反教育論~猿の思考から超猿の思考へ~

 「なぜ思考できない人間が増えるのか?「貧しい教育」「子どものため」という言葉で子どもの成長をじゃまする大人たち。注目の精神科医が現代の子育て・教育常識に強烈なダメ出し!」という「反教育論」という書籍がある。「よい子ほどダメになる!」というテーマは非常にインパクトがある。この場合の「よい子」とはどんな存在なのか?「貧しい教育」とは具体的に何を指してどうすればいいのか?教育現場の人間ではないから、「教育」については学校機関に任せるしか・・・が恐らくこのような社会構造にした一番大きな原因だろう。決して世の中の教育者を否定ているわけではなく、頑張ってほしいが、何をどう具体的に頑張ってほしいかは見えていません(見る立場ではないのだろう・・・)。こんなことを思ってしまう段階で無責任極まりないピアレンツのひとりなのかもしれない。子どもの成長はこうあるべきというシステムがあれば、そのシステムにそってカリキュラムを実動するのが教育現場のプロだという気持ちが不完全なのだろう。

 以前、一瞬でも美術の教師になることを大学時代にイメージしたことのある人間だから、自分自身と教育現場の距離感を推量した経験からの意見ですが、どういうタイプというか素養を持っている人が教師であるべきなんだろう・・・と考えてしまいます。時代が変わり、変容と均衡の時代に教育はどうあるべきか。非常に大きなテーマだが、韓国やインドやシンガポールは試行錯誤しながら結果を出している。その結果というか成果が正解か否かは誰にも分からないとして、全ての教育の理想が幸福に向かっていることを願う。

 そこで、「反教育論」・・・と、一体どういう書籍だろう?この書籍本体で世の中の何がどう変化を及ぼすか分からないが常に正解を求めず、安易なシステムに依存せず、大きな変化も小さな変化も柔軟に受け止め、飽和する情報の中から自分に有効なヒントを見極め、吸収し消化しエネルギーに変換さえできれば、あとは、モラルの形成のレシピが肝心。誰がレシピで何がレシピなのか?きっと、こちらも正解はないだろうから、「小さい期待」と「小さい感謝」をひとつひとつ蓄積することが最適な有効な捉え方なんじゃないかと思います。