AタイプとBタイプ。

 例えば、一生懸命頑張っている努力型の人間をAタイプ、そして、天才型の努力せずともいい結果を導く能力がある感覚派の人間をBタイプと暫定的に分ける。さて、いい絵を描くことができるのはどちらかという考察。この場合の「いい絵」とは「いい仕事」「いい売り上げ」「いい製品」「いいサービス」にも適用されるだろうし引いては「いい人間」にもなりかねない。これらが結集されて結果「いい人生」に連動しているから、この考察に対するリフレクトは大切だなと思うのです。

 で、そもそも「いい絵」とは貨幣価値なのか個人の価値感なのかというテーマの書籍を読んだことがあるのですが、ぶ厚い書籍の割には結論はグレイだった。つまり、そこはグレイが正解なんだろうとまず結論から設定しての、努力型と天才型の違いについて。

 ある、お仕事で一生懸命にテキパキと段取りをして資料を用意してプロセスの効率を吟味している人がいた。彼は完全なAタイプのように感じた。Bタイプの人は相対的にクールな印象があるから、どこか先入観で「熱い人はAタイプ」「クールな人はBタイプ」としている感じも否めないが、相対的にそうなることが多い。しかし、多くの場合、努力型のアプローチをしている人は「間違い」や「ミステイク」や「誤差」や「摩擦」に弱い。慎重派であることはいいのだが、できるだけ完璧にモノゴトを進めたいと考えるばかりに、石橋を叩いて渡らない。これが、Aタイプの真骨頂なのである。しかし、Bタイプの人はこれらにあまり神経を使っていない場合が多い。そして、全体が見えているから、いろいろな過程の失敗やミステイクをいい意味で無視できる。自分の設定した目的のビジョンに集中できている場合が多い。これをある側面では「達観」と呼ぶのかもしれないが、全体が見えていると途中の小さな問題も簡単にクリアするし、根本的・本質的な大きなトラブルに出くわしてもそれを簡単に柔らかくいなす衝撃吸収力を持っているように思う。この違いが蓄積されるとやはり到達する標高が自然と結果異なってくる。最初は同じ頂を目指していたはずなのに、「クマが出るかもしれないから諦める」とジャッジするAタイプと「クマとの遭遇をシュミレーションしながら準備をしてアタックする」とジャッジするBタイプでは、結果、山頂に立てるのは後者なのである。しかし、クマに遭遇して殺される可能性があるのは確実にBタイプだが。

 だから、仕事もライフワークも同じで、山に行けば100%クマは生息しているし、飛行機に乗れば、墜落する可能性は0%ではない世界が活きている世界。努力は大切だが、時に、相対性と絶対性を感覚的に分類して、いい意味で「いい加減」に動くべき。「いい加減な人間」だなぁとよく言われるが、「いい加減」を私自身、曲解していて、「足らないダメなバランス」だとは捉えていない。「いい=good」と捉える節があり、そこはどこに光をあてるとどこに影ができるかだけ見えていればいいかなと思います。正解は想定以上に多く存在するのでるから。

 なぜ、こんなことを考えたかと打ち明けると、最近ラーソンの「ミレニアム1・2・3」各上下6冊を読み終えてしまって、満足感と空虚感があるから、さて、この感覚は自分的に次の作品をどのように物色・リサーチしようか・・・と思ったから。頭か?心か?どちらで何をフォーカスしようか・・・と。まずは、お口直しに、「ミレニアムと私」を買おう。