その表現手法は・・・。

 何かを伝える時、必ず目的があるはず。そのテーマ、コンセプトを伝えるためにクリエイターは数多の表現手法から自分のスタイルをチョイスして何かを誰かに伝えようと試みる。その表現手法について仕事がらとても興味がある。この興味を失った段階でこの仕事の意味は消えると考えているので、非常に自分自身にとってどのように伝えるているか?はデリケートなゾーンである。だから、他の表現者が誰であれこの部分をまず何よりもしっかりと見極めるようにしている。

 他のクリエイターのそれはいつも刺激的で高ければ高いほど震えるし、低くいと感じても、新しさや試行錯誤的に研究・探究する心の密度が高ければ、それを認めて自分自身の糧にと考えている。だから、あらゆるものがその対象なのである。

 しかし、時に、その表現手法を安易に取り込んで「さも・・・」という作品に出会う時がある。しかも、その表現はある層にしっかりと浸透して共有され価値感さえ生み出してているから人の内側というのは本当に分からない。これが、何故、安易だと感じるかは個人差のあることだから、私自身、個人が何をどう思うかなどはさほど関係ないことだから、肯定も否定もしないが、ただ、そんな作品を見ているととことんまでストレスに襲われる。一般的なストレスと呼ばれる対象についてはあまり鈍感な私だが、ただただ、このデリケートゾーンのストレスはいたたまれない。出口のないその独房のような空間にいると、ただ、一秒でも早くその場所から離れたいと感じてしまうことが稀にある。

 その空間を離れ、外の空気を吸い込んで頭がリセットされる感覚。そんな時、必ず雨が降っていることが多いのですが、昨日もそんなストレスを感じた。自分自身がそれを「ストレス」だと認知しているから恐らくそれが「ストレス」になるのだろうが、これは偶然とは言い難い。表現のベースにそれを置くのは安易で捻じれていると心のどこかで私自身が考えているのだろう。肯定も否定もしないし、できるだけ距離を置きたい個人的な異物(違和感)のようです。