2012年11月 アーカイブ

常備薬12種類平均!

 最近のお年寄りは常にいつでもどこでも常備薬を平均12種類は携帯しているらしい。なんと!そんなに薬のコレクションが一般的だとは?で、40歳代の人でも平均していろいろな薬を毎日2~3種類は飲んでいるらしい。薬漬けの日本人。これが長寿の秘密か?長生きに秘訣は充実!?した薬の流通にあったようです。しかし、血圧や腰痛などは薬で抑えられても、心の特効薬はないらしい。逆に今の日本は、いい意味で、「解薬剤」が必要なのかも???

アクトの日めくり完成。

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 本日、年末にお得意先に配る日めくりが仕上がってきました。東京へ、大阪へ、京都へ、発送&配達準備中です。ということで、あと1ヶ月。いよいよ年末モードです。

恋するホテル・・・か。

 ある旅行会社から世界の「恋するホテル」のメルマガが到着した。またまたエロいアプローチかと思いきや、なかなか、真剣に「恋」について語っているメルマガライターの心意気に少し感動した。そうかそうか、どう考えても私の人生、カリブ海のリゾートホテルに1週間何もしないで滞在するというプランは、1000%ありえないが、「恋するホテル」というフレーズはなんか気になった。この前、カトマンズの山岳ホテルに滞在して世界の屋根ヒマラヤ近辺をウォーキングする旅行プランが紹介されていた。5泊6日で¥298,000だった。ヒマラヤエリアはかなり昔から気になっているエリアなので、標高2,100mから見るエベレスト・・・ってのを想像するだけでちょっと震えた。例のラーソンのパートナー、エヴァの書籍を昨晩読み終えたのですが、なかなかスウェーデンという国は素敵だった。小説に登場するシーンを何回も観ることでいいイメージが頭の中に擦り込まれる感じ。場所の情報に何かプラスアルファなディーテルを追加することでその場面が自分自身にとってとても意味のあることになる。

 で、結婚をしていながら、「恋するホテル」にカミさん以外の女性と行くことは日本人的にはNOだが、それも意外と日本人のこだわりと先入観のようです。「ハゲ産業」が活発な日本はかつらや増毛に価値を見出す見出させる仕組みが蔓延し深い井戸の中で「ゲロゲロ」鳴いている声ばかり。まぁ、何かの理由で「恋する」というフレーズが気になったことは現実なので、それがホテルでなくとも、死ぬまで何かに誰かに「恋」はしていたいものですね。

 バイカル湖の湖畔にも行きたいし、アラスカのオーロラも見たい、アマゾンでピラニアも釣りたいが、一回の人生でできることとできないことは限られている。だから、これらに「恋する」というベクトルはいろいろな意味で正解のような気がして考えさせられたメルマガでした。

 いやいや、カリブ海はジャマイカと同様に行かない行かない。

強い絵。

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 強い絵ですね。もう、こうなると手法や戦略や感覚や技法などどうでもいい。それらはあとからどうにでもなることだから、まず、なにがなんでも背負っているものを絵にするということ。これが絵をどこまでも強くする。上手いとか下手とか小学生レベルのお話はこの場合通用しない。よく、「自分の世界観」という言葉を若い人は多用するがそれは幼稚園レベルのお話。また、「アートな街に・・・」とかいうフレーズもフレーズだけ一人で放浪していることがよくあるが、これはヨチヨチ歩きレベル。アートが街に溢れるわけないじゃん!それはアートではなく、shitじゃないかな。

 強い絵が描けるようになることが絵を志した者なら誰もが通りたい一つ目の門だろう。その中に入れた人間だけが「絵」を共有できる。入れない人、入らない人は、門の外でそれらを鑑賞していればいい。余計な批評や蘊蓄は門の外で自由に交換すればいい。だが、一旦その門をくぐれば、想定以上の何かを背負うことなることも現実的な問題。それは簡単に放棄できるが、二度と、門の中へは入れない・・・みたいな。

 のりまき先生、こんな感じでいかがでしょう?

このデフォルメ。

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 なかなかのデフォルメ感ですね。地図って引く力が強い。絵画やアートほどの価値はないのかもしれないですが、これもひとつの表現として捉えると素敵なクリエイティブです。

 海外の小説、比較的大作には必ず舞台となる地域の地図があったりする。登場人物があり、時代背景設定があり、そして、作者がイメージした舞台の位置関係が記載されている。イマジネーションを膨らませる時にいろいろなアプローチがあるが、まず、設定と舞台を構想する時、必ず地図をイメージしているのだと思います。グーグルマップで充分な場合もあるが、こうして手描きの地図はやはり引き込まれる何かがあります。描き手の気持ちが刻印されていますからね。なかなかのクオリティーです。

しあわせの指標。Shit!

 「世界のしあわせ紀行」というエリック・ワイナー著の書籍がある。この著者はアメリカ人のジャーナリストで、「幸せ」とは何であるかを求めて世界を旅されたらしい(世界を旅できるというだけですでに幸せですが・・・。)。オランダ、スイス、ブータン、タイ、インドなど10カ国。旅に出る前は「幸福をどうやって測ればいいのか?」という問題にぶつかっていたと。幸せとは感じ方であり気分であり人生観だからなかなか数値化できないということだった。(まぁ、その通りである。)「あなたは現在どのぐらい幸福に感じていますか?」という質問方法がその道の研究者のあいだでは過去40~50年繰り返されているらしい。その答は非常に正確らしい。その反証は「幸せな人は必ずそれに気がついている」という研究結果があるらしいのである。スイスで一人の医師に会い、「スイス人は幸福の最大の的が嫉妬だということを本能で知っている。」という洞察があり、「お金について話すことをとても嫌う。」らしい。「国民総幸福量」の理念をもつブータンでは一人の学者に出会い、彼は幸せが金で買えることもあるが、その考えは捨てるべきだと主張したらしい。お金は目的を達成するための手段であり、目的そのものと考えてしまうところに問題が生じる。と。「幸福は人と人との関係」にこそ成立すると考えているらしい。アイスランドでも「嫉妬」という言葉が登場したらしい。スイス人は「嫉妬」を抑え込むのに対してアイスランド人は分かち合うことでそれを消すという。「嫉妬心」「お金」「人間関係」あたりが、幸せを測る重要なアイテムのようであると著者は言っている。すると、「煩悩」「執着」といった欲求に関するベクトルについて、アメリカでは「希望を高く持つことが、幸せの追求そのものだとさえ考えられている。」となるが、一方で「私には登りつめるべき頂上はありません。」と説く。つまり、欲求を持たない方が嫉妬心は生まれず、お金にも執着せず、人間関係も良好となり、幸福感が増すという論法である。「つかのまの心の平穏」こそ、大切だと説いているらしい。きっと、答は一つじゃないのだろうが、実は誰しもそれを知っているのだろう・・・と著者はこの書籍で紐解いているらしい。

 で、ここで、「幸福」と「旅」の関係に注目したい。同じ場所で日々同じ代謝を平衡していると、上記のように、「嫉妬」も「執着」も生まれないはず。しかし、「変化」「変容」を受け入れてこそ心も魂も脳も身体も活性化するのだから、活性化することで人との関わりに自分自身をリフレクト(反照)させてこそ、それが見えてくるという仕組みだろう。光と陰について矢のごとしと最初に言葉にした人はほんとエライ。それが言わば、「幸福のモノサシ」になっているとかいないとか。

あえて漱石か・・・。

 何周か回って今「漱石」が新しいらしい。特に「それから」と「吾輩~」あたりだそうだ。なるほどなるほど、やっとそういう時代になってきたのかという感じ。つまり、漱石の世界はまだまだ時代を越えてこれからも覚醒するようです。逞しい作品ですね。全く。

 それに横溝正史さんが執筆していた岡山の年で「金田一探偵」が出没しているらしい。これも街づくりのひとつで偲んでということらしい。今だから、金田一耕介が蘇るのですね。この作品も逞しいです。日本の文豪達がそこかしこでいろいろな形で蘇ること、これは何かのサインなのかな?

 代謝と複製を繰り返し、動的平衡のなせる技かな・・・。

TED君!

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 なかなかこれがGOOD!

世界地図帳到着。

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 アマゾンから世界地図帳が到着。これこれ。思っていたより詳しいが、中学校の頃よく見ていたのよりも少しページ数が少ない。山や川や湖などももっと図で表現してあったような記憶があるし、代表的な都市の写真などもあったような記憶がある。しかし、世界中の全地域の名称は昔と比較にならないぐらい詳しく地図の中に配置されている。まぁ、山や川のことならネットをリサーチすればいいわけですから、それはまた別の方法でいいかな。とにかく、一冊の手の中にいつでもどこでも見る(私の場合鑑賞に近いが・・・)地図帳はなんか嬉しい。この気持ちをなかなか誰かと共有することは難しいが、小中学の頃、何かあれば地図帳を広げて世界の国や都市のことをチェックしていた感じはこれで十分です。今、世界には2012年の1月の段階で日本を入れて195カ国。昔は全部覚えていたし、首都も代表的な都市や産業や人口も覚えていた。というより、毎日見ていたから頭に入ったが正しい。さぁ、国の名前を記憶しましょう!というテストは嫌い。興味もないことを覚える能力って必要ないと思う。個体として興味のベクトルが身体の頭の中から発生してそれに能力が追随するが正解。

 いやいや、これ1冊、この情報量とこの仕上げで¥1,260は破格な価格である。これはぜひ棺桶に入れて欲しい1冊ですね。

 点で各国の情報を入れてあると最小限の情報は入っているわけで、そこで、海外の小説や映画などを観ると「あっ!あの街だ!」とか「あの川だ!」ということなり、小説で主人公がこの街からあの街に移動する時にこの鉄道を使っているとか、この高速道路を使っているなどとその名称が登場した時にはもう頭の情報と実際の映像や物語がシンクロする。これが楽しい。何何湾のほとりから見る、何何アイランドは~などという描写もすぐに地図帳をチェックする。すると、あ~あ、この感じか・・・と小さい点が頭の中で繋がる感覚。ネットの情報は言わば点、つなぎ合わせ方は発信側の都合になっている場合が多い。これは編集の際に必然だからなかなかフラットな情報に精査されていることはない。これは当然必然のことだから、見る側がどれだけ細かいディテールのベクトルを持っているか否かでその点の意味が異なるのだろう。つまり、ネットの情報の性質上の特長とその情報を求めている人との相関性を考えてよりディテールに注視した表現・仕様・構造に情報をチューニングする必要がある。その一つの手段が「デザイン」だと言えるのではないだろうか。

 情報系の人間は「世界が小さくなった」「地球が小さくなった」と思いたいらしいが、世界も地球も昔からサイズは変わっていない。正確には地殻の変動・運動・活動と自転・公転の影響で膨張しているのだから。小さくなっているのは「人間の世界観」だけかもしれない。他の生物たちは失笑していることだろう。

内向き、外向き。

 東京大学で教鞭をとった体験を安藤忠雄がこう語っている。「グローバル時代といわれる中、日本の大学生は内向きすぎるとの批判がある。実際、留学を志す学生数の減少が続き、就職しても海外勤務を望まない新人社員も増えている。」と。さてこの「留学生の減少」という指標が何を意味するのか?一概にどの時代にも「内向き」「外向き」の人間は比類していただろうし、何もこの時代に限定したことではない。しかし、安藤さんは「明治以降の日本が小さな島国で資源やエネルギーもないのに世界有数の経済大国になれたのは、多くの優れた人材がいたからだ。しかし、今の日本の教育制度で、かつてのような豊富な人材が育つのを期待するのは難しい。アジアの国々が猛スピードで進み続けているのに、日本の大学生は国の先行きが全く見えないという不安を抱えたままだ。」と。一方で、大学への責任という指標がある。「大学生の内向き志向を変えるためには、日本の社会全体がもっと世界に目を向けなければならない。国際社会における日本の立ち位置が変わっているのに、日本人は依然として一流大学から一流企業へと進むことが安定した生活を約束されていると信じている。もはやこのような図式は通用しないと覚悟すべきだ。」。また、若い頃に多種多様な経験値を与え考える機会を与えなければいけないよと言っている。これら全てに言えることだが、右脳議論に全て包括されている安堵感が根底にある以上、ここから一皮むけることはないだろう。

 極論を言えば、戦後の貧しい社会になれば、学生は自発的に危機感を感じ取り、独自の貪欲さの図式を探究し始めるのだろうか?ひと言で「戦後」などと言ってしまうにはあまりも大きな時代の分岐点をまさか仮想空間で計画しているとしたら発展途上から先進の次にある「老朽国」の称号のような気配。介護介護で国の予算が高まればそれが「雇用」だと勘違いしている人。ハネることのない文化にセオリー通りのループを重ねる人。回遊魚に餌を与えているのか、与えられているのかが混沌としている地方地方地方。この図式ではまったくハネる余地がない。デジカメがスマホに変わり、いじめが14万件になり、政治家達は椅子取りゲームで裸の王様状態。これは海外の人にしてみれば、「黄金のジパング」の再発かな?だからアニメコンテンツに海外の人達は喰いついているような。灯台の元は暗い。

 まぁ、この際だから、「内向き」とか、「外向き」とか、深く考えず、さりとて、安直に結論を出さず、押すか引くかのバランスを試行錯誤しながら、出る時は出ればいいだけだろう。海外勤務を命じられるような大企業に属したことがないのでそのプレッシャーは知る由もないが、私自身なら、完全に「ガッツポーズもの」だろう。だから、今の学生、今の学生って昔、学生だった人はよく言うが、今の学生諸子はそんなに内向きな印象はない。外向きベクトル過ぎるのも考えモノだと、芸大時代のみんなの顔が頭に浮かぶとか浮かばないとか・・・。

生まれる雇用消える職か・・・。

 このような記事はぞっとします。「ミャンマーのヤンゴン近郊、朝8時、NTTデータのソフト開発拠点で日本語の朝礼が始まる。12月の開業に向けて、研修を続ける現地の若者の目は真剣だ。大卒初任給は月100~200ドル程度。社員は5年で500人に増える。都内の主婦30歳はパソコンで内職に励む。家事と犬の世話の合間に。文章をインターネット用テキストに書き換え、1本4,000円。彼女に仕事をつなぐクラウドサービスの登録者は創業1年で8,000人。グローバル化とネットの進化は雇用の在り方を大きく変えた。ミャンマーと日本の2つの例は、企業が高いスキルや低賃金の人材をどこからでも調達できるようになったことを示す。オフシェアリング(海外への開発委託)を進めるNTTデータはインドに1万人、中国に3千人の技術者を抱え、来月にも3万人の国内従業員を海外が逆転する。次はバングラディッシュだとのこと。グローバル開発推進担当は常にコストの安い「頭脳」を求め続ける。今後の世界は2種類の労働者しかいなくなる。クリエイターとサーバー(奉仕者)だ。米コラムニストは自分の著書でこう語っている。ネットとグローバル化は労働の価値を世界的にフラットにし、新興国や非雇用者層にも雇用を生む。その結果、一握りの雇用の創始者とそれを支える大多数の奉仕者に働き手を区分けするという。さらに、日本IBMはビックデータを解析して経済指標を予測するシステムを開発した。約30万件の経済関連ニュースから、「生産」「雇用」などのキーワードを抽出して分析。製造業の景況予測ではプロのエコノミストの予測とほぼ同等の結果が出ている。ネット上のデータを用い、アナリストなどの仕事をコンピューターがこなそうとしている。クラウド上のサーバーは知識層とされた職をも奪う。破壊的イノベーションは職を生み、効率的イノベーションは職を奪う。雇用を生んだクリエイターの筆頭はアップルのジョブス。関連産業の雇用創出効果は生産拠点の中国を含めると世界で100万人を超す。では、日本ではどうか。過去10年間、企業買収も含め従業員数を最も増やした企業の一つはソフトバンク。連結従業員は5倍となり、創業以来、一人も解雇していなとのこと。サーバー(奉仕者)と、サーバー(コンピューター)。ネット革命は二つのサーバーを急速に増やしている。あなたの仕事は代替可能ですか?」と締めくくっている。

 なるほどなるほど、想定以上に経済の仕組みがシフトしているということ。「あなたの仕事は代替可能ですか?」と聞かれると、さて、どう心は返答すればいい?クリエイター的思考について25年の試行錯誤は確かにあるが、自分自身がサーバーを活用することだけにその思考をフォーカスしたいとは考えていないので、ソフトバンクがなんぼのものか知らないが、例えサーバー抜きに仕事ができない状態になったとしても、五感がある以上、人は人で有り続ければいいと思う。ネットに錬金術を求めても仕組みを創った側への流れを変えることは難しい。クリエイターだからという自負が理由で自爆は避けたいし、そもそもクリエイターを横文字のそれに置き換えている段階で、クリエイターではない。この記事を書いたライターが定義するクリエイターがどんなポテンシャルを指しているか見えないが、結局、言語で繋がっているグローバル化では、国境は超えられても、時間の壁は越えられないだろう。

かなり残念・・・。

 いやいや、期待するとロクなことがない。ここまでひどいというか、ここまでテンションが下がるのか・・・と考えると、同じプロが創ったモノなのに、何か軸の部分が、何かどこかが違うからこうなってしまうのですね。フィンチャーの「ドラゴン~」を観て、そのまま、全6冊を読み、さらに、「ミレニアムと私」まで読んで、読んで本国の「ミレニアム1」を観た。ブログで紹介されているのもかなりチェックしたのに・・・である。この始末、ちょっと残念過ぎて、たいていのことでは落ち込まない私のハートがかなりダメージ。自分で期待値を勝手に上げて勝手に自爆しているんだ!と娘に言われてしまった日にゃ、親父としてどうすればいい?いや、どうすることもできないのが辛い。こんなに映画一つでダメージがあるとは・・・。しかししかし、ブログにはなんかいいこと書いてあったのに。やはり、原作の本国で創られた映画こそがモノホンだとか、サリーはマーラじゃ全然ダメ。小説の世界を忠実に再現するためには、ハリウッド映画ではダメだとか。空気感の捉え方がやはり本国の映画人が創ることで愛情がを感じるとか、ロケの一場面一場面が小説と完全にシンクロしているから・・・とかとか。一体、一本の映画作品を観るだけなのに、どこまでチェックしているのかってぐらいチェックしたのに・・・、う~ん、ミレニアム1はダメだ!これで、完全に2と3を観ることはない。どんなことになっても絶対にない。勢い余って映画を観る前にDVDを買おうとさえ考えていたツメの甘さ加減といい、何も何も小説のテイストさえ感じられなかったスウェーデン製の映画「ミレニアム」に失望である。

 しかし、なんでこうなるのんだ!役者か構成か絵作りかコマワリかカットの長さか???言い出したらきりがないというかどこも絵になるところがないじゃん!これじゃ、せっかくの「ミレニアム」の映像化が台無しじゃん!もっとしっかり創ってください!せめてせめて、音楽だけでも・・・。いや、音楽がダメだったから全体がああなるんだ。しかし、思いつくこと全てに残念が漂うって、一つの映画を何回も何回も頭の中で反芻するタイプなので、噛んでも噛んでもスカスカってどうよこれ。いかにいかにフィンチャーが色っぽいかってことですね。早く早くこの気持ちを払拭したいので、ハリウッドの「火と戯れる~」を観たい。ただそれだけ。あ~あ、期待するってほんとにロクなことがない。

 なんでもそうですが、いかにフラットでいられるか・・・みたいな部分ってとても大切。高揚も落胆もできる限りコントールしたいし、サプライズやハプニングをのびしろにつなぐためにも、フラットな状態って大切大切。禅でいう「無我」ってこれに近い状態なのかな。いやいや、何回考えても残念過ぎる。もう一度、最初から小説を読み直したいぐらい。あ~あ、早く、忘れたい。

都会の子どもの疲労度。

 子どもが育つ環境づくり。このテーマであらゆる人達があらゆる手法で取り組んでいる。私自身は教育の現場にいる人間ではないが、社会に関わっている以上、そして二人の娘の親として、教育の現場が子ども達にとって適正であってほしいと願うひとりの親父である。まずもって、自分自身が田舎育ちだから自分自身の子どもを都会で育てるということが全くイメージできなかった。「そうであってほしくない。」と願う側面よりも、自分自身が適正と感じられる環境で・・・と願っていた記憶がある。結果、今、そうなっているか否かを判断するモノサシはどこにもないが、少なくとも自分の子どもが学校や塾に行くために、山の手線や環状線や地下鉄の駅で待っている状況だけはNGだったし、刺激が多いと言われている都会に対して、自分自身が特筆するような刺激がなかったことで今の価値感があると思っているから、ここを基準にこれから先も時を重ねたいと考えている。一見刺激的なようで実は無駄なモノが多い場所と都会を規定してしまったのか、大人なら楽しさに変換できるのだろうが、成長過程で都会の密度は子どもの視線では少し煙たい。キレイな空気と精神と肉体が覚醒するスペース・のびしろを想定したら、都会でないほうがいい。そう考えた人間だったから、今が、適正だと思えている。恐らくこの部分で正解はないだろうし、いろいろな比較をしたら後悔になるケースもあるだろうが、ここら辺はちょっと乱暴な言い方がだが、「自分ありき」でいいかなと思います。そこの基準を失うと、底なし沼ですからね。沈まぬよう、無意味に浮かばぬよう・・・、何事も。

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 ここ数年あまり触手を伸ばしたくなるような新製品が無かった。しかし、ちょっとこれはいいかも?で、やはり、VAIOか・・・と。これを買うとバイオは3台目になるが、その時代その時代を象徴していることは間違いない。さらに、アップルのチタニウムノートも欲しくてウズウズが実は止まらない。パソコンを趣味のベクトルでは絶対に購入しないので、基準は「仕事にどちらが有効か?」となるだろう。価格は特に問題ないが、唯一無二で最大のポイントはどちらが手に馴染むか・・・。バイオもMACも長年使っているので、いずれにせよはずれはないだろうが、最後の最後でイメージで判断してしまう悪い癖を封印して、チョイスしなければ。うん、ひさびさに、触手のウズウズ禁断症状が止まらないぞ・・・。Which?

この仕事は凄い。

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 「メイクアップ」ってテクニックの向こうにある本能にコネクトしていますよね。だから輝くんでしょう。で、輝くためにはコネクトしなければということの具現化の究極かもしれませんね。恐らく、画家が絵を描くこともこのベクトル上なんだろうけど、女性のメイクアップはさらにその奥に何か別のモンスターが潜んでいそうですが・・・。それは、女性ではないので永遠に分からない・・・と。

ダニエル・クレイグ。

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 カッコイイ度が最近(ドラゴン~から)、急上昇中。ハンサムだからとかマッチョだからとかクレバーだからとかじゃなく、ノンバーバルに魅力的。理論や感覚を超越した存在感は「どこからくるのだろう?」という左脳的な信号を見事にスルーさせ、ただその画面の中に引き込む強さ。論理的な心地良さに飽きてきた現代人が本当の「引き込まれ方」をされたくて「待ち状態」だったところに現れたのか、結果、それが原因だったと捉えるべきか。まぁ、そんなこともどうでもいいぐらいに心が動く俳優さん。

 「心が動く」と言えば、政治の世界のガヤがうるさい。どうせと興味が萎えているわけではなく、政治システムに期待したいがいかんせんコマが悪くドングリの器比べ。どんな優れたシステムも猿以下のオペレーションでは議論も期待値も猿以下になるのが必然であり自然。このベクトルであまりエネルギーを浪費したくないから、国民は「政治家」に期待しないのである。日本の政治家はなぜ日本人でなければならないのか?そろそろ助っ人が必要なんじゃないだろうか?海外の人達の方が「日本のそれ」を熟知しているとか・・・。

 日本の政治家諸子も優秀なんだろうが、少し「俯瞰」でモノゴトを見ることができない条件・状況にブレインもボディーもマインドもオーバーワークなんだろう。恐らく今回の「解散」は「プロローグ」で、本編割愛の、「エピローグ」という舞台を又見せられることになるだろう。何故か?役者が不在だから。この舞台劇場はもうつまらないので、そろそろ、ハリウッドか、韓流か、スウェーデンであたりのリメイク版が観たいものである。

 で、その時、グレイグのような人が総理大臣だったら日本も何かが変わるかも・・・。日本の政治家達、ルックスもイマイチ、頭の中もイマイチ、行動力(実現力)もイマイチではチェックメイト状態。リセットはいいことだが、すでに、クイーン不在ですしね・・・。

新しいデジタル革命。

 インターネットがもたらす経済社会の変革を予言したベストセラー「ロングテール」「フリー」の著書、クリス・アンダーソン米ワイアード誌編集長が「新作業革命」を提唱しているらしい。今度はネットが「ものづくり」を変えるという。米国で始まった新たなムーブメントの正体についていろいろ語っている。まず、「民主化」が起こると。「新しいデジタル革命」は、今までと何が違うのか?「これまでの革命はパソコンや須スマートフォンのスクリーン上、つまり2次元の世界で進んだ。これから始まる革命は3次元、すなわちも「ものづくり」をも変える。」と。具体的にはインターネットにつながった3Dプリンターやレーザーカッターといった卓上サイズのデジタル工作機械を使って、これまで大企業にしかできなかった「ものづくり」が、一般の人々にもできるようになった。

 「装置がなくても製造を請けネットで設計図を送れば、自分のデザインを形にしてくれるという仕組み。2次元デジタル革命では、それまで表現手段を持たなかった一般の人々がメデァイ企業や映画会社と同じように、自分たちが創ったコンテンツやソフトウエアを市場に届けられるようになった。それと同じ「民主化」が製造業でも起きる。眠っていた膨大な数のアイディアや情熱や創造性が流れ込み、新しい市場が生まれる。アマチュアが明日の市場を創る。だから新産業革命なのだ。」と提唱している。なるほど。そりやそうだ。これは分業ではなく、誰がどのようにイニシアティブを取るかという旗取り合戦なのである。もう、プロもアマも物理的な境界線がなくなるまさにのボーダーレスな時代。

 では、何がその格差につながるの?それも、各段に多様性を帯びている。しかし、そもそも、多様性こそが根本の起こりであったはずなのだから、何かの原因で理由で背景で収束されていたベクトルが本来の流れに戻ったとも言えなくない。では、何故、収束されていたかを民主主義にお仕着せるのは簡単だが、そうではない、個人レベルの怠惰な依存性もあったことが、インターネットでデジタル技術で加速度的に流れやすい潮流に戻されたと見るべき。

 ではでは、「大量生産主義」はもう消えてなくなるのか?そうではないだろう。人間の本能が交わることを本能で欲している以上、傾向やパターン化は自然な複製のシナリオ。個体と個体が交わることの本当の価値を知っている、というか、それが生物の本文なのだから、そこを別の理由で意固地に仮説することのほうが毒。ならば、この時代、本当に意識化しなければならないのは飽和している「薬」から解放させるための処方箋だろう。つまり、これからの時代に必要なノウハウは「解毒剤」ではなく、「解薬剤」なのかもしれない。その究極と言えば「死」をどう処理するか?健康、長寿、永遠の美は言わば「薬」。慢性化したこの作用を解するのは何か?「新デジタル革命」はその処方箋のファーストステップかもしれない。

いよいよ見参!

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 いよいよ、ブレイク開始ですか・・・。

僕たちは知恵を身につけるべきだと思う

 「12歳で渡米し、UCバークレー、ハーバード、ケンブリッジ、コロンビア、東大、経営者・・・と歩んできた著者がたどり着いた答え。」というフレーズが紹介する森田正康さん著の書籍「僕たちは知恵を身につけるべきだと思う(1,659円(税込))」ということなんですが、さて現代の「知恵」をどう分析されているのだろうか?

 「上に行けばいくほど、知識は役に立たない」とのこと。便宜上の「上」がふわっとしているが、ここを明確に指摘して欲しい気もするがそれは書籍を買って・・・ということだろう。しかし、上に行く人、上を向いている人に知識が役に立たないという論法にはいったいどんなリアルが含有されているのだう。

 「目先の結果よりも、人との関係を続けることの方が重要」とは、目先の結果以外に何を求めようと言っているのだろう?目先の結果させ出せない人が人との関係性との重要性のバランスを整えられるはすがない。人との関係を続けることに重要性を見い出せなかったから目先の結果に右往左往しているのです。どこかに適正なターニングポイントがあれば・・・だが、人との関係をどう続けるかのディテールありきだから・・・とねじ曲がった解釈をしてしまいがちであり、この疑念を解消する論証はこの書籍にはあるのかな?

 「アイディア力とは、他と違うことを思いつく能力ではない」と。ここも非常に興味深いが、結局、場に出せる手持ちのカード枚数は決まっているのがゲームのルール。有効なカードを多く集めることが知識が豊富だという論法ならば、それは、アイディアというベクトルから離れていくだろう。他と違うことを明確にしなければ、それを能力でないと聞いたところで、分からないことが分からない状態ではないだろうか。仮にこの書籍をその状態の人が読み、「ああ、他と違うことに目線を配ろう」としても、なかなか、目線は自由であればあるほど、簡単にそのラインをエリアを変えることが難しい。いつでも変えることができますよという人ほど、その角度は狭いことが多い。逆に、一点集中型の人の方が、別のアングルへの新鮮さ加減が高いから、アイディアに昇格させる能力があるように思う。だから、この部分をしっかりと説明していただかなければ、切り口はこれでいいとしても、お茶を濁す程度の論理になります。猜疑・仮説でこの著者のなんたるかを分解はできないが、このフレーズをすでにチョイスしている段階で、期待もするが、疑心も多い。

 「過去に頼って生きているといずれ社会と対応できなくなる」というフレーズには、さすが、このキャリアの予感がする。また、このフレーズにおいても「過去」のディテール情報が欲しいのですが、それでも、絶対的な相対的な「過去」に対して「頼らないで」というメッセージはあらゆる方程式にシンクロしていること。で、「知恵」こそがこれからの時代を・・・と展開させている書籍だとしたら、緩い仮説・過程・空想・妄想でなく質量のある言葉がチョイスされているとしたら、この書籍はGOODだろう。

 が、さて、どうかな?東京のイキのいい出版社が「発売1ヶ月で2万部突破!」としたところで、このキャリアの著者だろうが、イキのいい出版社だろうが、読者は選べない時代。

 このキャリアで何を「知恵」としているのか?そこののびしろだけ、ちょっと興味あり。書店で並んでいたら、チラミチェック対象書籍ではありますね。いきなりオンラインで購入はない。

今年最高のプレゼント!?

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 なんでやねん!

 今年最高のプレゼントを別にアップルからこれだと言われる筋合いは何もない。売り手が買い手の「最高」を指定する戦略はもう古いと気づくべきだ。そのシンボルというか象徴がスマホでタブレットのようにj感じる。「アプリ」「無料ゲーム」「クラウドサービス」どれも最高には程遠い。仮想空間で麻痺している神経に刺激を与えたいのはヤマヤマタニタニだろうが、このキャッチコピー、冷静に捉えたら、的が外れているし、奢りを感じる。「奢り=ブランディング」の構図だと勘違いしていた時期もあったことは事実だが、それはもう過去の歴史。「今」が見えている人なら、本当に必要なモノとは本当の言語であり、本当のアルゴリズムであると知るだろう。「言語」とは知恵に代用できるかもしれないし、「アルゴリズム」とはプログラムやノウハウやエクスペリエンスに代用できるかもしれないが、そういう時代の入口あたり、「今年最高のプレゼントですよ!」という売り子の声は耳に心地悪い。

FIRST BLOOD

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 「最初に仕掛けたのはどっちだ!」という石を投げているわけですが、ベトナム戦争をどう捉えるか、あの頃(30年前)は18歳だったから平和な日本では実際あまりピンと来ていなかったように覚えている。しかし、戦争という出来事を日本人の若僧として捉えて正義とは何か?ということぐらいは考えていたように記憶している。この映画はベトナム戦争ではあるが、第2次のあと、これと同じぐらいの悲劇がこの国でもあったのだろう。悲劇は教育という形式でキレイにデフォルメされ、国家の威厳だけが体裁を整えられ僕達私達の未来だけが美しく掲げられていたからだろう。昨今、反日のそれをこの年齢になり思うことが多い。世界の歴史はつまりそういう風に地球の至る場所で繰り返されている現実をしっかりとDNAに焼き付けておかねばならないし、心にも刻む必要がある。

 この映画の製作にはスタローン自身も少し関わり、脚本にも携わっている。つまり、肉体アクションスターの地位を築けたから映画「FIRST BLOOD」が存在するわけではなく、この映画に関係する多くのクリエイターの想いがあったからこそ映画作品として世の中にリフレクトしたのだ。そういう意味でこの映画はいつかこういうタイミングで手元に置いておきたいと思っていた。ノーマル版でもよかったのですが、幸運にもスペエディに出会えたので本日購入。いつもずっと、「FIRST BLOOD」というフレーズは頭のどこかにあったからこうして手元に来ると心が少し熱くなります。

 「映画」を「映画」としてではなく、スタローンやこの映画の製作に関わった人達の「想いの結晶」と捉えると、私自身も私自身の結晶をそろそろ創りたいと熱くなります。

Sure!

 「「利益を出し続けるのが、最初のゴールです。」と。趣味のホームページなら見栄えのいいものができれば完成です。しかし、利益を出すホームページを作る場合はそうはいきません。ホームページにやってもうら目的があるはずです。その目的とは業種によってさまざまでしょうが、突き詰めると「できるだけ多くの人にある情報を伝えて、閲覧者にこちらの意図する行動を起こしてもらうこと。」に行き着きます。その目標達成が最重要事項のはずです。

 例えば、雑貨屋:魅力的な雑貨の情報を伝えて→購入してもらう。コンサルタント:専門分野を伝えて→電話をかけてきてもらう。情報商材販売:それによって得られる未来を伝えて→ダウンロードしてもらう。レストラン:自慢のメニューや場所を伝えて→来店してもらう。

 ホームページで情報を提供することによって、訪問者の心を動かし、こちらが意図した行動に結びつけること。これが商用のホームページの目的です。この行動を起こしてもらうまでの効果的な手法は、すでにマーケッターの間で研究され、すでに体系化されています。そして商用ホームページ作成のプロは、必ずこの法則を頭に入れてホームページを作っています。ところが、初めてホームページを作る方の多くに「見栄えのいいホームページがあれば、お客様が行動を起こしてくれる。」という、大変甘い考えがあるようです。そして、作成自体に熱心になり過ぎて、いつの間にか目的とゴールが、かっこいいホームページを作ることになっているのです。

 ホームページを完成することはゴールではありません。むしろスタートであり、種を手にした段階に過ぎません。ここからどう育てるか。腐らせるも次々と花を咲かせるも管理者次第です。ホームページは生き物です。手間暇をかけ、情熱を注ぎ込むほどに結果が出てきます。」

 ある書籍からの抜粋ですが、なかなか、これほどスラスラとモノゴトは進まないが、ポイントは「手間暇をかけて育成するモノ」だということ。「種」という表現は非常に多面的な捉え方ができるし、ホームページを創ることを仕事としてさせていただいている以上、お客様オリジナルの「種」を創っているという意識と、完成後も一緒に育てることを意識下に置かなければいけない。しかし、こちらがなんとか「種」を用意して創造しようとしても、その「種」がなんらかの理由で「欲しい種」でない場合もある。だから、デザインという仕事の大切なポイントである、「どんな種が欲しいのか?」「どんな育て方をしようと構想しているのか?」「どんな花を咲かせたいのか?」をしっかり聞かせていただく必要がある。実はこの作業が一番時間が必要でエネルギーが必要な部分です。ここで「種」を間違えると「芽」がでない。

 で、この書籍の著者が言う通り、相手は「生き物」だということを肝に銘じて対峙することで、柔軟に甲殻にマクロにミクロに取り組むぞ的なモチベーションが明確になります。自由自在に価値が変容するだけに、創り方を任された責任をしっかり受け止めなければ・・・なのです。

 この部分、楽しくもあり、難しくもあり難しくもあり難しくもあり。

幸せへのキセキ。

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 映画「幸せへのキセキ」楽しみ楽しみ。

この3冊。

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 左から「舟を編む:三浦しをんさん著」この書籍の価値は現代でもバツグンなのですが、本当はあと10年20年50年後にその真価を発揮するのだろうと思います。

 中央はいわゆるホーガンの「星を継ぐもの」のコミック版。こんなコミックがあるんだ!的な逸品です。中身は勿論、good。あと2冊あるのでこれもチェック。

 で、右が「ゲノム切り口の人間論」。こう書くとなんか野暮いがいやいや、これは100年モノですね。このサイエンスライターさんの書籍は初めて買ったが、なかなか芳醇芳醇。数行で酩酊しそうでしたね。

遼君の10勝目。

 親友と少し電話で話すことがあった。お互いにデザイナーとイラストレーターという立場でこの仕事をお互い同じぐらい(約25年ほど)やってきた親友である。同じモノヅクリの立場で共有できる想いも多くいつもいつも話をするだけできしんでいる歯車に潤滑油が流れ込み、枯渇しかけていた燃料タンクが満タンになる親友。どんな偉い人の著書やどんなエキスパートの雄弁に耳を傾けてもこの状態にはならないのに・・・。親友の言葉ひとつひとつが明らかに明らかに自分自身の中の細胞分裂を活性化させる感覚。昨今のSNSは広く浅くの交友関係がテッパンらしいがそんなものはFUCKである。それは全く時間の無駄。くだらないを通り過ぎてどうでもいい。ましてそれを活用するための空想の便利を詰め込んだスマホやタブレットに心の羅針盤は動かない。そんな親友の存在が本当に宝物である。ルフィー的に言えば、ゾロのような存在だろう。タイプは違うがどこかでお互いをどこまでもリスペクトしている相手が最高。人生の指標を何かで計測するモノサシがあるとすれば、それは地位や名誉や学齢や資産ではなく、親友の数だろう。むちゃくちゃなことを好き勝手にぶちまけても、「お前はいつも相変わらずやなぁ~!」と優しい言葉を返してくれる親友が人生の宝である。これが真のコミュニケーションである。毎晩、酒を飲みながらどうでもいい理論やゴシップに声帯を疲労させることがコミュニケーションではないし、会議会議と無駄な感想を井戸端会議的に結論や極論を避けて時間を浪費することがコミュニケーションでもない。まして、安いコンセプトに安い面子で激安の達成感を共有しあうことも無駄。これらのカッコ悪さの極みをどれだけ積み重ねてもグランドゼロ。地面は生きているのだから、振動と液状化でそんなことにエネルギーを使っていると精神の沈下は避けられない。

 で、そうならぬために苦労があり探究があり行動がある。いつもいつも安全牌ばかり捨てられないのがゲームだから、冒険もする必要があり、冒険をすると想定外の傷を負う。だけどその向こうには確実に期待以上の何かがあるのだろう。

 さて、遼君が最少年齢で10勝をあげた。2年ぶりのVらしい。あの遼君でさえ、この10勝目で涙を流したらしい。あの遼君でさえである。羅針の触れないベクトルに無駄なシナプスを結合させぬよう、常に緊張感を持って触手の方向を吟味・確認したいものである。おめでとうございます遼君。

これは美味いでしょう!

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 このパスタ、これは美味いでしょう!仕事だったので食べることはできませんでしたが、この香り、写真ではお届けできないのが残念。こちら12月の20日から彦根の某食堂で食べられますよ。

僕の好きな先生。

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 全く理由は定かではないが、昨晩の夢に故清志郎さんが登場した。そして、あのテイストで「僕の好きな先生」を歌ってくださった。全く理由や原因は不明。この名曲を自分自身がどう捉えているのかということも明確に論理的に理解できない整理できない状態での「僕の好きな先生」は夢でありながら、なんとも心に染みた。音楽に関わっている人、音楽について蘊蓄や自分が好きな理由などを切々と説く人がいるがその言葉はどれをとっても弱く質量がない。そもそも、音楽を語るなど必要がないからである。さらに、音楽は好みから昇華することがないのに対して、アカデミックに捉えたり、集客やイメージアップに利用する目的で手法と混同することが多いが、これもナンセンス。本来感じる以上に何もできないはずなのに・・・。

 「煙草と絵の具の臭い」のする先生ってもう絶滅しているだろうから、恐らく故清志郎さんのメッセージは法典の中で金字塔の上で化石化するだけなのか。音楽と目的を混ぜないスタイルが好き。音楽は音楽であるべき。機材や技術やコンセプトやスタイルはすべて「後付け」が理想ですね。

 自分自身の好きな先生の顔がいくつも浮かび今朝は目を覚ました。先生は偉大である。

北中PTAチームお疲れ様でした。

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 年にこういう機会がありバレーボールの試合に参加させてもらことがある。「メンバー不足につき」のメールを頂き参加させていただきました。惜しくも!?決勝にいませんでしたが、まぁ、ホストであるPTAチームがガチになるわけにもいかないという複雑な立ち位置で結果は微妙な僅差で決勝進出を逃した・・・という結果all right。いやいや、PTAチームの皆様お疲れ様でした。しかし、スポーツは何をしてもいいものですね。身体を動かし、声を出してチームでゲームに参加しているというのは、何よりも楽しいですね。日頃の鍛錬の賜物なのか特にどこかを捻ることも打撲することもなく2試合3セット6ゲーム、楽しいひとときでした。皆様、お疲れ様でした。

熱いなぁ~。

 いやいや熱い。彼ら彼女達は熱い。この熱さ、なかなかのものです。いやいや逞しい逞しい。この感じこの感じとてもいいっす!お互い学生とクリエーターとかっていう立場ではない、求める人と与える人。さらに、与えながら求める感じがこうも見事にマッチするコミュニケーションは身体も心も熱くなる。やはり、年齢を重ねるたびに確実に蓄積している何かと引き換えに整理しようとするベクトルが本来それらにあった熱を少しづつ冷ましているんだ。気がつかいないうちに結局ルーティーンで物事を考えてセオリーでオブジェクトを見ているんだ。何とかしたいと心の底から願うならやはり新しいフィールドにダイブしなければ今の自分に気づかないまま時間を無駄にすることになっているんだ。気がつかせてくれるのも気がつくのもタイミングひとつかもしれないが、そもそもの部分で臨まないものは触手の方向さえ定まらないのだろう。だから、それが定まればあとは伸ばすか否か。で、伸ばすと決めたなら伸ばすと決めているなら、余計なことは考えない。熱を感じる方向に手をかざそう・・・と。すると、やっぱそこには熱があるんですね。いくつになってもそういう状態でいたいと思うひとときでした。いやいや、結果こちらが「ありがとう」である。楽しい楽しい。

ポジティブ。

 「ポジティブな人」という語感には行動的で発想が豊かで柔軟で豊富で協調性がある・・・という意味合いを強く感じるが、意外とこれはケースバイケース。「いい人」の定義も優しい大きい温和である親切であるということになるが、これも意外とケースバイケースである。人間性を算出するモノサシって人それぞれですし、なんだかよく分からないが信頼できる人もあれば、雄弁で余裕があってもどこか信頼できない人もいる。つまり、人を査定するのは非常に難しいということ。ある側面ではポジティブでもある側面でびっくりするぐらいネガティブな面があったりと・・・。樽にいっぱいの高価なワインも一滴の毒をいれるとそれは樽一杯の毒になるという論法もあれば、その毒を適正に調整して薄めることで薬にもなるという論法が裏に走っている事実。つまり、毒と薬の関係について、毒にもならなない、薬にもならない人ってのにはできればなりたくない。すると、別に他人に「ポジティブだなぁ~!」でも、「ネガティブだなぁ~!」でも、どう思われていようがいいんじゃない!?となる軸足と、できれば、ドンビキされるより、友好的な関係でいたいというジレンマの振幅のサジ加減が非常に難しい。これが常に一定ならばモノゴトは簡単なのだが、そうもいかない。気持ちや心地は常に変化しているから、苦しくもあり楽しくもある。人生、山あれば谷もあると昔懐かしい論理があるが、下手すると、山が苦しく、谷が楽しくなる場合もある。そんなとき、さぁさぁ、どっちなんだい!と言われると、やはり、いろいろなニュアンスを含めて「ポジティブ」でいたいと思う。でも、その答を出した瞬間に、また、一周回りはじめるこの感じ、これって一体何なのでしょうね?歴代の有名な人達がそれぞれの視点で結論めいたことが言葉として残っているものの、さてさて、それはあなたのサジ加減で、そんなに人間は簡単ではないとならないのかな。これは、答が出ない思考の方程式だから、円周率みたいもの。割り切れないが人ならば、公式の数でIDは決められない。でも、ポジティブな人間はそれでも「誤差」や「捻じれ」や「摩擦」や「沁み」や「傷」といい関係を築くんだろうな・・・。偶像の影の部分に真理がありそうですね。

乙女!?

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 そうかなぁ~、乙女かなぁ~。やっぱ、マスターDVDが必要かな・・・?

ゆっくり。

 「ゆっくり生きれば、遠くまでいける」という順天堂大学医学部教授 小林弘幸著の書籍がある。人間の身体の健康は微妙なバランスの上で成立しているから「ゆっくり」というスピード感が具体的にどのようなリズムなのか「とにかく遅く」でも「適正なスピード」でも微妙にニュアンスが異なるから、この著で紐解かれているリズムには興味があります。

 「ガムをかむと理想的な自律神経バランスに。」「水は意識して飲むと効果が違う。」「食事の目的は、腸に刺激を与えるため。」「空を見上げるだけで、体は瞬時に変わる。」「一ヶ所だけ片付けると副交感神経がアップ。」「悩みは形にするだけで自律神経が違う。」「怒りは急激に交換神経を上げるので要注意。」などなどである。一見、どれかは試しているようなことばかりで、具体的な構造や機能や背景は理解していないものの、なんとなく気分転換になったりしたこともいくつかあるから、それがどうして?なのかを知るためにもこの書籍は「買い」かもしれない。

 「能率・効率・生産性主義の世界」=「迅速さ」のように考えてしまいがちだし、時には感情を表に出して自分自身を鼓舞することも大切だと思っているが、それはどうやら「ゆっくり」ベースがよりらしい。

 テニスの錦織君は大きな試合になればなるほど「冷静さ」を意識するらしい。試合中に汗をふく動作で「焦り」や「落胆」をリセットすると。私自身、一番心が落ち着くのは水面を見ている時である。決して、泳ぎたいとは思わない(泳げない)が、水面の動きや太陽の反射、色、臭い、風がそこにあるから、それらのディテールを見ているとなんとなくリズムがリセットできる感覚。逆にココイチで集中したい時は、水の中に手を入れてその臭いをかぐ。水温や水の湿りを五感で感じるとどこか神経系が落ち着き集中したいベクトルにフォーカスできる感覚がある。ローカルバストーナメントで、さぁ、今から5時間勝負だと言う時も必ず水に手を入れて手を濡らし、その臭いをかいでいた。水に臭いはあるのかないのかではなく、「水」というスイッチが神経を整えてくれる感覚。恐らく、風でも土でも汗でも血でもエレメントはなんでもいいのだろうが、水はかなりのトリガーになる。

 琵琶湖の風景を見ているとリズムが「ゆっくりモード」に調整される。ただただ、どんどんスピードをダウンさせればいいというニュアンスではないから、どこまで気持ちやベクトルやモチベーションをスローダウンさせるか試行錯誤が必要ですが、ここかな?というレンジが見えてくるとこれ、癖になりますね。

マット・リドレー著、まずはこれから。

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 まずはこれからかな・・・。

執念の50周年。

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 なんと50周年ライブ・・・。最後の最後だろうな4名が揃うのは・・・。行きたいなぁ・・・、行きたい。

 やっぱ、ロックンロールが一番。

ZOO

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 まだ観ていないが、恐らく、これはビンゴだろう・・・。

いらないいらない。

 そもそも、スマホ、タブレット、カーナビは持っていない。特筆するような機能があるように感じられないからである。目的の機能があれば買うが誰かがメディアが便利だと連呼してもいらないものはいらない。さらに、電化製品関連の量販店のチラシを見ていると気になる商品がいくつかあった。これいるのか?という商品である。この商品を買ってステイタス感を味わいたい人は自分のニーズを曲解して買うだろうが、その機能はどうしてもそれだけの価格価値があるようには思えない。

 第3位は、ダイソンのセラミックヒーター。例のファンの内扇風機の温風タイプ。それが、10,000円以下なら最悪あってもいいかもしれないが、特価で¥57,000って!そんなの買うか!思いの他、掃除機ののびしろが頭を打っているのだろう。

 第2位は、ルンバ。勝手に床を掃除する奴。これがまたアホほど高い。いらないいらない。

 第1位は、マッサージチェア。例のもみほぐす奴である。これの価格が¥320,000って、アホらしくて言葉を失う。仮に320,000あったら何を買うだろう・・・。恐らく、最新のパソコンとソフトと書籍とDVDを買って終わりだろうが、それと同じ貨幣価値の椅子に座って、さて、何をもみほぐすのか?

 つまり、薄型テレビも家電も売れないんでしょうね。飽和しているから、壊れないから、競合他社が頑張っているから。だから、ちょいちょい、上記のような「無意味な暴れん坊商品」で売り上げの嵩を上げようとしているのだろう。で、それを鵜呑みにするユーザーがいるという構図。それで整えた微妙なバランスの上に、経済の復興はないだろうな。「モノ」の貨幣価値をガチで学ぶ期間が必要なのだろう。

 最近、アマゾン関係のネットショップに商品を卸しておられる方といろいろお話をする機会があったが、その方のノウハウの自肩の強さはハンパではない。ネットビジネスの本当ののびしろは最終的に商品の質ではなく、売り手のポテンシャル。こうなると売り手というか創り手に近いから、土地でも宝石でもブランド商品でも株でも金でもオレンジでも、右から左へ転がしている人に旨味が集中しないような仕組みになってほしいもである。って、本当の旨味を知っている人はそもそも何も転がしてはいないし、自分自身のポテンシャルで価値を創っている人だろうし・・・。

自滅。

 「先延ばしで後悔しないたまの新しい経済学 自滅する選択 池田新介著」という大阪大学社会経済研究所教授(行動経済学会会長)という書籍がある。第55回「日経・経済図書文化賞」を受賞した書籍らしいが、この紹介文には「夏休みの宿題を後回しにする人は、禁煙・ギャンブル・飲酒の習慣があり、借金があって太っている確率が高い!最新の行動経済学と心理学で、目の前の快楽になびいて後悔する、人間の本能ともいえる選択の癖を分析。回避する技術を教えます!」と言っているそうである。さすがなんとか賞を受賞するだけあって、然るべき機関をしっかり意識して文脈を整え、適正なデータを適正な目的に向かって論じていそうである。結論から言うと、この本は買わない。

 まず、軸足が「自滅しない。」という偏りを強く感じるし、そもそも、人間の本能がジャッジする選択に規律や規範を設定してこれはいい、あれは悪いとするのは簡単。自滅しているか否かをチュートリアルに沿って感じたとろこでそれは自滅を回避しているとは言えないような気がする。まぁ、この書籍を読んでもいないのにこんなことを言っていること自体が自滅型なのかもしれないが、これが人間の本能だから仕方ない。強制されれば「自滅を回避したと誤解」するのは簡単だが、その向こうの景色は見えない。そして、絶対的にリアル世界も心理の世界ももっともっともっと広い。どんなデータを列挙しているか知らないが、優等生が書いたどこかの書籍のオマージュレベルだろう。

 逆にリアルでも精神世界でも自滅に向かうベクトルでしか得られない本能の「ひずみ」や「誤差」や「摩擦」や「さび」や「ゆがみ」を知ってこそ人間のなんたるかに近づくような気がしますが、いかがでしょうか?私自身、「夏休みの宿題を後回しにした人間」だし、「喫煙もギャンブルも飲酒」もしている、まぁ、太ってはいない(脂肪率14%)から、何もかも擲って快楽に猛進してはいないが、自分の中の「自滅」がなんたるかを考える暇があれば、手を動かしたいと考えています。

世界。

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 なにかにつけ人間は世界を地球を宇宙でさえなんとかしたいと考えている。でも、そんなことはできっこない。住みやすく便利に進化させたいところだが、この絵のように、宇宙が黒板でそんな人間の願いはチョークで描いた絵。1時間目が終わったら当番が消せるような絵。それよりも、今、手の中にある小さななリアリティーを大切にしたいものです・・・ね、などという考えが浮かんだ写真でした。

断食。

 何故かふと土曜日は「断食」をしてみようと思った。理由はいろいろあるが、ただ、どうなるか?どんな気分になるだろうか?と思った。さすがに平日はキツイだろうし、日曜日もキツイ。だから、土曜日というだけ。一時、昼飯を抜いて一日2食にしていた時があったが、体調的に気分的に調子はよかったのだが、1ヶ月ほど続けていたらヘルペスが出てきた。これは疲労も若干あったらしいが、薬屋の専門家にひとこ「栄養不足ですね。」と言われた。それから一日2食は辞めていた。先生いわく、身体からの警告信号だと思ってくださいとのことだった。つまり、体調的に気分的に快調だと思っていても、やはり、昼飯は必要だったということ。別段、ダイエットなどと考えたわけではないのですが、なんとなく、健康になれるかな・・・という程度の思いつきだった。

 で、もう、あのヘルペスは嫌だから、1日ぐらいだったら大丈夫だろう・・・という考えでの「断食」。最近はいろいろな企業のセミナーや精神修行プログラムにこの「断食」が取り入れられているらしいという情報も少なからず影響している。実際、そう考えてみると、1日何も食べなかったという記憶はほとんどない。奥歯が虫歯になって、顎の骨の中に化膿した膿が溜まって口が数ミリしか開けることができなかったという経験があるが、それでも、その数ミリの間からポッキーを食べていた。だから、固形物を何も食べていないという経験は初だ。定期健診健康診断でさえ、夕食を食べて午後8時頃からの絶食だから、1日断食とは違う。

 ということで、朝飯と昼飯を今抜いている状態ですが、昼すぎぐらいからお腹は鳴りだしたが午後3時ぐらいから落ち着いた感じ。で、今も仕事中ですが、結構、空腹は気にならない。このまま夕食を抜いて練れば「一日断食」が完了するが、意外と辛さはない。結構、これはいいかも。

 朝も昼も飯を喰うという意識をなくしたら、朝の7時からぶっとうしで仕事に集中できている。ほぼ10時間ずっとパソコンの前。この調子だとあと5~6時間は行けそうですね。明日の朝飯はことのほか美味いだろうな・・・。まぁ、こんなことも健康だからできることかな・・・と。

銀魂。

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 なんでしょうこの圧倒的な存在感と圧倒的な価値の絞り込み。よくもまぁ、ここまで突っ込んだものである。というかここだけは誰もダイブしたくともできなかったのにそれを見事にいとも簡単に「銀魂」はダイブした。それは勇気なのか破天荒なのか計算なのかタイミングなのか?どの価値感でこのノリを解釈しようとしてもそれをこれは超えている。漫画・アニメという表現手法でここまでダイブするとさぞさぞ心地いいだろうなぁ~とさえ思いますね。特筆することはないがその「特筆できない醍醐味」が銀魂という魅力になっているのだろう。かなりの加減で唯一無二の世界を創ってしまったのですね、この作者は。いやいや賞賛に値します。言わば、カオスの時代に精製された錬金術のような。

損得勘定。

 「楽しまなきゃ損だ。」という論理がある。また、「損をして得を取る。」という思考パターンのそれらはいったい何をどう推量しているのだろうか?その詳しくを正確に算定する基準はない。恐らくこれらの推察をいろいろな基準で計測しながら、「損」と「得」の相関性を調整しながらあらゆる活動の指針になっているはず。つまり「損得勘定」をしっかりできていれば、思考も心も懐もいい状態をkeepできそう。

 だが、これはなかなか難しい。ある人にしてみれば損な行為が別の人では得だと感じてしまうことがあまりにも複雑に絡み合っているのが世の中であるから。ひとつの基準である貨幣価値にしても、お金をたくさん持っている人とそうでない人では1円の価値が異なるし、心にその価値感の比重を多く置いている人であれば、一般的にそれは損だろうという出来事が「得」に変わる。また、貨幣価値とは別のベクトルで言語という伝達手法がこれをある側面でややこしく複雑にしているとも言える。言葉の質量とでも言うのかここが実は一番社会生活におけるマジックなのである。情報は誰かの言葉の集積であるが、アウトプットされたその情報の質量はサーバに保存された段階で質量を失うに近い。しかし、価値があると誤解しているのが現代社会の根底に流れる、一種のモラル。このモラルを自分の中のモラルと相関させるとひとつの方程式に気がつく。気がつくがその段階ですでに、自分なりの理解力と認知した情報に誤差が生まれる・・・みたいな。

 だから、損得勘定とは自分自身のさじ加減ひとつなのである。つまり、自分の中のモラルと普遍的な概念や哲学や論理をどう捉えているかで変容する、変容の仕方をいくつ持っているか、もしくは、持っているか持っていないか?見えているか聞こえているかのディテールというか、リアリティーでしか、その実態は実は判断できないのである。もっと言うと、判断では正確に判断ではない場合が多く、実は、最後の最後で「五感」しかリアリティーを真実を得る方法がないが正解。ただ、岩盤に描いた牛の時代から「牛」のリアリティーは同じだということも知るべきである。

アニメ産業の行方。

 新聞には「リーマンショックの影響などで停滞が続いた日本のアニメ産業が活気を取り戻してきた。新作の制作が増えたほか、海外での現地企業との合作、ネット配信の本格化など攻めの動きが目立つ。この勢いに弾みをつけ、日本の好感度向上にもつなげていきたい。日本動画協会によれば、2011年にテレビで放映されたアニメ作品は220本で前年比率10%増。06年の279本を頂点に減り続けた本数が増勢に転じた。新作に限れば164本と18%増だ。アニメは玩具、ゲーム、音楽、関連本、ファッション、美術、観光など周辺市場も活性化させる。主題歌のコンサートや仮装大会、舞台となった場所への訪問と、アニメファンの消費の幅は広がっている。自治体などはこの流れをまちおこしに生かすべきだ。日本アニメは海外にもファンが多い。歌や仮装などの催しも国境を越えて広がる。征服や弁当、神社に海外の若者が関心を持ち、観光や留学で日本を訪れている。今年12月には人気アニメ「巨人の星」が現代インドに舞台を移して再制作され、現地で放映が始まる。違法配信が多い中国でも、日本のテレビ局が参加して正規配信が始まった。こうした工夫の積み重ねで海外市場を収益源に育てたい。日本への親しみも増す。政府は「クールジャパン」の標語を揚げアニメ、漫画、ゲームなど大衆文化やサブカルチャーの育成を目指している。しかし現代は手探りが続く。東京都は10年前からアニメの都を目指し見本市「東京国際アニメフェア」を開催、10万人前後を集める。それとは別に経済産業省は3年前から小規模な「東京国際アニメ祭」を始めた。海外企業は戸惑いを隠せない。東京都は一方で漫画流通への規模を強めており、出版界の反発を買っている。大衆文化を育てたのは、戦後日本の自由な空気だ。主役は企業、制作家、消費者。官はサポート役。この分担を忘れず、せっかくの芽吹いた産業をうまく育てたい。」としている。

 恐らく、官たるや高学歴の諸子に「漫画」の「アニメ」のなんたるかなど分かるはずも術も道理もないだろう。「漫画」「アニメ」か一番遠い生活を送ってきた人間がこの鉱脈に触れるべきではない。この鉱脈、君達が考えているほど甘くないですから。「漫画命」「アニメ命」と銘打つ人間にドン引きコメントをしないでほしいものですね。だって、ある意味、「漫画命」「アニメ命」ではなく、「命漫画」「命アニメ」なんだから、このニュアンスを脳幹で感じる人達とスピリッツを共有したいものです。

 だから、「産業」という言葉も本当は嫌い。