経験と勘 もう古い!?

 「勝算は不明だが、社長が言うからやるしかない」「しばらく様子をみて結論は次の会議で」。そんな情緒的で、悠長な意思決定は通用しない時代になりつあるという警告。膨大なビックデータを事業展開に活用しようとするビックデータの存在が人事や組織の在り方を含め、企業の根幹を揺さぶる・・・と。このビックデータを活用するのは個人が先行しているから、自宅で社外で重要な情報を個人が簡単に入手できる時代なんだから、会社という箱の必要性が限りなく0になるということ。では会社とは何か?という大きなテーマにひとりひとりが対峙する時代だと言える。リアルタイムで情報が入手できるわけだから、会議をする必要もないし、有名・著名なコンサルタントの先生に支払うコンサルティングという名前の義援金は必要ない。昨今のSNSの「いいね!システム」がどこまで伸び代があるか今の段階ではわからないし、信憑性をどこまでユーザーが感じ続けるだろうか?と疑問視すると、それは、消えていった「アクセスカウンター」になってしまう。単純なシステムであればるほど短命であり、人間は飽きるということ。

 では、何が「商い(飽きない)」なのか?無料ゲームはやるまえから飽きることを前提で開発されているアイテムだからする必要がないし、データの解析などやったところで、自分のポテンシャルが逸れていれば時間の浪費だろう。すると、個人が元々会得している、経験値やプロの勘という部分は本当にビックデータに代用されるのか?という疑問が浮上する。これは永遠に平行線のようにも思えるし、どこかで交差するようにも思える。もう、交差しているとも言えるし、どこかで交差してそのまま放物線の軌道を描き離れていくとも捉えることができる。

 で、「経験と勘」のディテールの価値は?企業は揺さぶられるだろうが、個人はさほどリスクがないだろう。つまり、企業という箱の形状がその振動に弱いという洞察・考察ができる。なぜ、その程度の震度に弱いのか?基礎が弱い?柱が弱い?ジョイント部分が弱い?維持させるシステムが弱い?恐らくすべて弱いのだろう。では強いのはどういう存在なのか?それが見えている人が、上手にビックデータを活用しているよに思います。

 もしかしたら、活用などしない方がいいのかもしれないし・・・。心地良い隔離とでも言うのか・・・。