2013年03月 アーカイブ

眠る人、本を読む人。

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 左が中谷先生の2004年9月初版の書籍で中古。右が福岡先生の2012年12月の書籍です。いつもの感じでこれと言って目的もなく書店や中古屋さんをぶらぶらしていて購入した2冊。書店には新しい書籍が溢れているし、中古屋さんには中古屋さんで誰かが読んだ書籍が溢れている。よくよく考えると、書籍の数って凄い。それぞれに一冊一冊関わってきた人にドラマがあり想いがこの中に閉じ込められているんだ。そう考えてると書店に行くといつも圧倒される。恐らく興味の対象外の書籍などは自分自身の一生の中で全くスルーしてるわけで、私が興味を持っている書籍など書籍全体の0.001%以下だろう。それでも毎日誰かが何かの目的で書籍を構想し企画し編集し作成して書店には書籍が溢れているのだからホントにドラマチックである。

 インターネット時代、モニターの中に溢れている情報。電子書籍などもあるし、WEBページ、映像コンテンツ、ゲームコンテンツ、マルチメディアコンテンツ、その他いろいろがサーバの中にある。それでさえ相当の物語だし、そこから切り取られる書籍もあるだろうし、書籍からのWEBという展開もあるだろう。これら全てのアウトプットにはそれに関わった人間の英知とエネルギーが込められてる。ならば、それを主査選択してインプットする個人にはどのような選択能力があればいいのか?が問われる時代。ビジネス、学問、趣味・・・と人間の属性はこのアウトプットとインプットの関係性で規定できるとも言えるのではないだろうか。これらの情報から孤立することは簡単だし、これらの情報を個として活用して自分自身のアウトプットに変換する能力こそがこれからの人間の仕事になるのだろう。

 まぁ、そんなことをふわふわと考えながら本日、書店でゲットした2冊ですから、相関的にそういう気持ちでページをめくろうと思います。そういう意味においてこの2冊はそういう意味・価値があると思います。手にしたが購入しなかった書籍もあるわけで、何故か、今日はこの2冊だったのであるのだから・・・と。

DHA

 「知力のための栄養素」と・・・。オメガ脂肪酸(ドコサヘキサエンサン酸)という薬があるらしい。まぁ、よくあるサプリメント感覚のひとつなんだろうが、180粒で6,300円は高いのか適正なのか?

 で、「知力のための栄養素」という下りがどうも気になる。最近、記憶力が・・・とか、いつも探しものをしている人は・・・とか、頭の回転が最近・・・という方にぜひ!というアプローチですが、ほんとにこの成分は人間のブレインを活性化させるのか?恐らく、使用上の注意や成分を読んだところでその相関性は医学的に化学的に理解することはできないだろうが、それにしても、このふわふわとした根拠にどれだけの人が6,300円を払うのだろう。これを服用するば、記憶力が良くなるのなら安いものだが、恐らくそのテイではないだろう。このタイプの商品の広告原稿は非常にデリケート。表現ひとつで墓穴を掘ることになるのだから、読めば読むほど使用上の注意や効能の原稿は摩訶不思議な世界でいざなってくれる。まぁ、マジックと言えばマジックだし、それありきでもいいからなんとなく、頭が活性化されるなら、6,300円ぐらいは安いものだ。例え気休めだとしても・・・ぐらいの感覚がマーケットリサーチのスキルだろう。

 で、昨晩、「今でしょ!」の林修氏がテレビ番組に登場しておられた。東大卒業である有名塾のエリート講師というスタンスから、このフレーズで時の人になりつつある。結構、破天荒な人のようですが、軸はしっかりしているから、発言のひとつひとつが重い。基本頭のいい人だけに、そのポテンシャルと努力の掘り方は中途半端ではない。さすがメデァイを席巻する人だけのことはある。

 番組の終わりで会場にいる新東大合格者達にこう言った。「君たちが東大を合格するまでにやってきたことは、これからやることに何の役にもなりません。だから、そんな錆びた古い刀は捨てて、新しい自分を磨いて勝てる知識とスキルを身につけてください。あなた達がこれからの日本を創っていくのですから・・・」的なメッセージでした。なるほどなるほど、「錆びた刀」というフレーズで心が震えた。

 「知力」とは何のために必要かを会得している人の言葉は重い。比較して「知力のための栄養素」がどれほどのエレメントか知らないが、それで知力が高まったとして、その箱に何を入れるかは自分でチョイスしなければいけないのですね。それはをいつするのか?今でしょ!でいいのかな。

春のスイッチ。

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 自然は不思議です。ちゃんと春になるとスイッチが入るんですね。新しい葉が出てるのを発見するだけで心が元気になります。

春の光。

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 仕事場にも春の光がいっぱいです。気持ちのいい朝です。

からだの芯をつくる食事。

 「からだの芯をつくるのは、これといってかわりばえしないふだんの食事なのだ。」というテイストの「世のなか 食のなか」という書籍がある。「日本全国津々浦々訪ねて歩く、ドキュメンタリスト・瀬戸山玄さんの見た、いつもの食卓に真剣に取り組む、17人の職人の記録。手間ひまかけてこしらえた、熱く、おいしい食のドキュメンタリーです。」というフレーズから何を読みとるか。確かに食は大切。健康=食みたいなことだから、毎日の食べ物が体を作っているという意識になるとその重要度の高さが推量できる。メタボリックというのは形骸的な事を指すようだが、いやいや、実は行動心理学にも深く関係しているような気がします。すべてはチェーンのような。

 そこで、「からだの芯」という語感がなんとも心地良かったからこの記事に目が止まったのですが、「からだの芯」とはどこのことだろう?恐らく食の職人17人のレシピとモチベーションが綴り記されている書籍だろうから、明確に「からだの芯」はこれです的な論説はないだろうが、改めてこれをサインに「からだの芯」についてつらつらと考えてみた。

 「からだの芯」という語感から具体的に臓器は「脳」「心臓」「胃腸」と絞り込む方法と、「心」「魂」「感性」という感傷的に絞り込む方法があるが、どれを指してもどこか「芯」という感覚はない。もしかすると「背骨」というニュアンスが一番近いかもしれないし、体全体全てを指しているようにも感じる。身体のどの部分が芯でどの部分が芯でないと明確に区切ることはできないような。

 さて、そこで、なぜ「芯」が大切なのかということについてはどうだろう?どんな芯があればいいのだろう?細くてシャープな芯?太くて頑強な芯?繊細で微細な芯?大らかで度量の大きな芯?これらがからだの中に存在すると仮定して、素敵な芯があれば、何がどうなり、何をどうするために「これといってかわりばえしないふだんの食事」が大切なのか・・・という仕組み。

 現代の「死因」についての書籍を読んだ時、人間の歴史はある側面で生産性の進化だという部分と、実は、代謝と複製を経て朽ちる時の朽ち方の歴史だとも言えるというアプローチの書籍だった。人間以外の生物は皆土に還るのに、人間だけ最小限の炭素になり、陶器に入り一定期間石の下に入るというこのシステム。これは文化・文明・慣習なのだが、これは本当に進化か?と。身体の疾患での死因は現代になってからその比率が増しているだけであり、それまでの人類の歴史の中で実際に存在していたらしい。ただ、それ以上に戦争や感染症などの死因が割合として多かったためにそれらがフォーカスされることはなかったという考察。すると、長寿のためにどれだけ食の趣に精通したとしても、現代社会の構造がこうなってしまったからには、もっと、科学的に医学的に何かシステムを根底からシフトしなければ、「からだの芯」もままならないのではないだろうか。

 「心の健康」とはなんだろう?うん、これもなんかいい原稿になりそうです。

時間が残されているいない!?

 「1分の遅刻は、1時間の遅刻より罪が重い。」そうかな?1分も1時間も罪は同じような気がする。

 「今月はスケジュールが一杯で・・・は恥ずかしい。」一杯は一杯なんだから、恥ずかしいとか恥ずかしくないという感覚の方がよほど恥ずかしい。

 「準備ばかりしていると、本番なしで人生は終わる。」別に人生、ずっと準備をしてたとしてもいいじゃん!

 「ふと気になった身内には、その都度合っておく。」なんのこと?ふと気になったが明確でないのになぜどのようにアクションするのか?ふと気になって会うのは何のため?

 「時間は命の断片だ もっと自由に生きるための時間のルール70」って、命をそもそもなんだと考えているのだろう?時間は命の断片だとは、何が分かって何が分かっていないのかと結構支離滅裂な味噌糞状態かもしれない。

 「君はもうそんなことをしている時間は残されていない」という書籍のアプローチ事例の列挙でしたが、どれもこれも五臓六腑には落ちてこない。ま!口に入れるつもりはない書籍だからいいか・・・。

 それが、早くも10刷!となるのだから、よほど「時間の価値の見極め」に現代は飢えているとういことがこの事例で読みとれる。かなり、現代の人類は自由に生きている上にさらに自由になりたいと願うベクトルの捻じれ方の方をなんとか矯正する必要があるのではないだろうか。

 時間が残されているありきの論拠に何がぶら下がっているのだろうかな?

 最近、どうも、どこまで自分自身が客観的になれるか?どこまで俯瞰視できるか?みたいな気持ちが高まっている。それにただ高めるだけはふわふわしていしまうので、その高め方のディテールやマテリアルを整理しようとしている。ただ、整理というニュアンスで何をどう整えても何かが整理される感覚がないので、さて、どこを軸に感覚を振り回そうかということに試行錯誤しているても言うか・・・。

 結果、迷ってはいなのですが、迷っているみたいなこと。

 だから、このようなアプローチの書籍が買わないが気になるのだろうか?

ヒエラルキーか。

 ヒエラルキーか・・・、なるほどなるほど。今読んでいる書籍に頻繁にこの言葉が登場する。これは階級・階層の意味なのですが、社会構造を原始時代から紐解くと常にこれが存在するという論理。部族単位から始まった人類の社会性が現代においてどのように覚醒してきたかを論じているこの著書は非常に面白い。今後、この著書は様々な現代社会の構造を考察していくようですが、とても楽しみです。ダーウィンの進化論からこの著書がひとつの人類のマイルストーンになるとも言われてるわけなので、指標という点で軸が読めるのだろうと期待している。かなり期待している。

 まぁ、なんでこんな書籍を読む必要があるのか?と言われればそれに明確な解答をサクっと用意することは難しいが、現代を生きる上でこの著者の見解を知っていることで新しい側面が見え、それが見えたことにより自分自身のライフワークを自分自身に対してより納得させるためにも、この書籍のタイミングなのかなと感じています。ロジックはこうなるが、単純に興味本位という部分もあるので、興味が生まれてしまったのに逆にそれを否定するのも癪だから・・・が実はのところかもしれない。

 昨日までの世界を多面的に知ることで明日が見えれば、明日の見方が自分自信の中でいい意味で変化できればこのタイミングに価値がある。

君の身代わりに・・・。

君の身代わりにその深い悲しみを背負うことはできないけれど・・・か。

何回聴いても震えるフレーズですね。

明日のことは誰にも分からない・・・。目を閉じないで・・・と。

走り過ぎていくタクシー、西行きのバスステーション。NO MORE PAIN...

車が来るまで闇に包まって・・・。

つかの間の自由にビートに任せて転がりつづけな・・・。

1万円分のアプリ!?

 「 学生のみなさんが今新しいMacを買うと、1万円分のアプリケーションをダウンロードできる。新学期を始めよう」カードをさしあげます。しかも、Macはお得なAppleの学生・教職員価格で購入できます。」とうメルマガが到着していた。学生さんと1万円分のアプリの関係はいったいどうなっているのだろう?どんなアプリが存在するのかさほど興味はなく、一般的な知識・情報しかないが、最近の学生さんはこの理由でMacを買う買わないを判断しているのだろうか?タブレットもスマホもそうだが、アプリアプリの百花繚乱で、そもそもアプリって何?という感覚が麻痺気味のような気がする。春だから何か新しいことを始めたいというベクトルになるだろうから、手っとり早いのはMacを買ってアプリでチマチマして何か自分のスキルやリアル感を満たす・・・だけ!?で、小手先の達成感が得られるならば的なアプローチだろう。そこに明確なインテンシブがあるのだろう?あるのかないのかで言えば、あるだろうが、それがどんなのびしろになる?というところまで踏み込まない・・・みたいな。アプリはアプリを使うことが目的なのだろうし、使ってみて「便利感」を感じる感じないの指標が不明確だから、使っていれば、便利だという根本的な勘違い。それにさて1万円の価値があるかないか?かな。

 で、私は勿論、それに1万円の価値は感じないからこの手の提案にはダイブしないし、出費も考えたことがない。1万円ですからね・・・、1万円あれば、時間つぶしのアプリを購入するよりももっと違う価値を手に入れることができると思っています。

 いつの頃からか、appleがこの路線を展開し始めてからMacをデザインツールとして見られなくなった。結果、一般ユーザーを抱え込むためにアップルはパワーユーザーを見切ったような感覚でした。ここまで露骨ではなかったものの、そんな印象を抱いてしまったから、プラットフォームとしての啓蒙力に陰りを感じてしまった。恐らくただの危惧だろうが、この気持ちの変化を感じたユーザーは意外と多いのではないだろうか。それまでデザインの仕事はMacで!という気持ちはあった。しかし、XPでそれが変容したこともリアル。何故か?費用対効果が確実にあったから。逆に、パソコンを開発して販売する時の物語を描く場合は、第1章はいいが、第2章を構想するのが難しいということだろう。TOUCHやPADにそのスパイラルが散ったことで、本体のPCに吸引力が無くなっていったという物語だろう。

 結局、プラットフォームもソフトウエアもアプリも各種デバイスも「道具」なのですから、デザインの仕事はどのブランドでもできるし、やりたいオブジェクトが明確であれば、安価で高性能をチョイスするが当然の流れ。それでも「Macが好きだ!」という人はある意味、救われるはず。

 私自身は、別に「便利=薄さ」でも、「便利=コンパクト」でも、「便利=タッチ画面」でもないので、入力とインターフェイスをしっかり制御できれば、マウスで充分だと考えているユーザーなので、このまま、メインプラットフォームを変えるつもりは当分ない。逆、タッチパネル系のデバイスについて言えば、画面を指でタッチするのはキライ。指の油脂がどうしても付くことが嫌。画面はインターフェイスや作成しているオブジェクトを正確に目視したいので、そこにチラリでも自分の指紋らしき汚れがついているのがとても気になる。というか嫌。クリーンなデジタルデータをわざわざ指の油脂で汚しているような感覚になる。だから、フラットなキーボードも嫌い。「ボタンです!」「これがキーです!」というインダストリアルが好き。

 で、今の時代の春、何か新しいことに挑戦したいなぁ~と感じた時、何が一番適正なんでしょうね?やっぱ、中国語かな?

キレイというより・・・。

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 なんか、キレイというよりも、「強い」ですよね。まず、キレイなんですが・・・。

さよなら、アイアンマンか・・・。

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 やっぱり、3部作なのか・・・。ちょっと残念ですが。この流れがテッパンと言えばテッパンですよね。楽しみです「アイアンマン3」。

80歳で20歳!?

 冒険家の三浦雄一郎さんが生涯3度目のエベレストへの挑戦をされる。お歳、なんと、80歳!そのポテンシャルは凄まじい。大学病院での出発前のメディカルチェックで骨盤密度は20代だったそうである。なんだそりゃ!80歳って、えっと、何歳のことだったっけ?エベレストですよあのエベレスト。80歳で挑戦するってのは、何がどうなればそうなるのか!80歳だから万全ではないとはいえ、エベレストにアタックできる、いや、アタックしようとする80歳は、言わば、日本の誇りである。

 さて、日本の「高齢化問題」を語る時、常に「介護」がワンセットだが、それありきってのはいかなものか?逆に海外に誇れるような「高齢化社会」にはならないのだろうか。「政治や企業の高齢化」がもっともっと核心の部分で、ハジケている生粋なハネ方をするような歳をとりたいものです。それでこそ長寿の意義がある。

 その人にとって、その時がどんな世の中だったか知らないが、若い時の不摂生を年金で帳尻をトントンにするような生き方はちょっと嫌だな。最後の最後までゴリゴリと自分の足で歩き続けて、最後の最後で、大切な血管がプツンと切れるようなエンディングがいいなぁ~。

12MONKEYS DVD

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 よくチェックに行く中古屋さんでオンラン価格よりも安価でこのDVDを発見して、即、買ってしまった。また、ゆっくり楽しもう。

 「WE DID IT!」って、いつか言いたいものですね。

ACT

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 趣味!?でいろいろな場所に落ちていた「クギ」や「ネジ」を集めている。理由は明確ではない。いつもの「なんとなく」が作用している。何らかの理由で利用価値を失ったこの何かと何かを繋ぎ合わせるパーツが捻じれて錆つき地面に落ちているのを拾い上げるというサイン。それが、さらに「なんとなく」リアルを感じている。この場合も「何のリアル?」と聞かれても明確な解答はない。

 そして、それで「A」「C」「T」と並べると、「ACT」になる。これがデザイン思考のリアル。と、そんな大袈裟な!ぐらいの流れでしたが、これがいわゆるクリエティブのコアの部分のように思います。身近な空間の中にも移動先の場所にもいろいろな物があふれてて、それられはすでに繋ぎ合わさってたり、まだ、接続されていないパーツであったり、何かの理由で朽ちかけていたり。すべてが時間軸の中で微妙に交錯しているのが世界なのであると。えらい大袈裟な世界観のふろしきを広げてしまったが、これぐらいの広さの風呂敷でないと、すぐにいっぱいになるのが欲望と気まぐれ。

 時には全て包むことも大切であり、要らないモノは捨てる必要もある。そんな取捨選択を繰り返して今現在自分自身のふろしきの中には何があるか?ここから次の思考パターンを構築しなければ、光彩に映り網膜に入って来る光の信号・情報だけで自分自身の仮想空間にオブジェクトを構築させることはちょっと危険信号。外因的な要素と内因的な要素の相関性から全ては成立しているとして、どちかに比率が偏ってもどこかで必ず偏重を来すはず。

 もし、この錆びた釘とねじが「えんどう豆」と「ししとう」ならば、また、別の感情が生まれたことだろうから・・・。うんうん、これもなかなかの原稿になりそうなので、このあたりの寸止めで終わります。

集中力はどこからやってくる?

 ふと、集中力はどこからやってくるのか?と考えてみた。何事においても出来が悪いと「集中力が足りないんだ!」と言われてきたことの裏について考えてみようと思った。確かに何かをする時に集中力がある時と集中力がない時はある。その違いを若い時はうやむやなグレイな状態でもなんとかなったが、いやいや、50歳が近くなるとそうもいかないのかもしれないと少し心配。経験値や引き出しが多くなっただけで実際仕事の現場でそれに依存して集中力は大丈夫か?という自問自答。いやいや、そもそも集中力なんて自分でなんともできないものなんだから、自然に任せていつもの通りに黙々と仕事をすればいいじゃんという自分と、いやいや、この歳になったのだから、改めて気持ちを入れ替えて「集中力」とは何かを再確認して仕事をしなければいい仕事なんてできないぞ!という自分のジレンマ。

 で、結局、なんだかんだと気楽に捉えてなんとかなるだろうと考えながらも、ふと、どこからが「集中している自分」なのかと確認してみたくなった。

 さて、それはどこからなのか???

 例えば、集中している時の自分自身はどういう状態が多いのか。自覚的にどんな状態の時に生産性や効率が高くなったのか。そのモードで何が具体的にどうなったのかを少し整理したいな・・・と。仕事で言うならば「リズム」を感じる時だろうし、絵を描いている時などはあまりにも集中していると、汚い話、よだれが垂れる時。釣りで言うならば、水面から出ているラインの動きしか見えなくなる時。こんな時は明らかに集中しているし、だからということでもないが、結果が出る。※よだれはなんとかしなければいけないが・・・。

 で、どこからやってくるかと考えてみると、何かのサインがある。それは自分自身の中からのように考えてしまいがちだが、それは、意外と外因の場合が多い(私の場合)。それは自分自信がそのモードになるぞ!という気合いというか気持ちの入り方も大きく相関・影響・作用しているのですが、ココイチで集中する時は、何か身の回りのサインか合図で集中モード・クラスへダイブしているような。

 が、ブログ記事レベルに、何か書き出せば、簡単に答が出るかなと思ったがそうでもないので、このテーマはちょっと温めよう。面白い原稿になるかもしれないし・・・。

人と運を引き寄せる・・・。

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 「最高の接遇」と認められた元CAの里岡美津奈さん。誰からも好かれる女(ひと)の条件とはいかに?

 毎日を丁寧に、前向きに生きていくとチャンスや出会いがめぐってきます。運は自分でつかみに行くものではなく、引き寄せるもの。だからあたたも始めてみませんか。これからを輝かせる、丁寧は毎日づくりを・・・。と。

 この他にも里岡さんは「また会いたい!と言われる女(ひと)の 気くばりルール」という書籍も出しておられるのですが、このなんとも女性らしいタッチの素敵さ。自然体でありながら、女性の光の部分をキープしておられる感じ。恐らくその裏の影の部分ではそれ以上のご心労があったはずなのに、それを出さずに光を放つ女(ひと)って素敵です。

 内側の美しい女(人)はその一番外側も美しい・・・と。美しくない女(ひと)ってパラレルに美しくない何か内側にあるのだろう。内側と外側は表裏一体なんですね。それは結果どうしても目に見えてしまうから怖い怖い。

男の人生は?

 なんと心地のいい最終回でしょう。昨今のテレビドラマでこれほどの最終回があったでしょうか?「最高の離婚」とても素晴らしいテレビドラマでした。結婚している人も結婚していない人もいろいろな意味でこのドラマの物語は芯を喰っていたような気がします。テンポ・リズム・ディテール・トラップ・・・すべてにパーフェクト。続編をただただ期待するばかり。

 7月17日にDVD-BOXが発売されるらしい。初めて初めてテレビドラマのDVDをガチで欲しいと思っています。それほどの内容でしたからね。最高最高。

 男の人生は?女の人生は?共に夢見るいばら道なのでしょうし、だから、人はそれだけでドラマチックなんでしょうね。

かわいい江戸絵画。

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 人の感情・心の動きを画に写すというテーマの「かわいい江戸絵画展」というのが開催されているらしい。この「かわいい」という言葉で現代はどんな連想をするのだろう・・・という提起である。現代の「ゆるキャラ」ムーブメントもそれに関連しているだろうし、子どもやペットに対する「かわいい」も関連しているだろう。

 「かわいい」絵が描かれるようになったのは江戸時代からだそうで、文人画や浮世絵や大津絵などのカテゴリーで「健気なもの」「慈しみ」「おかしさ」などの人の感情、心の動きを読み取っているのだろう・・・と。かわいらしさを表現の技法に組み込むことは写実的なアプローチと比べ技術レベルは上かもしれない。

 で、現代のCGグラフィックのそれらは「かわいらしさ」の芯がどこかずれているように見える。プログラムや進化したツールで描かれた絵は一見、表現的に引き付けられる魅力があるよに見えるが、実は、心の動きを表現するという視点でズレテいるような。そもそもゲームやプログラムのグラフィックには人の心の動きを表現する必要がなかったのだろうか?技術的にそれらを再現するには何か大きな障害があったのだろうか?いや、ただ、創り手の心が微弱だったからだろうか・・・。ビックデータから何か指針を読みとりましょうというテイについても、心の不在がいつか技術力では解決できないような障害にならないことを願うばかり。

 技術や表現力の向こう側にある、心や魂が一枚の絵に宿る時、恐らくビックデータを凌駕するのだろう。いつまでもゴッホのひまわりが永遠唯一無二な存在でありつづけるように。江戸の粋を刻印した「かわいい江戸絵画」がいつまでも光を失わないように。

チヨ婆・サクラVSサソリ

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 ナルトの本編は今コミックスで盛り上がっているが、ふと、どのバトルが一番印象的だろうと考えてみた。ナルトが子どもの頃からも含めて、マダラVS五影もあるし、ダルイと金閣・銀閣もなかなかだったし、ガアラと君麻呂も良かったが、一番好きなバトルは「チヨ婆・サクラVSサソリ」です。

 その理由はいくつかあるのですが、その他、いろいろな漫画のいろいろな対決シーンやいろいろな背景からの「戦い」という流れの中、ナルトの物語の中ならば、この戦いが一番GOODでした。サソリというキャラの悲哀さとその強さみたいな部分を感情移入した時に、最後の最後で、サクラの一刀をサソリは受けたわけです。伝説の傀儡使いでもそこをウィークポイントにするのか・・・という岸本先生の奥の深さとサクラの逞しさと戦略。それを経験と技でサポートするチヨ婆という構図がなんとも痺れたバトルでした。記憶に残るいい戦いだったと思うのです。

 今、ナルトは世界的にも一番人気のある物語。その理由はとても理解できる。「忍術」というカテゴリーをあの繊細な絵と練り込まれた物語で魅せられれば、他の追随は到底及ばないですね。最高である理由は分かるような気がします。

あなたの人生を変える睡眠の法則。

 という書籍が少し気になっている。3つのことを心掛ければOKと。確かに、人間の根幹なる3つの欲望の一つですからね。3つのことだけって?さすがに書籍を購入しないと教えてくれないようだが、「朝起きが辛くなくなる。日中の眠気がなくなる。寝つきがよくなる。ぐっすり眠れる。疲れがとれる。美肌になり太らなくなる。頭がスッキリし、やる気が湧いて仕事がはかどる。」らしいが、「美肌」はどうでもいいとして、全部、今日現在、これらのことで悩んだことはないので、どうやら大丈夫なようです。

 で、さらに人生を変えたければ、何をどうすればいいのだろう・・・?まぁ、この書籍は必要ないとしても、他の2つの欲望を改めて熟考してみよう。

 うん、私は人生を変えたいのか?いやいや、このままがいいでしょう???いやいや、スルーしてしまったが、睡眠の法則を知らないと「人生」がどう変わらないのだろう?そこから紐解きはしていないだろうな・・・?でも、そこは「睡眠の法則」なのだろう。あまり曲解過ぎると眠れなくなるので捻じれ加減はこの辺がちょうどいいのですよね。

ゴッホとピカソ。

 「お金の正体を知れば、僕たちはもっと自由に生きられる。」というテーマの書籍がある。

 「なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか?」というなんとも面白いアプローチ。これから幸せに生き抜くための新・資本論だそうである。まぁ、ゴッホとピカソと言われて注視しないわけにはいかないし、それ相当のゴッホとピカソに対する知識はあるから、比例して興味が湧いている。が、金のお話をするのに、押し並べてゴッホとピカソを引用してきたことに対する遺憾さは否めない。なんでもっと、安易でインパクト優先のタイトルにしなかったのか?と。なぜ、そんな、わざわざ、金のお話をする「新・資本論」なのに、ゴッホなのか?ピカソなのか?と。明らにその時代と今の時代は交錯していないし、しかも、円でもないし、お互いに画家だったことと、お金のお話がどう相関するのか?絵画に対する価値感みたいなモノを現代の資本主義の貨幣価値と相関させて何か新しい法則でも発見できたのか?それなりの仮説に仮説を重ねて何かこの著者は創出できたのか?と、いろいろこの情報だけで頭を膨らませてみたが、結局、最後のオチの部分で「人は、経験を通して世界を創造する。お金は、その創造の一要素でしかない。」ってこと。あれ、ゴッホとピカソを代用したのはただただ「創造つながり」だけ?

 「ゴッホとピカソ」のこんな利便性があったとは・・・。

昨日まで。

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 ダウンロードでデバイスに落してくる情報を書籍だと勘違いしたくない。というよりも、なぜ、人間は書籍に親しむのかという感覚を安易なデジタルデータに代用させているのかという疑問の方がリアリティーのある捉え方かもしれませんが、こうして、送られたというリアル、しっかりデザインされた書籍というスタイル、送る時に上下が反対になって梱包されてきたテイサイ。これで気持ちのベクトルが書籍に向かうが私自身の書籍に対する心地良さ。

 で、昨日まで~、この書籍は手元になかったのですから・・・というリアルにこそ価値がある。スイッチを入れて表示されるテキストがいくら豊富で巧みでも読むに値するリアリティーに欠けるというもの。読書とは何か?を改めて最近考える機会があり、目から鱗が何枚も落ちた。読書とはどこまで行っても読書なのである。タブレット片手に2次元の信号に心は震えない。肯定も否定もしないし、肯定する否定するか?レベル・クラスの僅差な代物でもないし・・・。

どこかに?

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 これどこかに売っていないですか?売り切れまくりらしいです。欲しい~!

ワンダフルワンダフル!

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 いやいや、旬な4名です。なんとも・・・。

昨日までの世界(上・下)

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 これは手元に置いておきたい2冊ですね。ではいつ買うか?今でしょ!

経験と勘 もう古い!?

 「勝算は不明だが、社長が言うからやるしかない」「しばらく様子をみて結論は次の会議で」。そんな情緒的で、悠長な意思決定は通用しない時代になりつあるという警告。膨大なビックデータを事業展開に活用しようとするビックデータの存在が人事や組織の在り方を含め、企業の根幹を揺さぶる・・・と。このビックデータを活用するのは個人が先行しているから、自宅で社外で重要な情報を個人が簡単に入手できる時代なんだから、会社という箱の必要性が限りなく0になるということ。では会社とは何か?という大きなテーマにひとりひとりが対峙する時代だと言える。リアルタイムで情報が入手できるわけだから、会議をする必要もないし、有名・著名なコンサルタントの先生に支払うコンサルティングという名前の義援金は必要ない。昨今のSNSの「いいね!システム」がどこまで伸び代があるか今の段階ではわからないし、信憑性をどこまでユーザーが感じ続けるだろうか?と疑問視すると、それは、消えていった「アクセスカウンター」になってしまう。単純なシステムであればるほど短命であり、人間は飽きるということ。

 では、何が「商い(飽きない)」なのか?無料ゲームはやるまえから飽きることを前提で開発されているアイテムだからする必要がないし、データの解析などやったところで、自分のポテンシャルが逸れていれば時間の浪費だろう。すると、個人が元々会得している、経験値やプロの勘という部分は本当にビックデータに代用されるのか?という疑問が浮上する。これは永遠に平行線のようにも思えるし、どこかで交差するようにも思える。もう、交差しているとも言えるし、どこかで交差してそのまま放物線の軌道を描き離れていくとも捉えることができる。

 で、「経験と勘」のディテールの価値は?企業は揺さぶられるだろうが、個人はさほどリスクがないだろう。つまり、企業という箱の形状がその振動に弱いという洞察・考察ができる。なぜ、その程度の震度に弱いのか?基礎が弱い?柱が弱い?ジョイント部分が弱い?維持させるシステムが弱い?恐らくすべて弱いのだろう。では強いのはどういう存在なのか?それが見えている人が、上手にビックデータを活用しているよに思います。

 もしかしたら、活用などしない方がいいのかもしれないし・・・。心地良い隔離とでも言うのか・・・。

ガラケー65%。

 スマホからガラケーに回帰する人が急増しているとネットの情報を見るたびに、「あれ?スマホって微熱のようなものだった・・・。」という純粋な感想を抱いてしまう。私は新しいツールにはなかなか喰いつかない。直感で喰いつくか喰いつかないかを決めている人間だから、誰かに便利だとか、みんな使っているからという人間的な理由では喰いつかない人間なのである。誰がなんと言おうが自分でいいと感じない限り絶対に使わないし買わない。

 で、スマホ時代が到来して久しいが、タッチパネルデバイスで言えば、最初のiPod touchを買ったので、仕事でブラウジングするにはこれで十分だし、アプリに一切興味がないので、必然的に当然の流れでスマホにはよだれは出ないパブロフ君なのである。しかし、スマホを使っている人を否定など絶対にしないし、たまには映像を観たりさせてもらっているし、とても便利な道具だとは思います。タッチパネルでの文字入力も慣れないといけないなぁ~と便宜上考えたりするが、文字入力はPCのキーボードがベストだと思っているので、あの小さい画面でハエのように画面をチマチマとつつくのは自分的に絵的にNG。それが流行りだから主流だからという理由=道具ではないと考えているから。

 現在、ガラケーのユーザー数の絶対的な割合は65%だそうだが、この数値にも別段興味はなく、モノゴトは常に1対1の相対的でいいはず。絶対値に心が震えない人間なのだろう。

 だから、そろそろ、現在使っているガラケーが山や釣りに行って傷だらけなので、新しい機種に変更しようと思っているのですが、その時は絶対にパカパカはチョイスしないつもり。ボタンもしっかり付いていて、できれば文字も大きい方がいいと思っている。完全におっさんモードなのかもしれないが、完全におっさんなので無理はしないが正解。

どうなる「最高の離婚」。

 面白い面白い、テレビドラマ「最高の離婚」は最高です。物語が安定している上に、心地良いスピード感は秀逸です。ここ10年でピカイチかもしれないですねって、そうそうテレビドラマを見漁っているわけではないですが、逆にその程度のドラマユーザーにして面白いのだから、相当面白いってこといなるんじゃないでしょうか。歴代のテレビドラマと比較しても、数字を持っているタレントや俳優が登場しているから面白いというテイではない。まったく、実力派のドラマのドラマによる心地良さとでも言うのか。最初は4名の旬な俳優・女優さんが登場して・・・と受け止めたし、設定も力が抜けていて楽しい。それに、脚本がいいから全然素敵。しかし、第10話を終えて、次が感動の最終回として、このドラマを確実に牽引しているのは明らかに「瑛太さん」であるとあらためて(当然?)感じる第10話でした。

 で、最終話はどうなる???ここまできてまだ視聴者に「どうなる?」と思わせる脚本家が凄い。すでにチェックしているのですが、書籍があれば買おう・・・。

ダメじゃん!

 ねぇねぇ、それじゃ全然ダメじゃん。それはあなたの水でしょう?もしかして、餌も実はとられていないですか?で、あなたはびびって小屋の裏に隠れてると・・・。確かにねあの黒いくちばしと意外と大きな身体が目の前に舞い降りたらちょっとひくかもしれませんが、そこは、あなたは犬なんだから、吠えるとか威嚇するとかしてくださいよ。このブログをどこかの泥棒が読んだら、泥棒さんwelcomeじゃないですか!

 朝、会社に行こうとすると、チョップ君の水の器にデカイカラスがくちばしを入れて悠悠と水を飲んでいる。恐らく餌もとられているのかもしれないぞ。声を出したくらいではカラス君は全然余裕。そのまま瞬殺で蹴飛ばそうと踏み込んだだら、バサリと飛び立った。おい、お前顔を覚えておくぞ。そして、例の奴でその小さい頭にお見舞いしますからね。って、カラスが飛び立ったら、小屋の裏からコソコソと平気な顔して現れる我が家の愛犬。なんだこれ、ダメじゃん!

 例の奴、凄いパワーですからね、あれ眉間に貰った日にゃ、ちょっと痛恨ですよ。

 なんか、そのカラスの目、クレバーな目をしていましたね。頑張れチョップ!

ツイッターの仕組み。

 なるほどね。フォローが2000を超えたら、フォロワーの1.1倍以内がフォロー数なのか。いろいろ考えてありますね。素晴らしいですツイッター。フラクタルな仕組みのシステムです。SNSでは一番好きな仕組みですね。シンプル is BEST。ややこいのはキライ。

文体。

 改めて「文体」とは何だろうと考えている。比較的、読みやすい文章を読みたいとは考えているが、必ずしもその視点だけで書籍は選べないから、文体で書籍は選べない。というか文体・ライティングスタイルの部分もいろいろ楽しめてこその読書。だから、内容とかテーマとかネタのディテール・リアリティーと合わせて文体が大切なんだろう。

 ところで、私自身、文章を書く勉強は一切していないし、ソフトウエアを覚えるために専門学校に行った経験もない。でも、全く問題ないと思ってる。これは勘違いなのかもしれないが、すべて独学というテイでは限界があるのも事実。結局、奔放過ぎて実践向きだが、あえて語るということになると、少し緊張してしまう。以前に、グラフィック関連のソフトウエアを教える機会を与えてもらった時に、それを痛感した。結局、ソフトウエアの機能の知識よりも、活用術が大切だと考えて、デザインの概念やデザインのテッパンネタを軽く紐解いて、基本的なチュートリアルをチョイスして、ソフトウエアの機能説明とマッチさせた。結果、ソフトウエアの知識とデザインの概念的な捉え方がデザインを作成するには重要。どちらが欠けても一定レベルをクリアすることは難しい。

 その機会を経て、京都や大阪で頑張っている卒業生からご連絡を頂けると、単純に嬉しい。この感覚は、仕事ではないのだから。貨幣価値で推し量れないsomething.

 で、デザインのお話はどんらライティングスタイルのがいいのだろ?やはり、好きな書籍をもう一度、紐解いて、そのスタイルを改めて構築したいと考えている。楽しい、楽しい、楽しいぞ!!!

3.11か・・・。

  そうか、今日は3.11か・・・。

これいいね!

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 このコンセプトとってもいいね!目は大切ですからね。

美しい春の琵琶湖。

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 いやいや、美しい美しい。

携帯・スマホ 心がけたいこと!?

 特にビジネスの現場で「携帯」「スマホ」の使用上の注意が大々的に日経新聞にメイン記事として掲載されていた。まず、なんでやねん!

 「会議や商談中も出しっぱなし スマホを机の上に出しっぱでチラチラと目をやりながら話をすると、仕事に集中していないと相手が感じる場合もある。」あたりまえやん!幼稚園児にお行儀のお話から始めるようなレベルだぞ。

 「無許可で写真を撮る カメラ機能はメモがわりに使える。だが、会社には撮影不可のものもあり、セキュリティーに対する意識が低いと思われかねない。撮影する前にはまず確認を」って、そんなこと・・・まで。

 「いつも手にもって話す いつでもスマホを持ったまま話す人がいるが、大事な取引先との商談の場では自分の話を軽視していると見られていることも」見られる見られないではなく・・・。

 「紛失は会社の信用問題に 取引先などの情報が入ったスマホを紛失すると、個人の問題だけではく、会社の信用にかかわる。日頃からパスワードでロックをかけたり、端末の位置を検索できるサービスを利用したりしておく。」いやはや、これはどんな時代の幕開けか!?

 私は次携帯を買う時は、折りたたみ式ではない、スマホではない携帯電話を買うつもりだから、こんなことは当然のこと以前に・・・。いや、他人は他人、自分は自分が今の時代のテッパンテッパン。

 時代に乗り遅れてもいいから、モラルの電池切れにならないように心がけたい。

無事帰還!

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 長い冬眠から我が家の亀ちゃんペアが復活してきました。春になった証拠ですね。少しづつ餌を食べ始めています。冬眠お疲れ様でした。

クラウド・アトラスか・・・。

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 まだ、テレビのCMしか見ていないが、さて、どんな映画なのだろう?できるだけできるだけ、情報は少ない方がイメージが膨らむし、映画を観る前に余計な情報は入れないようにしているが、気になればなるほど、想像が勝手に暴走する。少ない情報で想像の暴走が止められないぐらい、気になるということは何か理由がある。その理由が結局、想像力の核になるということ。つまり、逆に言えば、それを形成させる工夫というかアイディアというかIDを持っていれば、ひとりひとりの想像力に訴求できるスイッチを入れる事が出来るという仕組み。これはどれだけスマホが快適になろうが、タブレットが薄く、回線が高速化されようが、全て頭の中で起こっている変化だしそれぞれのポテンシャルだからニーズとして変容しにくい、コンテンツとして地肩の必要な取り組み。昨今、技術の進化、情報の飽和がもたらした混沌を混沌のままに保留以上手がつけられない人はそこがとりあえずの休憩ポイント。でも、先が見えているならば、まだ、足が動くならば、休憩せずに歩を進めた方が足は逆に動く。

 「クラウド・アトラス」。DVDが出たらチェックかな・・・?

QUICK DRAW

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 早速、買ってしまった。なんかとてもいい感じだぞ・・・。

青い象。

 確かに青い象の事は考えないようにしたい。というか思考力の問題だけならいいのですが、思考している筐体は腹も減るし眠たくもなる。思考力ってやっぱミズモノですよね。蓄積したから積み重なるという訳でもないし、削ったから減るというものでもないから厄介厄介。

化学変化は起こせるか?

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 大地を揺るがせるような噴火を起こせるか?風景を白く染める天変のチカラ。仮想空間に潜むわずかな真理を見極められるか?今、手の中にあるわずかなコマでチェックメイトできるのか?セオリーの方程式を覆しても自分だけの化学変化を起こせるのか?

公式認定競技銃。

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 今朝、到着したマルゼンさんの「type96」です。意外と重いんだ。スケールも数値ではリサーチしていたが、意外と長い。しっかりした競技用なんですね。どんな微調整をするか、どんなメンテが必要か、なかなかリサーチが充分できなかったので心配でしたが、ちゃんとサポートセンターもあるらしいし、故障や部品の交換もしっかりサポートしてくださるそうです。シリアルもあり登録も完了している。まずはマニュアル通りに組み立てて一発。しかし、これで射撃の精度は上がらないらしい(といろいろなサイトに書いてあった。)し、競技に出る時は射程距離に合わせたチューニングをする必要もあり(これもマニアの方のブログでチェックした。)、本格的に大会に出るとなると、同機種をもう一丁用意する必要もあるとのこと。さらに、BB弾もいろいろなメーカーがあり、銃の精度が高くともBB弾の精度や重量が射程距離とマッチしなければ精度は上がらない。さらに、空調や湿度で弾道は変化するらしい。

 うんうん、なかなか面白い競技性である。恐らく、2丁目は黒を用意するだろうが、まずは、これを使いこなしてみたいと思っております。

 しかし、これを単体(はだか)で持ち歩くことは禁止されている。が、どのようなケースに入れたらいいのだろうか?こればかりはネットをリサーチしても情報がヒットしない。何か適当なアルミケースを買ってきて、独自にカスタマイズすればいいのだろうか?2丁入れて、さらににチューニングキットや予備の部品も入れたいので、そこそこのケースになるだろう。やっぱ、大会など一度現場に行って、エキパの人達に聞いてみよう・・・。まずは、腕を上げて・・・と。

的を射止める感覚。

 不健康なことで言えば、陸上の練習の時に右足を折れるほどの捻挫をしたので寒くなると右足首はズキズキ痛む。同様に野球と陸上の練習でオーバーワークで右足の太ももの上部の筋肉が硬化している。骨盤の上と頸椎の下にヘルニアがあるので、気圧が変化すると、割れるように頭が痛くなる。そのヘルニアの影響で、右足の上部と左手の外側の皮膚の感覚はひじのように鈍い。と、48年も生きているとどこかに小さい大きい爆弾を抱えている。だから、健康には非常に敏感になっているのです。

 富士山(3年連続)に登るようになり、少しクライミング・ボルダリング的なことをやり始めてから、筋肉的にはいい感じを維持できているし、体脂肪率も10%前後を推移している。でも、いつ、体の中の爆弾が爆発するかを意識し過ぎて、毎日毎晩のストレッチやマッサージや筋トレをやめることができない。これは身体的にはいいことなのか?無駄なおっさんお気休めなのか?まぁ、人間に与えら得た3つの欲求さえ適正に処理していれば、あとは、適当に元気が一番。

 で、気持ちというかメンタル部分での健康はどうか?自分自身では何事にも瞬発力は自信があり、好きなことは集中力があると自負(勝手に・・・)しているが、それを誰かと比較する場面は意外と少ない。だから、他流試合(ゴルフやバストーナメントなど)に参加して、体調とメンタルの相関性を試す。好きな仕事をしているからこの仕事が心的疲労(悪いストレス)になるこはないが、逆に、良いストレスも長年の仕事や人生の慢性化した部分で排除・削除していなろうかと思った。つまり、年齢と共にいろいろなことが「そこそこモード」になり、上手く失敗を回避する器用さだけを手にいれて、その安全地帯で踏ん反り返ってはいないかと・・・。もっと、いろいろな未知の連中といろいろな世代の連中と勝負をしたいと思った。しかし、現実問題、現在のロッククライミングの技術でどこかの大会に出場するレベルではないし(まだ、断崖から落ちたくはない。)、100m短距離走は?とエントリーしようとしたが、30代の体育の先生や100m完走目的のご老体とスタートラインに並ぶのも非現実的に辛いと思えた。まぁ、ゴルフやバスフィッシング大会などは楽しいからやる感じだし・・・。と考えると、自分は最近やはり、安全地帯で何も挑戦していないなと感じた。

 団体競技、個人競技はやってきたものの、武道はやってない。ただ、今からボクシングや空手をやって、ボロボロになるのはちょっとやめたい。そう考えると、ふと、「的を射とめる競技」をやりたいと思った。うん?「的を射とめる競技?」ってなんだ?「弓道」「アーチェリー」「射撃」どれも、ちょっとダイブするにはガチの競技であることをネットの情報で知る。それに道具が高い。高っ!となった。

 そんな日々が過ぎ、ふと、「エアーライフル大会」というサイトを発見した。18歳以上なら、運転免許証のコピーを送れば購入できるエアーライフルがあり、その大会もいろいろあるらしいと。なんだかレアな世界かなと思ったが、まぁ、そう大袈裟な大会でもなさげだし、「公式」というテイもそこそこ感があった。ならば、中途半端なエアーライフルではなく、ハイエンドなモデルにしようと。で、数ヶ月リサーチにリサーチを繰り返した。BB弾も最高の品質をチョイスした。それが、明日到着する。

 「高価なおもちゃ」と言えばそれまでですが、日本国内で購入できる最高級の精密射撃ができるエアーライフルです。明日の一発目が楽しみです。気温・湿度・風力・湿度から銃のバレルのチューニングとホップアップの微調整で相当の精度を楽しめる、日本国内のASP大会でも常勝のハイエンドモデルらしい。あとは腕を磨き今年中に大阪か名古屋の大会で勝ちたいと考えている。

感謝力とは?

 これは何かの書籍の話題・情報でも、どこかの賢者のネタでもないのですが、最近、「感謝力」という言葉が頭の中で思い浮かび、ちょっと気になっている。気になっているから、ネットで調べるが、そのような論理も仮説も文脈もあまり見つからなかった(私の感覚のニュアンスと)。あるフランスの脳科学の権威とふとした読み物に書かれていた「感謝」という言葉の質量が自分自身の中にある「感謝」という価値観とふとしたことでシンクロしただけのことなのだから。

 まず、脳科学のケースでは、人間の能力と脳からの信号(まだどの信号がどの作用と相関していると特定はできていないが)を研究している研究者がいて、喜怒哀楽と脳からのパルス(信号)の相関性をいろいろな実験を通して整理しておられた。すると、強いパルスと人間の感情や行動の相関性において、怒りと不安は脳からの信号が強いと思いがちだが実はパルスは小さい。パルスが大きい小さいが人間の生産性というか能力(技術力や創造力など)との相関性をひとつの法則で捉えようとしているのですが、喜びや感激している時も同様にパルスは小さいのである。つまり、心臓の鼓動や脈拍が上がるような身体や精神の状態と脳からの信号はあまり関係性が少なく、自分自身で何かの情報やタスクに取り組もうとしている準備段階や誰かの高いスキルを自分自身に取り込もうとしている時に脳からの信号は反応が高くなったらしい。これは、恐らく自己防衛であったり、生命体として種を存続させるために、天変地異や天敵から自分自身を家族を守る時に脳は大きく反応して大きな信号を出力したのではないだろうかという仮説。

 で、その信号の最高のシチュエイションとは、異性あれ、師匠であれ、誰かの言動や行動や存在に対して、「感謝(Thanks)」を感じている時、脳からの信号はMAXになるという。これは陳腐な視点かもしれないが、意外や意外、「感謝(Thanks)」している時の人間の脳の活性率は最高なのだ。

 でこのことが頭の中に知識として情報としてあったので、ある仕事で「感謝」というキーワードがなんとなく気になった。何故気になったのか考えれば考えるほど、このフランスの科学者の実験の事がトリガーになり、さて、今、この「感謝(Thanks)」という言葉を自分の中でどう捉えているのだろうかと?最近感謝するという気持ちはどの程度リアルなのか?と考えてしまった。

 逆に、なんでも感謝という心地で捉えれば、脳は活性化するのか・・・と、普段の感情の構造を完全「感謝モード」にしてみようと思った。が、人間は心で生きているから、何でも感謝に代用できない。が、それほど、実は日常生活の中で意識しなければ、「感謝」とは希薄になっているのかもしれないぞ・・・とも考えた。さて、一体、「感謝(Thanks)」とは何なのか?と。

 ただ、感覚的に「感謝(Thanks)」する気持ちあれば、非生産的な争いは発生しないだろう。「感謝(Thanks)」する気持ちがあれば、ぎこちなかった人間関係も緩和され潤滑になるだろう。とは考えるのは純粋に素直に正解方向だろうから、人間の脳は人間が考えている以上に人間のことを大切に捉えているんだな・・・と至極当然のあたりまえのことながら心が震えた。

 「感謝力」って大切大切。

ワンパンマン!!!

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 なにやら、「ワンパンチマン」というのが熱いらしいぞ。娘がすでに1・2巻を買っていた。娘的にもそうそう衝動的にコミックスを購入する育て方はしていないので、絞り込んだココイチの作品だろうから、とりあえず、表紙だけを確認して本編を覗いてはいない。今夜ダイブしよう。

 で、次から次へと新しい展開というか感性というか感覚が登場するものです。この素晴らしさこそが、日本のアニメ産業を文化を根底から支えている。いい漫画、オモロイアニメを期待してエンジョイしている国民がいるから、こうしたいい作品が生まれるという仕組みなんだろう。って、おっさん的にはこのノリにシンクロできないジェネレーションのギャップにダイブできない・・・という事態も想定されるわけだから、1・2巻を手にしながら、簡単に本編にダイブできなかった。この感性を大人の感覚で「面白いやん!」とか「ほぉ~なかなかの作品やね!」とレスを返すことはできるし便宜上の反応をすることはできるが、自分自身の中の軸の部分でシンクロできなければ実は寂しい。つまり、感覚が退化して劣化しているとうことだから。

 「漫画なんて読んでいる暇があれば勉強をしなさい!」という言葉を私は口が裂けても出さない。出さないし、そう言われてきたことに対してその言葉を口に出してしまった人を実は少し軽蔑している。この軽蔑という感覚が大人の人間的に不適正でアンモラルな発言かもしれないが、「漫画なんて」と言ってしまうほどあなたの心の視野が狭いんですよとは言わないが、私の中で「漫画」という表現は、小説や学術書と同位なのである。

 で、この「ワンパンチマン」のノリを一体どのようなテイなんだろうと、少し武装する時間が欲しかった。ウォーミングアップする時間が欲しかったというのが本音。そこまでしてフライングしたり途中で息が切れ失速するようなら、私の漫画脳はもう老化し始めていいるということ。それをこの作品で確かめてみたい。というか、この作品でそれを精密に検査していただこう・・・という感じなのである。