匿名性という特質。

 インターネットを介するコミュニケーションの特質として「匿名性」という側面があるらしい。つまり、直接FACE TO FACEでは大人しい社員が社内のSNSやメールでは人格が豹変するとか、会議の席では大人しいタイプの発表もしない、発表しても意見がまとまらずボソボソと言葉少ないタイプが、SNSになるとズバリズバリと核心を切る、それ以上に個人を主張して頑固として意見を譲らない・・・みたいなこと。これは、デバイスやPCを介することで一枚強力なフィルターが出来たと安心するため。つまり、N.Y.のタクシーみたいなもので、運転席と座席の間にある小さい穴のあいた防弾ガラスのようなもの。これがあると、お互いに煩わしさがなくなるため、警戒心がほどけ、本性・本音・本能が表出するという仕組みらしい。これは、現代社会のストレスの側面でもあるとある学者が論じていた。なるほどなるほど、面と向かっては何も言えないが、一旦、デバイスの画面の前では翼が広がるということ。これが実はのところの本性というやつらしい。

 さて、本当にそうだろうか?その側面は確かにあるとは思うが、ネットだから、デジタルコミュニケーションのTPOだから、本音が出やすいって、心地良くお酒に酔って饒舌になっているそれとどこが異なるか?無礼講の席ではハメを外して、社内のパブリックな場所でネコをかぶるのは、人間社会のコミュニケーションの綾というもの。ネットだからズバズバ言ってきても、バッサリ切ればいい。会議の席だろうが、ネットの書き込みだろうが、意見は意見。呼応するだけの特性を想定したら、どれだけ激しい言葉をフレーズをチョイスしてもパンチが飛んでくる可能性が0なんだから、いなせばいいじゃん。それがまた遺恨を残すようなことになるタイプなのかさっぱりタイプなのかは、その文脈で判断できるでしょうし。

 逆に会議の席や面と向かって言葉多い人。これは、しっかりコミュニケーション能力が高いのかとなると意外とそうでもない。よくよくその文脈を聞くとさほど質量のあることは言っていない場合がある。勢い80%、本質20%、でも、真理は0%みたいな・・・、ぐらいのテイで発言型だということだけを印象づけようとしているタイプもいるはず。これは、本音かたてまえかとなると、完全に「たてまえ」で処理可能。

 だから、ネットには匿名性があるからネットだからデジタルデバイスを介しているからと言って、コミュニケーションが淀むということでもないような気がする。リアル会議でもネット会議でも結局、ポテンシャルの違いでどうとでも解釈できるような気がする。というぐらいに言葉・言語の方程式などルールはあるだろうが、正解はないのだから。抽象的な気持ちをどれぐらい満たすのかというノンバーバルな質量のX軸と、言語や数値で理解度を変化させ公式や方程式で是非を問うY軸、それに時間の経過をZ軸とすると、必然的にその場所の体積がぼんやりと設定できるような気がします。

 さてさて、自分自身のそれはどんな形でどこに偏在しているんだろうと・・・いう感じですね。