「ナルト」の行方。

 「ナルト」最新巻を何度も読むと、ホントにこの物語の懐の深さを実感する。映画のことがあるので、メディアではかなり取り上げられ、世界のアニメファンもかなりのテンションで「ナルト」にシンクロしている。さらに、ゲームもこの市場にぶち込まれさらにさらに「ナルト旋風」が吹き荒れることだろう。しかし、ここまでの広がりと物語の深度は想定外だった。最終的にナルトVSナルトの構図が盛り上がりそこで一旦この物語はFINだろうと思っていたが、いやいや、そこに辿り着くまでのこのディーテルの絡み加減は期待値以上である。比較的時間の軸をしっかり描いてきた物語だけに、年齢不詳の時間軸のゆがみみたいなことで物語優先に話が逸脱することもなく、その時間軸を前後に行ったり来たりしながら、いいころ合いで山が来るのだろうと想定している。週刊ジャンプは買っていないので、現在、どこまで来ているのか不明ではあるが、そこはそこで現状維持でいいかなと。

 さて、イタチとカブトか・・・。それぞれにここまで人間性の部分を描かれてしまうと、繰り出される術の精度や物語の展開が非常に細かく絡み合う。と、ここまで描いてちゃんとマンガファンはついてきているのが逆に不思議。ロボットごっこや不思議系の超能力や怨霊・ゾンビ・魔界のオンパレードのような日本のマンガ業界に対して、私は、「岳」や「宇宙兄弟」あたりの本格的が好き。奇をてらった企画モノも多いがそれは全く興味がない。だから、そこ発信の映画も100%観ていない。ただ、世の中のニーズの多様性だけは知覚している必要があるので、アウトラインはリサーチするものの、深度は求めていない。古き良き名作のラインをしっかり追いかけて、さらに、現代のニュアンスとリアリティーを封印した作品が好き。コンビニに行くとコミックスのコーナーにはいろいろなジャンルの切り口・アプローチがあるが、これらはゴミにしか見えない。マンガというメディアスタイルを利用することは目的がどうであれ挑戦する意義や価値は大きいが、結果、成果物になった場合のそれが、日本のマンガ文化のオンラインから逸れていると寂しい結果になる。これは一重に作者や編集者のタイプに相関するのだろう。マンガを表現手法として捉えている人が作った作品と、マンガに対して子ども頃からガチで親しみ、自分自身の中でマンガ文化・マンガ表現を同期させシンクロさせ、その物語の夢や希望や未来像を共有してこそ、マンガという作品と自分自身が共鳴する。そこには間違いなくノンバーバルなコミュニケーションの真髄が、そう、まるで、九尾(クラマ)のように飛び出すタイミングを見計らってるのだろう。

 ナルトで「チャクラ」を知り、事ある毎にその歴史や洞察に関する書籍や情報をリサーチしている。この太い話の芯の部分である。ここがスパイラルの中心にある以上、「ナルト」の旋風は止まらないだろう。