No cross, No crown.

 「試練なくして、栄冠なし。」ってことですが、これもミラーニューロンが受け身モードで構築した理のような気がしてならない。結局、フィードバックされるのが対人間なんだから。イルカもそうだし、猿もそう、昆虫や植物でさえ、DNAの中に記述しているのは、対同亜種への伝達の理しかないような。結局、進化はの紐は紐解かれていないわけだから、何をもって試練なんだ?何が栄冠なんだ?って、人間社会のお話。だから、絶対ではなく相対で物事はスパイラルしている。これがまず大前提の仮説。

 そして、最近のオリンピックを見ていると、メダルを獲った人が「応援してくれた人のお陰。」と言い、獲れなかった人が「申し訳がない。」というテイのコメントをしている。それがどうしても耳に残って仕方ない。そんなに愛国心を前面に出さなくとも、自分の意志で試練に立ち向かい、自分のその身体ひとつでそのメダルを獲得したんだから、もっと、脳幹から言葉を出せばいいじゃん!と思ってしまう。それに、メダルを期待されて獲得できなかったから、日本の皆様に申し訳ない・・・と、誰一人、そんなことは考えていないですよね。私達は貴方達のように優れた身体能力もなく、試練にも立ち向かわず、自分の限界点に挑戦することもなく、ただ、クーラーのかかった部屋のテレビで皆様を応援している貴方達よりも能力がなく、努力もしていない人間なのですから、なぜ、その人に向けて、貴方たちのような才能のある努力家が「申し訳ない。」と言うのか。これは止めてほしい。勝った時は、闘争本能むき出しにして「どや!これが俺の実力だ!」と咆哮して欲しいし、負けた時は、悔しさをその身体全体で表現して、会場の椅子を蹴飛ばすぐらいの映像を見せてください。それがリアルってものです。

 「品行方正、清く、正しく、美しく」が非常につまらない。勝つも負けるも時の運ぐらいに開き直り、ベストを尽くした自信と限界に挑戦したアドレナリンが詰まったその身体からストレートに言葉を発してください。それが一番聞きたいし見たい。

 結果の出せない人が、あとから言い訳を羅列することを、日本人はどうしても丁寧に受け入れ、次に繋げたらいいじゃん!的なフラット化をよしとするが、この挑戦はこの挑戦、次の挑戦は次と、繋がっているようで繋がってはいない。目の前の挑戦が「復習」でも「予習」でもない、ホンバンなんだと意識下できないと、何がホンバンか分からなくなり、集中力も均整化するでしょうね。結果の出している人は、意外と、前後の戦略とか予習とか、終わってからの言い訳は考えていないもの。その時に集中できる人ってのは、そういう素で理の強い人。

 だから、No pain, No gain.の意味を理解しているのですね。

 試練は自分ため、栄冠も自分のため。そこを共有したり共鳴する必要はないじゃん!どうも、SNSやインターネットはそのあたりを無理やり共有モードにしましょう的な、それが絆です。団結です。それが愛国心ですみたいなコンセプトが底の底でレアメタルのように盛り上がっていないか?それは、本来、共有すべきものじゃない。もっともっと、絶対と絶対でリフレクトするようなノンバーバルなコミュニケーションを楽しむのが正解なんじゃないだろうか・・・と思いますね。

 だから、競うことが楽しくなるが正しい理のような気がします。