世界地図帳到着。

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 アマゾンから世界地図帳が到着。これこれ。思っていたより詳しいが、中学校の頃よく見ていたのよりも少しページ数が少ない。山や川や湖などももっと図で表現してあったような記憶があるし、代表的な都市の写真などもあったような記憶がある。しかし、世界中の全地域の名称は昔と比較にならないぐらい詳しく地図の中に配置されている。まぁ、山や川のことならネットをリサーチすればいいわけですから、それはまた別の方法でいいかな。とにかく、一冊の手の中にいつでもどこでも見る(私の場合鑑賞に近いが・・・)地図帳はなんか嬉しい。この気持ちをなかなか誰かと共有することは難しいが、小中学の頃、何かあれば地図帳を広げて世界の国や都市のことをチェックしていた感じはこれで十分です。今、世界には2012年の1月の段階で日本を入れて195カ国。昔は全部覚えていたし、首都も代表的な都市や産業や人口も覚えていた。というより、毎日見ていたから頭に入ったが正しい。さぁ、国の名前を記憶しましょう!というテストは嫌い。興味もないことを覚える能力って必要ないと思う。個体として興味のベクトルが身体の頭の中から発生してそれに能力が追随するが正解。

 いやいや、これ1冊、この情報量とこの仕上げで¥1,260は破格な価格である。これはぜひ棺桶に入れて欲しい1冊ですね。

 点で各国の情報を入れてあると最小限の情報は入っているわけで、そこで、海外の小説や映画などを観ると「あっ!あの街だ!」とか「あの川だ!」ということなり、小説で主人公がこの街からあの街に移動する時にこの鉄道を使っているとか、この高速道路を使っているなどとその名称が登場した時にはもう頭の情報と実際の映像や物語がシンクロする。これが楽しい。何何湾のほとりから見る、何何アイランドは~などという描写もすぐに地図帳をチェックする。すると、あ~あ、この感じか・・・と小さい点が頭の中で繋がる感覚。ネットの情報は言わば点、つなぎ合わせ方は発信側の都合になっている場合が多い。これは編集の際に必然だからなかなかフラットな情報に精査されていることはない。これは当然必然のことだから、見る側がどれだけ細かいディテールのベクトルを持っているか否かでその点の意味が異なるのだろう。つまり、ネットの情報の性質上の特長とその情報を求めている人との相関性を考えてよりディテールに注視した表現・仕様・構造に情報をチューニングする必要がある。その一つの手段が「デザイン」だと言えるのではないだろうか。

 情報系の人間は「世界が小さくなった」「地球が小さくなった」と思いたいらしいが、世界も地球も昔からサイズは変わっていない。正確には地殻の変動・運動・活動と自転・公転の影響で膨張しているのだから。小さくなっているのは「人間の世界観」だけかもしれない。他の生物たちは失笑していることだろう。