2013年04月 アーカイブ

象?

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 で、ふとしたお店で発見した使用済みの薬きょう。これは象用?

恒例のポストカード。

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 で、ゴッホ展で購入した恒例のポストカード。なかなかお気に入りがポストカードになっていることは少ないのですが、この夕景のポストカードはビンゴでした。ああ、ゴッホってこういう状況でも描くんだ・・・とか意外と新鮮な気持ちなれたこと。ゴッホってやっぱ実直な人だったんだろうなぁ~とか、いろいろ言われている、世界でも有数のいろいろ語られている画家だが、こんな作品も残しているんだ・・・とこの原画の前に立った時いろいろ考えてしまった。印刷物になると実物の色彩のディテールが全く再現できてはいなのですが、それでもメモリアルってことでいろいろ買っちゃいましたね。モノホンはこの数十倍、素敵な色彩でした。

いい感じ。

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 久々に仕事抜きで京都の街を歩くといろいろ素敵な出会いや発見がありますね。いかに、いかに、日頃は何も見ていないということ。この家、どんな人が暮らしているのやら?

やっぱ、美術館っていいですね。

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 美術館という存在感は素敵です。本来ならばヨーロッパに行かないと観れないような作品が海を越えてやってくる場所なんですから。お互いにこの展示会を主催運営している人のエネルギーって決して表に出て来ることはない地味なエネルギーですが、その皆様のご尽力やご苦労がなければこうして日本初公開のゴッホの作品など到底鑑賞することはできないのですから。それらのことをいろいろ考えていると、車を走らせて見に来た価値の大きさを実感していました。

 世界的に有名な作品だから・・・ということでもなく、原画を「観る価値」というのは人それぞれです。だから、タイミングとか機会をどのように創るかなのですが、できるだけ「観たい」と思ったら動くようにはしているのですが、それでも、全て動けるわけではない。しかし、ちょっと無理をして美術館に足を運ぶことでそういう気持ちになれるということ、この時間の使い方のディテールを大切にしたいですね。

 美術館っていつ来てもそういう気持ちにしてくれるのでいい場所です。

混雑の前に。

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 さすがGWということで早めに入場してじっくり鑑賞することができました。ゴッホの作品はとても実直な心地にしてくれますね。日本初公開の作品も30点以上ありましたからとても楽しかったです。やっぱ、油絵はいいです。

京都はいいですね。

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 昨日は天気もよく、心地のいい京都でした。

笑い事じゃない!?

 ほんと、笑い事じゃない・・・。

新しいヒーロー登場。

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 昨日の松山英樹君の優勝は見事だった。あの18番のフックラインは当然入るだろうと思っていたが、それにしても見事。新しい日本男子プロゴルフの顔が生まれた瞬間だったと思う。にしても他のプロの魅力のなさ加減がより際立つ。ジャンボさんの62はこれまたさすがとしか言いようがないが、他にこれと言って特筆することがない。まさに空洞化である。遼君がいなくなってほんとに寂しい日本のゴルフ界にひとつ大きな魅力が増えた。しかし、いつか英樹君も世界へ行くのだろうが、それまで日本で暴れてほしいものです。この二人がマスターズや世界のメジャーで最終日にドキドキさせてくれることを心から願うばかり。いいライバルが最高級の二人をどこまで高くお互いに押し上げていくのだろう。何はともあれカッコイイ二人である。

只、喝采を待つ!

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 これはかなり理にかなっていると思う。このような視覚化で何が引き寄せられるか?を期待しています。熱が伝導する法則にそって正しいタイミングで適正な熱量を放ちたいものです。

明日はゴッホに。

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 明日は京都へ生涯3度目のゴッホに会いに行こう。日本初公開が10点以上あるということ、楽しみ楽しみ。

美しさ。

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 人は何かを判断するとき自分の「経験のものさし」と社会に偏在する「セオリーや観念の規範」を基準にする。それは時に「幸福加減」にも適用される。基本的にデザインという仕事はこの「ものさし」と「規範」の相関性の中で成立するものであり、この相関性を例えば「費用対効果」などの指標で有効性や優位性を判断していると言える。硬いお話になるが、これらを言語的ロジックと直感的センスで思考してこそ適正なオブジェクトが見えてくる。しかるに「アート」についても同じテンプレートが適用できるので、そこに数多の万象の規範が機能・適用されながら時間上に乱数的に配置されていくのだろう。

 で、「美しさ」と基準でそれぞれの慣習の規範があり、そこに個人さや文化レベルの影響があるわけですが、やはりというか、「美しい」「美しくない」の基準はどこかの深層心理の部分で、ショーン・ヤングの存在が大きい。ミロやミュシャ、モナリザ、アングル、ロートレックあたりのものさしも必然的に「美」に対しての規範であることは当然だし、現代のビューティーについてもそのものさしは有効なのですが、どこかに軸を設定していたとすれば、ブレードランナーのレイチェルはかなり比重も割合も大きい。

 不思議なもので、それがどこかのタイミングで別のものに代用されてもいいぐらい人間の価値感や世の中の基準は革新に革新を重ね変容しているはずなのに、意外とそれはひとりの人間の中では不動になっている不思議感がある。何故か?という愚問はさて置き、それを受け入れることが軸を意識する上で非常に重要なことであり、実はこの軸を持っていない人の緩さは決定的な共有性を失うから怖い。アーティストは何故アーティストたるのか?クリエーターはどうしてクリエーターたるのか?これらを表面的なロジックで処理しようとしても、セオリー通りのチュートリアル程度の経験値で座標化しようとしても、吹けば飛ぶのは、その蓄積された一物に質量が欠けているから。

 必然的に、プロはそれを見抜くから、アウトプットする時に注意する必要がある。右に習えでいい人は見えている必要はないが、軸を持ちたいならそんな思考錯誤を日々繰り返すマイスタイルな鍛錬を怠ってはいけない。ライフスタイルありきで表面的にアートに親しみたいなら親しめばいいが、親しむと追求することは異物だと理解すべき。自らの手を動かさず鑑賞し続けたいなら貧弱なロジックは要らないと知るべき。

 それほど、このレイチェルは美しい。

クライマー用ナイフ。

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 クライミング用の携帯ナイフ。アクシデントの際にザイルを切ったりもするナイフらしい。ひとつづつひとつづ丁寧にその時のためのツールを集めることにしよう。武士で言うところの脇差しなのかな・・・?

エベレストを越えるんだ!?

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 初版1984年12月25日、第17版2012年4月15日。北米マッキンリーに冬期単独登頂後、消息不明って!なんて凄まじく素敵な人生だろう・・・。

そもそも。

 「もっと早く知りたかった・・・」

 「こんな声を多数いただいております。 英語を「楽しく」「効率的に」「安く」学習する、
 今までなかった程、充実した500ページ以上のレポートを
 料で提供します!」か・・・。

 英語は楽しい?英語を効率的に?英語を安く?学習する?
 充実した500ページ?無料?何故何故何故?

 この軸が絶対的に間違っているとは言えないが、興味はないですね。

 そもそも、英語をそんな風に捉えたら寂しい気持ちになりますし、
 そもそも、「英語力」って何?って感じ。これじゃ竜頭蛇尾じゃないかな。

オスとメス

 カブトムシの遺伝子の操作でメスにつのがオスに体毛が出たらしい。人間は何をしたいのだろうか?医学の進歩なのか科学の進化なのかそれが人間に課題なる功績をもたらすと思いたいが、ボストンの二人などMITで何をやっていたことだろう?クレバーな人材の精神まで大統領でも分からないということ。それほど人間は分からない。分からないことは分からないままでいいんじゃないのかなどと呑気なことは決して言えないが、ツノが生えて来たカブトムシのメスはどんな気持ちだろう?

 メディアをにぎわしているキャッキャ言って場を盛り上げている連中も本質的にそうならば幸せなことだろうが、それがもしテレビ用なら営業用なら相当悲劇であるし、オスだからメスだからなどモラルや倫理のお話をするつもりもないが、そこが交錯する融合する混同することで人間はどこに向かっているのだろうか・・・という部分がとても気になる。

 で、逆にそんな万象に対して自分自身は何を考えているかの部分の全てを意識下することはできないが、受け入れる部分と受け入れられない部分が確かに存在する。それぞれにその理由を追求・探究している時間などないから乱暴にこんなカタチでブログに書いておき、やらなければならないことにあとは集中しようと思っている。つまり、SNSや多種多様なアプリなどは誰かが誰かのためにデベロップしているのだろうが、その「誰」かという部分で圧力釜に釘を入れるという結論に辿りつかない文化であってほしいものです。我々は黙祷するしかないのか、何かの方法でそれらを削除できるのだろうか・・・と。

デザインとは?

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 「何故?」とても大きなテーマでこれを読む読者はこの対談から何を感じたのだろう?専門的な書籍であることは勿論のこと、このご両名の対談がこの書籍が何を意味するのか?「デザイン」とは何なのかを考えている読者は多いだろうし、「デザイン」と「ビジネス」の関係性やアートや文化に至るまで「デザイン」を切り口に語る分野は多様だろうし多面的だろう。大それたことは何もできないが、「何故?」と聞かれたら私はどのような答を用意することができるのだろう。それが誰かなら?それが不特定多数なら?それが異文化の人達なら?

次は霞ヶ浦で。

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 次はタミオさんと霞でバトルしたいですね。お疲れ様でした!

2013年初BASS!

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 2013年の初モノです。なかなかいいスタートです。満足満足。

センスとスキルの関係。

 道具が先でも技術が先でもないと気がつく瞬間に出会えている人の言葉は重い。日本の教育分野を席巻しその勢いを世界まで展開実動しておられる人となればその言葉はメガトン級である。つまり、現代のあらゆる慣習・文化・システムの歪みが見えているからそこにメスを入れることは簡単で、そのメスが時に鉈だったり刀だったりするから強烈です。

 さて、時にツールとは言葉あれ感情であれコンテンツであれ技であったりするのですが、その場合の、センスとスキルの関係性についてセオリーや先入観に凝り固まるとそののびしろにリミッターをかけてしまうという感じ。直感で判断をするという語感を、どちからと言えば軽視するタイプの人間はその重要性を優先しない・・・というか板につかずその手に馴染ませることが難しい。言葉を言葉通りに理解するという国語の授業から読解力を向上させるというアプローチを多面的に展開することは、人間の生物としての思考回路を分析して捉えようとするとき一番適正なアプローチのように思います。

 何がどれぐらいのスピードでどのように伝わり結果どうなる・・・などの部分をあまり戦略戦略と勘違いして自分の枠を小さく見積もらないこと。あるプロが集中力はカメラのファインダーを覗くようなモノだと言っている。全体を空間で捉えて何にフォーカスするか?どこでシャッターを押し切り取るかに似ていると。カメラのスイッチを入れる前に何を撮影しようとかこんな写真を撮影したいと選択肢を想定することは楽しいプロセスだが、ガチの部分では自分自身がファインダーを覗くまでフィールドにあるモチーフは見えない。そこに余計なイマジネーションを働かさず、その場面でファンダーに見えている中からサインやヒントを見抜くセンスとスキルがあれば、思う写真は手元に残るというもの。時にファインダーの中には想定外のモンスターが潜んでいることがあるからこれまた楽しい。しかし、戦略だのスタイルだのと勝手にリミッターで制限している人はそのモンスターを発見する目を失うことが多いように思う。それでそれが楽しいからと誤解していたいなら話をこれ以上進める必要はないが・・・。

絵になる美しさ。

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 そもそも「美しい」とは何だろう?ルックスやプロポーションが美しい、心が美しい、美しい考え、美しい存在、美しいという言葉を人が使う時、その背景ではどのような思考が繋がっているのだろう。美しいだから、何かと比較して美しいと感じているからか、そもそも美しいの真価をキャッチするスイッチがあり、それがオンになると「美しい!」とアウトプットされるからだろうか。特に感情や表情やアクションをアウトプット(表現や行動)することに長けていない国民性だと言われていることが、これまた比較の対象になり、その視点で他人の言動や行動はどうか?自分自身の発言や行動はどうかと日頃から考えて観察していることが多い。美しいものを美しいと言葉に出せない人は、どこかそのスイッチを自分自身で壊しているような。だから・・・どうなの?と意外にも内気な人はそこの下腹あたりをおさえると臭いおならを出す。「そんなこと別に口に出さなくともいいでしょ?そんなにアウトプットすることは大切かな!」などと相関性における蓑の中に入り込む。

 ヤドカリかっ!

 ま!自分に見合った貝殻の中が心地いいことだろうし、外には外敵が多いのも現実。しかし、外敵にも天敵がいて外敵は外敵なりに警戒のスイッチを持っている。トラップも持っている。土の下のスイッチを押さないことが必須条件だが、場所を変えないと景色は変わらないのと同じぐらい、気持ちを隠ぺい癖が板に突いてしまうと、美しいものも美しいと言えなくなり、美しいものが遠くに行ってしまう。それでも殻の中が心地いいならそこで屍になまでプランクトンを食べていればいい。

5月22日か・・・。

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 なんだか焦っていたのかもう009のDVDが発売されていると勘違いしていた。いつもことながらこの無駄なエネルギーの使い方。根拠のない焦りにどれだけ無駄な時間を費やしたことだろう。無駄になってはいないと思いたいがおそらく無駄は無駄だった。しっかりチェックしていればそんなに血眼になる必要はない。ということが非常に多い。反省。

 で、5月22日発売予定だから、もう少しの我慢我慢。

 映画作品については物語設定に賛否両論のようだが、これ(009)だけはどうであれ手元に置いておきたい1枚です。

5%以下!?

 「ゴルフ場でスコア集計を依頼されたデータを集計すると、100切りのゴルファーは全体の概ね20%だそうです。90切りの割合は多分5%は下回るしょう。感覚的に100切りの難易度は、ちゃんと上級者またはプロに習いながら週一平均でちゃんと練習して10ヶ月から1年程度、90切りは100切りと比した難易度は比べものになりませんし、練習量による個人差が大きいとは思いますが、同様のペースで練習したとして平均的には3年程度かと思います。ただし平均スコアでそれを達成するのはプラス2年は必要だと思います。」という記事があった。なるほどなるほど。確かにそんな感じですね。

 私の知っている人で10年以上ゴルフをエンジョイしているが、まだ「100切り」を達成している人は少ない。別にプロじゃないんだからそれはそれで楽しいと思いますが、でも、やはり、ゴルフを始めた以上は、「100切り」というのは永遠の目標のようです。まぁ、ゴルフ場や専門誌のアンケート結果だからどこまで信憑性があるかは不明としても、やはり、アベレージゴルファーの80%近くは「100」を切れていないようです。さらに、「90」を切った人となるとその割合は5%以下となっている。私自身はまだたった一回切っただけなので不安定なものだろうが、これらのデータは少なくとも毎月1回はゴルフ場に行っている人達だから、私のようにゴルフは好きだけで毎月1回などとは程遠く、よくやっていた頃でも1年に5回が最高なわけで、それで90を切ったのだから、まぁまぁかなと・・・。

 次はさらにより80に近いスコアを叩き出してみたいと思っています。季節も温かくなりましたし、そろそろ行きたいな・・・。


先日は・・・って!

 「先日はありがとうございました。早速ですがYahoo!のリスニング~」って、あたなと一回も面識もなければ先日っていつですか?よくもまぁこんな時代だとは言えそんな見切り発射なメールを送れるものですね。特定もしないしわざわざレスも返すことは一生ないでしょうが、これがルアーだとしたらかなりポンコツなルアーですね。こんなのブルーギルも追わないぜ。もっともっと、繊細にフックを小さくしてワームを吟味してもあなたは丘にルアーをキャストしていますよ。そこにバスがいるかな?そんなキャストばかりしているから、本来義務教育で学んだはずのモラルが欠如するんですね。ビジネスはなんでも最後のジャッジはモラルです。それが欠如しているとどんな美しい方程式をお持ちでも答えはポンコツですよ。例えそれがあなたの正解でも。モノホンのバスが釣りたかったらちゃんとラインとルアーセットを確認してから、ポイントを絞り込んでください。って感じ。こうなるとイライラとかじゃなく、そこまでポンコツになれる人生観に悲壮感が漂いますね。「もう今しかないのでこちらの特典をぜひ一度!」ってなんでやねん!そんなリンクテキストをクリックするわけないでしょう。モノホンのバス釣ったことあるのかな?無料フィッシングゲームのやりすぎかな?

余命3ヶ月か・・・。

 もし、それが本当だとしたら、日本の医学は地獄に堕ちますね。なんでそうなってしまったのでしょう。昨晩からガリレオが始まったが「科学」についてのディベートシーンがあったが、恐らくその答は誰にも出せないでしょうね。正解を求め過ぎると正解が分からなくなる。何事もボチボチが適正であり、感覚的に直感的にロジックで考えない方が自分自身の正解には遠くなるが、本当の新しい正解を手に入れることができる可能性を得るサインなのかもしれません。

「K」が・・・。

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 ほぼ2年酷使したマイキーボード。これも癖なんだろうけど、必ず2~3年使用すると「K」の文字が消える。頻度の問題か、「K」を押す時に他のキーよりも無駄に力が入っているのか・・・。こんなことが起こります。恐らく頭文字が「K」のワードなんだろうから、「KHUZ」だろう・・・。

どうせね・・・。

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 この2冊、かなりストライク。

舟を編む。

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 いよいよ映画「舟を編む」が公開される。宮崎あおいさんと松田龍平さんがよくテレビに登場している。映画の宣伝で辞書づくりについてのコメントがどこか時代を象徴していて書籍が売れた理由であれ、恐らく映画はヒットするだろうサインのようなものを感じています。

 辞書について言えば、主人公馬締さんほどではないが、私自身も書籍の中でともてリスペクトしている。というか頼りにせざるを得ない状況が人生の場面で何度も繰り返されていることは間違いないし、辞書を紐解いている時のドキドキワクワクする感じはまた勉強で新しい世界が見えて来る感覚やいろいろな書籍を読むことで原理や海外の慣習や創作を知ることとは違った側面があるように感じている。確かに辞書を書籍として読むということはあまりされないがだろうが、結構、何かデザインの仕事や言葉のチョイスに迷った時に一番ダイレクトにレスを返してくれる書籍は辞書だ。百科事典も好きだし専門書も好きだが、辞書はやはり特別な書籍だと言える。新しい言葉や生業の意味を多面的に客観的に記した辞書というツールは辞書だからこその価値がある。それを編纂するを物語にしてしまう三浦しをんさんがまず素晴らしいということ。それを世の中に出そうとした編集者・出版社の心意気がまたまた素敵。そんな素敵が幾重にも重なり蓄積した結果がこの映画なのだから、まさに、「舟を編む」ということだろう。書籍はかなり早い段階で読んだから時代が何を求めているのか?という大きなテーマについても読み方によっては見えて来る素晴らしい物語でした。

 一方、本屋大賞なるものがある。本屋が選ぶ書籍のアワードであるが、2012年は1位が「舟を編む」で、第2位が「ジェノサイド」だった。これは読んでいるのでこのアワードもなかなか素敵なシステムだなとは感じているが、2013年の対象が「海賊とよばれた男」だと今日知った。この作家、まぁ、好みで言えば、読む気がおきない。読む気がおきないのだから読まないのですが、全部読んで読む気がないは成立しないわけで、何がきっかけでこういう結論に至ったのかとなると、数年前、ある強烈な書籍の評論を読んだ時、この方の小説の素晴らしさを非常に巧みなコピーライトで表現していた。それを信じて!?初めてこの方の書籍を買った。読んだがとても残念だった。その残念の度合いが半端じゃなく、なぜこの内容でこう書くのか?と全く残念極まりないことになってしまった反省から、その後、どんな宣伝コピーで心が動いてもこの著者の書籍は読まないと決めた。結構、そういうパターンは多く、かなりの数の日本の小説家の作品は1冊で終わっている。現代を代表する小説家のほとんどにこの残念な感じを抱いており、この「海賊~」の著者もその仲間入りをしたというだけ。ほんと、残念。

 だから、書籍を選ぶ時はやはり、宣伝文句を信じずに自分の感覚を研ぎ澄まそうと考えている。しかし、新しい著者にダイブする時はとにかくリサーチしなければいけないから、無作為に1冊を読みジャッジするしかないのが正しい探し方だし、逆にこの著者の書籍はもう買う必要がないと判断できる方が無駄がないと思います。

 で、そんな現代の小説家の薄い感じと比較して圧倒的な筆力の三浦しをんさんという存在が際立つというパワーバランスなのである。もう、独壇場と言ってもいいぐらいで、恐らくそれを他の小説家の人達レベルになると完全に理解していると想像する。それって、「個性」と「アイディンティティ」で自分を納得させることができるのだろうか?それても完全白旗モードで自分のできることをやりましょう的な黙殺で日々の構想と執筆に向かっているのだろうか。それはそれで同じモノカキのプロとしてかなり辛い状況のように思います。

 まぁ、そんな大それたことを言いながらも、あたりとはずれを繰り返すことで、自分の中で際立たせるコレクションを1冊でも多く蓄積したいというのが本心である。

 昨晩、ひさびさに映画「羊たちの沈黙」を見た。「サンキュー、クラリス。」う~ん、この映画が20年以上前の映画だとは年々この偉業・金字塔・バベルの塔に舌を巻く。最後の最後のエンドロール後の「心地良いさえずり」まで聞いてしまいました。

マスターズ。

 やはり、この時期はマスターズ。日本のゴルフトーナメントはあまり見なくなった。特筆するプロがいないから。いつ見ても外国の選手が上位にいるような大会はもやは日本のゴルフトーナメントのテイをなしていない。日本のプロが情けないと思いながらゴルフを見るのは辛い。男子も女子も。しかし、マスターズや全英オープンは違う。世界のトッププロの映像をテレビで観戦できるのは嬉しい。

 今年の1月に生涯のベストスコアが出たので、この春にも一度、さらにハイスコアを楽しみに芝生の上に行きたいと思っています。あくまでもあくまでもベストスコアを狙いますが、まぁ!もう、念願の90は切れたのだから、そんなにガツガツする必要もないかな・・・という余裕が実は確かにある。たまに私のクラブセットを見てグリップしたりしているが、ベストセットアップであるDW 3I 5I 7I 8I PW SW PTの8本はいつでも来い!って感じですね。ただ、次のラウンドは500円パターを一旦置いて、キャメロンで臨むつもりなので、それはそれで楽しみです。

GWに行こうかな・・・。ご両名、臨戦態勢はREADYですか?

りんごは何年?

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 ももと栗は3年、柿は8年というが、このリンゴ君はいつ花が咲く?毎年冬には雪の中で、あ~あ、ついに枯れたかなと思いきや、ちゃんと春になると葉っぱが出て来るんですね。また、今年も虫に襲われるのでしょうか・・・。花は・・・?白い花が咲いたら感動的だろうな・・・。

おはようさん!

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 暖かくなり春の陽気で元気になったのか、相変わらずの野良猫にいじられているのか、ただ単にストレスが溜まっているのか、この頃無駄吠えが多いですね。人間的に言ってしまえば「無駄」なのですが、あなたにしてみれば意味があるのかな?いや、ないだろうなぁ~。では、今日も一日お元気で。

iMacか・・・。

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 確かにカッコいいし、安くなりましたね。ちょっと気になっています。確かに確かにどのWINの筐体にもない空気が漂っていますね。鑑賞するにはいいかも・・・。なんかこれを購入しても今の自分自身の会社に置いたらマッチしないような気がします。もっと、天井の高い、内装がコンクリートで、無垢のフローリングにリトグラフが壁に飾ってある。観葉植物はハーブ・・・みたいな空間ならマッチするのでしょうが、という感覚だから、結局、怖気づいて委縮してるから手を出さないのかもしれないかな。こんなプラットフォームがシンプルにデスクの上にコツンと置いてあるようなオフィスって憧れますね。私の今の空間ではちょとこの筐体が可哀想・・・。

いつもいい感じ。

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 いつもいつもこのテイストとクオリティーは素晴らしいです。リニューアルしたらこれぐらいの更新をしていかなければいけないですよね・・・。

ジオパーク。

 ジオパーク(英: geopark)とは、「地球科学的に見て重要な自然の遺産を含む、自然に親しむための公園。地球科学的に見て重要な特徴を複数有するだけでなく、その他の自然遺産や文化遺産を有する地域が、それらの様々な遺産を有機的に結びつけて保全や教育、ツーリズムに利用しながら地域の持続的な経済発展を目指す仕組み。」と検索すると情報が公開されている。

 この考えにそって日本の国内でもいろいろな場所のジオパーク化が推進されているらしい。世界遺産の定義についても各県レベルで申請にしのぎを削っているし、確かにジオパークとして認定されたり、世界遺産に登録されることで認知度が高くなり付加価値も上がるのだろう。然るべき書類を整え環境問題を解決するテイで取り組みが激化している。これはとてもいいことだが、そもそも、地球科学的に見た時、申請の対象から外れている地域って、申請される地域と根本的に何が異なるのだろう。そんな大義名分がなくとも自然はどこも同様に美しく偉大であるはずなのに。便宜上、人間の都合で自然に影響を与えたことへのお詫びなのか、この期に及んで規制したからとそれを付加価値ってのもどうかな。そもそも経済が発展するために自然環境を犠牲にしたことがそのような運動の根本になり価値になり潮流になっているだけのような気がします。つまり、自然は自然のままであればいいだが、ジオパークとか世界遺産とか勝手に立て札を立てて経済効果を語りながら、また結局犠牲になるのは自然なのではないのだろうかと・・・いう部分はいかなものだろうか。

 で、富士山が来年の夏頃から入山料が必要になるらしい。これはなんとなく理解できるし、登るために必要な入山料なら快く出すだろう。世界遺産になれば入山料も上がるのかな。まぁ、それも仕方なしかな。えっと、日本で2番目に高い山ってどこだったけ?

身体の中からの信号。

 外部からの信号には敏感だが、身体の中(頭・心・魂・細胞)からの情報に鈍感な人は意外と多いように思う。信号とは言わず、日々展開されている情報や仕事における人間関係や社会との接点で人は必ず日々変化する状況と情報を取り入れながら生きているし、生きているとはつまり外部からの情報との相関性の中で代謝と複製をするために五感から情報を得て、口から生体を維持するための素材を得て、生命を維持していると言える。この単純な構造・行程をどれだけ複雑にできるかという部分を「価値」に置き換えて社会が成立しているということ。

 しかし、外部からの信号をどのルートからでもインプットするとその情報をいろいろな意味で「消化」する必要があり、消化されたモノは然るべき臓器で生命を維持するために必要な身体の一部に変換される。福岡先生は日々こんなことを考えておられるのだろうが、その生物としての科学的なアプローチには常にパラレルに精神的な偏在する概念とでも言うのか、言語情報と非言語情報が混在している。

 喜怒哀楽はそのサイン(情報)が身体の中に取り組まれた結果の熱量なわけだが、これは言わば身体の中からの信号と言える。しかし、何事も基本的にone brain, one body...なのだから、自覚できる部分と無意識の分野にオートマチックに分けている節があり、このシステムが自律神経か交換神経か分からないが時に乱れる場合がある。つまり意識化していることが無意識の領域で、無意識の領域から有益な信号が発信される場合。この不具合をどう分析して「いい信号」と「悪い信号」を差別化できるのかで、かなり、身体の中を整理できるように思う。このテーマは、こうして書き出したものの、かなりディープになりそうなので、まぁ、今回はメモ程度にブログにログっておきます。

 で、「信号」なのだからみんなで渡れば基本怖くなのが正論のように思えるが、実は、赤・黄・青の三色以外にも色が存在したとしたら、「歩行者」と「止まっている人」以外のイラストの信号があったとしたら、それが実は本当の信号なのかな・・・などと。

「FORCE」DVD到着!

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 ほんとはライブ行きたかったですが、ま!これでいいか!!!楽しみ楽しみ。

このテイストには強い。

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 このテイストにはやはりshadeは強いなぁ~。やはり、ツールありきではなく、イマジネーションが先行しないとダメ。ソフトウエアに使われ(憑依)ちゃうともうなかなかリセットしにくい。使わないと何事も始まらないのですが、使いながら使い方も会得・体得する必要がある。この分岐点の見極めがなかなか難しい。テキスト本やマガジンには目ざとい読者、というか、パワーユーザー向けにゴリゴリのTIPSが百花繚乱。しかし、その多くが結実せずに枯れていく花。何がどこから違うのか?この見極めができれば、ソフトウエアは自由自在に手に馴染む。その最初の分岐点は「小さな誤差」だと思う。素直さや一生懸命さが仇になる前にその誤差に気づくこと。「あれ?なんか違うぞ・・・」という感覚が必ずある。その時、どうするかで大きくルートを自分よりに変えることができると思います。

こう来るのか・・・。

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 こう来るのか・・・。どんな日本なんだろう?

素敵なヘッダー画像です。

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 いつものことながら素敵なヘッダー画像ですね。素晴らしいです。

直線的な思考パターン。

 ロジックの組立方が直線的だと大人数で共有する組織にはとても有効なのですが、実際、何かを起案して予算化して実動するまでの起案からアクションまでには複合的で多面的な要素が交錯することが多い。意思統一を重んじるばかりに議論が直線的になる傾向があるように思います。実際、時間軸に議題を並べて是非を問う会議が一般的であり、起案する際のプレゼンテーションについても同様で、起案理由や背景や具体的な効果と予算の効率からプロジェクトのディテールなど理解を得るためにのストーリー作成は直線的であるべきだ・・・という空気がどこでもセオリー。しかし、実際の現場は多面的であり複合的な要素が複雑に絡み合う事が多く、優先順位をつけるにしても、どの価値を優先するか、どの意見を重要視するかで議論が炎上する。それを本題に対する建設的で創造的なヒートアップと勘違いするとまともな結論が出ないことがしばしば。日本はまだ炎上ありきの文化・慣習ではないから、スムーズな組織がまかり通り経済大国という称号を手にしたかに見えたが、それも、結果、多面的な意味で泡だったという悲劇。でも、それに懲りず基本的な洞察・分析・仮説立てのポテンシャルは同じ。何か目的を設定したら必ずフィッシュボーンに頭から尾に向かう時間の活用術が一般的なんだと思います。そんな会議の場でそんな空気を読まず異論を発しようなものなら、失笑を買うばかり。その意見にタイマンを張る勇気の欠如からか、ポテンシャルの低さからか、逆転の発想からか、その空気は失笑のフェードアウトで意見もフェードアウトするという不思議なムラ文化。それは国家がそういう構造になっているからか、国家を形成する個体がそのタイプのカスタムから覚醒できないからなのか、理由も多面的だろうが、結果、直線的に是非を問い、多数決で出された結論を飲みこむ体質が常。

 で、クリティカル・シンキングというフレーズがある。これは、否定的だ!とする語感にパブリックでは浸透していなような風潮があり、この手法を導入する場合の条件があるように思う。ただの「論理的で構造的に考えること。」なのだが、それすらアレルギーを持って錠剤片手の会議になる始末。ただ、論理的であればどうなんだ、構造的であればどうなんだという逆説も確かにあるが、それさえも俯瞰で捉えなければ出せる結論も直線的議論と同じ。論理とは何か、モラルだとも言えるし、知恵・知識だとも、スキルだとも言えるこの論理でつばぜり合いをするには何が必要ということ。

 私達は学校の頃から黒板を見て思考している。社会に出ればホワイトボードに書かれた図表や文字列で思考をしている。PCのモニターからタブレット、疑似的に3Dな表現はあるが、思考は常に平面的になりがち。だけど、そこに時間軸が加わるだけでも、平面的ではないのだから、実際は多面的というか、立体的な思考をしているはずなのである。でも、共有する時に言語を用い、平面的な視覚的情報を共有するばかりに、アウトプットした段階で思考は平面化するのだ。平面のデザインを仕事にしている人間だから、そこを疑問視する必要もないし、映像であれ立体グラフィックスであれどうにでもできるから、そこは平面的なクリエティブに結果アウトプットするんだからいいじゃんという自分と、いやいや、そもそも思考が立体的な構造で行われているのに、無理やり平面化するのはやっぱり無理があるんじゃない?という自分がいる。

 デッサンなどは、目からインプットされる情報と後輩効果と言われるインテリジェンスの部分が手の筋肉を動かし平面化させているとも言える。ここに上手い下手という基準は存在しなのですが、有量の世界だからそこは表裏一体なのだ。無量の世界ならば、両手を合わせて煩悩を捨てたようなパントマイムで事は済むが、実際の思考はやはり立体的であるはず。これは何に起因しているかと考えると、つまり、首の上に保管された大きな臓器の仕組みと同じということ。

 まぁ、きっかけはこの程度にして、残りはまたどこかに記そう。