猿の手。

 猿の手、特に高い木の上で生活している猿は動体視力や空間認知能力に優れているらしい。さらに、枝から枝へ飛び移るために手が発達している。木から落ちるということは命に関係することであり、天敵から逃れる、餌を捕食するために、その能力はいかんなく発揮されるべく進化しているらしい。その手の特長とは、自然に力を抜いた状態で手は握り締められているのだそうだ。つまり、人間の手とは逆で、握るために筋肉が発達しているというよりも、開くための筋肉が発達している。この微妙な調整を身体能力でコントロールしながら高い木の上での生活を手に入れたのだ。

 進化の過程で人間は大きな脳を手にいれた。二足歩行と手の機能の発達は人間を人間たるポジションに据えたと言える。このことを考察すると、開く筋肉と握る筋肉の違いがどういうことに影響しているのだろうという次の仮説に向かうことができる。木から下り知能と技術を得た人間が手を常に握りしめている状態から解放され、自分の生命を維持するためにその手を開いた時から、新しい進化が始まったのだろう。投げる、掴む、抱きしめる、道具を使う、道具を作るという作業のバリエーションの進化がこうして今、デルのキーボードを打たせているのだろう。

 で、開く筋肉と握る筋肉の違いについて、「リラックス」している時、筋肉は潤滑に動く。作業でも動作でも競技でも、緊張して筋肉が委縮しているとポテンシャルを発揮できないというスポーツ競技などにいうあれである。イップスなど過去に失敗を重ねていると、いざという場面で、それを回帰し筋肉が委縮して操作性が低下するというテイである。過去の失敗を繰り返さないために人は新しいプラン・戦略を頭で考えるが、それは、精神的な重圧・ストレスを中和させようとしているに過ぎない。しかし、世の中、戦略戦略で時間を浪費する傾向にあるのは何故か?恐らく、開く筋肉と握る筋肉の関係性のジレンマだろう。勝負に勝てない、結果が残せないと、戦略をいくら重ねても実は動きにリミッターをかけているのではないだろうかという仮説が頭の中で構築される。ホームランを打った時、何を考えていたか?一様にその答は「何も考えていなかった。」が正解であり、自然とバットが出たとなる。このリラックス感こそが、高い技術に裏付けられた人間の進化の過程であるのだから、思考でも行動でも集中するとは筋肉に乳酸を溜めることではないと知る。

 感覚的になろうと、頭で理解している内はロジックが先行している。本当に感覚的になるためには、人間の場合、こぶしを開いている状態がベスト。猿は握っていたが・・・。

 それを理解していれば、高い技術を持っていればいるほど、道具はなんでもいいとなる。高いスキルがあるからこそ、人間の手は開くのであろう。道具に依存するのは文化の証だと思いたいが、生物としての人間のDNAはそこを実はストレスだと感じているのかもしれない。だから、高い技術と自律したモチベーションがあり、その上で目的を設定したなら、道具や戦略や方法論における、勝負に勝てない要素を排除し負けないスキルを、というか、負けないモードを手に入れる必要がある。

 それが、フォースなんだろう。

 心を解放するのは難しいが、両手を開き太陽に向けることは誰でもできる。手の内を明かすということではなく、重力に向かって手を開き進化の箍を解除しましょうということ。