大志を抱け!

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 「少年を大志を抱け!」とこの方は言った時代、「大志」とは何を指していたのか?そして、時を経て現代、少年少女が抱く大志は何を指すのか?時代が変化しおそらく「大志」も変化しだろう。しかし、変化してはいけないモノもあるわけですから、水平線か地平線を指して何かにその人生をかけてみないかと聞かれれば、現代の若者は何を応えるのだろう。さまざまな情報の根源にさまざまな理由があるが、放たれた矢の行方を誰が知るとは雄弁の極みだが、弓は引けば引くほど・・・的な引用・比喩がこの時代の中、ピースを探すことは想定以上に難しい。難しくしているいくつかの原因に「多様性」という言葉が適用されているが、「多様化した大志」に脈略はあるのだろうか?

 さて、北海道という地に行ったことがないので、実際、この像の前に立った時、自分自身が何を思うのかと考えてみる。少年の頃、「大志」の意味は理解できなかった。だが、「大志を抱け!」と言われたことは記憶している。大志を抱いた結果、いろいろな場所でいろいろな人と出会った結果、いろいろな「大志」があることを知ることになるが、さて、自分自身の「大志」は何だろうと、あまり、少年時代と変わっていないことに気がつく。いつまでも子どもような男に魅力がるのかないのかという論理について、ショーウィンドウの前で77円のプリンを物色している大人はそれに該当するのか?ちょっとしたことを自分勝手に解釈して結論を急ぎ、見切り発射型のかぶせ気味の人間はネットと呼応しにくい気がする。あるジョークで「大型旅客船が沈没しようとしています。さて、その船の船長が乗客を海に飛び込ませるために発した言葉とは?」というテイのジョーク。アメリカ人なら「今、ここで飛び込めばあなたはヒーローです。」と言うだろうし、イタリア人なら「今、ここで海に飛び込めば女性にもてるぞ!」と説得するらしい。さて、日本人は?というヤツ。つまり、「他のみなさんも飛び込んでいますから・・・」という言葉に反応する国民が「大志」をどう捉えていたのだろうかと・・・。

 個性よりも和、独創性よりも協調性、突き抜けることよりも団結に重きを置くとは言われているが、さて、ほんとにそれは誠か?ネット時代、価値感が交錯し、時間軸上の情報の受け止め方に、「他の皆さんも・・・」が適用されているのだろうと思うと、また、FACEBOOKにログインする楽しみが増える。ツーったーのつぶやきもこの方程式のフィルターを介して閲覧していると、摩訶不思議な法則性をエンジョイできる。ネットとデジタルパルスが可聴域を超えて地球を飲み込む前にもっともっと、筋肉の軋みや吹き出す汗の感触をトリガーに本能のスイッチを入れなければ。五感を研ぎ澄ますためにも、自分なりのサインは多ければ多いほどいい。だが、間違いなく、ネットの中にそのサインはない。必然的に「大志」もない。これはアンロジカルな言い草かもしれないが、IQが145程度あれば反応はできるのかもしれないぞ。

 言葉が頭の中から漏れた時、空気に触れると化学反応をおこす物質のように、それは、真理から対極の存在になる。だから、こだまが心地いい。鏡を発明した人間は、初めて水面に自分の姿を発見した人類は、もしかしたら、「大志」とは何かを知っていたかもしれない。