その気はどの気!?

 「これ嫌だなぁ~」「この面子で会議してものびしろはないなぁ~」みたいな予見で心が重い時ってありますよね。これは総じて苦手意識なんだろうけど、これを克服するためにはまず心がその方向を向かねばなりません。でも、どれだけ強引な理論で自分自身をねじ伏せようとしても「嫌なものは嫌!」と行動を司る自分が腰を上げない。挙句の果てに頭が痛くなったりお腹が痛くなったりするから、人間はつくづく心で生きていると思える瞬間。しかし、人生にはノリにノッっている場面ばかりではない。これ嫌だなぁ~と思っても大人な判断をしなければ・・・という場面が多い。しかし、逆に、大人な判断ばかりを繰り返しているともう一人の自分が麻痺してきて、この行動は自分のため?他人のため?が判断不可能になる。よく、ボランティアが好きです!って屈託のない笑顔で汗をかいている人を見かけるが、その場合のボランティアにはかなり自分の都合のテイストと複雑怪奇な先入観が共存している場合が多い。まぁ、ボランティア論をここで話出してもしかたないのですが、「その気」とは具体的にどのような気持ちなのか?というテーマで言うと、「好きか嫌いか?」「損か得か?」「正しいか悪徳か?」という3つの基準に深く関連する自分的な「あり」か?「なし」か?のモノサシになってくる。この気をその気にさせる・・・いや、その気になる背景を用意するという努力が、さてさて、努力なのか配慮なのか工夫なのか?迷い始めると、自分の中のボキャブラリーだけその背景が浮かんでくる。結局、最後の最後で、一番、自分の「いつもやっている判断」に落ち着くから不思議。ただ、それでは、必ず、次のその機会に同じことをしていることについてはあまり深く考えず、同じ失敗をしていることが多いようなパターン。実はこのルーティーンが個性のフレームなんだという学説があり、ここに至る複雑怪奇なルーティーンを分解して言葉でそのパーツを再構築して意識を変えるあたりが恐らく臨床心理のテクだろう。これに、「精神的疾患」としての「鬱」ですって診断された(まぁ、先生の匙加減だが・・・)人は、適当な精神安定剤的な血糖値を抑制か促進する薬を体内に入れて、「ああ、自分は精神的に安定した・・・」などと曲解と誤解の狭間で迷いながら、それを正解と誤認している。これでは、とても「安定」には程遠い。つまり、何か外部的な要因や内因で「安定させよう」とすること自体が全て逆なのである。人間の精神も身体の機能も感覚・感性も一番いい状態とは小さい「破壊と再生」を繰り返している状態である。人間の細胞は1週間から10日で全て再生されているという説があり、ならば記憶とは?となるが、それは、様々な長さの記憶能力が反復しながら信号として次の再生に繋げているから子どもの頃の記憶が色あせず残り、昨日の晩御飯は何を食べたか忘れるのである。これが、「動的平衡」の原理。だから、その気は変容するべきなのが、再生・再構築をしながらも、「教育」されてきたことを楽だと感じる判断力が、本能の声を消すのである。自らの「学ぶ」訓練を怠っているから、中身が再生されないままで、リミッターの奴隷になるのである。それが「その気」になりにくい心の構造だと思いますね。だから、どの気?だと聞かれてもどの気もこの気もなく、1週間から10日間で再生されているのだから、常に再生される準備をしておく必要こそが、実は、その気の構成分子なのでしょうね。だから、その気になるためには、一回、自分のルーティーンを壊す必要があるのです。日本人が一番苦手な思考ですよね・・・。だから、日本という国が成立してきたという慣習もありますが、それは、早く、過去の物語にならないと再生なんてとんでもない・・・という書籍もありますし・・・。さぁさぁ、加古川の次期社長、この意見、どんなアングルでもいいからツッコんでみな!いつでも、どのアングルからでもレスりますから。