センスとは?

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 センスのない人間は最初から(当然のように)センスなどなくとも努力して一生懸命頑張ればなんとかなるだろうと開き直ることからモノゴトにアプローチする。圧倒的なセンスとは何かもスルーしてそんなの必要ないじゃん!何かと何かを組み合わせてそこそこ感でその場をしのげばそれで成立するってことになるだろう…的にモノゴトを処理してしまう傾向あり。そんなことを繰り返して、一歩でも二歩でもセンスという真髄に近づけたのか?と自問するが、そうではないことばかり。ことごく・・・なのである。センスのない人間は「センス」ってなんだと頭で考えて、頭で出した答で納得しているからセンスの芯から遠ざかる。これはとてもストレス。空間認知能力にしてもいわゆるセンスみたいな部分が大きく影響しているらしく、サッカーの試合なども一瞬でメンバーの位置とそれぞれの動きを正確に予想してゲームを組み立てているらしい。音楽もクリエティブも恐らく同じで、センスのあるモノゴトが見えている人は一瞬で結論を出している。固執しなければならないのは、努力でなんとかなると頭で考えている人達。まぁ、世の中的に会議の好きな人間達。結論が自分で出せないから予定調和が欲しいだけ。しかし、世の中これも現実としてセンスのない人の方が圧倒的に多い。頭で過去の事例やどこかのムーブメントをコピーして茶番で納得できる人達なのである。しかし、これは決して悪いことではない。センスがないのだから、何かの目標設定をした時に、努力や猫の手数で目標に向かうことをしなければ、何事も起動しなからである。しかし、判断は一瞬で決まっている。あとは言わば惰性なのである。どこまで息が続くのかな?と溺れるギリギリまでの調整期間にあてているだけ。そして、溺れそうになりレッドカードで退場する時に、リスクを回避するから、傷跡にならない。これが見えている人の瞬間瞬間の判断。すべて想定しておける強さがあるということ。

 逆に想定外に右往左往していることが試行錯誤だと勘違いしないように、まして、「努力」だなどと勘違いしないように、判断は一瞬で決めたい。というか、その思考の段階でもう結論は出ている。あとは、井戸端会議に参加する根気があるかないか。まぁ、そんなことは改めて特筆する必要もないのだが、この二人はいいですね。言わば、今、一番いいとも感じている。もう、何がいいとかこれがいいとかを突き抜けているからいいのである。

 センスとはそういうモノ。非言語で考える訓練は壁をすり抜けた瞬間、ニューロンに書き込まれると書き込まれないとか・・・。心理学とか何とか検定とかまちづくりとか言い出した段階で、実は終わっている。あとは延命でたった一つの成果である「長寿」を目指すのみの構図。これは、楽しいか?

 自分の中から発信されるシグナルをステレオタイプな論理で封印しようとしても、いつか九尾は出てくるのである。それが戦争と平和の相関性。