そんなに本を読んでも・・・。

 たまにこういうタッチのアドバイスを頂く。「そんなに本を読んで何が楽しいのですか?」と。しばし思考がフリーズしつつも、まず頭に浮かぶのは「私はそんなに多くの書籍を読んではいませんよ。世の中の読書家の人達と比較したら恐らくその量は10%ぐらいでしょう・・・」と思うのだが、これは一旦思考から割愛して、「読書が楽しい」って誰が言ったのか?と考える。そして、この人の「楽しい」の定義とは一体なんなんだろうか?と推察を始める。恐らく、グルメや健康や一般教養あたりがこの人の「楽しいの基準」であり、たぶん「そつのない、お上手で、キレイな人生観」ベースに私に向かって放たれた言葉が「そんなに本を読んで何が楽しいのですか?」なんだろうとその背景を絞り込む。すると、こういう人に対いて瞬時に頭に並べた言葉の中でもセオリーが通用しない。逆に別に上からも下からもモノを申す必要がないのだから、どこ基準で何を言ってもいいかなと考え「楽しい本っていろいろいっぱいあるじゃないですか!」をチョイスするが、これもこのタイプの人にはヒットしない。改めて、会話のキャッチボールの的が小さいのであるから、もっともっと、絞り込んで・・・「じゃあ、最近何か本読みました?」と切り返すと、「最近は本を読んでないですね、あっ、そうそう、3年前に流行った、あのあの有名な・・・」とタイトルが出てこないし著者も出てこない。これでは本の意味がないなぁ~と思いつつも、「3年前」「流行った」「有名な」あたりのキーワードで私の中のDBに検索をかけて、これとこれとこれ?あたりをチョイスするが、その人の中の一冊にはヒットしない。「ほんまに3年前か?」「ほんまに有名か?」「ほんまに読んだのか???」あたりが渦を巻き、結果、このような質問をしたこの人には、今後、本の話題は一生しないでおこう・・・と結論が出る。つまり、これが一番価値がある結論。

 「本を読んで何が楽しい?」と聞いている段階で、この人の人生の中で「楽しい本」との出会いがあまりなかったのだからこれ以上イジってはダメだと瞬殺するべき話題だったのです。しかし、ネットの情報と書籍の情報の違いに付いて諸説があるが、ネットの中の情報って頭には入るが、心に入って来ません。見事に入ってこないのに何故これほどSNSが流行っているのか?答は単純で、人間の脳が主語をスルーしているからです。言葉には文法があり、世界中に言語は8000あたりで増減しているらしいが、これらに全て法則がある。しかし、恐らく人間の脳は1種類だろうからデフォルトの機能は同じはず。しかし、後天的な理由や教育環境で脳の発達が多様化する結果、宗教間や経済格差の中で、ドラマが起こっている。しかし、仮想空間の中でのジョークで「今晩の夕食は美味しかったというつぶやきが誰かの飼い犬でない証拠はない。」と言われるぐらい、実態が見えていない。写真のリアリティーでさえ、誰も実は信頼していないというデータがあるのだから。結局、人間の脳はパソコンやインターネットというツールの中に真実があるとは思っていないのである。脳幹がそう判断している以上、面と向かって、「楽しい本」についてお互いの分析を対峙しても「ワン」と「ニャン」の議論になるだけ。

 で、逆のお話。読書量が多い人、つまり、見聞が広く既知に富み向学心と探究心を備えている人は同じ言葉でもそのデブスが違う。ひとことふたこと会話するだけでこれは不思議と分かる。また、話が逸れてしまいそうですが、昨今の「絆」「団結」「信頼」の大安売りには思わず目(心)を逸らしてしまう。言葉で「絆」の語感に五感が依存しているから、「絆」がチープに思えるほど。だから、言の葉の使い方は大切です。「僕は信頼できる人間です。」って平気で口にする勇気のある人は逆に幸福な人である。そんな会話をするだけで通じ合える人との「楽しさ」こそが「本を読む楽しさ」なのです。だから、逆の逆でどのような場面でも言葉にする時はしっかり反芻したいものです。「災いの元」とも言われていますから、黒い羽を広げて「カァ~」と鳴くレベルの会話なら、そのまま、どこかへ飛んでいってしまった方が、後が汚れないというもの。

 同様にこれらのことは、「本」に限ったことではないから、そこがまた、楽しい。