どこの国だろう?

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 イメージナビさんからの「著作権フリー写真素材」の販促メルマガが到着した。で、なんとなくこの写真が気になった。いったいこれはどこの国だろう?WEB版サイズで購入したら¥5,250という設定です。この写真ならこれぐらいの値段は適正です。しかし、どこの国だろう?とても気になる。

 というか、正確には「何故?気になるんだろう」普通にスルーできなくない写真のようですが、どこか気になる。これが逆に気にならない写真を見ても「何故?気にならないのか」と考える。でも、この段階で、「気にならない」と感じていても、実際は気になっているということ。「日本を取り戻す!」みたいな安直なポスターを見て残念になる気持ちと、この「気にならない」とは大きく異なる。では、気にならなないと気にしたくない絵が存在することになり、これは肯定?これは否定?あれ、いつどの段階で気にならないが気になるになり、否定になったのか?このプロセスも曖昧模糊なのが実は人間。

 どんなことでも、忘れる対象になり、飽きる対象になり、嫌いになる可能性を秘めつつ、覚えていること、飽きていないことと、好きなことで個性が成立している。個性的とはそういう基準だから、デザインの仕事はこれらを包括しつつ、主観と客観のパラレルな関係をしっかり並走する必要があるように思う。これは比較的どの書籍にもない仮説であり、属性は同じでも系統を変えている仮説です。

 たかが、「どこの国だろう?」程度の一枚の写真から人間は小説(物語)を創造するわけだから、いやいや、大したものである。国境の長いトンネルを抜けると雪国だった・・・なのである、。