綜合的なポテンシャル+luck」という部分がバストーナメントなどにアングラーが魅了される原因・背景だと思います。

 なんと言っても水の上では日本でもアメリカでも中国でもガチですからね。このガチな感じがバスフィッシングの一番の魅力なんだろうな・・・。言葉の壁を超える魅力があるのでしょう。非言語こそが世界と繋がる最適なメソッドなんですね。楽しい楽しい。

「読書」とは何か?

 ショウペンハウエル著の「新訳 読書について」という書籍がある。考える力を養うための知的読書法とは!わかりやすい新訳で読む古典の名著とのこと。「知力と精神力を高める本の読み方」とあるが、さて、どんな感じなのか?書籍、雑誌、新聞、ネット・・・。情報が氾濫する現代社会をどう生きるか。血肉となる書物の付き合い方。というフレーズがどこか新鮮である。特に情報が氾濫していると言われて久しい現代、どう読み解くか紐解くか洞察するか分析するかなど、ありあまる情報に対してどう精査して自分なりの再構築手法が次の一手への相関性を左右すると言われている。どこかの成功事例をコピーするのにも情報の表層だけをすくい取り瞬発力で勝負するのか、じっくり本質を見極め消化してから再構築するのかみたいな、時間軸の意識化が偶然から必然を生み、非言語から有効な言語化へ導けるような気がする。時代は別段、いつもスピードで進んでいるわけで、どれだけ情報が飽和しようが、人間の考え行動する時間軸は今も昔も同じ。しかし、複雑に交錯する有効な情報の蔓が途中で不本意に切れないように仕分けして精査することが大切。それを精査するためのデジタル機器がさらにその交錯を助長することのないように、このような原典を紐解きその基点を明確にすることも大切なのかなと思います。こんがらがってどこに何があるか見失ったが最後、情報の潮流は津波のように大きな大地の震動のまま個体の足元をすくう。そもそも「読書」という行為自体のことを自分自身のそれと比較して時間軸を有効に活用しなければ、クラウドの落雷に打たれることになるでしょうね。気圧の摩擦が落雷を生むように、デジタルの気圧配置図を俯瞰しておきたいものです。

D.ワシントン@デンジャラス・ランと。

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 これは強烈なお話っぽいな。チェックだな。闊達でダーティーで、しかも、論理の軸がぶれていない主人公、日本の映画では皆無だな。カナタを持てばその部分をくみ取ってもられるという安直なアプローチが、ひいては市場をフラット化していないだろうか?何も考えずただ「楽しい」だけのエンタメ。瞬間風速だけを、映画の存在価値を貨幣価値で査定することは大切ですが、あまりにも、右向け右の規律と相関性において長期的なトラップは組み込めなさそう。「売れる映画」が面白くなる方程式はたぶんどこにもないのかもしれない。だから、「面白い」の意味があるのかもしれない。つまり、直感で最後まで走り切るためには表現の条件を見極めて、ワイドとドローとデプスに時間軸をかけてそれが規定できるのかもしれないですね。クリエティブとはほんとに難しい・・・。

アイデアは才能では生まれない!?

 売れるアイデアを生むために、誰でもできる手法がある!とのこと。それは、美崎栄一郎著の「アイデアは才能では生まれない」という書籍の広告のキャッチ。「常識を壊し、全部逆で考える」「問題解決への意識が「ひらめき」のペースをつくる」「経験と知識で「結び目」を見つける」「アイデアをつなげてストーリーをつくる」「情報をつなぎ合わせて「創造的瞬間」を導く」などなど、とても魅力的なフレーズの一端がちりばめられている。なるほどなるほど。ヒット商品のアイデアを世に出した8人の思考法を公開!というテイの書籍です。

 仕事という側面で「ヒット商品」は誰でもどの会社でも出したいと願っているし、ヒット商品が生まれる仕組みというかプロセスの中で「アイデア」という存在がどう機能しているのか?そもそも「アイデア」とはどういう思考のどういう存在のどういう価値のモノなのか?ちょっと、センスと同義のようなこのキーワードの実態は何だろう?また「売れるアイデア」ということになると、相対的な意味において、関係性は近く、しかしながら、その関係性において対極に離れれば離れるほど俯瞰でモノゴトを捉えられ、そこでひらめく何かをアイデアというのかなとも考えるし、「ひらめく」という電光石火な非論理・非言語中枢の落し物に必然性とタイミングを装備できるなら、これは正に平成の錬金術。しかし、錬金とは幻想であるから素敵なのであってという論理の元、全て(118プラス未知の元素達)の元素が「Au」になるわけではないことも知識として正解。
 
 だから、そのことは周知の想定内として、それでも、人間は「アイデアは才能では生まれない」と規定されれば、興味を持つのが自然。この摂理をマーケッティングして出された書籍が現代の社会構造の中での物理定数として「増版」になっているリアルが価値感の原器の単位を担う。それは分かっている上で、やはり、人間は「C」を「Au」に変えたいという本能を持っている。

 で、「才能」がハードかソフトかという考察と、「アイデアが生まれる」という部分のそもそも「生まれる」という表現でいいのか?という提起がさらにこの書籍への興味を駆り立てる。

プロメテウスの仕掛け。

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 リドリースコット監督の最新作「プロメテウス」。賛否両論あるようですが、それでも、テーマはいいし、映像も間違いないはず。本格的なSFであることも間違いないが、それでも賛否両論あるらしい。映画とはそういうモノなんでしょうが、「人間はどこから来た・・・」というテーマでイマジネーションを膨らませる人が日本の中の映画を観る人の中で何人いるのだろう?と考えてしまう。映画って多様だから面白いのでありその多様性が魅力ではあるが、作り込み過ぎ絞り込んだテーマならではの孤立感という作品の臭いもしなくはない。楽しみな映画ではあるが、「エイリアン」を超えることはないだろうな。

「ボーン・レガシー」楽しみ。

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 M.デイモンの3部作の続編となる「レガシー」。さてさせて、主役が代わり普通のスパイ映画になるのか、ノートンが異才を発揮してくれるのか・・・ちょっと楽しみです。原作は書店で一回二回手にしたが、マット・デイモンはもう出ないということで読んでいない。期待値的には35/100ぐらいかな。

 続編で言えば、「ミレニアム 火と戯れる女」はどうなっているのだろう???現在、上が終わったところ、いよいよ盛り上がってくる感じです。これがハリウッドで映画になったら・・・うん、いいだろうな。

 ちまたは「るろうに剣心」のテイですが、まぁ、特筆するものはない。「アベンジャーズ」もスルーでいいだろう。でも、「ボーン・レガシー」は楽しみです。

イカロック、リクツヌキ。

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 初めてイカロックの会場にお邪魔した。夕方の2部からだったので、暑い感じはもう過ぎたのかなとちょっと心配して会場に入る。ちょっと前にはるな愛が出ていたらしいがそれはまぁどうでもいい。で、今井エリコさんが登場。にわかに人が集まる。が、それもたいしたことはない。その後、MCの人が「サプライズゲストです!」と紹介された3名。ビックネームには間違いないが、ステージは特筆するようなクオリティーではない。あれれれ!イカロックってこんな感じ?すると、イキのいい4名が出てきた出てきた。MCを聞いているとどうやら長浜在住のバンドさん達。で、イカロックは初登場。この「オーシャン・アベニュー」でスイッチオン!

 いやいや、私はやはりロックが好きなんだなぁ~と思ってしまった。ロールは要らないんですね。ロックがいい。元気のいいエネルギーを感じると自分の中の理屈がどこかに吹き飛ぶ。48歳のおっさんなんだからもっと大人の音楽に親しめばいいのだろうが、やはり、ロックが好き。

 ギターの方が「ナンバー1とオンリー1」について語っていたが結論は出ない。うん、その迷っている感じ、それが一番の正解だと思いますし、その自然で純粋でストレートな感じとても共感しましたね。言葉を選ばなくともあなた達のステージは間違いなくONLY1であり、NO.1でしたよ。素晴らしいGOOD JOB!

 いいひとときを過ごせた。もっともっとこんなロックのステージを観たいものですね。やっぱ、雰囲気出してます的なテイや理屈ありき蘊蓄ありきの音楽はメンドクサイ。いいものはいつでもどこでもリクツヌキ。

この絵ヂカラ。

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 この絵ヂカラは強いなぁ~。

本町船場の夕景。

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 なんとも大阪チックな場所である。暑いこの大阪本町の雰囲気はなんとも独特である。日頃、琵琶湖湖畔で生活しているとこのような都会の比較的ベタな場所に立つと圧迫されるような空気を通り越してなんとも懐かしい感覚になりますね。大阪で暮らしていた時も比較的市内ではなく、南河内や吹田だったので、この臭いは仕事でタイミングの記憶なんだろう。もしくは学生の頃のバイトの記憶が繋がり懐かしさになるのかもしれない。蒸し暑い大阪、しかも、ホコリっぽい臭い感じ。嫌いではないが、これまた雰囲気のある茶店に入るとさらに懐かしい感じになりましたね。なんか「TEH大阪!」みたいな。

報酬1億円!?

 ヤフーが技術者を対象に新しい処遇制度を導入したらしい。専門性に優れ技術伝承の役割を担う人材を「黒帯」と認定する資格制度のほか、最高経営責任者(CEO)並みの年収1億円超もありうる報酬制度を導入する。ソーシャルゲームの台頭などで新事業開発を担う人材獲得競争が激しくなるか、処遇を手厚くし、有能な技術者の確保をはかるのだそうだ。社内の2000人の技術者に向けて「黒帯」と呼ぶ資格制度を新設。メールシステムやネットワークなど分野ごとに専門性に優れた4人を認定した。一時金として一人あたり50万円を支給。1年の任期制で3ヶ月毎に選抜する。「黒帯」の保有者には技術の伝承や人材育成で指導的な役割を果たしてもらうとのこと。さらに、「プロフェッショナル職」という専門職を設け、従来は職務経験が長くなると管理職になるしかなかったが、技術者らに専門職コースを提供し、能力と成果に応じた待遇を充実させる方向らしい。報酬面では基本給や一時金を従来よりも個人の能力や成果、業績に密接に連動させる。「社長を上回る1億円超の報酬もありうる」というヤフーの社長のコメント。

 いやいや、それほトップクラスの技術と経験値を持っているIT人材は価値があるということなのだろう。しかし、年功序列だった組織の仕組みが若年・熟年に限らず実力で報酬や待遇が決まる会社組織になってきているのですね。実力のある人材はあのヤフーでさえ、社長の存在価値を貨幣価値で超えてしまうのですね。いやはや、IT技術と経験値は現代の錬金術のようです。「黒帯」を目指すという組織の目標も明確になるわけだから、モチベーションも明確。国内にとどまらず海外に優秀なブレインが流出してもIT技術なら報酬と待遇で繋ぎとめることができるという仕組み。正にIT時代なのだなぁと痛感してしまいます。

ケータイ化!?

 「ケータイ化する日本語」という書籍がある。佐藤健二著。その広告文には「本書のタイトルから連想されるような「ケータイのせいで最近の若者の言葉づかいが乱れている」などというお説教を垂れる本ではない。そもそもケータイの話は後半で出ていくるのだが、それまでは「ことばとは何か」「電話で話すとはどういうことか」といった原理的な話題が、生理学や哲学、歴史学の知見を参照しながら述べられている。なぜそのような回りくどい説明をしなければならないか。人によってはもう意識すらしないのかもしれないが、実はメディアを通して人と話すという行為は、非常に不自然なものだ。例えば留守番電話で「メッセージを残してください」と言われても何を話していいかとっさには分からずまごまごした経験が、誰でもあるのではないか。あるいは、親元を離れて一人で暮らしはじめた時、ずっと一緒で暮らしていた親からの電話に、なぜか戸惑いを覚えた経験はないだろうか。著者は「ことば」と「ケータイ」の間のぎこちない関係の先に見出すのは、私達は、そのようなことばを用いて公共的な社会を築くことができるのだろうか、という問いだ。確かに、今では高齢者でもケータイのメール機能を使いこなしている人は珍しくないし、スカイプのビデオチャットで孫の顔を見るのが楽しみという人もいる。だが一方で、ケータイの画面の向こうに広がるネットの「ことば」によって傷つけられたり、デマに踊らされたりする人がいるのも事実だ。ことばの重みは、目の前にいる人の発したものであるかないかということは、無関係のものになりつつある。」と綴っている。

 う~ん、ケータイと言葉の関係か。その前に、もっと、つきつめなければいけない問題点があるように思えるが、ケータイの問題はその葉の部分だろう。幹や根の方が、いや、大地に目を向けると、もっともっと、深刻な問題があるはず。しかし、それを適正に隠ぺいすることも大切。実はそれをメディアと呼んでいるとかいないとか・・・の部分が一番興味がある。

置かれた場所が必然なのか!?

 「境遇を選ぶことはできないが、生き方は選ぶことができる。「置かれた場所で咲きなさい」という渡辺和子著。苦しいからこそ、もうちょっと生きてみる 置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです。」とこの書籍の広告文は締めている。この「置かれた場所」の定義は難しい。境遇という言葉をどう理解すればいいのか?生き方を選ぶということは具体的にどういうことなのか?概念の中で仮説と仮定を組み上げて崩すトライは何パターンもできそうだが、さて、人間は生命を維持するために飯を喰わねばならないし、家族がいれば養うために稼ぐ必要がある。消費税が10%になったからと言って、次次に原子力発電所が再起動するからと言って、机の上でおままごとをしているハリボテ野郎達が国を仮に動かしているとしても、さて、その上で、自分自身の生き方とは?みたいな真理。この書籍がバイブルテイストなのはこの著者のポテンシャルを鑑みれば分からなくないが、こんな時代だからこそ心の拠り所としての宗教というアプローチはきな臭い臭くないではなく、絶対数が求めている限り真理に近いと捉えて間違いではないように思えた。

 さて、「置かれた場所」か?現在の持ち駒は何だろう?自分の引き出しとは何だろう?この書籍を読んだ人達は皆そのことを考え、現在の立ち位置を再確認するのだろうか。結果、この出版社は書籍が売れればいいのだろうし、この書籍の価格が1,000円だから、このテイの内容だったら、50万部のニーズがあったということがリアルな部分。では、この5億の市場のネクスト・イノベーションは何だろう?現在進行形で捉えるならこの書籍・コンテンツで現在の立ち位置が見えたまではいいが、次に自分自身を鼓舞して奮い立たせるためのモチベーションはどこにある?つまり、そこのループが滞っているから、5億のニーズが設定できるのだろう。さてさて、この5億のニーズは大きいのか小さいのか。この著者はこのコンテンツで何を失って何を得たのか?そして、「置かれた場所」が見えた人達は今?何事も悲観的に捉えればキリがないし、楽観的に捉えることもままならない。ちょうどいいフィーリングは重心が緩い。止まっていると筋肉は乳酸を生むが適度な運動は筋肉を活性化させる。つまり、ブレインワークも同じことが言えるのだろう。「動き続けること」これが実のところ「置かれた場所」の真骨頂(必然)のような気がする。

アニメ文化。

 こんな洞察があるブログで展開されていた。

 「ディズニー帝国の衰退 ウォルト・ディズニーは、アメリカの現在のアニメーションの基盤を作った人物である。(日本で言えば漫画の神様、手塚治虫というところだろうか)実際は、ウォルト・ディズニー自体は、ミッキーマウスの絵も満足に描けなかったそうで、その仕事ぶりはいわばプロデュースや総監督という役割に近かったのかもしれないが、生前・死後もディズニースタジオのアニメ作品が、長い間一貫して同じ思想のもと黙々と職人たちによる「ミュージカル寓話」が作られ続けてきたのは、彼の功績と威光に他ならない。自分は日本人として、アメリカのアニメーターには想像力が欠如しているなどと思い込んでいた(実際には違う)。「技術的には芸術性は極めて高いのに、肝心のお話が頭から終わりまで常に一本調子」ということや「キャラクターにリアリティを感じないため」ということが原因である。日本のアニメが好きな人はそう思う人も多いかもしれない。だからこそ、日本人は自国のクオリティの高いアニメーションを見て現在のアニメ文化ができるまでになった。
 なぜ、アメリカのアニメ文化が停滞してしまったか? アメリカのアニメーション全体が、長い間ウォルトディズニー調になってしまった原因としては独占的にディズニーがアニメ映画を制作してきた事がまずある。そして、アメリカのアニメーションとは、所謂カートゥーン(子供が見るためのアニメ)のことだったので表現を限定されてしまった。(「バイオレンス表現を禁ず」など、伝統の方針があったりする)そして、90年代初頭ごろにはディズニーのアニメーションは、目の肥えた人にとって「相変わらずクオリティの高いなめらかな動き」という1点のみでしか評価を保てなくなったように思う。」非常に素晴らしい分析である。これら分析の中にアニメ文化の真価が見て取れるような気がする。

 つまり、「求めている人と創っている人の距離の違い」なのだろう。一世を風靡するとネームバリューが自然発生してそれが逆に谷を作る結果になる。初めは一つの山の出来事だったのに、いつか別の高い山になる。そして、二つの山の間に深い谷ができる。創っている人と描いている人が、「アニメ作品本来のドキドキワクワク」を優先しなくなったことで、谷ができるのだろう。

 いつまでも、創る人であり描く人であるなら、頭で正解を考えながらも、ドキドキワクワクする心を失ってはいけませんよという基礎の鉄板ルールなのだろう。それが今、日本の作品群が世界に波及している理由なのだろう。うん、これほど強いコンテンツはないわけである。ワクワクドキドキは万国共通の言語なのである。言葉の壁を超えるために最も失ってはいけないモノが「ワクワク」と「ドキドキ」なのだろう。

希少価値の価値とは?

 「希少価値」という価値があるが、圧倒的に品数が少ない限定商品やレアでプレミアな商品。高価ではないが原材料や作成する技術の問題で商品の絶対数が少ないモノである。大量生産=ものづくりで活気を帯びていた日本が今人件費や経済の仕組みで大量消費型からニッチへ。そして、狭いストライクゾーンを探す時代に変容している。大量生産能力にかける費用(疲労)対効果のシステムが飽和して人件費が余剰しているのだろう。もう猫の手は要らないということがリストラ問題やニートや就活問題に及んでいるのかもしれない。市場が活性化しないかぎり・・・と言葉にすれば簡単なことのように思えるが、そもそも本当に潤滑な市場だったのか?という疑問がある。高齢化や少子化など適当な傾向と対策でお茶を濁していればメデァイとして成立している時代から、もう一歩も二歩も踏み込んでいかなければいけない時代になったような。もしくは、そんなに無駄無理にテンションを上げずに、2・3歩引いて構え、楽観的に今をエンジョイした方がもしや生産的なのかもしれない。清く正しく美しくを教科書通りに勤労・勤勉が正解だった価値感が薄れ、その裏に隠れていたもっとシンプルでダイナミックでダーティーな動機付けが人間のエネルギーになっていくような逞しい時代。

 で、最後の最後で何が必要か?恐らく、強靭な精神力でも論理的なブレインでも地位でも名声でも資産でもないだろう。「動きのいい健康な身体」があれば、アトムになれるはず。

バヤイ・・・。

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 イヤイヤ、ガチデ、バヤイバヤイ・・・。

中国について。

 中国の文化や歴史、生活スタイルについてリサーチしているが、改めて、その大きさに驚いている。それに言語についても生活様式についてもどこか日本のルーツを感じることもあり、ひとつひとつがとても刺激的である。中国史について論文を書くわけではないので、徹底的なリサーチではなく表面的なリサーチになってしまうだろうが、やはり、ひとつの作品を創るために必要なアプローチである。で、まずは、中国語ということになるが、これまた、なかなか刺激的である。いろいろ日本のメディアでは中国に対していろいろな側面を切り取っているが、さてさて、その中のどの部分をチョイスすればいいのか・・・。結局、インターネットでも書籍でもメディアでも誰かの意志を介して得た情報だから、色がついてる。無色透明な中国の色を感じたいと思えば、行って暮らす必要がある。さてさて、この部分をどうするか?ちょっとガチで中国の今や基本的な歴史や経済観念について知りたいと思っているが、どこをどうリサーチしていいものか?いいアプローチの方法を知っている人がいたら教えてください。って、これではダメなんだろう。自分で動くということが大切なのでしょう。集中して中国のディテールを集めよう。

リアルスティール。

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 ちょっと最近、「ドラゴンタトゥー~」を観てしまってから、最新の映画をチェックする気持ちが沈んでいた。ドラゴン~に圧倒されたからなのですが、でもでも、やはり、これはチェックしたいなぁ~と「リアルスティール」を観た。う~ん、安心する以上にいい感じの興奮があった。それに、近未来の設定なのでしょうが、またまた、人間臭い感じが最高。H.ジャックマンの無骨な父親がまたいい。そして、息子のキャラがまたいい。そんでそんでアトムである。なかなか、いろいろな意味で完璧という映画は少ないが、これは安心して映画の物語に120%感情移入できる作品でした。まぁ、アベンジャーズ的なノリはそれはそれでよし。日本映画も韓国映画も特筆するものはなし。だから、このタイミングでリアルスティールに手がのびるというもの。これはひとつ手元にDVDを置いておきたい作品でしたね。
 たかが「ロボットボクシング映画」、されど「ロボットボクシング映画」なのである。人間より人間臭いロボット。ロボットよりもロボットチックな人間の対比がまた痺れました。

宇宙人ポール。

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 こんなタッチがあったのか!この路線がこの展開でこのディテールはドギモレベルです。しかしながら、ポールのキャラはこれまでにない宇宙人のイメージをここまで細かく描写するか・・・という、いやはやなんとも素敵過ぎる映画でしたね。逆にETという映画、未知との遭遇という映画の路線を根底から・・・というタッチ。最近では、プロメティウス的なアプローチもあるが、人間臭い宇宙人というテイではなく、そもそも人間臭いって人間のルーツを考えれば、実は宇宙にその軸足を持って行くと・・・みたいなことさえSFチックに想像・想定してしまうぐらい、テンポがいい。小気味のいい映画、しかし、テーマは宇宙レベルみたいなとても素敵な映画でした。

いい感じいい感じ。

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 今回は5名のチームでの富士山アタック。雨もまだ降ってはいない。早朝の段階で人も少なく、なかなかのいい感じでした。2回目で股関節痛になったため、この1年間、とにかく股関節と体幹をトレーニングしてきた、階段2段飛ばしも習慣づけてきたから、身体は万全。チームの皆さんも確実な一歩一歩がとても逞しい。結果、山頂へは山頂の落雷警報とスコールの予報が的中したため途中で下山となってしまったが、9.5合目までは制覇しました。山頂の灰色の雲の塊の中に2本の稲妻を確認して下山。うんうん、3回目にしてなかなかのクライマーな判断が出来たと実感しています。これが山ですからね。これが自然ですからね。自分勝手な我を通して落雷を頂戴するわけにはいかない。下山途中は最後の最後まで4.5時間、豪雨と落雷の中を滑らないように下山。チーム全員ケガなく下山できたこと、これが何よりの満足満足。これで逆に来年のアタックがさらに気合いが入るというもの。なかなか、富士山の落雷とスコールは厳しかったですが、ひとつ大きな経験値になったことは間違いない。とても収穫の多い3回目の富士山アタックでした。皆さん、お疲れさまでした!

富士山の五合目にて。

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 自分自身3回目の富士山アタック。早朝の五合目はなかなかのリアル。1回目、2回目が好天だっただけに今回の雨模様は初の状況。ちょっと肌寒い感じでした。やはり、ここに立つといろいろな身体の中のスイッチがオンになる。ここでしかオンにならないスイッチが入る感覚、これが、たまりません。

優勝はいい。

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 やっぱ、優勝はいいものです。

NEW COOLPIXです。

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 1台目のCOOLPIXが壊れてからどうもブログの写真点数が減っていたが、やっと、2代目のCOOLPIXを購入しました。これが、防水で耐久性もいいし、容量もかなりかなり。雨でも水中でも大丈夫というアクティブな2台目です。で、それでケースを撮影。これは機動力がありそうです。

ノマド・ワーキング。

 「東日本大震災以降、在宅勤務やオフィス以外の場所で働くことを認める/今後認める予定の企業が増えている。「ノマド・ワーキング」という言葉も広く認知されているようだ。しかし、在宅/ノマド・ワーキングを実践するには、それなりの環境が必要である。本企画では、「大規模な初期投資を行わなくても安全で快適な在宅/ノマド・ワーキング環境」構築のハウツーを紹介する。会社も社員もハッピーになる環境を、ぜひ手に入れてほしい。」という形態もあるらしい。つまり、ブレインワークやクリエティブな仕事はこれでPCやネットを活用してできるだろう。しかし、これにはやはり必要不可欠なスキルと経験値とコミュニケーション能力が必要になってくるだろう。海外との仕事を視野に入れるなら、言語能力や他の慣習・文化をリサーチしておく必要がある。市場がノマド化しているというこはいいことだが、草原でのサバイバル、やはり、相当のポテンシャルと覚悟が必要だということ。しかし、仕事とはそもそもそんなテイなのかもしれないし、組織化や大企業化したことで、スルーしていた大切なことへ回帰しながら、進化を求められているのだろう。仕入れて売るみたいなことの仕組みの限界点を破る挑戦をできるか否か。

センスとは?

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 センスのない人間は最初から(当然のように)センスなどなくとも努力して一生懸命頑張ればなんとかなるだろうと開き直ることからモノゴトにアプローチする。圧倒的なセンスとは何かもスルーしてそんなの必要ないじゃん!何かと何かを組み合わせてそこそこ感でその場をしのげばそれで成立するってことになるだろう…的にモノゴトを処理してしまう傾向あり。そんなことを繰り返して、一歩でも二歩でもセンスという真髄に近づけたのか?と自問するが、そうではないことばかり。ことごく・・・なのである。センスのない人間は「センス」ってなんだと頭で考えて、頭で出した答で納得しているからセンスの芯から遠ざかる。これはとてもストレス。空間認知能力にしてもいわゆるセンスみたいな部分が大きく影響しているらしく、サッカーの試合なども一瞬でメンバーの位置とそれぞれの動きを正確に予想してゲームを組み立てているらしい。音楽もクリエティブも恐らく同じで、センスのあるモノゴトが見えている人は一瞬で結論を出している。固執しなければならないのは、努力でなんとかなると頭で考えている人達。まぁ、世の中的に会議の好きな人間達。結論が自分で出せないから予定調和が欲しいだけ。しかし、世の中これも現実としてセンスのない人の方が圧倒的に多い。頭で過去の事例やどこかのムーブメントをコピーして茶番で納得できる人達なのである。しかし、これは決して悪いことではない。センスがないのだから、何かの目標設定をした時に、努力や猫の手数で目標に向かうことをしなければ、何事も起動しなからである。しかし、判断は一瞬で決まっている。あとは言わば惰性なのである。どこまで息が続くのかな?と溺れるギリギリまでの調整期間にあてているだけ。そして、溺れそうになりレッドカードで退場する時に、リスクを回避するから、傷跡にならない。これが見えている人の瞬間瞬間の判断。すべて想定しておける強さがあるということ。

 逆に想定外に右往左往していることが試行錯誤だと勘違いしないように、まして、「努力」だなどと勘違いしないように、判断は一瞬で決めたい。というか、その思考の段階でもう結論は出ている。あとは、井戸端会議に参加する根気があるかないか。まぁ、そんなことは改めて特筆する必要もないのだが、この二人はいいですね。言わば、今、一番いいとも感じている。もう、何がいいとかこれがいいとかを突き抜けているからいいのである。

 センスとはそういうモノ。非言語で考える訓練は壁をすり抜けた瞬間、ニューロンに書き込まれると書き込まれないとか・・・。心理学とか何とか検定とかまちづくりとか言い出した段階で、実は終わっている。あとは延命でたった一つの成果である「長寿」を目指すのみの構図。これは、楽しいか?

 自分の中から発信されるシグナルをステレオタイプな論理で封印しようとしても、いつか九尾は出てくるのである。それが戦争と平和の相関性。

いよいよ出るか!

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 楽しみです。いつもいつもテーマがいい。時代を切り開く感じ。時代を象徴させる作品を創ってこそアーティスト。売れる売れないは勿論大切。でも、受け入れられる作品、心に残る届く作品って、そうないですよね。楽しみ楽しみ。

商店街が何故滅びるのか?

 という若手社会学者が商店街の誕生から繁栄、衰退に至る経緯を豊富なデータとともに解説している書籍がある。商店街が20世紀初頭から始まった都市化の流れの中で誕生したという見方は新鮮。零細な商店街の集積である商店街が「よき地域づくり」のために発明された近代的な人工物であるという視点で紐解かれているらしい。それがなぜ今日のような姿になったのか。戦後の社会の工業化から都市部での自営形態の増加、そして、小規模であったことが家族経営であったがための経営力の近代化を遅らせたとしている。一般的に商店街が衰退したのは出店規制が緩和され郊外に大手のスーパーなどが進出したからだとされる分析が多いが、実は、商店街が既得損益を追求して政治団体化し、一般市民に理解されなくなったことが原因であると指摘している。う~ん、なるほどなるほど。

 で、再生の道はあるのか?となるが、高齢化が進む中で地域の拠点となる消費空間は必要だとしても地域社会が土地を管理する新規参入を促すことを提案する流れになっている。やる気や才覚が商売の原点であることを回帰すれば何が必要かフォーカスできる。結局、村文化のいい面と悪い面が走馬灯のように駆け抜けたということだろう。社会のニーズが捉えられなくなった場所で昔ながらの取り組みを高齢化したブレーンが何をどうしても前に進むはずがない。それで前に進めるほど現代は単純ではないということだろう。結局のところ、大手も商店街もそれに携わる運営者のポテンシャル。小さい国の小さい文化を尊重するか再構築するかという分岐点があったはず。それを黙認したことが現状に繋がっている。つまり、原因があるから結果がとなって表出しているのだろう。

 理想論を語り過ぎ、古き良き時代の清く正しく美し過ぎる達成感や成功体験に依存しているからそうなるのである。変容を受け入れ、ポテンシャルを見極めろ!とこの著者は言っているような気がする。

ロンドンオリンピック。

 私自身、最も注目し期待してた福島千里選手が11.41で予選5位になった瞬間、なんとなく、今回のロンドンオリンピックが終わったような気した。悔しそうな福島選手のインタビューを見て、ちょっと、目じりに溜まった涙をみてもろくも涙してしまった。いつもほんわかしている明るい福島選手のその表情はなんとも感傷的になってしまった。次に控える200とリレーを頑張って欲しい。

 しかし、今回のロンドンオリンピックはいろいろな競技で、本来、お家芸とかなんとかメディアが勝手にいって盛り上がっている競技意外でもメダルラッシュが連発しているような中盤戦の印象である。特に女子のバトミントンやアーチェリーなど意外なと言ったら失礼千万ですが、いずれもメダルを獲得された。そして、男子サッカーのベスト4はなんだ!やるじゃんJPN!!! この4年間を振り返ると、日本はいろいろなことがあった。それをひとりひとりの選手が自分のことと受け止め、この華やかな世界の舞台で自分達がメダルを獲得することでこの失速している日本に元気を!という気持ちが少なからずあったから・・・かもしれないと思うだけで、勝ったシーン、負けたシーン、どのシーンを見ていても涙が出てくる。あれ?これはおっさんになり涙腺が緩くなったのか!?いやいや、スポーツという純粋な競技の美しさと裏表のない純度の高い世界レベルの人達の躍動が心を動かしているのだと感じたからだろう。

 坂本龍一さんが言った「言葉巧みな人達」は何をしている?内村君が華麗な演技を見せることで、国民の心が揺れ動き、永井選手のゴールを見て子ども達がこぶしを突き上げている。もしかして、言葉巧みな人達はこの国に必要ないんじゃないか!意義のあることなのか、悪いことなのか、定義は言葉巧みに自己完結すればいいが、それで国には本当に前に進むのか?というお話。そのバッチを全員福島の海に捨てて、その頭脳明晰な頭でどこか別の国でSNSでもでもつぶやいていればいい。国をどうにかするなどと言語道断。貴方達にはちょっと現在の日本の問題は荷が重すぎる。モノヅクリモノヅクリと言いたいのなら、貴方達がいなくても国の予算が適正に機能するソフトを作って貴方達の会議や活動費用を削減すれば、別の意義のあるのびしろのある予算の使い方ができるんじゃない。わざと閉塞感を演出しているとしたらそりゃ八百万の神から鉄槌が下るぞ。管理している人、会議で日本の未来を決めている人、もっともっと、現場で汗を出している人の声を聞く能力も開花してほしいですね。って、それが無理だからこうなっている訳で、やっぱ、要らないですね、貴方たちは。余計な鎧をまとい過ぎなんでしょうね。論理の武装がタテホコになり、新しい価値感の創出に対して慢性的なアレルギーが出てるんですね。早く、治癒して動ける考えられる身体になってください。言語ではなく、行動で示してほしいものですね。内村君のように・・・。

 さらに、終盤に向け、私は、福島選手の200とリレーを応援したい。

美しい琵琶湖の日の出でした。

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 この朝は対岸(今津)にて映像を撮影していました。とても美しい琵琶湖の日の出でした。夕日が美しい長浜側に対してこちらの日の出は最高ですね。

満月!

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 固定で撮影していると意外と早い月の動き。地球も宇宙も動いているんだと実感。

優勝を決めた2本。

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 先日の日曜日(7月29日)、大野ダムで開催されたバスフィッシング大会で優勝を決めた2本です。あとは35cmぐらいのバス、合計3匹で3,170gで念願の大野ダム初優勝です。暑かったですが、開始25分に左手の1匹を釣り上げてからテンションはMAX。ウエイト計測用のハカリにこの3匹のバスを入れるとそれを見ていた参加者からの拍手と歓声。いやいや、気持ちいい瞬間でした。これがあるから、バスフィッシングゲームは止められません止められません。どのよなポイントでどのようにリグでってお話はいずれマジックキャストブログにログりますが、まぁ、終わったことですから、どうでもいいことです。なかなかのビックバスでした。あと1センチ、人生4本目のランカーには届きませんでしが、渾身の2本です。

 2012年、2本目の49cmでした。あと1センチチチチチチチチチチチチチチチ!

「Perfume」の狙い。

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 最近のテレビに登場するアーティスト達!?というか、テレビに登場しはいるが、アーティストなのか?大人数でダンスありきの歌はおまけのあのノリには辟易を通り越して失望極まりない。テレビの放送の尺を繋ぐだけでその時間に発信すべき価値はあるのか?まぁ、ふわふわしている現代のノリについていけなくなっただけのおっさんのつぶやきならそれで世界は回っていくだろうが、この無価値な時間をビジネスとしてメディアの人間達はここまで依存していいものだろうか。成立しているならいいが、これで成立ならちょっと悲しい。韓国の皆様を否定・嫌悪しているわけではないが、逆に、日本の市場をあまりにも軽く捉えてはいないかという危惧。きれいきれいでイケメンイケメンを並べてダンスさせておけば、日本人は金を出すぞ的な軽視されていないかがとても心配。おっさんとしてはもっと、違う、質量のあるオーラのあるフォースのある人がテレビでその実力をポテンシャルを放っている姿を観たい。

 で、パフュームはどうか?ウチコミやテクノタッチが嫌いな人は無理と決めつけるパターンの奴かもしれないが、いやいや、それだけではない。それはあくまでもスタイルや手法の話であり、あの楽曲のスタイルも創造的なダンスもそしてあの歌声も実はとてもいいゾーンを構築しているように思える。私はただのファンだから、パフュームのプロダクトに関係している人達の狙いの真意は分からないが、この狙いのベクトルはかなり芯に近いことをかなりの完成度で進めているように思う。

 逆にメッセージ性の強い、ドラマチックな歌詞をテンション上げて歌うタイプはちょっと逆に疲れる。特にギター2本でゴリゴリ歌うのは辛い。ただ、それもニーズがあるから、存在価値があるというバランス感なのだから、これも需要と供給の方程式。しかし、正解がない世界へのダイブだから基本自由でいいのだが、これも、文化と慣習のお話で、ユーモアとアイロニカルなムーブメントとして価値判断するとしたら、大人数の少女達も韓国のイケメン&モデル達もごりごり語る若者コンビも芯からは遠い。とどのつまりとはよく言ったもので、つまり・・・そうなのである。

No cross, No crown.

 「試練なくして、栄冠なし。」ってことですが、これもミラーニューロンが受け身モードで構築した理のような気がしてならない。結局、フィードバックされるのが対人間なんだから。イルカもそうだし、猿もそう、昆虫や植物でさえ、DNAの中に記述しているのは、対同亜種への伝達の理しかないような。結局、進化はの紐は紐解かれていないわけだから、何をもって試練なんだ?何が栄冠なんだ?って、人間社会のお話。だから、絶対ではなく相対で物事はスパイラルしている。これがまず大前提の仮説。

 そして、最近のオリンピックを見ていると、メダルを獲った人が「応援してくれた人のお陰。」と言い、獲れなかった人が「申し訳がない。」というテイのコメントをしている。それがどうしても耳に残って仕方ない。そんなに愛国心を前面に出さなくとも、自分の意志で試練に立ち向かい、自分のその身体ひとつでそのメダルを獲得したんだから、もっと、脳幹から言葉を出せばいいじゃん!と思ってしまう。それに、メダルを期待されて獲得できなかったから、日本の皆様に申し訳ない・・・と、誰一人、そんなことは考えていないですよね。私達は貴方達のように優れた身体能力もなく、試練にも立ち向かわず、自分の限界点に挑戦することもなく、ただ、クーラーのかかった部屋のテレビで皆様を応援している貴方達よりも能力がなく、努力もしていない人間なのですから、なぜ、その人に向けて、貴方たちのような才能のある努力家が「申し訳ない。」と言うのか。これは止めてほしい。勝った時は、闘争本能むき出しにして「どや!これが俺の実力だ!」と咆哮して欲しいし、負けた時は、悔しさをその身体全体で表現して、会場の椅子を蹴飛ばすぐらいの映像を見せてください。それがリアルってものです。

 「品行方正、清く、正しく、美しく」が非常につまらない。勝つも負けるも時の運ぐらいに開き直り、ベストを尽くした自信と限界に挑戦したアドレナリンが詰まったその身体からストレートに言葉を発してください。それが一番聞きたいし見たい。

 結果の出せない人が、あとから言い訳を羅列することを、日本人はどうしても丁寧に受け入れ、次に繋げたらいいじゃん!的なフラット化をよしとするが、この挑戦はこの挑戦、次の挑戦は次と、繋がっているようで繋がってはいない。目の前の挑戦が「復習」でも「予習」でもない、ホンバンなんだと意識下できないと、何がホンバンか分からなくなり、集中力も均整化するでしょうね。結果の出している人は、意外と、前後の戦略とか予習とか、終わってからの言い訳は考えていないもの。その時に集中できる人ってのは、そういう素で理の強い人。

 だから、No pain, No gain.の意味を理解しているのですね。

 試練は自分ため、栄冠も自分のため。そこを共有したり共鳴する必要はないじゃん!どうも、SNSやインターネットはそのあたりを無理やり共有モードにしましょう的な、それが絆です。団結です。それが愛国心ですみたいなコンセプトが底の底でレアメタルのように盛り上がっていないか?それは、本来、共有すべきものじゃない。もっともっと、絶対と絶対でリフレクトするようなノンバーバルなコミュニケーションを楽しむのが正解なんじゃないだろうか・・・と思いますね。

 だから、競うことが楽しくなるが正しい理のような気がします。

初バスボート!

 ダイワさんのイベントで人生初バスボートでのひとこま。

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 これが、

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 こうなって、

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 こうなるんですね。初バスボートの初ネコリグでの1匹目。そりゃ、どんなおっさんでもこんな顔になりますよね。いやいや、素敵過ぎる想い出でございます。

OMG!

 なるほどね、「OH! MY GOD!」ね・・・。PLSでPLEASE, BTWでBY THE WAYと・・・。で、これらは中国語でなんと表記してどう発音するんだろ?小琴さん、教えて教えて・・・。

「ナルト」の行方。

 「ナルト」最新巻を何度も読むと、ホントにこの物語の懐の深さを実感する。映画のことがあるので、メディアではかなり取り上げられ、世界のアニメファンもかなりのテンションで「ナルト」にシンクロしている。さらに、ゲームもこの市場にぶち込まれさらにさらに「ナルト旋風」が吹き荒れることだろう。しかし、ここまでの広がりと物語の深度は想定外だった。最終的にナルトVSナルトの構図が盛り上がりそこで一旦この物語はFINだろうと思っていたが、いやいや、そこに辿り着くまでのこのディーテルの絡み加減は期待値以上である。比較的時間の軸をしっかり描いてきた物語だけに、年齢不詳の時間軸のゆがみみたいなことで物語優先に話が逸脱することもなく、その時間軸を前後に行ったり来たりしながら、いいころ合いで山が来るのだろうと想定している。週刊ジャンプは買っていないので、現在、どこまで来ているのか不明ではあるが、そこはそこで現状維持でいいかなと。

 さて、イタチとカブトか・・・。それぞれにここまで人間性の部分を描かれてしまうと、繰り出される術の精度や物語の展開が非常に細かく絡み合う。と、ここまで描いてちゃんとマンガファンはついてきているのが逆に不思議。ロボットごっこや不思議系の超能力や怨霊・ゾンビ・魔界のオンパレードのような日本のマンガ業界に対して、私は、「岳」や「宇宙兄弟」あたりの本格的が好き。奇をてらった企画モノも多いがそれは全く興味がない。だから、そこ発信の映画も100%観ていない。ただ、世の中のニーズの多様性だけは知覚している必要があるので、アウトラインはリサーチするものの、深度は求めていない。古き良き名作のラインをしっかり追いかけて、さらに、現代のニュアンスとリアリティーを封印した作品が好き。コンビニに行くとコミックスのコーナーにはいろいろなジャンルの切り口・アプローチがあるが、これらはゴミにしか見えない。マンガというメディアスタイルを利用することは目的がどうであれ挑戦する意義や価値は大きいが、結果、成果物になった場合のそれが、日本のマンガ文化のオンラインから逸れていると寂しい結果になる。これは一重に作者や編集者のタイプに相関するのだろう。マンガを表現手法として捉えている人が作った作品と、マンガに対して子ども頃からガチで親しみ、自分自身の中でマンガ文化・マンガ表現を同期させシンクロさせ、その物語の夢や希望や未来像を共有してこそ、マンガという作品と自分自身が共鳴する。そこには間違いなくノンバーバルなコミュニケーションの真髄が、そう、まるで、九尾(クラマ)のように飛び出すタイミングを見計らってるのだろう。

 ナルトで「チャクラ」を知り、事ある毎にその歴史や洞察に関する書籍や情報をリサーチしている。この太い話の芯の部分である。ここがスパイラルの中心にある以上、「ナルト」の旋風は止まらないだろう。