電脳の浸食。

 この場合「進化」と言わず、「浸食」とするあたり人間は誠に勝手である。コンピューターが人間の仕事を奪う的な文章を読むたびに奢りと過信の狭間で見動きできないムンクの叫びのような人間像を見る。真剣に捉えるべきことかもしれないが、そろそろガチのお話のようです。いろいろな職場で人の領域が侵されているという現実をどう受け止めるか?フェイスブックやツイッターのログに一喜一憂している内はいいが、そろそろだろう。それらは工場のような製造業に浸食をし、オフィス空間にもその触手を伸ばしているとか。雇用や賃金がどうのこうのという問題ではなく、人の仕事がガチでなくなる社会へのカウントダウンが始まっている。赤いデジタルの数字はいったいどこまで減ったのだろう?

 ドカン!とそれが起爆した時、できるだけ人間らしい空間でそれを煙草を吸いながら人間らしく傍観していたいな。

 「機械が人の仕事を代替する動きはゆっくりと進むので、人間でないとできない分野に労働力を移す必要がある。」と偉い先生が語っているが、人間も安く見積もられたものである。では、人間だけに出来る仕事とは?恐らく次に出て来るキーワードはどんな記事も同じで「高付加価値」となる。さてこの摩訶不思議な言葉のベクトルはどこへ向かっている?付加価値とはそもそもこの場合、具体的に何を示唆しているのか?それが一番の「浸食」の対象ではないのか?と。

 人とパソコンの冷たい戦争が始まってしまった以上、どちらが眠る獅子なのか?どこがそのボーダーラインなのか?見極める前にボーダーラインを超えてしまったら、もう、スピードがどうのとか呑気に語っている暇はない。電脳という言葉にストレスを感じている人が一番やばいはず。ふん!電脳なんて、スイッチを切ればただの粗大ゴミだぐらいでちょうどいいのに、そのスマホがあたなの心のペースメーカーになる前に本当の心臓の鼓動のままにその歩を進めたい。