三歩さんが残したモノ。

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 ある意味、「岳」という漫画は衝撃的だった。モノゴコロのトリガーが漫画だったぐらいの記憶がある私にしてみれば、漫画と共に生きてきたような気がする。テレビのアニメや実写のキャラクターなどもダイブしてきたし、映画のヒーローやヒロインに一喜一憂してきた人間です。だから、アニメオタクという言葉が登場・浸透する前にこのエリアにどっぷり浸ってきたから、GやDやEがどんだけアニメブームを牽引しているとしてもその程度でこの漫画オタクはぶれない。なんで漫画なんだろう?などと考える隙間もなく、最初に好奇心や興味のベクトルが漫画の中から始まっている感覚だから、まさにボーンTOなのである。頭で考えて、誰かと共有・シェアしたいからそのヒーロー・ヒロインに傾聴したかという感覚も記憶もなく、そんなことは全く無価値だと思っている。そこにあるのは、自分の興味とコミックス、ただそれだけでいいのが、真髄の本丸のガチだと思ってる。誰から知らない作品を進められる、これもいい。誰かに感動した物語を進める、これもいい。映画の原作だから、テレビアニメの原作だから、だから、知った。これでもいい。つまり、漫画作品との出会いはなんでもいいが、だからこそ、明確な好き嫌いがある。だから、「GやDやE」は嫌いなのである。となると、ディズニーのアニメは嫌いで、ピクサーは別格。という基準もあるが、それは、自分自身のさじ加減。人に言わせると、私の好きな漫画作品にはパターンがあるらしいが、そのパターン、パターン化する意味は何だろう?とさえ思うぐらいに、ある基準があるにはある。だから、海外の漫画作品について、アートやクリエティブとして捉えてしまっている部分が多く、これまた、自分の中の漫画という作品の属性で言えば異なっている。同様に、宮崎監督の「ナウシカ」が漫画だとは思っていないし、「アキラ」と比較した場合、「ナウシカ」はどうも漫画だとは思えない。それは、この作品の目的は漫画として完成させたニュアンスが少なく、宮崎さんはアニメ映画を作成するための壮大な壮大過ぎる「絵コンテ&脚本」のように感じるからである。これの微妙なモノサシで最近のベストワンが「岳」だった。三歩さんが「自分にとっての登山」を語り始めた頃から、「あれ?」と感じていた。そして、ローツェに単独で登ると言い始めてから、もしかして、これはエンディングに向かっているだろうなぁ~とちょっと、ワクワクドキドキしたが、寂しい感覚になった。そして、このエンディングである。

 う~ん、しばらく、この感動の重さに心が動かない。小説で映画でテレビで舞台で、この感動の重さが味わえるだろうか???と反芻してみるが、恐らく、私の場合、この種類の感動が一番比重が高い。それほど、「岳」の最終回は響いた。こんな最終回、想定内だったが、それを読み終え見終わった感覚は想像以上に重い。重すぎる。

 コミックスにして全18巻。こんな物語を世の中に残せた最高だろうな・・・と。今、描いている構想している物語に向けて、無類のテンションを上げています。

comments

そうですかいいですか! それでは明日あたりから山にこもり下りてきたら読み始めてみますかね。

  • kuni
  • 2012年10月11日 10:16

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