センスとスキルの関係。

 道具が先でも技術が先でもないと気がつく瞬間に出会えている人の言葉は重い。日本の教育分野を席巻しその勢いを世界まで展開実動しておられる人となればその言葉はメガトン級である。つまり、現代のあらゆる慣習・文化・システムの歪みが見えているからそこにメスを入れることは簡単で、そのメスが時に鉈だったり刀だったりするから強烈です。

 さて、時にツールとは言葉あれ感情であれコンテンツであれ技であったりするのですが、その場合の、センスとスキルの関係性についてセオリーや先入観に凝り固まるとそののびしろにリミッターをかけてしまうという感じ。直感で判断をするという語感を、どちからと言えば軽視するタイプの人間はその重要性を優先しない・・・というか板につかずその手に馴染ませることが難しい。言葉を言葉通りに理解するという国語の授業から読解力を向上させるというアプローチを多面的に展開することは、人間の生物としての思考回路を分析して捉えようとするとき一番適正なアプローチのように思います。

 何がどれぐらいのスピードでどのように伝わり結果どうなる・・・などの部分をあまり戦略戦略と勘違いして自分の枠を小さく見積もらないこと。あるプロが集中力はカメラのファインダーを覗くようなモノだと言っている。全体を空間で捉えて何にフォーカスするか?どこでシャッターを押し切り取るかに似ていると。カメラのスイッチを入れる前に何を撮影しようとかこんな写真を撮影したいと選択肢を想定することは楽しいプロセスだが、ガチの部分では自分自身がファインダーを覗くまでフィールドにあるモチーフは見えない。そこに余計なイマジネーションを働かさず、その場面でファンダーに見えている中からサインやヒントを見抜くセンスとスキルがあれば、思う写真は手元に残るというもの。時にファインダーの中には想定外のモンスターが潜んでいることがあるからこれまた楽しい。しかし、戦略だのスタイルだのと勝手にリミッターで制限している人はそのモンスターを発見する目を失うことが多いように思う。それでそれが楽しいからと誤解していたいなら話をこれ以上進める必要はないが・・・。