からだの芯をつくる食事。

 「からだの芯をつくるのは、これといってかわりばえしないふだんの食事なのだ。」というテイストの「世のなか 食のなか」という書籍がある。「日本全国津々浦々訪ねて歩く、ドキュメンタリスト・瀬戸山玄さんの見た、いつもの食卓に真剣に取り組む、17人の職人の記録。手間ひまかけてこしらえた、熱く、おいしい食のドキュメンタリーです。」というフレーズから何を読みとるか。確かに食は大切。健康=食みたいなことだから、毎日の食べ物が体を作っているという意識になるとその重要度の高さが推量できる。メタボリックというのは形骸的な事を指すようだが、いやいや、実は行動心理学にも深く関係しているような気がします。すべてはチェーンのような。

 そこで、「からだの芯」という語感がなんとも心地良かったからこの記事に目が止まったのですが、「からだの芯」とはどこのことだろう?恐らく食の職人17人のレシピとモチベーションが綴り記されている書籍だろうから、明確に「からだの芯」はこれです的な論説はないだろうが、改めてこれをサインに「からだの芯」についてつらつらと考えてみた。

 「からだの芯」という語感から具体的に臓器は「脳」「心臓」「胃腸」と絞り込む方法と、「心」「魂」「感性」という感傷的に絞り込む方法があるが、どれを指してもどこか「芯」という感覚はない。もしかすると「背骨」というニュアンスが一番近いかもしれないし、体全体全てを指しているようにも感じる。身体のどの部分が芯でどの部分が芯でないと明確に区切ることはできないような。

 さて、そこで、なぜ「芯」が大切なのかということについてはどうだろう?どんな芯があればいいのだろう?細くてシャープな芯?太くて頑強な芯?繊細で微細な芯?大らかで度量の大きな芯?これらがからだの中に存在すると仮定して、素敵な芯があれば、何がどうなり、何をどうするために「これといってかわりばえしないふだんの食事」が大切なのか・・・という仕組み。

 現代の「死因」についての書籍を読んだ時、人間の歴史はある側面で生産性の進化だという部分と、実は、代謝と複製を経て朽ちる時の朽ち方の歴史だとも言えるというアプローチの書籍だった。人間以外の生物は皆土に還るのに、人間だけ最小限の炭素になり、陶器に入り一定期間石の下に入るというこのシステム。これは文化・文明・慣習なのだが、これは本当に進化か?と。身体の疾患での死因は現代になってからその比率が増しているだけであり、それまでの人類の歴史の中で実際に存在していたらしい。ただ、それ以上に戦争や感染症などの死因が割合として多かったためにそれらがフォーカスされることはなかったという考察。すると、長寿のためにどれだけ食の趣に精通したとしても、現代社会の構造がこうなってしまったからには、もっと、科学的に医学的に何かシステムを根底からシフトしなければ、「からだの芯」もままならないのではないだろうか。

 「心の健康」とはなんだろう?うん、これもなんかいい原稿になりそうです。