誇れる今であれ!

 「いつか来る未来のために 誇れる今であれ!」としほさんは歌っている。まぁ、これもテイによるのですが、すっと頭に入ってくるパターンはとても心地いい。これがどこかの政治家達がじゃんけん大会をしているテイでメディアにこぼそうものなら、失笑で終わる。この違いは言葉の内容ではなく、誰がどのように誰に対して送っている言葉なのかというTPOが重要なのである。つまり、言葉は同じでもディテールが異なるのである。だから、だからこそ、どういうポテンシャルかということが言葉のクオリティーを左右し浮沈させるということ。これがネットの世界に代用されると、豊富な分析と機智に富んだ洞察があったとしても、誰が何のためにが緩いと言葉がふわふわしてしまう。だから、常にリソースフルであるために、誰がの部分が重要なんだろう。ここにワーク・シフトが適用され、毒になるテクノロジーがシンクロしてくると、仮想空間の指針が壊れ、いつか、過去の遺物になる。すでに異物なんだからスルーしている人はアイソレートを楽しんでいる人か「いつか来る未来」が見えている人だろう。一生懸命型の努力を持ってしても、戦略過多な策士の妄想にしても、自分の誇りが本当に蛇なのか縄なのか?という綱渡りをもって「今」を模索・探究・試行錯誤するしかない。原因と結果の相関性のコントール方法のチュートリアルはない。失敗と多くの小さい傷を乗り越えて得たノウハウでしか相関性も均整のバランスも見えてこないような気がしますね。毒にも薬にもならない時間だけは「お疲れさん」したいものです。