考えないという発想法。

 「バカの考え休むに似たり」これを検索すると、「下手の考え休むに似たり」という優しいニュアンスが一般的でその意味は「下手の考え休むに似たりとは、よい考えも浮かばないのに長く考え込むのは何の役にも立たず、時間の無駄だということ。」ということになっている。さてこの場合の「考え」とは何だろうか?まぁ、一般的に「考える」だからいろいろ頭の中でモノゴトを整理したり準備をしたり構想したりすることがこの作業に該当するのだろうが、それにしても多岐であり多様である。では、「考える」とは一体どこからどこまでのことを指しているのだろうか。「考える」を考えるとまず「脳」とは?みたいなことになり、「精神」というキーワードが登場する。すると、必然的にテッパンで「心」というワードに辿り着くことになるが、これはどの軽い書籍から重い書籍までをひも解いても同系列。が、「休む」に似ているということは「考える=休む」とそもそも似ているということになる。「休む」ってそもそも考えないことではないから、この語源というかルールをどう辿ればいいのだろうか・・・と迷宮に入り込んでしまう。

 で、結果、「無我」「無心」「ニュートラル」という価値観に辿り着く。かなり、速足で辿り着いてしまったが、この論法はかなり強引だし割愛しまくり論法なのでツッコミどころは満載のはず~を前提の仮説です。座禅とかチャンネルとかモードとかいろいろその呼び名はあるが、その状態を日常的にどう取り込んで「考えている頭」を休ませて「考え」を生産的な創造的な活動へ結び付けるのか・・・これが、デザインのお仕事。ということは、「アイディア」が欲しいからと言って、考えていてもいいアイディアが確実に降臨するということはありえないのである。引き出しや資料は長年やっているから相当蓄積されているが、それでも、引き出しの数と資料の絶対量だけでデザインの仕事は不可能である。昨今で言えば、サーバにデータ情報を蓄積してクラウドのビックデータを解析・活用してノウハウを構築しましょう的な業務や戦略が実しやかに語られているが、恐らくそれらは「馬鹿対象」のチリや誇りや窒素に近い。それをアミノ酸に変換してエネルギーになることを仮想空間のピエロ達は知るべきである。氷室さんが「もつれた糸を断ち切って自分のために踊りな!」と歌っていた頃が懐かしい。

 だから、時にアイディアが欲しい場合、無心の向こうにある、「考えない発想法」というアプローチをいろいろ試しています。その一番身近な手法の一つが私の場合「絵を描く」という行為なのです。絵を描く時こそが実は「考えていない状態」なのですから、こんなに都合のいい状態はないのです。もっと言うと、デザインの仕事をしている状態では短いワーキングメモリーは使用するが、ほぼ、「考えない状態」ですから、これも都合がいい。このあたりのテンションと組み合わせを何周も回ってきて「天職」と呼べるのでしょうね。「天賦の才能」って言わばこういうことでしょうね。努力努力努力の積み重ねでそこに辿りつけると思いたい考えたいが、そこにはただ疲労困憊栄枯盛衰があるだけだと思います。リアリティーが本当に欲しいのならまず考えないことのようです。

 吹田のおじさん、分かります???