明けましておめでとうございます。

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 年末に2012年の総括をしようとネタを仕込んだがやるべきことが多すぎて結果ブログは書けなかった。年頭、1日~3日も「さぁ、今年の方針をログろう!」とメモるがこれまたやるべきことが多すぎて今日(4日)になってしまった。結果、別にブログを書かなくとも日常のそれには何も影響がないということに気がついた・・・という2013年の始まりです。とは言え、やはり、自分自身に対して頭の中にあることを整理するためにブログはとても有効なので、まぁ、適度に自分自身を追い込みつついい状態でいいメモ(ログ)を残していこうと思っています。新聞を読むと昨年にも増して「IT」というフレーズが多用されているような印象を受ける。そもそも日本における「IT」の存在は何だろう・・・あたりを細かく分析するといろいろな驚愕の答が出てきそうではあるが、政治もしかり、教育もしかり、日本はリセットしようとしているように総論として感じる部分も昨年よりは増えているような印象だから、大きな潮流がそちらにシフトした時に、その流れに敏感にデリケートに反応できるように脚力と眼力を温存しておきたいと思います。

 年末にかけて(というわけでもなく)いろいろ書籍を読む中で、最近のキーワードは「日本語」である。今もそのテーマで書籍をリサーチする場合も多い。日本語しかまともに読めない人間が、改めて日本語をどうするのか?ということだが、翻訳された書籍の裏にある異文化の臭いや慣習の声を聞くためには、さて、どうしたものか?と。で、そのためには、いわゆる文学の神髄にもう一度触れておく必要があるかなと漱石を数冊読んだ。読んだ末、しをんさんの「舟を編む」を読み切った。読み切った!と意気込むような作品ではないのですが、あまりも、他の日本の小説作品(あまり読まないが・・・)と比較して、なんというか文学の香りというか方法論に改めて改めて堪能できた作品でした。

 それに敏感に反応してしまったのが、この年賀状。いつもしっかりリミッターを効かしたデザインをするように習慣化していたのを、ちょっと崩した。デザインなんて「崩しありき」だと思っているので、今年はこんなテイだったということ。デザインについてこの記事では語るつもりではないので、あくまでも、どういう明けまして・・・にしたかという部分。つまり、年賀状を出す相手の顔を想い浮かべて・・・的なことがセオリーだとしたら、今回はそれを止めたということ。つまり、デザインや広告で言うとろの「ターゲットに分かりやすい」というリミッターを少し、少し解除した。例年なら、というか、デザインを仕事としている日本人ならこのリミッターを外すのは結構勇気がいる。というかそれは勇気か!?と思い始めたからこういう年賀状になったみたいな。

 まず、「旧年中はお世話になり、本年もどうぞ・・・」的なことをやめ、日の丸の中にイメージを捻じ込んだ。そして、頭に浮かんだフレーズをそのまま書き出した。すると、とても自分自身が気持ち良かったことに気がつく。つまり、2013年はこの感じかなというニュアンスに心が満ちた。難しい日本語を使っているわけでもないし、義務教育を経ている人なら理解はできる範囲である。ただ、専門用語はいくつか散りばめた。つまり、語彙の語感や意味・背景は1枚目のレイヤーと捉えているので、2枚目より下のレイヤーを感じて欲しいのである。ここを感じられる人は少なくとも心に頭に魂に2枚以上のレイヤーを持っている人だから、自由に作成して1枚目のレイヤーをリミッターと設定した作品だということである。これを暗号だのパズルだのオブストラクトだの感傷的だのと捉えていただくのはもう見た読んだ人のポテンシャルに任せるが、ポイントは2枚目以下の階層のレイヤーがあるのかないのか?なのである。

 日の丸を加工した以上、日の丸の裏に走っているプログラムにも手を入れたいという心意気なのである。それは日本語の成分であり、情報の構造であり、感覚の速度が何の干渉を受けるか・・・?なのである。

 正にマイクロスリップこそが真価であり真理でありホンマルである。