楽が楽しくない真理。

 一概に「楽」とは楽しいことのようだが、実は楽しくないが真理ではないかと・・・ふと思った。まぁ、「楽」とは何か?ということから説明をしなければいけないが、「楽をする」とは比較的簡単にモノゴトを捉え安易に手を抜く、労を怠るということ。で、結果はあまり求めていないというテイを言うと自分自身は捉えている。背伸びをせずにそこそこの目標設定でそこそこの努力で何かを手に入れた時、人は、「楽をした」と感じていると思っている。さて、それは改めて「楽しい」のか?と思った。安易に手に入れたモノがなんであれ困難にぶつかって自分のMAXを出し切り額に汗して手に入れたモノの方が心はしびれているはずだが、人は「楽をする」という方法論を何かのスイッチで使い分け、そこそこの結果で得たモノを積み重ねて生きている場合もある。楽しいのか楽しくないのかは別のベクトルで、「楽」をして生きているパターン。人生の価値観が「楽しく」に対してプライオリティーが高く、試行錯誤や切磋琢磨もそこそにライトに何ごとも捉える人。しかし、それが楽しいと感じられない人はどうするか?ストレスの海に舟を出す人とたまに出会うと、なんとなく同じ価値観を共有している、同じタイプの匂いみたいなものを感じる。年齢も男女も仕事の属性も問わず、そんな人はつながりたいと心から願う。そして、その人もどこかで同じことを感じていてくれたらいいなぁ~と思い続けてしまう。そんな人の存在はいつまでも心の中に住み続け、実際に会話やコミュニケーションを取らずともその人の存在が自分の中で芳醇に香り出す場合が多い。これはロジックではない。感覚のお話。どれだけ言葉を重ねてもここに至らない人はたくさん出会ってきたし当然あまり心に残っている人達ではないから、どうでもいい。

 つまり、「楽しい」とは人の心に残ることと、その人の存在が自分自身の心に残っている感覚のような気がする。だから、何かを見たり聞いたり触れたりした時、あの人ならこう考えるだろうな・・・とか、あの人ならこう言うだろうな・・・とかが結果、自分の心の体積になっているような気がする。と同時に目が肥えてくると一瞬で「どうでもいい人」が分かる辛さ。

 例えば、最初にその人の存在を知り、その人の言動を聞き、「辛いなぁー」と感じた、現在の日本の某総理大臣などは、明らかに「楽」をしているように見えたし、そもそも、私の人生に関係のない、接点などあろうはずのない存在の人物だが、そうであってホントに良かったと思う。恐らく、日本人の6千万人ぐらいは同じ気持ちなんじゃないかな。で、最近の選挙運動の車から流れるロジックの数々。あの無駄な弾をもっと別のベクトルに変換したら、電力会社の人達もボーナスを貰えたかもしれないな。しかし、低所得者への国の助成金制度と同じく、「楽」が「楽しい人」に、国の予算を適用して、返済率が30%って!!!この国は何をしているのか?そんな人達と一緒に底なし沼に沈みたくないですね。

 そこに「楽しくない真理」のカケラが沈んでいる以上。