根拠のない自信。

 何事もではないかもしれないが、大きな潮流や長年のセオリー上で物事を発想・着想すると複製物のように同じサイズのドングリになる。飛び抜けることも控え過ぎるとそれがスタイルになってしまうから危険信号である。さりとてなかなか飛び出せる勇気は何か大きな根拠や背景や要因がなければ・・・と考えがちだし、熟考することで無駄な肉をそぎ落とすことができれば、それは理想のように思えるが、必要な筋肉をダイエットしてカロリーの計算上のベストコンディションが必すしもモノゴトのベストではないと知る人は少ない。何を言いたいかと言えば、別段、結論を出したいという訳ではないし、結論が継続性を持っているという側面を知れば知るほど結論とは次の結論までのマイルストーンであると知る。

 さて、企画をすることに根拠を求めると、これだけ情報過多になった時代、ビックデータの中には、ありとあらゆる根拠が蠢いている。無作為にどれを引き抜いても恐らくそれは根拠として自立していることである可能性が高い。これを逆算すれば、アタリと適正な根拠の違いこそが情報の質量・品質を左右するという仮説がたつ。なぜ、そのような仮説が必要か、検証するためだけの仮説なら必要ないが、原因と結果の法則、代謝と複製の方程式に何を代入するかが一番のキモ。簡単に根拠というレシピからセオリー通りに創られた創造物に人間のDNAが反応するとは考えにくい。脳幹と感覚との関係は従来無根拠であったはず。求め過ぎた結果、同じベクトルに収束され、労が報われないことだけは回避したい。が、根拠のなかっただけに何がどうなるか不安は常につきまとう。想定内の達成感に美味い酒を飲む人生か、想定外の連鎖に苦汁をなめる人生かと、極論を突き付けらたら、自分自身はどちらをチョイスする?

 で、こんなことを考えている段階で、そっち側ではないことは分かっている。どこが分岐点だったかはもう知る術はないが、このまま根拠のない自信といい関係でいられれば、自分の行きたい場所に行けると信じるしかない。同じところ(例の場所)へ行かないためにも、自分の中にある根拠を疑い続けていきたいものです。

 自信とはそもそも根拠がない・・・という設計図でもいいかもしれない。

comments

自信・・・。 自信がある!とwrite downあるいはspeak outした時点から芽生え始めるものかなっと?
それからでも遅くないものかなっと思ってしまいましたね。

  • kuni
  • 2013年02月06日 19:30

確かに。

そういう自信もあるでしょうね。

でも、これはなかなか難しいテーマですよね。

総じて自信があれば、気にすることでもないのかもしれません。

  • khuz
  • 2013年02月07日 08:28

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