感謝力とは?

 これは何かの書籍の話題・情報でも、どこかの賢者のネタでもないのですが、最近、「感謝力」という言葉が頭の中で思い浮かび、ちょっと気になっている。気になっているから、ネットで調べるが、そのような論理も仮説も文脈もあまり見つからなかった(私の感覚のニュアンスと)。あるフランスの脳科学の権威とふとした読み物に書かれていた「感謝」という言葉の質量が自分自身の中にある「感謝」という価値観とふとしたことでシンクロしただけのことなのだから。

 まず、脳科学のケースでは、人間の能力と脳からの信号(まだどの信号がどの作用と相関していると特定はできていないが)を研究している研究者がいて、喜怒哀楽と脳からのパルス(信号)の相関性をいろいろな実験を通して整理しておられた。すると、強いパルスと人間の感情や行動の相関性において、怒りと不安は脳からの信号が強いと思いがちだが実はパルスは小さい。パルスが大きい小さいが人間の生産性というか能力(技術力や創造力など)との相関性をひとつの法則で捉えようとしているのですが、喜びや感激している時も同様にパルスは小さいのである。つまり、心臓の鼓動や脈拍が上がるような身体や精神の状態と脳からの信号はあまり関係性が少なく、自分自身で何かの情報やタスクに取り組もうとしている準備段階や誰かの高いスキルを自分自身に取り込もうとしている時に脳からの信号は反応が高くなったらしい。これは、恐らく自己防衛であったり、生命体として種を存続させるために、天変地異や天敵から自分自身を家族を守る時に脳は大きく反応して大きな信号を出力したのではないだろうかという仮説。

 で、その信号の最高のシチュエイションとは、異性あれ、師匠であれ、誰かの言動や行動や存在に対して、「感謝(Thanks)」を感じている時、脳からの信号はMAXになるという。これは陳腐な視点かもしれないが、意外や意外、「感謝(Thanks)」している時の人間の脳の活性率は最高なのだ。

 でこのことが頭の中に知識として情報としてあったので、ある仕事で「感謝」というキーワードがなんとなく気になった。何故気になったのか考えれば考えるほど、このフランスの科学者の実験の事がトリガーになり、さて、今、この「感謝(Thanks)」という言葉を自分の中でどう捉えているのだろうかと?最近感謝するという気持ちはどの程度リアルなのか?と考えてしまった。

 逆に、なんでも感謝という心地で捉えれば、脳は活性化するのか・・・と、普段の感情の構造を完全「感謝モード」にしてみようと思った。が、人間は心で生きているから、何でも感謝に代用できない。が、それほど、実は日常生活の中で意識しなければ、「感謝」とは希薄になっているのかもしれないぞ・・・とも考えた。さて、一体、「感謝(Thanks)」とは何なのか?と。

 ただ、感覚的に「感謝(Thanks)」する気持ちあれば、非生産的な争いは発生しないだろう。「感謝(Thanks)」する気持ちがあれば、ぎこちなかった人間関係も緩和され潤滑になるだろう。とは考えるのは純粋に素直に正解方向だろうから、人間の脳は人間が考えている以上に人間のことを大切に捉えているんだな・・・と至極当然のあたりまえのことながら心が震えた。

 「感謝力」って大切大切。

comments

普通に考えて「コノヤロウ!」と「アリガトウ!」言うのと言われるのどちらが気持ちいいのと言われれば完全に後者ですよね。
「コノヤロウ!」と言ってる時は感情的になっている時なので人間の脳は爬虫類の脳に移行しているとか、それを哺乳類の脳に移行しないと、冷静な判断や建設的な思考は生まれないそうで、そんな時はもちろん「アリガトウ!」とはならないのでしょうね。
「コノヤロウ!」の時は思考が完全に一つに固定しているので脳は活性することは無いのでしょうね、そこで活性してしまってはマイナスのスパイラルに陥るので、何か間違っているような、後味の悪さを残すような仕組みになっているのだと思いました。
感謝する心は、書物や宗教で説かれていて一般的な考えですが、何故?僕ら兄弟は科学実験にバイトするのでしょう(笑)
裏付けがないと信用しないタイプでしょうか?たぶんそうだと思います。
どちらでも頭の中に入ればいいのですが、僕が一番頭に入るのは兄ちゃんの言葉なので、この知識が入ったことに感謝して脳が活性かしてこのコメントを書いている次第です。

  • kuni
  • 2013年03月03日 06:11

なんでしょうね?
たぶん、いろいろなTPOがあるのでしょうね。
それに言葉の入れ方というか入り方が
言わばその「人らしさ」とも言えますね。

では、その「人らしさ」とは何に起因しているか?
後天的なのか先天的なのか?
何からどのように何のために得た情報のなのか?
何故覚えているのか?何故このタイミングで
それが思い浮かび、別のの要素に融合したのか?
これは科学だとも言えるし、非科学だとも言えます。
一般的な「感謝」についてどこまで細かく
分解できているか、
どこまで高い位置で俯瞰できているかは
個人差がありますから、
「一般的な考えで」と鞘に納めることはできますが、
この鞘が実は一番厄介でデリケートです。

さらに、「科学的実験」で言うところの物理定数について
5W1Hも個人差があります。

そして、「信用」とは何か?

どれもこれも実はなんの根拠もない
偏在するケイ素のような存在です。
原子一覧で確認できるが、
そもそもケイ素は何故存在するか?
誰にも分かりません。
と同じぐらいに、「感謝」も分からないのですね。

だから、人は何かを創造するのだと思います。
あの岩かげに大きな牛がいたと洞窟の壁に
ブラウンの石で描くのです。

0と1の世界も同じだと勘違いしたいところですが、
大きくこの感性から逸脱していると直感で分かります。
いつか人間でないアルゴリズムが人間を制御する時、
今、入力しているこのテキストは
とても有効な変数になるのですね。

つまり、この仕組みを創造した人に感謝なのです。

  • khuz
  • 2013年03月03日 10:21

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