遼君の10勝目。

 親友と少し電話で話すことがあった。お互いにデザイナーとイラストレーターという立場でこの仕事をお互い同じぐらい(約25年ほど)やってきた親友である。同じモノヅクリの立場で共有できる想いも多くいつもいつも話をするだけできしんでいる歯車に潤滑油が流れ込み、枯渇しかけていた燃料タンクが満タンになる親友。どんな偉い人の著書やどんなエキスパートの雄弁に耳を傾けてもこの状態にはならないのに・・・。親友の言葉ひとつひとつが明らかに明らかに自分自身の中の細胞分裂を活性化させる感覚。昨今のSNSは広く浅くの交友関係がテッパンらしいがそんなものはFUCKである。それは全く時間の無駄。くだらないを通り過ぎてどうでもいい。ましてそれを活用するための空想の便利を詰め込んだスマホやタブレットに心の羅針盤は動かない。そんな親友の存在が本当に宝物である。ルフィー的に言えば、ゾロのような存在だろう。タイプは違うがどこかでお互いをどこまでもリスペクトしている相手が最高。人生の指標を何かで計測するモノサシがあるとすれば、それは地位や名誉や学齢や資産ではなく、親友の数だろう。むちゃくちゃなことを好き勝手にぶちまけても、「お前はいつも相変わらずやなぁ~!」と優しい言葉を返してくれる親友が人生の宝である。これが真のコミュニケーションである。毎晩、酒を飲みながらどうでもいい理論やゴシップに声帯を疲労させることがコミュニケーションではないし、会議会議と無駄な感想を井戸端会議的に結論や極論を避けて時間を浪費することがコミュニケーションでもない。まして、安いコンセプトに安い面子で激安の達成感を共有しあうことも無駄。これらのカッコ悪さの極みをどれだけ積み重ねてもグランドゼロ。地面は生きているのだから、振動と液状化でそんなことにエネルギーを使っていると精神の沈下は避けられない。

 で、そうならぬために苦労があり探究があり行動がある。いつもいつも安全牌ばかり捨てられないのがゲームだから、冒険もする必要があり、冒険をすると想定外の傷を負う。だけどその向こうには確実に期待以上の何かがあるのだろう。

 さて、遼君が最少年齢で10勝をあげた。2年ぶりのVらしい。あの遼君でさえ、この10勝目で涙を流したらしい。あの遼君でさえである。羅針の触れないベクトルに無駄なシナプスを結合させぬよう、常に緊張感を持って触手の方向を吟味・確認したいものである。おめでとうございます遼君。