2012年12月 アーカイブ

すべらないということ。

 年末恒例の「すべらない話」。今年も逸品揃いでしたが、やはり、陣内さんのお話が最高の仕上がりでしたね。松本さんのお話も素敵でしたし、小藪さんのお話もスタイルが完成されていた。あのメンバーがあの空間で吐き出すすべらない話というリアルは、やはり、テレビのリアルであり、あの空間でアウトプットする人とインプットする人の構図にこそ実は情報交換の本質がある。「話す」という行為がかくも人の本能を刺激することに注視すれば、数多の諸行のパワバラが説明可能だ・・・みたいな。それを勿論ガチで演出効果のそれに置き換えテーブルの正面に鎮座している松本人志が素晴らしいのである。脇を固める他のメンバーのポテンシャルとそれを会場で鑑賞するあそこに座れない人達。ただ単に「笑うう」「すべらない」という価値観が生み出す不思議で愛すべきひととき。いやいや、楽しませてもらいましたね。

 「しばくぞ!」にあれだけの脚本と物語感を注げるエネルギーが凄まじい。

冬の風景。

izumimura121229.jpg
 空の青、雪の白、モノクロの風景。冬の景色のコントラストは美しい。複雑な色彩に溢れる構図よりも、単純な色彩と構図に心は動く。それは冬だからなのかその場の気持ちからなのか、何かを美しいと感じることに理由は要らないと純粋に思える景色がいい。心と呼応している感覚に本来理由は要らないはずなのに便宜上の理由に純度の低い先入観に迷わされているとこの景色が見えなくなる。気持ちはこの川のように常に流れ続けているものだから、その時とその時の気持ちを俯瞰で捉える心を失わなければ、いつでもこのシーンに出会えると思う。日々の雑念に心を奪われ、焦り憤り疲労していると視力が淀むのだろう。曇りなき眼で・・・とアシタカが言っていたが、昨今、この現代ではそれがなかなか難しい。迷わされることが多いからか、本能が浮世の万象に機能低下しているのか。それを自由にコントロールできるようになれば、自然と見える力が蘇生されるはず。そんなことを考えてしまう福井和泉村周辺の原風景でした。

そこに風が吹いているのか。

wind121229.jpg
 なんの工場かは知らないしどんな成分の煙なのかは不明ですが、そこまで無風でそこから風が吹いているということなのでしょうね。なんとなく「?」のように見えたのでパチリ。

あと3日。

 なんともこの1年は早かった。まだ、総括する気持ちにはなれませんが、なんとか、この1年を・・・と考えるようなモードになってきました。あと3日ってことで、この2012年はどんな一年だったのだろう?世の中の景気のこと、ビジネスの動向、ネットワーク上の展開、自己啓発と探究への取り組みなどなど、振り返ると反省反省反省。ただ後悔は少ない。これは性格上の問題だから毎年のことです。年々、身体的には目が悪くなる、記憶力が低下する、頭が硬くなる、健康管理が神経質に・・・とテメエのこととなると、なんとも歯がゆいことばかり。娘は逞しく成長しているわけだから、親父は年と共に・・・が正常かもしれないが、まだまだ、よっこらしょと落ち着くわけにはいかない。さらにさらに、覚醒させる部分は覚醒させて、熟成させる部分は熟成させなければいけない。また、歳と共に理屈が細かくなる傾向をなんとかしなければと思えば思うほど大切なポイントが見事に欠落して、繋いでいるつもりが、マダラ模様に細かったり太かったり。もっとそこそこの年齢なんだから余裕を持って落ち着いた判断をしたいのが理想。でも、想定以上に程遠い。こうなるともう愚痴しか出てこないので、今晩はこれぐらいにしておこう。

 とにかく2012年もあと3日。平常通りにONE BY ONEで頑張ろう。

 しかし、オビトだったのか・・・。

わかりあえないこと。

books121226.jpg
 なるほどなるほどなるほの一冊。アマゾンで買うほどでもないので書店で見つけたら買うクラスの書籍だったのですが、書店で発見したので買いました。確かに10連発の凄まじいアプローチである。そうだよなぁ~!ってことの連発で素敵過ぎる文脈。何故に対する正解などないはずの万象に答が用意されていることだけに向かうベクトルの無意味さとでもいうのか、言語非言語でさえメンドクサイという感じ。確かに存在する「わかりあえないこと」を先送りすることなくなんとかしましょうよ!という著者の人間力が素晴らしい。その魅力がここまで文章になっているとこれまた書籍の価値を改めて・・・みたいな。このタイプというかこの属性の切り口は下手すると全てを包括してしまうぐらいの度量・器量があるから、警戒すれば青天井だし、深みにはまれば泥の底なし沼状態。しかし、それぐらふわふわした浮遊感で実はいいんだ・・・と安心させてもらえる一冊ですね。

 学校で行われているコミュニケーション能力活性化の諸行さえおままごとに思えるからたかが書籍、されど書籍なのである。そもそも正解のない方程式に無理やり答を用意するダブルバインド。これがどうやら最大のキーワードのようですね。確かに!

 しかし、カレイの突き出しと、あれは「こはだ」と「しめサバ」だっただろうか・・・、美味かった!!!

絵になる強い女(ヒト)です。

kiko_mizuhara001.jpg
 強い写真ですね。美しいということ、どこか東洋チックな西洋チックななんとも強い目ジカラのある女性ですね。

GIFT!

dvd_fringe_first.jpg
 いつもぶらりと立ち寄る書店の近くにある中古ショップ。いつも流れで中古のDVDのコーナーを流すのですが、昨晩に限りこれが置いてありました。なんと1と2で3,900はビンゴでした。思わず購入しました。ということで、この休みは改めてファーストステージを楽しみたいです。DVD11枚の全22話です。楽しみ楽しみ。

これを撮影しに行こう!

mt_fuji.jpg
 よし!これを撮影しに行こう!そしてそして、ワカサギの天婦羅!

10分あれば・・・。

 メディアファクトリー新書から出ている書籍ですが、まぁ、自分自身が書店が好きだから・・・という理由もありこのアプローチの書籍に魅かれていることは間違いないのですが、それでも、なかなかの書籍のような気がします。あえて・・・というか、何周も回っていると結局ここに辿り着くみたいなこと。

 「10分あれば書店に行きなさい」という教育学者 斉藤学著の書籍なのですが、まず、「本屋さんはこんなにいい。」という下り。「本は、著者の膨大な情報と精神力が注ぎ込まれた「刺激物」である。それらが揃う「書店」は、人類の知的エネルギーが集積された刺激的な空間だ。」とある。これは誰も曲解する余地はないだろう。特に「精神力」が注がれているのが書籍であり、タブレット&PC経由の情報に精神力が注ぎ込まれていないとは言わないが、「著者の精神的エネルギー」を具現化できているのは書籍という在り方が最も適正な気がします。

 「書店で本を選ぶときは、1冊せいぜい1~2分で判断する。10冊ならば脳は10~20分間フル回転するから、かなりの集中力トレーニングが自然と実践できてしまう。」と、この部分もなかなかいい。確かいに1冊を判断するのに2分は短いが、その間、一冊の書籍を分析する時、かなりの集中力でチェックしていることは実感できるはず。目的を持って行っている場合、その目的にどの書籍がマッチしているかを判断する時、かなりのエネルギーを使っている。特にソフトウエアのテキスト本などは、仕事にダイレクトに繋がっているわけで、知らない技術や目的のコンテンツを作るための技術などは、ネットでリサーチできる場合も多いが、意外と(慣れかもしれないが・・・)書籍の方が的を得ている場合が多いし、短時間に欲しい情報を獲得したい場合は書籍が有利なような気がします。

 「「新書」は全ジャンルを扱うから、新書コーナーを見るだけでも有益な情報を仕入れられる。印象的な書名の本は内容を把握しておくと、仕事相手からも一目置かれる。」なるほどなるほど、それはある。これについてはネットの方が早いと捉えてしまいがちだが、早いことは早いが、ネットの情報はまとまっていないことが多い。早い情報のディテールが浅いと逆に整理するのに迷うことが多い。

 「旬の人をチェックするために、雑誌のコーナーでいろいろな雑誌のインタビュー記事をチェックする。心に残った発言を雑誌に織り交ぜれば・・・」という旬をリアルに体感できるのも書店の特長。

 「ビジネス書のコーナーには、自分の欠点に気づかせてくれる本が多い。しかも本は読者を叱責しないし、人前で恥をかかせることもしない。優れた「師」を探せる。」と。確かに、ネットのコミュニケーションには一見、主観的な純粋なストレートなコミュニケーションができているようだが、実は、とてもメンドクサイ会話や摩訶不思議なルールやフェイクが多いのも事実。これらにモチベーションを浪費するよりも、一冊の書籍と向かうことで集中力が高まるとも言える。

 「書店で本を買ったら、近くの喫茶店ですぐに読み始めよう。読みたい欲求が最強なのは購入した直後だから、ざっと目を通すとお蔵入りにならない。」確かに、いつでもどこでも閲覧できる電子ブックのスタイルは逆にテンションが維持できない。書籍を読みたいというTPOがあって脳のモードが切り替わるわけだから、それに適正な存在感は書籍の他にない。

 学生の頃から時間があれば・・・というか、何か考え事をする時やもやもやしている時も目的がない時も書店にいることが多い。落ち着くということでもないし、刺激が豊富だということでもないが、なんとなく書籍や雑誌の表紙を見ているだけで頭と心がいい状態になるような気がします。今まで体験したことのない趣味や競技の類も、ネットで映像や写真を見ることも多いが、著者が整理したその手の書籍の文脈には確かに情熱がありますよね。

わかりやすい文書の書き方。

 これ非常に大切。最近、しをんさんの「舟を編む」を読んでいるのですが、日本語って深い。また、日本人のコミュニケーションって言語的に捉えると非常に複雑で、国語力って義務教育の中で学べるようで学べていない。国語(日本語)力が義務教育終了後全ての人に備わっているかと言えば・・・みたいなことがいろいろなビジネスの側面で取り上げられている。そもそもの部分が非常にグレイなのだから、文学やメディアやビジネスツールとしての日本語について当然穴があるという仕組み。

 で、このような書籍「正確に伝わる!わかりやすい文書の書き方」という書籍が必然となる。一読で要点がつかめるように書き、仕事の効率を上げる!ために的なアプローチ。その秘術!?を30のポイントで記されているのですが、「が」「は」「も」の使い分け。「ような」「という」「など」の乱発はしない。誤解を防ぐ「、」の語順。長い文の読みやすさは文の前半が決め手。社会人にふさわしい言葉遣いのツボ。「くださる」「いただく」で感謝と恐縮を最大に。誠意が伝わる謝罪の手順。案内状は大きな情報を先に示す。などなどがポイントからの抜粋項目ですが、なるほどなるほど。

 昨今、ネット上の「日本語」は時代と共に変容しつつあるということはなんとなく理解しているが、さりとて、正しい方法論はとなると基準値は不明が現状。あまり深い探求はしたいとは思いませんが、適正な文書に取り組むための指針は持っておきたいものです。

そろそろかな・・・。

dell_t7600.jpg
 そろそろこれかな?DELLのワークステーションで、最高級と。タブレットもスマホも別段欲しいとは思わないが、これはいい。絶対にいい。DELLのT3500も最初は良かったが2年使うと過労が目立つ。導入当初から比べるとどこか骨粗鬆症のようなケースが頻繁に起こる。そろそろメインマシンを変える時期かもしれない。となると、次はこれかな。さてさて、どこまでスペックを上げようか・・・という感じ。

Bow!

frankenwennie_gazo001.jpg
 なんか、良いなぁ~。

残念!映画「宇宙兄弟」。

 う~ん、かなり、かなり期待していただけに映画「宇宙兄弟」は残念だった。何がどう残念かについてまとめてみたが、どれも、特筆するような部分はなく、とにかく残念だった。何だろう?すべて残念。とりたてて残念なのは月のシーン。あんなに月の砂は粗くはないなずだ・・・あたりが気になり、クレーターから見る地球はあんなにボケていないはず。手を伸ばせば届くような距離感で浮かんでいるはずなのに。しかも、なぜ、星雲ではなく地球なのか・・・。映画用の脚本がこうなってしまうと、こうなるだろな…的な。人気が出たから映画というスタイルにいいとこだけ映像にした感じだ。う~ん、コミックスの分厚い物語やキャラクターの掘り方が薄い。とにかく残念。

 早く、「プロメテウス」を観てこの後味を消したいものです。

リバランをひさびさに。

 ひさびさにDVDコレクションの中から「リバラン」を観た。フライフィッシングのお話であること、ブラッドピットの若かりし輝きの刻印作品であること、さらに、奥様であるアンジーの実のお父様との共演であるということなどなど、この作品の質量は高い。自分の中で高いだけであって、他の一般の感覚は分からないが、やはり、好きな映画を100本セレクトしたらこれは必ずBEST100に入ってくる映画である。淡々と流れる川のように物語は流れる。ぎこちなくフライフックを結ぶ映像から川面の映像までマクリーンファミリーの物語は心に響く。もう何回も観ている映画なのに、観る度に心への響き方が異なるのは何故だろう?決してテーマも手法もビジネス背景もごり押しはない。ただ美しい自然と川と魚、そして、家族という視点で物語は進む。しかし、そのワンシーンワンシーンが心に響く。そもそも「釣り人」というモチーフが最初はこれほど心に響くのかと反芻した時期もあったが、決してそうでもなさげである。ラストシーンで「私は川に心を奪われている。」的なコメントがあるが、その言葉の意味は非常に深い。その川をあの存在感で駆け抜けたブラットピット。やはり、いろいろなタイミングが交差しながらも、それが必然のようにパズルの最後のピースのようにその存在には意義がある。

 さて、今読んでいる書籍の中に「舟を編む」がある。勿論、しをんさんの作品である。来年に映画化が決定している作品であり、書籍が発行された時から書店に並んでいるのはチェックしていたが、それまでに読みたい書籍があったのでそれには手を出さないでいた。しかし、いくつか長編を読み終えて、そろそろかなと買って今中盤戦である。しをんさんの小説作品を読んでいると、小説家という人間の構造がよく理解できる。現代の日本の小説家では最近あまり心に響く作品がない。「ジェノサイド」は別格としても、他のよく映画になっている小説やテレビドラマなどになっている原作の小説作品もたまにはつまみ食いをするが、まず、アタリくじを引く確率は低い。また、書店のオススメ小説や話題になっている作家や作品も同じくつまみ食いをするが、このアプローチもアタリは皆無。すると、流れとして同じ作家の作品に触手が伸びることはさらに確率として低くなる。当然、好きな作家もいれば嫌いな作家もいるから、それらの作品は絶対に読まない。読まないというスタンスに意義があるからである。誰かに進められて書籍を読むことはないので、嫌いな作品は徹底的にタッチしない。私自身、他人に書籍を進められてその書籍を読むという人は5人ほどしかいない。この5名に進められた書籍は何を置いてもプライオリティーが高い。そんな5名には逆に年間どこかのタイミングで最近のベスト1を送っている。これが書籍の正しい読み方であり在り方のような気がする。

 さらに、国内の作家で言えば、やはり、金字塔は読む。というか読むべき金字塔しか読まないが。その金字塔には金字塔の背景があるわけですが、しをんさんの作品も、リバランもしかり、どうも、好きな小説には同じ川が流れている。とは言え、私の趣味趣向は非常に多岐多様で不連続なパターンがあり、それこそ上海のバタフライ飛翔とN.Y.の岩盤の振動ほどシンクロする変数が多い。どんなジャンルの小説をよく読むのか?とたまに質問されるが、この「ジャンル」という区分けがそもそもどこを指しているか不明な質問にはお茶を濁す程度で対応している。人が何故書籍を読むのか、映画作品を観て心を震わせるのか、絵画やアートの作品を観て心をどう動的に変容させようとしているか・・・あたりを、ガチで共有できる人意外は、申し訳ないが、直感でスルーさせてもらっている。「言語が違う」ということを言葉にしてしまうと、語弊が独り歩きするからである。また、軽々しく共鳴などした日には結果、心の中で、「なんて日だ!」と叫ぶことになるからである。

 で、「類は友を呼ぶ」ではないが、重ねる会話の時間とフレーズの量とシンクロの度合いは無関係。だから、こんなブログにこうして書き出していることも、1周回ってどこに向かっているかも不明なのである。が、実はこの「不明」な感じこそが、大切で、それが気にっているから人はただアウトプットをしているのだろうと考えている。だから、そのアウトプットを受ける時がさらに大切で、受け方とかよけ方とか見極め方の部分で楽しいキャッチボールをしたいものです。

 しをんさんの小説の世界観を読んだら出会ったなら、他の日本の現代の小説が「資料」のようにさえ思える。つまり、世の中が「資料」を求めているからなのだろが・・・。映画もテレビもこの「資料化」が止まらない。言語化されたいわゆる作品と呼べる質量を見極め蓄えるポテンシャルの小さい人が増え、多様化の影で単一的なピースを集めるだけのコレクターが増えたのかもしれない。

 うん、ひさびさにブラックバスの顔が見たくなった。

やっぱいいわ。

ny_city121214.jpg
 やっぱ、ここで自立したい・・・という願いは何歳になっても捨てられぬ。いいなぁ・・・。

加茂川の橋の上。

kamo_river121213.jpg
 いつも電車や車から見ている加茂川。徒歩で見るとこんなに広いのか・・・。

雪山にアタック!?

snow121213.jpg
 まず、何が必要なのだろう?この時期このスタートラインに立つには???

なかなかのリアル。

type96_gazo001.jpg
 なかかのリアルな質感である。営業マンの対応もしっかりしているし、詳しいお話もいっぱい聞けましたし、やっぱ、この買い物は本店(本社製造元)がいいかな・・・と。競技会で勝ちたくって部品を交換したりチューニングをしたり素人が余計なことをすればするほどモノの精度は下がること間違いなしだそうだ。それはとても理解できる。車にしてもバイクにしても、ど素人様が自分の感覚で余計なパーツや改造をしているのを見る度に残念な気持ちになるあれ。それで機能に損傷がないのならそれは自由だが、この手のギアは素人が簡単に手を入れるべきではない。なんでも道具を使うのは人間。勝負に勝ちたかったら「腕(技術)」と「ハート(精神力)」を鍛えてくださいとのこと。なかなか熱い担当者である。これで買うのはこの本社に決定する。ネットでいくら上手いセリフを並べても、熱い担当者からの電話一本で心は決まるのですね。とても安心しました。

 やはり、なんでもそうですが、「道具」でも「戦略」でも「運」でもないのですね。「技術」と「ハート」なんですね。「この二つが弱いと勝てない・・・」と。これ何事にも適用できる単純な方程式ですね。

イグアナ君。

iguana_cyan001.jpg
 かわいい。長浜で飼えるかな・・・。亀君は冬眠中。イグアナだったらどうなるのだろう?と、リサーチ開始。

ADOBE_INDESIGN-CS6到着。

adobe_indesign_cs6.jpg
 土曜日、アドビのインデザインCS6(WIN)が到着。勿論、組版ソフトという進化をしてきんですが、やはり、電子書籍に関する連携・連動もしっかり装備されている。つまりマスターデータさえあれば、紙にもデジタルコンテンツにも・・・という仕掛け。

 FLASHの件ではアドビは孤立したようなイメージになっていると捉えられがちだが、本流はそちらの方が太いかもしれないが、いつの時代にも温かい支流がパラレルにあって本流の本流たる所以がある。何でもかんでも一世風靡することだけが全てのゴールではないと思っている。使い手・創り手がツールとして何をチョイスするかを、本流思考で考えると、それ以外の支流は不正解みたいな空気があるが、その考えのゴールは原子力発電で証明されている。本流には本流たる背景があるのはあるが、それが正解だとはいつの時代も限らない。

 よく使う機会があり手に馴染んでいる理由から、私自身はFLASHというソフトは好きである。コンテンツがインフラとの整合性の点でどうか?は賛否両論かもしれないが、創り手に響いているソフトウエアである以上、そのニーズがあると捉えている。とは言え、引き出しは多い方がいいとは思いますので、本流にもガッツリ取り組んでいます。

 しかし、このパッケージ、練り込んでありますね。ここまで突っ込む感じはさすがアドビのデザイナーと言わざる・・・です。ここまで突っ込んだら相当楽しいだろう・・・と。

お食事タイム。

梅田の紀伊国屋書店にて。

books121209.jpg
 いろいろ気になる書籍は、さすが、梅田の紀伊国屋書店、豊富過ぎて嬉しくなります。しかし、テンションは上げずにこの2冊かな・・・と。右は12月6日初版の最新書籍。長浜へ帰る新快速の中で読めてしまいましたが、なかなかの「日本人分析」に本文中の2箇所で迂闊にも涙が出てしまった。ちょっと疲れていたのだろうか・・・、いやいや、それに相当する内容だったのだろう。このリアルをしっかり受け止めて感じる人が増えていけば日本もなんとかなるだろう的なとても質量のある書籍でした。

 で、左は言わずと知れたクリス・アンダーソンの書籍。いずれ「ロングテール」や「フリー」は読むつもりでチェックしているが、せっかく梅田まで来ているのだから最新から購入してみました。これも数ページ目を通しましたが、なかなかの「未来像」でしたね。楽しみ楽しみ。

 これら2冊を読むといかに「日本人」が世界でポンコツ扱いを受けているかが読み取れる。しかし、個性的な文化や慣習を武器にすれば的な考察が、やはり、著者も日本人、温かい心意気を感じてしまいました。しかし、他の文化圏ではそうはいかないリアルに対してさぁさぁ、どうする日本人!みたいなテンションなのでしょう。ITが国境を取り払ってしまった以上、もう、殻に閉じこもっていることは美学ではない。動き考えるなら先送りせずに「今」なんだろう。

good,good...

works121208.jpg
 梅田で発見したイラストレーション作品。とても気になったのでパチリ。なかなかグッド。

パソコン上達のポイント!?

「私を含め、パソコンが上達した人の共通点は
 基本的な操作を見て、それを実際に自分でやってみるのを
 実践された方ばかりです。」?

「あと、達成感を感じて楽しみながらできる人は
 その分上達も早いです。」?

「この達成感は今まで知らなかったことができるようになり、
 さらに学習したことがすぐに実務で使えるときに強く感じます。」?

「世の中にはたくさんのパソコンの教材、書籍などがありますが、
 実務でよく使う操作方法から優先的に覚えられるようになっているものは
 限られています。」???

「動画パソコン教室!【楽ぱそDVD】ではマイクロソフト・オフィス製品の
 ワード・エクセル・パワーポイント・アクセスで実務に直結するスキルを
 動画で楽に覚えられるので人気の高い教材です。」?????

「動画ですと、細かな部分もそのまま映像で理解できるので
 スムーズに理解でき、時間の節約にもつながります。」というメルマガが到着した。

 まぁ、楽しく読めばツッコミどころ満載だが、この何とも言えない論理の曲げ方が素晴らしい。恐らく、この「私を含め」の人は、恐らく、自分の技術や知識に自信があるのだろうが、教材を売るためのライティングとしてはまだまだ芯を喰っていない。例えば、「弊社が運営しているオンラインショップは年商数億円です!オンランショップの新規構築はぜひ我社へ!!!」というロジックと同じぐらいねじれ方にドン引きである。つまり、販売戦略の広告キャッチフレーズはこの「捻じ曲げ方」のさじ加減次第なのである。別段、真理はどうでもよくってどう曲げるか?に真髄がある。ドローかフェードか、しかも、打ち合わけているのか結果スライスかプルフックか・・・ぐらいの違いがあるのですが、このテイのライティングのリサーチは駆け上がりの水面下にステイしているバスよりも浅い。

 パソコンの上達よりも上達しなければ挑戦しなければいけないことは地熱のように無尽蔵にあるのだから・・・。

ツイッターにつぶやく。

 最近、ツイッターのサーバ調子悪くないか?

楽が楽しくない真理。

 一概に「楽」とは楽しいことのようだが、実は楽しくないが真理ではないかと・・・ふと思った。まぁ、「楽」とは何か?ということから説明をしなければいけないが、「楽をする」とは比較的簡単にモノゴトを捉え安易に手を抜く、労を怠るということ。で、結果はあまり求めていないというテイを言うと自分自身は捉えている。背伸びをせずにそこそこの目標設定でそこそこの努力で何かを手に入れた時、人は、「楽をした」と感じていると思っている。さて、それは改めて「楽しい」のか?と思った。安易に手に入れたモノがなんであれ困難にぶつかって自分のMAXを出し切り額に汗して手に入れたモノの方が心はしびれているはずだが、人は「楽をする」という方法論を何かのスイッチで使い分け、そこそこの結果で得たモノを積み重ねて生きている場合もある。楽しいのか楽しくないのかは別のベクトルで、「楽」をして生きているパターン。人生の価値観が「楽しく」に対してプライオリティーが高く、試行錯誤や切磋琢磨もそこそにライトに何ごとも捉える人。しかし、それが楽しいと感じられない人はどうするか?ストレスの海に舟を出す人とたまに出会うと、なんとなく同じ価値観を共有している、同じタイプの匂いみたいなものを感じる。年齢も男女も仕事の属性も問わず、そんな人はつながりたいと心から願う。そして、その人もどこかで同じことを感じていてくれたらいいなぁ~と思い続けてしまう。そんな人の存在はいつまでも心の中に住み続け、実際に会話やコミュニケーションを取らずともその人の存在が自分の中で芳醇に香り出す場合が多い。これはロジックではない。感覚のお話。どれだけ言葉を重ねてもここに至らない人はたくさん出会ってきたし当然あまり心に残っている人達ではないから、どうでもいい。

 つまり、「楽しい」とは人の心に残ることと、その人の存在が自分自身の心に残っている感覚のような気がする。だから、何かを見たり聞いたり触れたりした時、あの人ならこう考えるだろうな・・・とか、あの人ならこう言うだろうな・・・とかが結果、自分の心の体積になっているような気がする。と同時に目が肥えてくると一瞬で「どうでもいい人」が分かる辛さ。

 例えば、最初にその人の存在を知り、その人の言動を聞き、「辛いなぁー」と感じた、現在の日本の某総理大臣などは、明らかに「楽」をしているように見えたし、そもそも、私の人生に関係のない、接点などあろうはずのない存在の人物だが、そうであってホントに良かったと思う。恐らく、日本人の6千万人ぐらいは同じ気持ちなんじゃないかな。で、最近の選挙運動の車から流れるロジックの数々。あの無駄な弾をもっと別のベクトルに変換したら、電力会社の人達もボーナスを貰えたかもしれないな。しかし、低所得者への国の助成金制度と同じく、「楽」が「楽しい人」に、国の予算を適用して、返済率が30%って!!!この国は何をしているのか?そんな人達と一緒に底なし沼に沈みたくないですね。

 そこに「楽しくない真理」のカケラが沈んでいる以上。

NY1980

books121207.jpg
 ちょっとカッコイイタイトルだったもので・・・。

親子の猫。

cat121207.jpg
 へぇ~、写真を撮影した時は気がつかなったが、目の色が違ってたんだ・・・。警戒モードの親子の猫ちゃん。

なかなかの迫力でした。

biwako121207.jpg
 もうすぐサンセットタイム。琵琶湖ならではの豪快な風景です。

メゾチントだろうな・・・。

etching121205.jpg
 やっぱり、銅版画の作品は心が落ち着く。さらにこの着色はメゾチントだろう。芸大の頃、多くの友人が油絵のゼミに進んだのに銅版画ゼミを専攻したのは2人。芸大でゼミをとるなら「油絵ありき」だったのに対して何故かその時は油絵に心が動かなった。なんでしょう、そんなのいつでも描けるだろう・・・ぐらいの魅力しか感じなかったし、みんながやることなんて・・・という天邪鬼モードも作用したのだろう。しかし、ことある毎に銅版画を見るとやはり心が落ち着く。やはり、ただの天邪鬼モード意外にも何か銅版画の魅力の細い琴線に触れていいたのだろう。細く黒インクのアナログのラインがタッチが幾重にも重なる銅版画は自分自身最高の表現です。なかなか銅版画をするための機材と場所となると条件があるので厳しいのですが、いつか(近いうち)必ず、銅版画の工房は作りたいと思っています。いつでも工房に閉じこもり銅の板にニードル一本で自分の世界にどっぷりダイブするのは自分に合っていると思います。というか、筆よりもニードルで絵を描くというタッチがどこまでも好きなんだろう。

 いやいや、いいですねエッチング。

 薄暗いゼミの実習室で春でも夏でも秋でも冬でも、一日中、銅版にニードル一本で8時間。このテンションをペン画でやった日には、カミさんから「マルキジルシ」というありがたい言葉をいただくことしばしば。でも、絵を描いていることが好きで心地いいから仕方ない。できれば、それで生活ができたら・・・とも若い頃は考えたが、それはまた違うこともリアル。飯を食うための絵なんてやはり正解ではない。絵は絵を描きたいという気持ちの時にだけ紙にキャンバスに銅版に向かうのが正解。

弱くても勝てます!?

 「弱くても勝てます」と、なんとも魅力的な書籍のタイトルである。いいところを突いているくるというか、痒くないところが痒くなるとでも言うか。「弱者は、勝者のセオリーを真似てはいけない!」とある。ビジネスの現場でも学校の現場でも話題沸騰となっているが、なかなかの紹介文である。「バントもサインもなし。」「接戦で勝ってはいけない、大量得点が俺たちの目指している試合だ!」「1番から打てそうな選手を並べる。」「グランドでやるのは練習ではなく「実践」と「研究」だ!」「追いかけながら捕るゴロは、ウチでは「例外」として捕らない。」「打つのは球じゃない。物体なんだ。」「打ち勝てばいいから、多少のエラーには動揺しない。」「守備は案外、巧拙に差がない。」などなど。なかなかのものである。

 で、この書籍に対する声が「強者と戦う際に重要なことは「何を捨てるか」だ。」とかっていう評論が心に響いた。ただ、「弱い」と「強い」の関係についてはあまり興味がないので・・・といいつつ、勝負にはとことんまでこだわるからタチが悪い。このような天の邪鬼には意外とこの書籍は一周回って面白いかもしれないかなと思っています。とにかく、「セオリー」と「バンド」と「サイン」まみれの野球をしてきたので、若いころこのような勝負感を養っていたら・・・と思うと悔しい。が、結果、「悔しい」が今の血になり肉になりということでプラマイ0になっていればいい。逆に「悔しい」をエネルギーに変換できる発電所を体内に持っておくと、落ち込めば落ち込むほど、打たれれば打たれるほど、発電力が増すというシステムが会得できる。「落ち込む!?」「鬱!?」「メンタル!?」「セルフコントール!?」なんじゃそりゃ!という人間になれば、もう、弱くても強くてもなんて関係ない。

ランキングの罠。

 という田村秀著の書籍(ちくま文庫740円)がある。世の中なんでも簡単にランキングで評価が決まるもの。学力、国家の競争力、インフラの充実度、なんでもかんでもランキングすると何故か深い根拠もさぐらず上位のモノに気持ちが動く。たぶん人間の本能の部分で少数派より多数派に属したいという能力が作用しているのだろうし、それが本能で「安心・安全」だとDNAに記述してある生き物なんだろう。しかし、ネットやメディアのランキングは調査方法によって様々な結果が出ることが多いらしい。何基準?というお話をスルーして、「第一位なら安心」を鵜呑みさせたい鵜飼いがいるのだろう。つまり、ランキングする場合の調査対象は?どのようなアンケートのディテールだったのか?などなど、そのランキング結果へ導くための情報の信憑性の方が実は重要。まさか、今でも「視聴率」みたいな幼稚園児のホームルームのような、介護施設のお楽しみ会ノリの緩い物理数が幅を利かせているのもその本能がゆえ。でもこの「ランキングデータ」や「なんとか率」で大きな金が動いているのも事実だからこの本能、あなどれない。逆に上位だから安心ではなく、下位でも価値を発見する人は自分のベクトルで生産的な判断をしているだろうし、「ランク外」のような別ベクトルの価値をパラレルに分析・検証・洞察する能力も現代は必要。だから、結婚できない人が多いのだろう。情報過多になり、本能が鈍化しているだけだろう。いやいや、情報時代を仕掛けた人間(ジョブスとか・・・)の狙いは「多様性の推進による進化と進歩への啓蒙」ではなく、「本質の隠ぺいと本能の鈍化」かもしれないな。外典的に言うと・・・。

 ちょっと、気になる書籍ですね。

出ましたねキンドルが。

feature-books__V402037909.jpg
 買わないが、キンドルの新しいタブレットが出た。価格もぐっと身近になったし、機能も対抗馬と比較して魅力的と、いわゆるこの市場の目玉であることは間違いないだろう。しかし、買わない。これは決めていることだが、では、誰が何を目的に買うか?と想像してみると自分自身の中では意外とのびしろが小さいことに気がつく。これでデジタルライフがどう変わるのか?をいつも細かく考えている人間ではあるが、どうしてもそっちよりに思考パターンがひずまない。「買ったら買ったで便利だろう」「あの人の便利感覚と同期したいから」「メデァイに啓蒙された便利を手に入れたいから」という理由なら心は動くが財布の紐は緩まない。そもそも価値感の違いだろうし、これらのデジタルデバイスを仕事で活用できるか?というベクトルでしかこれらの電子機器を分析していないので、当然、眼中から逸れる。

 おそらく相対的にこのようなへそ曲がりは市場の20%以下。さらに、仕事というベクトルで分析しているからその中の20%ぐらいの方はそう考えていると物理定数はあるらしい。ということは、4~5%以下の分類に貴方は入っていると言われたところで別段痛くも痒くもない。そもそも「便利」の真髄を見極めなければ感覚が鈍化すると思い込んでいる人間と、赤信号でもみんなが渡るなら私も渡ろう的なタイプが市場で交錯することはないから、私などは電子ブック系タブレットの市場からはこぼれているミルクなんだろう。

 これらの商品が今後引き続きこのルートで進化すれば確実に私のようなタイプは取り残されていくだろうが、モノゴトをパラレルに捉えれば、他のルートで並走できる自身があるから・・・という意地もなくはない。さて、どっちの意地が強いかウォルターならその答を知っているのかな???

話す技術と聞く技術。

books121201.jpg
 「全米70万部突破! ハーバード流交渉術の開発者が贈る究極技法『ハーバード流交渉術』で知られるハーバード・ネゴシエーション・プロジェクトの大ベストセラー作品がついに日本に登場です! アメリカでは1999年に刊行され、すでに70万部以上を売り上げたロング&ベストセラーです。今回はその刊行10周年を記念した第2版をベースに翻訳。トラブルを起こさないメールの書き方など最新事情をアップデートしました。序文は『ハーバード流交渉術』の著者ロジャー・フィッシャーが執筆しています。」

 「なぜ私たちは会話で失敗してしまうのか?私たちの日常には、「難しい会話」が溢れています。◎部下に解雇を通知する◎悪い人事評価のフィードバックをする◎見積書以上に費用が膨らむことをクライアントに説明する◎上司からの仕事の依頼を断る◎長年連れ添った恋人に別れ話を切り出す◎義理の親と育児の方針について話をする◎浮気をした配偶者との関係を修復する◎学校生活で問題を抱えた子供との話し合い……など」

 「なぜこれらの会話は「失敗」してしまうのでしょうか?ハーバード・ネゴシエーション・プロジェクトはその理由を探るべく数多の会話例を研究。すべての会話の根底にある1つの構造を発見しました。その研究から、私たちが会話で失敗するたった「3つ」の理由をお教えします。」

 「キーワードは、「思い込み」「感情」「自尊心」本書では、以下の3つの理由をどう克服するか、1冊かけて伝授します。◎何があったかをめぐる会話 何があったのか、どうあるべきかという点をめぐる意見の不一致。だれが正しく、だれが責められるべきで、だれが謝るべきなのか……という点についての議論。「私の認識が正しい」という主張のぶつけ合いになる。◎感情をめぐる会話 感情にまつわる問いかけを発し、それに答えようとするとき。自分の感じ方については正しくて、相手の感情は間違っているのか? 多くの人は「理性的に話そう」という誤りを犯し、むしろ感情的になってしまう。◎アイデンティティをめぐる会話 いまの会話は、自分にとって、自己イメージにとって、自尊心にとって、いかなる影響を及ぼすのか? この会話をこのまま進めると、自分が無能だと認める事になるのか? 誰かとの会話の最中に「私はどう思われているのか」という内なる会話が始まる。そして自尊心を守ろうと、身構えてしまう。これらの対立型の会話を乗り越え、より生産的な人間関係を築く方法をお教えします!」とまぁ、話すこと聞くことがこれほど実は大変なことだと意識下に置く、置かなければいけないのか?ということがこの書籍の存在価値でしょうね。そもそも、言語や慣習によってこれらの諸事情は千変万化ですから、ひとくくりで「3つの理由」としてしまうのはこの書籍の編集者の意図だろう。

 さて、どうするかこの書籍。チェックはしたが、英語圏での技術を翻訳されているわけだから若干のニュアンスが異なるはず。英語圏ではそうかもしれないが・・・みたいなことが序盤で連発するような構成だったらちょっと残念だし、ハーバードブランドだけで買う理由には弱いような気もする。そもそも、話す儀技術と聞く技術というテイで論理の基準を失えば文脈が破綻するのは当然。そこに先入観や自尊心などが組み合わされてくるとさらに複雑なバックラッシュになるだろう。

 話す機会や聞く機会ってのはそもそも「教えます」ということが難しいし、理想的な技術が例え記述されていたとしても、そのケースは結構稀だったりするとリアリティーに欠ける。より高い「話す技術」「聞く技術」は会得したいとは思っているが、さりとてそのベクトルとこの書籍の内容はシンクロするだろうか・・・と感じてしまった。しばらく保留かな・・・。