Let it be...

 「なるようになる・・・。」「そのままに・・・。」で訳はいいだろうが、この真理がビートルズを神格化し、「イマジン」がジョンを引き上げたと仮定すると、なんと、コンテンツのチカラは強いと知る。改めて「なるようになる。」が「明日は明日の風が吹く。」になるためには、普遍のポテンシャルが必要なのだと痛感する。さて、日本語は難しい。海外では政治や教育や文化や哲学・科学・医学・芸術、そして、スピーチの際、教育現場での言語、日常会話(口語)でそれぞれ異なる言語を使い分けているということ。なのに、日本で単一言語なのである。それは、明治維新の教育システムに起因するらしいが、それが全ての発端であり、国語が日本人をどれほど有利にし無効にしたかについて記された書籍を読んだ。ただの書籍の情報でしかないが、思い当たる節はボコボコにある。ページをめくるたびに「なるほど」の連続はとても心地いいリズムだった。疑念がほどける瞬間、次への答を解くカギが手元に落ちてきた感覚。なるようになってきたが成すように成した人の功績を大きな口を開けて飲み込んでいたことに気が付き、一旦、それを出したいとさえ感じた。「やるなら今しか・・・」と思えば思うほど、のどにつかえるその大きな異物を今年は少しづつ出していきたいものです。

 違和感はあとから来るが、時間の経過と共に喉元過ぎれば違和感はなくなる。嘘を虚栄を続けるとそれがいつの日か真実に変わることを消化としたくないし、明治維新を必要以上に美化することをしたくないから、強者が正義とも思いたくない。戦国時代、武力こそが規範のプライオリティーを決めていた頃の精神論を美化し偶像化した紙芝居が好きな人が多いことがこの国の観光振興に多大な功績を与えている悲劇が回り回って文化を老朽化・空洞化させているのだから、ここでリセットする必要があるだろう。慣習上の祭が純化していた時代からライフスタイルは変容している。摩擦も文化だと思えば、浪費も達成感に代用できるかもしれないが、疲労対効果の指標を黙認してまで村文化につきあう気はない。

 フラミンゴが言っている。「勝った者が正義だ!」という真実をワンピースファン達はどう捉えているのだろう?イタチがサスケに伝えたかった真実は言葉の裏にある「愛」だろうが、岸本先生はその裏にある人間の醜さも同時に描いている。三歩さんは本当にエベレストの山頂で炭素に還ってしまったのか?南波兄弟はいっしょに月の上で何を語るのだろう?なるようになる・・・確かに真理かもしれない。