「読書」とは何か?

 ショウペンハウエル著の「新訳 読書について」という書籍がある。考える力を養うための知的読書法とは!わかりやすい新訳で読む古典の名著とのこと。「知力と精神力を高める本の読み方」とあるが、さて、どんな感じなのか?書籍、雑誌、新聞、ネット・・・。情報が氾濫する現代社会をどう生きるか。血肉となる書物の付き合い方。というフレーズがどこか新鮮である。特に情報が氾濫していると言われて久しい現代、どう読み解くか紐解くか洞察するか分析するかなど、ありあまる情報に対してどう精査して自分なりの再構築手法が次の一手への相関性を左右すると言われている。どこかの成功事例をコピーするのにも情報の表層だけをすくい取り瞬発力で勝負するのか、じっくり本質を見極め消化してから再構築するのかみたいな、時間軸の意識化が偶然から必然を生み、非言語から有効な言語化へ導けるような気がする。時代は別段、いつもスピードで進んでいるわけで、どれだけ情報が飽和しようが、人間の考え行動する時間軸は今も昔も同じ。しかし、複雑に交錯する有効な情報の蔓が途中で不本意に切れないように仕分けして精査することが大切。それを精査するためのデジタル機器がさらにその交錯を助長することのないように、このような原典を紐解きその基点を明確にすることも大切なのかなと思います。こんがらがってどこに何があるか見失ったが最後、情報の潮流は津波のように大きな大地の震動のまま個体の足元をすくう。そもそも「読書」という行為自体のことを自分自身のそれと比較して時間軸を有効に活用しなければ、クラウドの落雷に打たれることになるでしょうね。気圧の摩擦が落雷を生むように、デジタルの気圧配置図を俯瞰しておきたいものです。