大河ドラマ「八重の桜」

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 基本的に大河ドラマは観ない。まず、あまり日本の歴史に興味がないからである。普通に史実としての日本の歴史については高校生レベルぐらいの知識はあるつもりですが、それでも興味の対象になるような出来事が少ない。唯一時代として興味があるのは、夏目漱石の時代である。それも漱石の世界観から見たその頃の日本像だから、かなり偏っている。

 それが、戦国時代や平安時代って言われてもピンとこない以上にその史実は本当か?ということが多すぎる。武将の武勇伝など適正な書物など残っているはずはないし、仮に現存している手記があったとしても、それをどのように解釈するかなど、もう、フィクションゴリゴリなはず。たったひとつの真実のワンピースをその現代の価値感で脚色し再構築したのが歴史小説だろうから、読み物として絵空事として興じればいいだけの話だが、それにしては世の中のヒートアップ加減にはどうも心からシンクロできない。

 へそ曲がりでできないと言っているのでは決してなく、手記と武勇伝だけで再構築された物語に心が震えないというテイ。ならばお前は何に震えるのか?となると、実際に今も存在するリアルなモノと歴史の中で同じく存在していたモノを通じてその存在と人間という関係性を基軸に歴史的な背景や物語や登場人物像を組み立てている物語には心が震える。

 「火縄銃」「砲術」の歴史は戦争の歴史だから、美化することはナンセンスだと頭は理解していても、波乱万丈の歴史に翻弄された人物像の手にある銃のお話となれば、心が反応し、ピントが合ってくる。黒船がいかなものかは知る術はないし、その時代に日本人と外人の間の谷はどれだけ深いなども同様。21世紀、世界は小さくなったと言われているし、2012年の訪日外国時は2011年の比較して28%も増えている事実を推し量ると、この「八重の桜」は多面低にドンピシャなのかもしれない。まして、綾瀬はるかちゃんが凛として砲術に勤しむその絵は大河ドラマのテイなのに心が震えた。

 人類の歴史は戦争の歴史である。領土争いは今も昔も同じだし、文化や慣習や宗教観の違いで人がこうも見事に争うのは何故なんだろう。争いのない世界を描くクリエティブは多い、争いを美化し曲解し真実を隠蔽しようとする美しい創造物も多い。しかし、今も地球のどこかで銃弾に倒れている生命がこと切れようとしている人達がいる。そんな深みの部分を「八重の桜」ではどこまでえぐるのだろう。それが楽しみです。