モノヅクリのエネルギーについて

 企業である以上、利潤を追求し会社を存続させるためがまず最優先される目標であり、それを欠いて何も成立しないが正解だが、それだけで「仕事」を捉えると現在の日本のような構造・システムに陥る。それがどのような経緯で根幹にを成す要因は具体的に何かと分析することは非常に難しい。難しい理由の一つにゆるがないベーシックな要因が機能・連動しているからである。そこにメスを入れると恐らくどの会社でも出血多量で死に至るからである。それを生物としての会社組織であることを経営者達は経営の根本に置いているからである。私自身もそこに不器用にメスを入れて太い血管に傷をつけるわけにはいかないから、抗生物質でなんとか腫瘍を小さくして自分自身の治癒能力でそれを解決したいと考えている。が、化学が創出する薬物には常に2面性があり、「薬と毒の関係」を知る人ならば、その効用を鵜呑みにはしないというジレンマというかダブルバインドなのである。引いてはエネルギー問題と構造や方程式は同じで、モノヅクリのエネルギーについてもプロトニウムを輸入すればいいという簡単な問題ではないのである。つまりこの場合エネルギーの総出力量が問題ではないのである。電気は電気かもしれないが、電気の質を精錬する必要がある。電子機器が安定して機能すれば電気に質は求めない・・・が現在の日本の構造に陥るトリガーになってしまったからである。

 では、クリエイターを動かしているエネルギーの本質とは?まだまだ私も48歳だからそのあたりを明確に言い切ることなど到底できないが、なんとかその登竜門には立っているような気がするから、この文脈を書いていると言える。ここで「登竜門って何?」となる人はもう一度、下山して、英知と脚力を整えてからこの門をくぐるべき。なぜなら、ここから本当の傾斜が始まるはずだから。ここからの傾斜を登り切り、次の門に辿り着くためには、資本も名誉もお家柄も知識も学歴も機能しないからである。必要なのは、英知と脚力と健全な魂しかない。それがこの登竜門なのである。まぁ、ここら辺で「メンドクサイ」と感じた人は下山して欲しい。ここから先のお話は文法など無視した感覚の言語であり非言語の世界だからである。

 では、そのひとつ「英知」について。モノヅクリとは若い頃、自分自身のIDのどこかを削り取り、アウトプットするモノだと捉えていた。削り取った後でも次のエネルギーを蓄えるために、できるだけエネルギー量を蓄積することに一生懸命になっていたような感覚。より多くがキーワードだった。しかし、貨幣価値でこれらの感覚が決して会得できないことと同じぐらい自分の身体・心・魂は偏在していると知る必要がある。だから、対話とかコミュニティーの存在感でIDを確定している人の言葉は水素より軽いとなる。とにかく量的なタンクの大きさがエネルギーの絶対量を決めて器が大きいと出力も大きいという先入観が実は人間のエネルギーのイン&アウトの方程式には適用できないことを分岐させているのである。

 「逆に」というフレーズが逆に芯を喰っているというミラクルなのである。つまり、強そうな人ほど強くない。弱そうな人ほど弱くない・・・的な真理。しかし、人間の歴史には武力こそ正義という論理が根底にあり、日本なら男尊女卑のルールがあらゆる生活の場面で機能している。それを慣習と呼ばず、日々のルーティーンとして麻痺している空間で、世界の中心で愛は叫べないのである。だが、隠ぺいする村文化にこそ実は生産的な方法論が隠されていると信じていた民が神格化された偶像への崇拝の後、その一生を摩訶不思議なリミッターでコントロールされているとしたら、それは間違いなく悲劇である。

 日出る国の悲劇と喜劇の隙間に核融合は不必要だったということを、モノヅクリのエネルギーの相関性に代用すると必然的に変数は何かが見えてくる。貴方のアミノ酸の活性率はどこまでセルフコントロールできますか?というお話。