僕の好きな先生。

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 全く理由は定かではないが、昨晩の夢に故清志郎さんが登場した。そして、あのテイストで「僕の好きな先生」を歌ってくださった。全く理由や原因は不明。この名曲を自分自身がどう捉えているのかということも明確に論理的に理解できない整理できない状態での「僕の好きな先生」は夢でありながら、なんとも心に染みた。音楽に関わっている人、音楽について蘊蓄や自分が好きな理由などを切々と説く人がいるがその言葉はどれをとっても弱く質量がない。そもそも、音楽を語るなど必要がないからである。さらに、音楽は好みから昇華することがないのに対して、アカデミックに捉えたり、集客やイメージアップに利用する目的で手法と混同することが多いが、これもナンセンス。本来感じる以上に何もできないはずなのに・・・。

 「煙草と絵の具の臭い」のする先生ってもう絶滅しているだろうから、恐らく故清志郎さんのメッセージは法典の中で金字塔の上で化石化するだけなのか。音楽と目的を混ぜないスタイルが好き。音楽は音楽であるべき。機材や技術やコンセプトやスタイルはすべて「後付け」が理想ですね。

 自分自身の好きな先生の顔がいくつも浮かび今朝は目を覚ました。先生は偉大である。