内向き、外向き。

 東京大学で教鞭をとった体験を安藤忠雄がこう語っている。「グローバル時代といわれる中、日本の大学生は内向きすぎるとの批判がある。実際、留学を志す学生数の減少が続き、就職しても海外勤務を望まない新人社員も増えている。」と。さてこの「留学生の減少」という指標が何を意味するのか?一概にどの時代にも「内向き」「外向き」の人間は比類していただろうし、何もこの時代に限定したことではない。しかし、安藤さんは「明治以降の日本が小さな島国で資源やエネルギーもないのに世界有数の経済大国になれたのは、多くの優れた人材がいたからだ。しかし、今の日本の教育制度で、かつてのような豊富な人材が育つのを期待するのは難しい。アジアの国々が猛スピードで進み続けているのに、日本の大学生は国の先行きが全く見えないという不安を抱えたままだ。」と。一方で、大学への責任という指標がある。「大学生の内向き志向を変えるためには、日本の社会全体がもっと世界に目を向けなければならない。国際社会における日本の立ち位置が変わっているのに、日本人は依然として一流大学から一流企業へと進むことが安定した生活を約束されていると信じている。もはやこのような図式は通用しないと覚悟すべきだ。」。また、若い頃に多種多様な経験値を与え考える機会を与えなければいけないよと言っている。これら全てに言えることだが、右脳議論に全て包括されている安堵感が根底にある以上、ここから一皮むけることはないだろう。

 極論を言えば、戦後の貧しい社会になれば、学生は自発的に危機感を感じ取り、独自の貪欲さの図式を探究し始めるのだろうか?ひと言で「戦後」などと言ってしまうにはあまりも大きな時代の分岐点をまさか仮想空間で計画しているとしたら発展途上から先進の次にある「老朽国」の称号のような気配。介護介護で国の予算が高まればそれが「雇用」だと勘違いしている人。ハネることのない文化にセオリー通りのループを重ねる人。回遊魚に餌を与えているのか、与えられているのかが混沌としている地方地方地方。この図式ではまったくハネる余地がない。デジカメがスマホに変わり、いじめが14万件になり、政治家達は椅子取りゲームで裸の王様状態。これは海外の人にしてみれば、「黄金のジパング」の再発かな?だからアニメコンテンツに海外の人達は喰いついているような。灯台の元は暗い。

 まぁ、この際だから、「内向き」とか、「外向き」とか、深く考えず、さりとて、安直に結論を出さず、押すか引くかのバランスを試行錯誤しながら、出る時は出ればいいだけだろう。海外勤務を命じられるような大企業に属したことがないのでそのプレッシャーは知る由もないが、私自身なら、完全に「ガッツポーズもの」だろう。だから、今の学生、今の学生って昔、学生だった人はよく言うが、今の学生諸子はそんなに内向きな印象はない。外向きベクトル過ぎるのも考えモノだと、芸大時代のみんなの顔が頭に浮かぶとか浮かばないとか・・・。