身体の中からの信号。

 外部からの信号には敏感だが、身体の中(頭・心・魂・細胞)からの情報に鈍感な人は意外と多いように思う。信号とは言わず、日々展開されている情報や仕事における人間関係や社会との接点で人は必ず日々変化する状況と情報を取り入れながら生きているし、生きているとはつまり外部からの情報との相関性の中で代謝と複製をするために五感から情報を得て、口から生体を維持するための素材を得て、生命を維持していると言える。この単純な構造・行程をどれだけ複雑にできるかという部分を「価値」に置き換えて社会が成立しているということ。

 しかし、外部からの信号をどのルートからでもインプットするとその情報をいろいろな意味で「消化」する必要があり、消化されたモノは然るべき臓器で生命を維持するために必要な身体の一部に変換される。福岡先生は日々こんなことを考えておられるのだろうが、その生物としての科学的なアプローチには常にパラレルに精神的な偏在する概念とでも言うのか、言語情報と非言語情報が混在している。

 喜怒哀楽はそのサイン(情報)が身体の中に取り組まれた結果の熱量なわけだが、これは言わば身体の中からの信号と言える。しかし、何事も基本的にone brain, one body...なのだから、自覚できる部分と無意識の分野にオートマチックに分けている節があり、このシステムが自律神経か交換神経か分からないが時に乱れる場合がある。つまり意識化していることが無意識の領域で、無意識の領域から有益な信号が発信される場合。この不具合をどう分析して「いい信号」と「悪い信号」を差別化できるのかで、かなり、身体の中を整理できるように思う。このテーマは、こうして書き出したものの、かなりディープになりそうなので、まぁ、今回はメモ程度にブログにログっておきます。

 で、「信号」なのだからみんなで渡れば基本怖くなのが正論のように思えるが、実は、赤・黄・青の三色以外にも色が存在したとしたら、「歩行者」と「止まっている人」以外のイラストの信号があったとしたら、それが実は本当の信号なのかな・・・などと。