絵になる美しさ。

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 そもそも「美しい」とは何だろう?ルックスやプロポーションが美しい、心が美しい、美しい考え、美しい存在、美しいという言葉を人が使う時、その背景ではどのような思考が繋がっているのだろう。美しいだから、何かと比較して美しいと感じているからか、そもそも美しいの真価をキャッチするスイッチがあり、それがオンになると「美しい!」とアウトプットされるからだろうか。特に感情や表情やアクションをアウトプット(表現や行動)することに長けていない国民性だと言われていることが、これまた比較の対象になり、その視点で他人の言動や行動はどうか?自分自身の発言や行動はどうかと日頃から考えて観察していることが多い。美しいものを美しいと言葉に出せない人は、どこかそのスイッチを自分自身で壊しているような。だから・・・どうなの?と意外にも内気な人はそこの下腹あたりをおさえると臭いおならを出す。「そんなこと別に口に出さなくともいいでしょ?そんなにアウトプットすることは大切かな!」などと相関性における蓑の中に入り込む。

 ヤドカリかっ!

 ま!自分に見合った貝殻の中が心地いいことだろうし、外には外敵が多いのも現実。しかし、外敵にも天敵がいて外敵は外敵なりに警戒のスイッチを持っている。トラップも持っている。土の下のスイッチを押さないことが必須条件だが、場所を変えないと景色は変わらないのと同じぐらい、気持ちを隠ぺい癖が板に突いてしまうと、美しいものも美しいと言えなくなり、美しいものが遠くに行ってしまう。それでも殻の中が心地いいならそこで屍になまでプランクトンを食べていればいい。